23
「でも」としばらくしてから先を続けた。
「カワタと高木さんが付き合い始めた頃から、だんだんと、いろんなことがおかしくなってっちゃって――」
嫉妬ってやっかいだよね、と佐伯くんは言った。
「2人が喧嘩をしたときに、妙な欲を出しちゃったんだよね。高木先輩が、ぼくのことを友人としか思ってないことは知ってたのに」
わたしは何も言わず、ただ彼の指の先にある銀色のスプーンを見つめていた。
「で」と彼は言って、ふうっと息を吐いた。
「やっぱり、振られちゃった。けっこう大きな声で泣いていたから、聞こえたでしょ?」
ぱんっ、と頭の中で風船が割れるような感覚があった。あの夜の2人。わたしはてっきり――
「自分を偽ることはできないって言われたら、もうどうしようもないよね。嘘でもいいから付き合って欲しいって、そんなこと頼めるはずもないし……」
「じゃあ、いまは――」
「けじめをつけて、昔ながらのいい関係に戻った。すべてが元通りってわけにはいかないけど。気持ちは――ぼくのものだけど、ぼくの思うようにはならない。きっと、時間がなんとかしてくれるんじゃないかな」
佐伯くんはそこでヨーグルトの器をベッド横の机の上に置いた。身体を真っ直ぐに起こして、わたしの目を見る。逸らそうとしたんだけど、なぜかできなかった。
「こんなふうに打ち明けたのはさ――実は……」
そう言ってからの沈黙は、おそろしく長かった。気のせいでなく本当に長かった。わたしは20ぐらいその先の言葉を頭に思い浮かべた。いい方から悪い方まで、それはずいぶんと幅があった。最悪な予想が当たれば、わたしは二度と彼の前に顔を見せることができなくなるだろう。
「実はさ」って、彼はもう一度言った。
すごく苦しそうな顔をして彼は次の言葉を絞り出そうとしていた。また熱が上がったんじゃないかと思うくらい顔が赤かった。
「実は」
「はい」
「実はぼく、きみの部屋を覗いちゃったんだ」
今度は風船ではなくて、頭の中で仮想のヒンデンブルグ号が爆発した。20の予想の中に、この言葉はなかった。あまりの意外さに、わたしは息をするのを忘れていた。
「ごめんなさい」
彼は言った。
「ずっと謝ろうって思ってた。すごく心苦しくて。きみはこんなによくしてくれるのに、こっちはこっそり――その、きみのプライベートを……」
「いつ――」
それだけ口にするのがやっとだった。
「きみの部屋から泣き声が聞こえてきて、それがとても気になって。壁に耳付けて様子をうかがってるうちに、天井の近くに穴が開いていることに気付いて――きみは、押入の襖を開けっ放しにしていたから……」
「あれは――」
3週間ぐらい前。一方的に10分の3だけ恋して、一方的に失恋した(と思い込んでいた)わたしは、悲しい気分をさらに盛り上げるために、「ラブ・アクチュアリー」のローラ・リニー演じる弟思いのOLが、ものすごいハンサムな同僚カールに失恋しちゃうシーン(ふたりが「メリー・クリスマス」って言い合うところ)を連続8回リピートして観続けた。彼女に自分の切ない気持ちを投影させて、わたしは思い切り泣いた。
隣に声が聞こえるぐらい泣いたのって、このとき以外にないはず。
「ほんと、別に、それだけだったんだ。あの、ほんと――」
佐伯くんは真っ赤になって弁明を続けているけど、わたしは彼ではなく、フランクの穴があるあの壁を見ていた。雑誌の束は穴の真下に積み上げられてあった。
あれを足場にしたのね。なんだか、それはもう部屋の調度の一部みたいになってそこに馴染んでいた。佐伯くんはきっと言わないだろうけど、あの足場を使ったのはそのときだけじゃないはず。だって、度を超えた好奇心は驚くべき内気さに対する、風変わりな心理的補償なんだから。
私たちふたりは、いまシンメトリーになって向かい合っていた。
わたしの知らないあいだにスポットライトが頭上から差していたみたい。わたしは観客席から立ち上がり、ゆっくりと舞台に向かって歩いていく気分で佐伯くんに言った。
「わたしも、打ち明けたいことがあるんです」
もちろん、すべて話すつもりはない。もし、10年先にも佐伯くんと一緒にいられれば、そのときにはきっと打ち明けるだろうけど、いまはまだ始まったばかりだから。
了
フランクの穴 市川拓司 @TakujiIchikawa
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