最終回「第二頁(ネクストページ)」
――主さま、どうか私の名前を呼んでほしいの。あなたに宿る物語の題名を。
見渡す限りの廃墟と天を突きあげる火炎の旋風。
地面に伏し、微かだがまだ息のある藤堂。
周囲から迫る無数の文魔。
現実世界に帰還した幸は、右手を掲げた。
「御伽の
暴れ狂う炎が幸の掌に集束し、白い炎に転化していく。
「
白い炎が渦を描きながら廃墟ごと文魔の群れを飲み干した。
炎に熱さは全くない。何人も焼かない炎に文魔たちも戸惑っているのか、幸への攻撃をやめ、その場に立ち尽くしている。
白い炎は、形を変えていく。如何なる幻想にも染まるが故の白だから。
それは一人の少女と一人の女。そして衣装箱の姿になる。
炎が象った少女は言う。
「衣装箱の奥にある服を取ってほしい」
女が衣装箱に首を入れた瞬間、少女は蓋を閉めてしまう。
女の首の骨が砕ける音が木霊した。
少女が殺したのは継母であった。
彼女は家庭教師に継母との不仲を相談した。すると家庭教師は、少女にこう言った。
「衣装箱にある服を取ってほしいと頼み、箱を覗いている時に蓋を閉めてしまいなさい。その後は家庭教師の先生をお母さんにしてほしいとお父さまに頼むのです」
少女は、家庭教師に言われたとおりにして継母を殺してしまったのだ。
そして少女は家庭教師に言われたとおり、父親に言った。
「先生をお母さんにしてほしい」
少女の言う通り、父親は家庭教師を妻とした。
しかし新しい継母は自分の娘が六人生まれると、少女に冷たくし始めた。
少女は家庭教師だった継母に裏切られたのだ。
辛い日々が続く中、父親が旅行中、妹たちに豪勢なお土産を与える。しかし少女が望んだのは妖精がくれる物だった。
父親は妖精から貰ったナツメの木の苗を少女に与え、少女はナツメの木を大切に育てた。
このナツメの木は、ただの木ではない。魔法の力を使える特別な木であった。ナツメの木は、魔法の力で少女を綺麗に着飾った。
少女は、お祭りへ遊びに行き、そこで王様に見初められる。
王様の従者に追いかけられた少女は逃げ出してしまい、その時履いていた靴を落としてしまう。
王様は従者に命じて国中の女性に靴を履かせて回り、たった一人だけ靴に足が合う少女がいた。それがこの物語の主人公である少女だ。
白い炎が見せる幻影の物語に、文魔の群れは見惚れている。
幸は、藤堂が落とした白紙の本を拾って、呆然としている文魔の一人をそっと抱きしめた。
「あれがあなたのあるべき
確かにこの物語はシンデレラと関係している。
しかしこの物語のタイトルはシンデレラではない。
義理の姉二人が目を潰され、足の肉を削がれていたが、あれは物語の展開を再現しようとしたのではない。鋭い爪によって引き裂かれた結果、グリム童話のシンデレラに登場する義理の姉の末路と偶然重なって見えただけである。
そして継母の首を折る描写。これはグリム童話のシンデレラに登場する描写ではない。
「シンデレラは多くの作家によって書かれた物語です。グリムだけではなく、ペローの書いたサンドリヨン。こちらはカボチャの馬車とガラスの靴が登場します。だけどあなたの物語はグリムでもペローでもないんです。あなたにはシンデレラではないもう一つ名前があるんです。それはグリムやペローが描く以前の物語。ジャンバティスタ・バジーレによって書かれた五日物語の一つ、灰かぶり猫のゼゾッラ」
幸が本当の名前を口にした瞬間、灰に隠されていた文魔の姿が翡翠色の輝きに包まれた。
灰に塗れていた髪は美しい金色の色を取り戻し、焼けただれていた肌は淡雪のような白に染まる。溶け落ちていた双眸にサファイアのような瞳がはめ込まれていた。
そして輝きは美しいドレスとなり、可憐な少女の美貌により一層の花を添えた。
「母さんが昔読んでくれたお話です。シンデレラの元になった話はこういうお話だったんだと……ようやく思い出せました。それがあなたの本当の名前です」
おびただしい文魔の群れは、花が散るように次々と弾けて揺蕩う力の光球となり、ゼゾッラへと収束していく。
「本当のあなたは怪物じゃない。たくさんの人を幸せにするために生まれた物語なんですよ。たくさんの人に喜びを与えてくれる存在なんです」
幸は、地面に落ちていた白紙の本を拾い上げて頁を開いた。
「それがあなたのあるべき
幸が笑顔を送ると、全ての光球を取り込んだゼゾッラも白い薔薇のような美しい笑みを返してくれる。
二人が笑みを交わし合うと、ゼゾッラは光球に姿を変え、自ら飛び込むかのように白紙の本へ吸収された。
翡翠色の光が白紙の本に走り、文字と挿絵を紡いでいく。そこには灰かぶりの猫のゼゾッラの本文と片目のない黒猫を抱きしめて笑みを浮かべるゼゾッラの挿絵が描かれていた。
幸が本を閉じると、突然脱力感に襲われた。立っていることも苦痛だ。
数千にも及ぶ文魔に幻影を見せた
幸は、おぼつかない足取りで鉛のように重くなった身体を引きずり、藤堂の元へ向かった。
周囲の火の手はなおも勢いを増している。今すぐこの場を離れなくては御伽の狩人と言えど、ただではすむまい。
藤堂の元に辿り着いた幸だったが、何かが切れる感覚に襲われる。
「あ、あれ……」
幸は、堪え切れずに崩れ落ちた。
「藤……堂さ、ん」
もう指の一つも動かせない。そんな幸の頬を藤堂の掌が優しく撫でた。
「よくやったね……君はすごい」
普段の
藤堂を連れて逃げる体力はもはや残されていない。けれどこのまま藤堂を置いていくことはできない。一人だけ生きて帰るなん言語道断だ。
「私……藤堂さんとアリスさんに出会えて幸せです」
「まだだ……まだ終わっていないよ幸さん」
藤堂が地面に広がる血溜まりに触れると、ほんのりと冷気が漂い、幸の額を冷やした。
「アリスとの約束を果たさないとね」
「……はい。そうですね」
幸は、魂の中にいる御伽の異能へ祈った。
――燐寸売りの少女さん。どうかお願いします。私に藤堂さんを守るだけの力をください。
幸と藤堂は白紙の本を挟むようにお互いに抱きしめ合って、炎の中で瞼を閉じた。
関東大震災から一年後――。
浦和県の駅前に鉄筋構造の赤い煉瓦造りの真新しいビルが建っていた。
神楽幸は、ビルを見上げながら両脇に立つ藤堂逸気とアリスに語り掛けた。
「ついに再開ですね。藤堂探偵事務所が」
関東大震災の大火の中、幸は渾身の力を振り絞って御伽の異能で炎を遠ざた。
藤堂は、自らの血の水分を触媒にして村雨の
二人は、互いの
奇跡の生還劇には、アリスが白雪姫の魔法の鏡の異能を用いて、二人の場所を探し当てて数十人の救助隊を引き連れて駆けつけてくれたことも大きい。
「すいません。この本何処へ持っていけばいいかね!?」
引越しの手伝いを頼んだ地元の男たちが大量の本を抱えている。
「それ二階」
アリスは、ご機嫌な猫のような足取りで男たちに駆け寄り、指示を出し始めた。
ビルの建設と新しく本を購入した資金は、幸の両親の遺産から捻出された。
文魔の脅威が去ったわけではない。人類が生き続ける限り、物語は紡がれていく。
人類がたった一人でも生き続ける限り、彼等と付き合っていかなければならない。
人と人の心に歪められてしまった物語を助けるためになるならば、きっと両親も継母も喜んでくれるはずだ。
「藤堂さん」
「ん?」
桔梗柄の着物姿の幸は、藤堂の手をそっと握った。
「これからも……私のためにお茶を淹れてくれますか?」
「……もちろんだよ。幸さん」
藤堂が頷くと、幸の頬が赤く染まった。
おわり
御伽の狩人 -大正御伽怪奇譚- 澤松那函(なはこ) @nahakotaro
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