アリスは永遠の少女じゃない

きょうじゅ

イーディス・スヴェインバンク

 メイドというものは、とイーディス・スヴェインバンクは思う。「熟練のノームが作るからくり仕掛けのようになめらかなリズムで動く、よく油を差した機械の一種」でなければならないらしい。


 イーディスはとある伯爵家に仕えるメイドであった。種族は人間族ヒューマン。ここはヴィクトリア時代のロンドンなどではなく、魔法と言うものが存在し勇者と魔王が丁々発止を演じているファンタジックな地球外世界であるが、メイドの仕事がメイドのするものであることに変わりはない。


 イーディスはハウスメイド、つまり雑用一般を引き受けて遊軍的な働きをするメイドであり、彼女の務めは主に、毎朝早くに起きて各部屋の暖炉に『発火フリント』の魔法で火を灯して回り、そして掃除をし――暖炉に火を付けるくらいならともかく、自動的に掃除を済ませてくれる簡単なコモン・マジックなんてものはない――、後は出入りの業者が裏に駕籠で運んでくる薪を各部屋の備え付けの場所に補充する、そういった事柄であった。


 ちなみに、雑役ハウスメイドはメイドの中では比較的、格の高いポジションに位置付けられる。メイドの中で最下層といえば皿洗スカラリーメイド、これは給料も安いし他の使用人からも軽く扱われるしで、誰もやりたがらない、主に年若い見習いなどが回されるポジションであった。イーディスにもスカラリーをやっていた昔があるが、それは思い出したくもない記憶である。幸い、そんな長いことはやらされなくて済んだ。


 もちろんスカラリーの他にも、針子シーワーメイドもいれば子守ナニーメイドもいる、台所係キッチンメイドもいれば客室係パーラーメイドもいる、そのほかこの屋敷だけで何十人もいるメイドをあげていけばきりはないが、ともかく、貴族の屋敷一軒を回すのには、何十人から百人以上、時には数百人という規模の使用人が必要だったのだから、その多様性のほども推して知るべしというものである。


 もちろん、とイーディスは思う。そんなメイドたちの中でもっとも偉いのはハウスキーパーをしているハーフリング族のラヴィニア様だ。ハウスキーパーより偉い使用人というものは、伯爵家には存在しない。執事つまり伯爵の直下に位置する最上級の男性使用人であるアーネスト様でさえ、ラヴィニア様とは対等の立場であってどちらが上で下と言うことはできないのだ。


 そんなことを思うのは、アリスという新人のスカラリーメイドが、ラヴィニア様からこってりとお説教を喰らっているのを目にしたからである。


 アリスはエルフである。従って金髪で耳が長く、その容貌は整っている。イーディスも決して人後に落ちるほどの外見をしてはいなかったが、しかしやはりエルフ族の優美な姿を前にすればため息をつかざるを得なかった。


 とはいうものの、それはエルフがエルフらしく額に入れられて澄ましてでも居れば、の話である。水仕事のやりすぎで手はあかぎれだらけとなり、苦労が顔ににじんだアリスの姿は、どちらかといえば羨望よりも憐みの感情を呼び起こされるものであった。


「またお皿を割ったのですね、アリス・クロフォード。昨日割った分のお皿は、しめて銀貨五枚分。その分、お給金から差し引かれますので、その旨承知置きなさい」

「はい、ラヴィニア様……」


 エルフ族は長命の種族であるが、アリスはまだ少女であり、お偉いハーフリングの前で震えるその様はまるで初めての冬に怯える仔リスのようではあった。ちなみに、給料からの損害金の天引きというのは実はこの王国の法律では違法とされているのだが、イーディスの知る範囲では、その決まりはよっぽどの貴族の家でもほとんど守られていないという。


 ところで、エルフのメイドというのはこの王国にあってはかなり珍しい存在である。だいたい、この国にはエルフというのはそもそもあまりいない。エルフの多くは西の国に住んでいて、農耕を主とする生活を営んで暮らしているとされている。イーディスは別にそんなところに行ったことがあるわけでも何でもないけれども。アリスがなんでこの国でメイドなどやっているかというと、戦災孤児として流れてきたからである。勇者やら魔王やらは彼女たちには関係のないことであると彼女たちは思っているけれども、大きな視点から俯瞰してみればもちろん、関係がないわけはないのであった。


 さて、昼食の時間のことである。アリスは食が細かった。エルフ族は基本的にみな菜食主義者であるので、肉を食べることはできない。だから彼女のスープの皿からは肉は避けてある。その程度の配慮はしてもらえるが、菜食主義者用に他に一皿何か添えて貰えるというわけには流石に行かないため、結局彼女の食事は貧相なものにならざるを得なかったし、またそれ故に彼女は食が細いのであった。


 そんなアリスを、イーディスは個人的には見かねていた。昼食を済ませて、なお物哀しそうにしているアリスに、イーディスは声をかける。


「アリスさん、ちょっといいかしら。裏の方へ」

「は、はい。イーディス様」


 アリスはぷるぷると震えていた。何か、お説教か、よりひどいことには折檻でも受けるのではないかと思っているらしい。


「何でございましょうか、イーディス様」

「様はいらないわ。わたしはただの第二セカンドハウスメイドよ、ラヴィニア様じゃあるまいし。それより、これ、これならあなたにも食べられるでしょう? そう思って、昨日行商人が見せていった商品の中から買っておいたのよ」


 そう言って、イーディスがアリスに渡したものは紙袋に入った一袋の、干しリンゴであった。


「まあ。これをくださるのですか?」

「ええ。それなら、あなたでも食べられるだろうと思って」

「ありがとうございます。ありがたく頂かせて頂きます」


 そう言って、しかしアリスはぽろぽろと涙を落とし始めた。


「屋敷の暮らしは辛い?」

「はい」

「スカラリーだものね。あれは誰だっていやよ、正直に言えば。わたしもやっていたことがあるから分かるけれど」

「いえ、それもあるにはあるのですが……毎晩、広い半地下階の自室で一人で眠るのがあたし、怖くて」


 これだけの貴族の邸宅だから、使用人たちのためのエリアはちゃんと分けられている。半地下になっている部分のその先が使用人たちのエリアで、ちなみに男女ともそうだが、男使用人たちのエリアと女使用人たちのエリアは厳密に分けられていた。広い屋敷のことで部屋そのものはたくさんあるので、一番下っ端のアリスにもそれなりの広さがある個室が与えられていた。家具などは質素だが、それにしてもこれは常識的には厚遇であると言える。しかし、それがアリスには辛いのだという。


「お父さまも、お母さまもいなくなって……あたし、一人で天井を見上げていると、いつも恐ろしい戦争のことばかり考えてしまって」


 幼い身の上で、身を粉にして働いている戦災孤児のことである。哀れではあった。ちなみに、屋敷の主人である伯爵は、息子とともに前線に出掛けていて久しく、屋敷には長らく戻っていなかった。老齢の奥方だけが一人で守っている伯爵家である。


「……じゃあ、あなた、わたしと相部屋にする? わたしも一人部屋だから、構わないわよ。ベッドをもう一つ置くくらいのスペースは十分にあるし」

「いいのですか」


 アリスの顔には、喜色が浮かんでいた。救いの神が現れた、という思いであったことだろう。


 その旨をラヴィニア様に申し伝えたところ、それは別に構わないという。そういうことで、そうしてその日からイーディスとアリスの同居生活が始まったのである。

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