アリス・クロフォード

 三ヶ月も相部屋で暮らす間に、アリスはすっかりイーディスに懐くようになっていた。あるときイーディスが熱を出して倒れたときなど、アリスが三日三晩つきっきりで看病を行ったほどである。ちなみに、医者も呼ばれた。これはラヴィニアよりさらに上、伯爵夫人からの命によるものであった。彼女らの主は、貴族としては比較的温情のある女性だったのである。


 ところで、メイドたちは昼間はみな忙しく働いているわけだが、夜、つまり就寝時間になれば流石に自由が与えられる。寝ないと明日に差し支えるとはいえ、ほどほど夜が更けるまでは、彼女らは存分に羽根を伸ばした。多くの若いメイドたちは、どこかしら一つの寝室に大勢で集まって内緒話や噂話をするのが好きだった。ある夏の暑い日などは、みんなで屋根の上に登り、庭でウサギたちがじゃれ合っている姿を眺めたものである。


 もちろん、伯爵夫人やパジャマパーティーに参加するような年ではない上級の使用人たちを起こさないように静かにしているのではあるが、そんなことは言ったところで屋敷の人間たちは彼女らが何をしているか、もちろんみんな知っている。ラヴィニアも、昼間は厳格なようでいてそういったことには比較的寛容な管理者であった。


 屋根の上で二人、干しリンゴを齧りながら、イーディスとアリスは話をした。


「アリス。あなたには夢ってある?」

「……どうでしょうか。今は、ただ戦争が終わってくれることを願っている、それだけのような気がします」

「まあ、戦争が終わらないと旦那様もお坊ちゃまも帰ってこれないでしょうしね……って、そういう話じゃなくてね。いつまでも皿洗メイドのままでいたくないとは思わない?」

「それはまあ、思わないこともないですけれど。でも、あたし他に何もできないし」

「そんなことはないわよ。というか、わたしたちハウスメイドだってそんな特別な仕事をしているわけじゃないわ。簡単なコモン・マジックと、後はお部屋の掃除をしていればいいだけだもの」


 と、そこに一人のお針子が口を挟んだ。部屋がアリスとイーディスの隣で、ロリーナというメイドである。


「アリス、あなた針仕事をしたことはないの?」

「実家に居た頃に、家族から少しだけ。でも、仕事としてやれるほどの技量ではないので」

「私達針子メイドは確かにその技量が仕事の命だけどさ。あんた、器量ならあるじゃない。客室係パーラーを目指したらどう?」


 パーラーメイドは来客の応対などを担当する、見目の麗しさが何よりも要求される種類のメイドである。だが来客対応がそんな一日中あるわけではないので、空いた時間にはテーブルクロスやナプキンの繕いなどをするのも仕事のうちであった。


「そうね。いいじゃない。アリス、ロリーナに針仕事を教えてもらったら?」

「あたしは……いえ。お姉さまが、そうおっしゃるのでしたら」

「おー。さすが、イーディスっ子のアリスだわ。そう言うなら、わたしたちもパーラーの仕事に必要な心得を教えてあげる」


 そう言うのは、現職のパーラーメイドたちであった。もちろん彼女らも、夜の時間には他のメイドたちと一緒になって余暇を過ごしているのだ。


 さて、そんなこんなで、冬が来る頃にはアリスもそれなりに一人前に仕事をこなせるようになり、パーラーメイドへの昇格が決まった。パーラーメイドは花形なので、前にアリスが居たのよりも良い個室が用意されるのであるが、アリスはそれを断った。イーディスと一緒の部屋がいい、というのである。


「あたし、お姉さまと一緒でないと眠れませんの」


 と言う少女に、ラヴィニアは苦笑して、まあ部屋が一つ空くのだからイーディスさえよければそれで構わない、と言った。イーディスにも、無論異論はない。


 冬がしばらく日々を重ねれば、やがて年越しの日がやってくる。暦で新年初日にあたる日の前日、つまり日本の概念で言えば大みそかの日には、この伯爵家の屋敷では使用人たちも使用人たちのパーティーを開くことが許されていた。なんと、使用人だけで行われる舞踏会まで開かれるのである。


 貴人のための舞踏会においては、女性が女性とペアになって踊るのは固い禁忌である。だが、使用人たちの舞踏会にまでは、そのようなルールは適用されない。だいたい、使用人も男たちの多くは出征してしまっているので、そんなことを言い出したら舞踏会は回らない。そこで、主には女同士のペアで、みなこの日のために用意したドレスを着てめいめいに踊るのであった。


「一曲、お相手して頂けませんか?」


 そう言ってアリスを誘うのはイーディスであった。


「喜んで」


 二人は踊り始める。


 誰も気付かない。アリスが、繋いだ手からそれが伝わってしまうことを恐れるほどに、胸をときめかせているということを。


 そのアリスさえも気付かない。イーディスもまた、アリスに対して並みならぬ感情を抱いているのだということには。


 この想いの果てに、何があるのかは分からない。


 ただ一心に。ただ一心不乱に。曲が終わるまで、二人は踊り続けた。

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アリスは永遠の少女じゃない きょうじゅ @Fake_Proffesor

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