22


        *


 そして、朝。


 声を掛ける前に、フランクの穴から隣室を確認してみた。彼はまだベッド中にいる。でも目は覚めているみたいだった。自分のおでこに手をやり、熱を確かめている。


 わたしは、紙のカップからガラスの器にヨーグルトを移し、輪切りにしたバナナをトッピングして、そこにヨーグルトシロップをかけた。ラップフィルムで覆いをすると、それを手に隣室に向かう。ドアを開けるとき少し躊躇ちゅうちょしたけど、これは約束していたことだからと自分を勇気付け、ノブを回した。少しだけ隙間が空いたところで、「達川ですけど……」って声を掛けた。奧から、「ああ、どうぞ」って返事があって、わたしは彼の部屋に上がった。


 わたしはごにょごにょと口の中で彼に体調を訊ね、彼ももごもごと不明瞭な声で、いまの状況をわたしに報告した。まあ、昨日よりはずいぶんとよくなったらしい。


 わたしがヨーグルトを差し出すと、彼は上体を起こし、枕を自分の背中にえた。ラップを剥がした器にスプーンを差し込み、佐伯くんに手渡す。ちょっとだけ手が触れたけど、まだ少し熱があるみたいだ。


 ありがとう、と彼は言って、ゆっくりとヨーグルトを食べ始めた。わたしはベッドの脇に正座して、彼がスプーンを口に運ぶのを黙って見ていた。そのうち、気詰まりになったのか、佐伯くんがわたしに話し掛けてきた。

「牧野さん、ぼくと同じ授業をいくつか取ってるよね」

「ああ、はい、そうです。心理学とか……」

「1年生?」

「あ、はい」

「よかった。そう思い込んで話してたから」

「ああ、はい」

「学生ラウンジでも、いつも近くのテーブルにいるでしょ?」

 うわ、やっぱり気付かれていたんだ。常識で考えれば当たり前のことなんだけど、舞台からは客席は見えないはずだって、そんな思い込みがあって、自分だけはまわりのひとの目には映らないような気がしてた。

「ああ、はい。あそこ、学食よりも静かだから……」

「だから、その――ぼくのことは、もうけっこう知ってるよね?」

「あ、いえ――」

 わたしは顔を赤くして俯いた。なんと言えばいいのだろう?

「いまさら隠しようがないけど、高木さんとのことも、だいたいは気付いてるんでしょ?」

 奈留枝さんのことなんだろうと思ったけど、わたしは俯いたまま小さく首を振った。

「気を使わないで、そのほうがぼくも楽だから」

 そう言われたって、なんと返していいのかわからない。

「高木さんは、ぼくの高校の演劇部の先輩だったんだ」

 驚いて顔を上げると、佐伯くんと目が合ってしまった。

「彼女は一浪してるから」と彼が注釈を添えた。

 ああ、そういうことだったんだ。だから佐伯くんは奈留枝さんにいつも敬語を使ってたのか。

「高校の頃から憧れてたんだ」と彼は言った。

「だから、大学で同じクラスになれたときはほんと嬉しかった。そのときはそばにいられるだけでいいって、そう思ってたんだけど――」

 彼は視線をヨーグルトの器に落とし、沈黙を置いた。

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