それでも確かに終わりは寂しかった
桜ハナビ
それでも確かに終わりは寂しかった
「『リンちゃんのダンゴムシーーーーー!』」
「『あっ、ちょっと待ちなさいよ、ユズ!』」
とんと乾いた音が高校生には少し低い机から鳴った。夕方のオレンジ色の薄暗い光が機材が所狭しと置かれている少し手狭な部屋に差し込んでいた。部屋の中には女子生徒が2人。手に紙が何枚か纏まった厚みを持っていた。
「ももの『ダンゴムシ』がデカすぎてひなのの台詞聞こえないんだけど」
「いーじゃん別に。ココ中途半端抑えて叫ぶとか逆に難しいし。あと、面白いから」
おさげの生徒はけらけらと楽しそうに笑って言った。台本をカレンダーやら書類やらでいっぱいになっている机の上に置いて、オレンジ色した水筒を代わりに手にする。お茶を一口飲んで、また水筒を置いてあった場所に置き、机と合っていない長椅子の背もたれに体重をかけた。
「まあ、それはそうだけど…」
もう一人の眼鏡をかけた生徒は少し考えてから口を開いた。同じように台本を机に置いて、水分を補給する。
「まあ、リンの台詞聞こえなくたってココは問題ないでしょ。袖から戻ってくるシーンだし。それか、もう少しユズとズラしたら?」
「…次の稽古の時に動いてみて考える、かな」
ひなのは台本に向かってシャーペンを走らせる。丁度その台詞のところには「ズラす?」と書き込まれた。ももはそれを見ながら、自分の台本に目を落とした。
「次っていつだっけ?」
「明日でしょ」
「…全員来ないでしょどうせ。まあ来たら来たであの2人のシーンやるから私達2人が稽古に行く意味がなくなるけど」
「そういうこと言わない」
ももは先程まで笑っていた時と打って変わって冷めた目をして重い空気を出していた。ひなのはそれを一応咎めはしたが、同じ様な目ををしていることには変わりはない。
ももとひなのの2人は演劇部に所属していた。その演劇部には全員で7人が所属している。1人だけの後輩ともも達と同学年の男子生徒を除く女子生徒5名はいずれも他の部と兼部していて稽古への出席率が悪い。ももとひなのも放送部と兼部しているわけだが、また別の部に入っている残りの3人とは予定が上手く噛み合わないことが多かった。残りの3人の内役者として舞台に立つのは2人で、今稽古している台本はその2人がメインだった。4人しか出ない台本なら出番に差はないだろう、ということはなく、勿論メインの2人の方が出番は多いので、2人のシーンを稽古する時間が比較的多くなっていた。出番の差に関してはもももひなのも文句は特になかった。ただ、特にももは効率を気にするきらいがあり、稽古に行ってただ見ているだけの時間があることがストレスなのだった。それにももはメインの役者の片方、部長である彼女とは性格的に合わない部分が多く、あまり演劇部の活動に乗り気ではなかった。このことはたった2人だけの放送部員の相棒としてひなのはよくよく理解していたし、また少し申し訳なく思っていた。
元々この学校に演劇部は無かった。数年前に廃部になったのだ。それを部長が再建しようと思うと、たまたま遠くない友人であるひなのに話した。その話にひなのは乗って、同じ部活のももを勧誘したのだった。ももは廃部になっていた部を復興するなんて漫画みたいな話だと、冗談だと、そう思って「本当にやるならやってあげる」と答えてしまった。それは4月の終わりの話だった。そこから夏休みが明けて、ももが完璧にその話を忘れていた時にももは他の業務連絡くらいでしか話したことのないクラスメイトと共に呼び出された。ももは緊張した。クラスの友人達に必死に自分は何かしたかと聞いたが、友人達ももも自身にも特に覚えが無かったので、ももはビクビク震えながら呼び出しに応じた。そこで演劇部の顧問だと言う見た事ない他学年の教師に演劇部が出来たことを伝えられ、これから頑張ろうと言われた。そんな感じで半分騙されたようにももは演劇部員となったので、ひなのは申し訳なく思っていたのだった。
「明日は金曜日だし、確か大体揃うよね。今の内にできるだけ台詞入れとこう?」
「大体、ねえ…主役の癖して一番来ないあの人は一体どうするつもりなのやら」
「土日の稽古は来てるし、練習出来てないわけじゃないじゃない、ね?」
「土曜は午後からの合流でしょ」
「もうすぐ吹部は定演だから抜けられない中こっちにも来てるんだよ」
「大体あの人は自分で作った癖に部長としの仕事はまともにしないし、一番部活来ないし、何なの…!」
ももの不満は一度口から外に出てしまえば止まらなかった。ももの言い分は正しい。それはひなのも解っている。しかし、友達として部長である彼女のこともまた、解っていた。ひなのはももの相棒であり、同時に演劇部の副部長だった。
演劇部の部長は吹奏楽部だった。彼女はただでさえ忙しい吹奏楽部でありながら兼部し、部長を務めていた。しかし彼女はとてもゆったりとした性格だった。部のミーティングの時、いつもももが「部長」と一言背を押さなければ彼女はミーティングを始めなかった。その様子を見た顧問はまるでももが部長のようだと言ったが、ももは部を創設した彼女が部長であるのは道理だと最初の集まりの時に言っていたので、その姿勢を
そしてひなのは今、どうにかしてこの最後の公演を悔いなく成功させたいと考えていた。そのためには演劇から今にも離れそうなももをどうにかして引き留め、部長と何とか上手く交友を結んで貰わないといけなかった。ひなのは目の前にいるももを見て考えた。まだ全然良い方法が思いついていない。
ひなのから見て部長はもものことを仲間の1人だと認識していて、行動力のある人だと評価し、仲は悪くはないが、多少言葉のキツいももに苦手意識が芽生えているようだった。反対にももは同じ部活の仲間として仲良くしようという気はあるらしかったが、壊滅的に部長とは合わないのでこちらも苦手意識があった。そして一番厄介なのは、もも自身は部長に嫌われているのだと思っていることだった。何故そのような考えになるのか、人間の感情とはほとほと不思議で複雑なのだ。良いか悪いか、ひなのにはその理由を知っている。ももはかなり眼が良い。視力の話ではない。観察眼、洞察力と呼ばれる力が強かった。ももが行動力があると言われる大きな理由が周りをよく見ているその眼にあった。ももは周りが見ていないようなとこまで色んなものを見ている。稽古中、重要なことを指摘するのはいつもももだ。見え過ぎるが故に細かいこともあるが、演劇においてその眼はとても重要なのだ。しかし、今回ばかりはその眼が悪い方向に向いてしまっていた。ひなのと残りのもう一人の役者のあいはそのコミュ力ですぐ皆と打ち解けたし、裏方をやっているみかはももとそこそこ仲が良かったし、あいや部長とは同じグループだった。だから後、ももと部長さえ仲良くなれば楽しい部活になるはずだった。繰り返すが、元々ももだけが部長によって誘われたメンバーではなかった。ももと部長は同じクラスだが、授業中班活動でもない限り喋らないような仲だったのだ。ただの知り合い程度。それがももと部長の最初だった。そこにいきなり部活仲間というステータスが追加された追加されたのだ。急に友達になる筈はなく、2人の間には常に距離があった。お互いがその距離の詰め方に手をこまねいていたからだ。それがいけなかった。自分に対してだけ向けられるよそよそしい態度が初めにももは気になって、頑張って共通の話題を探そうとしたが、なんと性格だけでなく趣味すら掠らない事態が発生し、時間だけが過ぎた。共に過ごしていく中で互いに苦手意識だけが大きくなって、ただのクラスメイトだった頃より悪化した関係性が態度に表れ始め、部長はももを少しずつ無意識に避けたし、ももも同じように避け始めてしまった。眼の良いももは避けられていることにすぐに気が付いた。単純に考えれば、避けられるということは嫌われているということ。よってももは部長に嫌われていると思うに至ったのだった。ももは自分の言葉がキツいことは自覚していたし、嫌われるのは仕方ないことだと考えていた。加えて一緒にいてもお互いのためにならないし、いっその事辞めてしまおうかと考えるようになっていた。
まずは今稽古しているものを形にしなければならないと思い、他にいい案が思いつかないままひなのは下校した。
***
本番まで後一カ月に差し迫っていた。春休みに入り、毎日稽古ができるようになっていた。公演本番まで部長は吹奏楽部の練習を休ませてもらい、演劇部の稽古に来ていた。大分完成してきたように見える。後は細かな調整をすれば良かった。シーンとシーンの繋ぎ目やら台詞の助詞の言い間違い、音響や照明のタイミングを頭に入れたりするのだ。しかし、どうしてもクリアできない大きな問題が一つ残っていた。主役の長台詞だ。今回主役は最初と最後に1人だけで話す長台詞を配置されていた。主役のキャラクターとして元々あまり喋らない傾向がある役だが、独白のような場面になる最初と最後は長台詞が入っていた。役者としては、そのギャップは大変やりにくい。そのためどうしても長台詞同士が混濁してしまって、止まってしまう。まだ、会話の中での長台詞ならもも達がフォローできるので良いのだが、最初と最後は舞台には主役1人。だれも助けることができないのだ。
「…ひかる先輩、もう本番まで時間ないですし、やっぱり台詞削りましょう」
今回演出を担当する後輩は、部長にそう進言する。顧問もあい達も演出の言葉に賛成していた。しかしひかるは口を固く結んで抵抗していた。
「ひかる、別に誰も怒ってるわけじゃないんだし、台詞直してもらおう?長台詞が大変なの皆分かってるし、ひかるが頑張ってるの皆知ってるし、ね?」
「でも…」
あいが優しくひかるに声をかける。それでもひかるは頷こうとしない。そんなひかるの態度にももが痺れを切らす。
「じゃあ、このまま練習続けて言えるようになる保障はあるわけ?」
「ももっ!」
「後、本番まで残り一カ月を切ったの分かってる?何をそんなに渋ってるか知らないけど、出来ないなら大人しく台詞直してもらったいいじゃない。一番最悪なのは見せ場の最初と最後がグダグダになること。そうなったらもうどうしようもないの。ちょっとは現実見ろよ」
ひなのがももを止めるがももはそのまま言い続ける。
「私だって!必死にやってるの!大事な場面だって分かってる!だから!削りたくないの!」
ももの言葉を受けて、ひかるが珍しく声を荒げる。元来大人しくぽやぽやしたひかるがこのように感情を爆発させるのは今が初めてだった。しかし、気の強いももには逆効果だった。ももの近くにいたひなのはプチンと糸が切れるような音を聞いた。ももからだった。
「はあ?『私だって必死にやってる』?誰が必死じゃねーつったよ。第一必死にやってたってその結果でてねーじゃねーか。ていうか台詞削る以前に意地でも止まらないっていう気はないわけ?間違ったらすぐ『あっ』とか言いやがって。何が『あ』だよ」
「結果なら出てる!後もう少しなの!もう少し、もう少しで全部ちゃんと言えるようになるから!」
「その『もう少し』で残り時間全部使う気?もうタイムリミットだっつってんだよ」
「お願い!言いたいの、ちゃんと全部台詞言いたいの!ももちゃんだってこの舞台成功させたいでしょう!そのためには最初と最後の長台詞は全部必要だってわかってるでしょう!?私本当にやるから!だからお願い、ももちゃん!」
「っ!」
ひかるはももに飛びつく。がっしりと掴まれ、ひかるの血気迫る様子にももは気圧される。ももはひかるの言っていることは理解していた。実際、台詞を削ろうにもどこをどのくらい削ればうまく話しが繋がるのか難しいという問題が新たに出てくるのは目に見えていた。一歩間違えれば、ワンシーン丸々カットせざる負えないなんてこともあり得る。だからこそ全員出来れば削りたくはなかった。しかし、時間が迫っているのも事実。ひかる自身が言うようにミスが減ってきていることは確かだが、これ以上待って、手遅れになる可能性を考えるとここらが限界だった。ひなのはももの様子を伺う。ももは必死に頭を回して考えいるようだった。いつものももなら「待てない」と即答するだろう。しかしももは気が強く、自分の意見をはっきり言うタイプではあるが実は押されることには弱かった。そのことを薄々気づいているひなのは苦笑を零した。
「…っ、わかったから離して!」
「本当、ももちゃん!?」
「私はもう少し待っても良いと思うけど、決めるのは、演出!演出で判断してっ!!」
いきなり振られた後輩は思わず「え!?」と声を上げる。彼としてはももが部長をこのまま論破して納得させてくれるものと思っていたからだ。助けを求めて顧問を見るが好きにしなさいと微笑んでいる。ひかるからは期待の眼差し、ももはげっそりした様子で丸投げしたきりこちらを見もせず、残りの先輩達からは憐みの目を向けられていた。この時彼は舞台に立つのが嫌で演出を希望したことを後悔していた。
「今週末。土曜日の練習で駄目だったら、それ以上は待てません」
「ありがとう!!!」
「ただし!もも先輩も責任を持ってサポートに入ってくださいよ!」
「はあ!?何で!?」
「あんたが許可したんでしょう!!」
「うっ…」
崩れ落ちるももをひなのが慰めていた。
***
あれから大変な5日間をももは過ごした。苦手なひかると強制的に一緒に居なければならなかったからだ。いつも帰り道ストレスを通り越して生気の抜けたももがちゃんと帰りの電車に乗れるようにひなのは注意を払っていた。
結果としてひかるはちゃんと長台詞を言えるようになった。最初と最後が決まるようになって全体としての完成度も上がっていた。しかし、反対にももはどんどん元気がなくなっていた。5日後のテストでひかるが長台詞を言えた時点でももは解放されるはずだった。が、5日間の苦楽を共にし、成功することができ、ひかるがももを苦手ではなくなったのだ。そのためひかるはかなりももに話しかける頻度が上がり、おかげでももは未だにげっそりして帰宅している。ひなのはももとひかるのその差が可笑しくて笑ってしまう。だが、あの日ももとひかるが言い合ったおかげで前より確実に部内の雰囲気が良くなったし、舞台の完成にもぐんと近づいた。これなら一週間後の本番はきっと良いものになるだろうと、ひなのはそう思った。
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