馬鹿にあげた

アサミカナエ

馬鹿にあげた

「あんたを殺してわたしも死ぬ!!」


 握りしめたのは柳刃包丁。

 刺せばしくじっても切先が体内に残るらしい、絶殺武器。

 わたしは本気だ。

 この、浮気者でプレイボーイでわたしの彼であるアイツを刺して死んでやる!


「まー、落ち着けってー笑」


 こんな状況でも彼はひょうひょうとしている。

 わたしはこんなに真剣なのに。最期でも本気で向き合ってくれないのね。

 覚悟を確認するように、包丁の柄をきつく握り直す。


「殺す! 滅多刺しにしてやる! 嫌だって言っても」

「別に嫌だとは言ってないじゃん笑」

「黙りな……はあ!?」


 午前1時の薄暗がりの中、彼は「まあまあ、その辺にお掛けくだせえ笑」なんて言って、神社の軒下にさっさとひとりで座り込んだ。


「でもおまえ、俺を刺したあと本当に死んでくれるの?」

「し、死ぬわよ!?」

「本当にー? やっぱり怖くてやめたーってならない?」

「ならないわよ、ふざけんな!!」

「じゃあさー、俺が万が一助かって、おまえだけ死んだらどうするー?」

「えっ」

「そしたらおまえ、死に損じゃない?」

「そ、そんなことがないように……」

「俺ねえ、二人とも確実に死ぬ方法知ってるよ?」


 彼は試すようにわたしを見上げた。

 強い視線が絡みつき、体が火傷しそうなほど熱くなる。


「おまえと俺が結婚して、それで一緒に歳取って、天寿をまっとうして死ぬの。どーかな?」

「!」


 ただ、まばたきをしただけなのに。目から大粒の涙がこぼれ落ち、頬を濡らすのを感じた。

 コトン、と足元に包丁が転がった。

 手が震えていた。


「なにそれ。ずるいよ……」

「ごめんなー心配かけて。もうどこにも行かないからね」


 彼がわたしの隣に歩み寄り、そっと抱き寄せて頭を撫でてくれる。

 も、そーいうのがずるい。ガチで好きなんだってば。ずるい。好きだよぉ……。


「よしよし。帰ろうねー」


 みっともなく泣きじゃくりながら頷くと、彼は安心したというようにわたしの肩を叩いて、軒下に置いたバッグを取りに離れた。

 ふと、わたしは帰り道の下り階段の前へ立った。

 明かりのない階段の奥はどんなに涙を拭って目を凝らしても、井戸の底を覗き込んだように闇で満ちている。


 この階段の先のように、プレイボーイな彼を持つわたしの人生は真っ暗で手探りだ。

 でもわたしはあの馬鹿に、人生をあげようと決めたから。

 だから……。


「?」


 身体がぐらりとバランスを崩す。

 あれ。

 あんた、いつの間にわたしの背後にいたの?


 勢いづいた身体ひとつ、軽やかにダンスするよう、暗闇の奥へと吸い込まれていく。

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馬鹿にあげた アサミカナエ @asamikanae

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