第1話 ハンガンドノのゴシソク

「ハンガンドノのゴシソク」


その少年は周囲の大人たちからそう呼ばれていた。

あまりにもそれが自然過ぎて当初は違和感もなく受け入れていたが


「おれの名は虎夜刃丸とらやしゃまるだったはずだが?」


という疑問を持つ頃には、それが「判官殿のご子息」という意味であることを知った。虎夜刃丸の父、楠木正成くすのきまさしげは、検非違使けびいしに任ぜられていたことから、その通称である判官殿と呼ばれていたらしい。


「お父上は、稀代の英雄であらせられました」


周囲の大人たちは口をそろえてそう言った。


正成はもともと鎌倉幕府の御家人であったが、後醍醐帝が討幕の志を表すとそれに呼応。幕府軍を相手に奮戦し、時にはわずか500ほどの手勢で万を超える軍勢と互角以上に渡り合ったこともあったという。


「いや、さすがにそれは無理ではないか?」


虎夜刃丸の子供にしては妙に冷静な指摘に、傅役の和田三郎兵衛は熱っぽい口調で言った。


「そこはそれ、工夫次第でございますよ。地形をうまく使う、敵の不意や弱いところを衝く。戦は兵の数だけで決まるものではございません。たとえば赤坂城に籠って戦った折は……」


もともと三郎兵衛は正成と共に戦場に立ったこともある歴戦の士である。折に触れて、自身が間近で見た正成の戦いぶりを虎夜刃丸に語って聞かせた。

そのことが結果として、後に楠木正儀くすのき まさのりとなった虎夜刃丸の活躍に繋がるのだが


「爺は父上のことを語りたかっただけような気がするな」


とは、後年の正儀の述懐である。


いずれにせよ、虎夜刃丸の父・楠木正成は無類の戦上手であり、鎌倉幕府の打倒に大いに貢献した。

そして後に「建武の新政」と呼ばれる後醍醐帝の治世において重く用いられるのだが、新体制はわずか数年で崩壊を始める。

そのきっかけを作ったのが、鎌倉幕府打倒の立役者でもあった足利尊氏あしかがたかうじだった。


尊氏自身には、どうやら後醍醐帝に逆らう意思はなかったらしい。それどころか、個人的には帝を敬慕していた節すらある。

しかしいくつかの不幸なすれ違いと、後醍醐帝の治世に不満を持つ武士たちに担ぎ上げられるような形で彼は帝に叛旗を翻した。


「わしは帝に逆らうのではない。帝に讒言し、政を誤らせている奸臣どもを征伐するのだ」


あたかも自分自身に言い聞かせるようにそう宣言した尊氏は、軍を率いて帝のいる京に迫る。

しかし正成らの活躍によって大敗し、九州に落ち延びていった。


「足利尊氏も大したことはなかったな」


朝廷内にそうした空気が広がる中、正成だけは尊氏の脅威を感じ続けていた。


「今こそ尊氏と和睦すべきです」


正成は献言した。


「兵を挙げこそしたものの、尊氏に帝と戦う意思はございません。彼は兵を失い、敗戦の失意の中にいます。今ならばこちらが差し伸べる手を、喜んで取ることでしょう」


しかしそれは廷臣たちの「なぜ勝った側が和を請わねばならぬのか」という、ある意味当たり前すぎる主張によって退けられた。

そうなることは、正成自身も分かっていたのだろう。それ以上強くは言わなかった。しかし正成だけは、尊氏の脅威を見抜いていた。


「尊氏殿は戦の駆け引きも巧みだ。しかしあの方の恐ろしさはそんなところにはない。戦に敗れ、落ち延びる尊氏殿には多くの武士が付き従っていたのだ。中にはも我らに味方していたはずの者たちいた。尊氏殿は武士の心を掴む天才だ。落ち延びた先で遠からず勢力を回復し、再び我らに挑んでくるだろう」


正成が予見した通り、尊氏は落ち延びた先の九州で現地の武士たちを味方に引き入れ、わずか数か月で以前にも勝る大軍を組織して京に向けて進軍を始めたのである。


後醍醐帝には、尊氏と和睦する、あるいは「守りにくく攻めやすい」ことに定評のある京を退き堅固な地に拠って機を伺うという選択肢があった。

正成はそのいずれかを採ることを献言したが取り上げられず、帝は正面から足利軍を迎え撃つことを選んだ。


そして正成にも出陣の命が下る。

兵力差は歴然であり、味方に勝ち目はない。しかし正成は後醍醐帝への忠義を貫くために出陣し、湊川の地で壮絶な討死を遂げた。

武勇と忠義を兼ね備えた楠木正成の死を惜しまぬものは、味方はおろか敵方にもいなかった。


「……というのが父上の評価なんだが。なんというか、いろいろ独り歩きしている感があるんだよなあ」


と、虎夜刃丸は兄である楠木正行くすのき まさつらから聞いたことがある。

大人たちから父の事績を聞き、大筋がつかめてきた10歳前後のことであった。


正行は正成の長男で、正成の亡き後は楠木家の当主となっていた。

虎夜刃丸は兄の庇護下で育てられており、兄弟は10歳以上の年齢差があった。二人の関係は、兄弟というよりむしろ親子に近い。


「だいたい父上が尊氏殿との和睦しようって言い出したのだって、単に尊氏殿のことが好きだったからって気がするし」

「え」

「父上、尊氏殿のことをめちゃくちゃ褒めてたからなあ。戦いたくなかったってのがまずあって、理由は後付けのような気がするんだ」

「そんな……」


本当ならば公私混同も甚だしい。いや、結果的に正しかったから良かったのか……?


「それに父上、湊川では勝つ気でいたんだぞ」

「そ、そうなのですか……?」

「そうなのだ。虎夜刃丸にはまだ難しいかもしれんが」


正行はそう前置きをして説明を始めた。


足利軍の要は、尊氏とその弟である直義ただよしであった。つまり、尊氏の求心力と軍事的才能、直義の政務能力である。

正成が狙ったのは、兄弟のいずれかを戦場で討ち取ることだった。


事前の諜報で、尊氏が水軍を率いて海から、直義が主力を率いて陸路を進んでいたことは分かっていた。船を手配できなかった後醍醐方が、海上の尊氏を討つのは難しい。であるならば、狙いは陸を進む直義。一軍を以て水軍の上陸を食い止め、一軍を以て直義の首ひとつに狙いを絞って突貫する。


「直義殿を失ったならば。虎夜刃丸、足利軍はどうなると思う?」


兄は弟を試すように問いかける。弟にはいずれは一門として自分を支えてもらわねばならない。機会があるうちに、鍛えておくに越したことはなかった。


「湊川で勝てたとしても、その後は軍として立ち行かなくなる……ということでしょうか?」

「そうだ。その隙に後醍醐帝は戦力を貯えるなり、足利に味方する武士たちを切り崩すなり、いくらでもやりようは出てくる。父上は直義殿の首ひとつを獲って、ご自身も戦場を落ち延びるつもりでおられたのだ」


そして実際に、正成は直義をあと一歩のところまで追いつめた。

しかし直義家臣の薬師寺十郎次郎という剛の者が命懸けの奮戦で時間を稼ぎ、弟の危機を知った尊氏が送り込んだ援軍がギリギリ間に合ったことで、直義は虎口を脱したのである。

そしてそれは同時に、正成の退路が断たれることを意味していた。


楠木正成は絶望的な戦いに身を投じて死んだ。結果的にそうなった。

しかしそれは世間が言うように


「忠義を貫くために勝ち目のない戦いに挑んで死んだ」


などというものではない。


「もちろん、父上の忠義に偽りはない。そして湊川における策は、策というより無謀な賭けに近かったように思う。しかし父上はしっかりと勝てる絵を描いていたのだ。われら楠木の戦いは、常にそうでなければならない」


兄の言葉に、虎夜刃丸は大きくうなずいた。


「しかし兄上、だとするとひとつ不思議なことがあるのですが」

「なんだ?」

「湊川に赴く前に、父上は兄上を呼んで今生で会うことはあるまいとおっしゃったと伺っていますが。死を覚悟しておられなかったなら、あれはいったいどういう……?」

「ああそれ、お前も聞いていたのか。実を言うとな」


正行は困惑気味に言った。


「そんなこと、おれは言われてない」

「え」

「だいたい父上が出陣した時、おれは京に残っていたんだよ。誰が言い出したのか知らんが、いちいち訂正するのも面倒だから放っておいたら、なんか美談として広まってしまってなあ。まあ、害はないどころか父上の忠臣っぷりが喧伝されているわけだから、これはこれで良いかなと思っている」


このとき正行がちゃんと訂正していれば、「桜井の分かれ」として後世に多大な影響を与える逸話が残らなかった可能性もあるのだが、それはまた別の話。


ともかく虎夜刃丸あるいは「判官殿のご子息」と呼ばれていた少年は、まだ正行の庇護下にあり、この風変わりな兄の薫陶を受けながら活躍の時を待っていた。

彼が楠木正儀として激動の時代に放り出されるのは、正行が父と同じく


「忠義を貫くために勝ち目のない戦いに挑んで死んだ」


後のことである。

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