未来カード

芦屋奏多

未来カード

 待ち合わせがこんなに心が躍るものだと思っていなかった。


 けれど、それ以上にこんなにも心配があるのだと知った。



「深雪先輩。遅いなぁ」


 時計に視線を落とす。待ち合わせの時間を過ぎても、目に入るのは知らない人が忙しそうに行き交う様子だけだった。


 待ち合わせに時刻を十分過ぎた頃、見知った顔と声が見えた。


「栄太君。ごめんね、遅くなっちゃった」


 少し息を切らせながら深雪先輩は駅から出てきた。


「いえ、それは大丈夫です。それよりも、深雪先輩が事故に遭ってなくてよかったです」


 深雪先輩は、「ふふっ」と含み笑いをしている。


「大丈夫だよ。そこまで頼りなく見える?」


「いえ、そんな……。でも、こんな風に心配するくらいなら、深雪先輩の家まで迎えに行けばよかったかなぁって」


「それはそれで、お姫さまって感じになっちゃうよ」


 まなじりを下げながら言う。困っているような、少しからかわれているような表情で、僕にはどちらが正しいのかがわからない。


「でも、ありがとうね」


 柔らかく囁くような声に、鼓動が鳴り止まなかった。


「いえ、そんな……。でも、僕はどうしていたら良かったんでしょう。迎えに行ってもお姫様だし、待っていても心配は募るし……、うーん……」


 僕は斜め下に視線を落として考える。すると先輩は僕の視線に入ってきた。


「ねぇ、栄太君? 遅刻してきたのは確かに悪いなぁ、って思っているのだけど。私たちの初デートはいつになったら始まるのかなぁ? 今は部員とマネージャーじゃないのよ?」


 斜め下から覗き込むように話しかけてくるその表情に、また僕の鼓動が速くなった。


「あ、いえ。そ、そうですね。すみません。えっと、じゃあ……、どこに行きます?」


 今日のために色々考えては来ていたのだけど、いざこういう状況になると、頭の回転が間に合わなかった。


「うーん……、ウィンドウショッピングでもする?」


「はい。そうですね。行きましょうか」


 僕が前を歩こうとすると、深雪先輩は少し下を見たまま歩こうとしない。


「えっと、先輩?」


「うーん……。手……」


「手……? あ……、そっか、そうですね」


 僕は左手を先輩の手に添える。先輩は嬉しそうに笑い、僕の手を握り返した。


「よろしい」


 先輩は長い髪とすらっとしたワンピースを着こなしている。隣に立つ僕は普通のジーンズに普通のティーシャツを着て、何とかおしゃれに見えるのではないかとパーカーを着ている。


 並んで歩いていると、年齢も外見も服装も、まるで釣り合っていない。


「なんか、恥ずかしいですね。手を繋いだりとか……」


「恋人なんだから良いじゃない。せっかくのデートなんだから楽しもう?」


「はい」


 ピシッと背を正すように返事をする。先輩の恋人という言葉が頭に残った。わかってはいたけど、先輩もそう思ってくれている事を確認すると、耳まで熱くなっていった。


 先輩は駅近くにあったお店を指差した。


「あ、あそこでクレープ売ってるよ。行ってみよう」


「はい。行きましょう」


 先輩はくすっと笑う。僕は緊張と動揺に包まれる。何か気に障る事を言ったのだろうか。


「栄太君。さっきから「はい」しか言ってないよ?」


 指摘されて赤面しているだろう事は、鏡を見なくてもわかった。


「そ、そうですね。僕……、余裕がなくて……」


 先輩は肩に提げている鞄の紐をいじりながら続ける。


「私だって余裕があるわけじゃないよ。ただね。先輩で彼女、って複雑なのよ?」


「なんか、慣れないですね」


「そうだねぇ。普段と違うものねぇ。うーん……」


 指先を唇に当てて何かを考えている。企んでいるような仕草にも見える。


「でも……」


「ん?」


「深雪先輩は、普段通りですよ」


 僕は褒めるつもりで言ったのだけど、先輩は揚げ足を取るように反撃してきた。


「それは良い意味で? それとも悪い意味で?」


 いたずらを成功させた子どものように、見上げながら聞いてくる。


「それは何とも……」


「そういわれると、悪い意味としか取れないけどね」


 やっぱり揚げ足を取ってくる。


「あ、すみません」


 条件反射のように出てきた言葉に、先輩は反応してくる。


「また、謝った」


「え……、すみませ……あ……」


「そうだなぁ……」


 また何かを考えている。その内容が悪いものでなければ良いのだけど。


「じゃあ、こうしよっか。栄太君は私に謝ったらクレープ一個ね」


「えぇ? 狡くないですか?」


「謝らなきゃ良いじゃない」


 拳を作って肩を小突いてくる。痛くはないけど、くすぐったい感じがする。先輩は言葉を続けた。


「大丈夫。ちゃんと謝らせるように努力するから」


「更に狡くないですか?」


 僕の反応に先輩は声を出して笑う。


「良いのよ。私は先輩だもの」



「家まで送ってくれてありがとう」


 空はもう暗いネイビーブルーを纏っている。ところどころに星が見える。この都会の真ん中でも願いは叶うのだろうか。


「いえいえ、僕も頼りがいのある所を見せたかったんです」


 先輩はころころと笑う。表情の変化や感情の豊かさが表情に出ていて、そうい

うところにも、僕は惹かれているのだろう。


「それ、言っちゃうんだ」


「あ、すみま……」


「ふふっ……、また謝っちゃったね」


「これで、明日クレープ三つですね……」


 肩を落とす僕に、明るい口調で提言してくる。


「そうねぇ。じゃあ、一つルールを追加しようか?」


 僕は訝しげに視線を向ける。


「一つありがとうを言ったら、謝った数を帳消し、にしよっか」


「ありがとうございます。ありがとうございます。ありがとうございます」


「早いわねぇ。そんなにクレープ嫌だった?」


 胸の前で手を振る。大袈裟でもなく、大きな素振りで手を振ってしまった。


「いえ、なんか、こういうのも良いかなあ、と思って」


 先輩の目元が優しく垂れた。守るように、見つめてくれる。


「こういうの?」


 自分の感覚を言葉にするのは苦手だった。他人に何かを言うのも、本当は苦手だった。だけど、先輩にはこういう事をちゃんという事が出来るのは、今日一日で先輩の事を知れたからなのかもしれない。


「いえ、なんか、こうやって一緒に出掛けて、こうやって帰ってきて。なんか、頑張ろう、って気持ちになりました」


 たどたどしいのは自分でもわかっている。それでも必死に言葉を繋げた。


 そんな僕の言葉を、先輩はじっと聞いてくれていた。


「ふふっ。ありがとう」


「あ、こちらこそ、ありがとうございます」


 深々と礼をする。すると、頭の真上から声が降ってくる。視線を上げると、先輩は空を眺めていた。


「……私ね、ごめんなさいの日常よりも、ありがとうの日常の方が好きなの。だってその方が素敵じゃない?」


 横顔はただ愛おしくて、僕が先輩に抱く感情の理由はこういうところなんだろうと気付いた。


「そうですね」


 僕が笑うと先輩の笑う。


 こんな日常が続いていくのだろう。


 僕がそれを望む限り。



「ふわー。眠い……」


「なんだよ、栄太。まだ二時間目の休み時間だぞ?」


 久志は隣の席に座り僕の頭をぐしゃぐしゃにしてくる。当然、久志の席は隣じゃない。僕は窓際の一番後ろ、に対して、久志はドア側の一番前だ。離れているにもほどがある。


 それでも違うクラスではないからそれはそれで良いとしている。


「なんかさ。夢心地という感じが……」


「ああ、あの小悪魔と言われる深雪先輩を落としたんだっけ?」


「何だよ、それ? 初めて聞いた」


 久志は窓の枠に座る。後ろに落ちればグラウンドに真っ逆さまだ。僕たち二年生の教室は二階だけれど、この高さから落ちれば怪我では済まないだろう。


 グラウンドには体操着を着た生徒が校舎から出てきた。その中には深雪先輩もいた。久志は指で望遠鏡を作るようにして、深雪先輩を見る。


「結構有名だぜー。と言っても、ほとんどが被害妄想だけどな。彼氏が先輩に取られた、みたいな事があって、女子が変な噂を立ててるんだよ」


「何だよ、それ……」


 久志は指の望遠鏡を僕に向ける。


「まあ、お前、真面目だしなー。気にしないで、って言っても無理だろうから言ったんだけどな」


 窓から降りると、隣の席に戻り、僕の頭をぐしゃぐしゃにする。


 その手を払いのけると、久志は気にせず何度も頭をぐしゃぐしゃにする。


「俺が言ったわけじゃないんだから、むくれんなよー。怒るんだったら、女子に怒れ」


「うーん……。気にしないのは……、やっぱり」


「ほうほう、やっぱり?」


 机に突っ伏していた上半身を持ち上げた。


「やっぱり……、無理っぽい」


 起こした上半身を、机に寝ころばせた。


「ははっ、やっぱりな」


「笑うなよー。そういうの、本気で悩むんだから」


「予想通りで面白いなー、お前」


 そこまで話したところで、予鈴が鳴った。


「まあ、時間はたっぷりあるんだから、せいぜい悩めよ」


「うるさい」


 久志は最後までからかってくる。まあ、そういうやつだから僕も一緒にいられるというのもあるのだけど。


「授業始めるぞ。遊んでないでさっさと教科書開けー」


 教科書を用意しようと、鞄の中を探っていると、封筒が一つ紛れ込んでいた。


「ん……? なんだ? これ? えっと……?」


『あなたは投函者に選ばれました。未来カードと過去カードを破る事により、指定された世界に飛ぶ事が出来ます。ですが、二つ注意があります。一つ、未来カード、過去カード、は一名に付き一枚の使用とさせて頂きます。二つ、飛べる日数は一時間のみで、一時間が経つとと同時に現実へと戻されます。では、素敵で充実した現実生活を……』


「何だこれ……?」



「栄太君。何かあったの?」


「え……、何でですか?」


「だって、今日の練習試合、いつもと違ってたもの」


 確かに、今日の練習試合はいつもと違っていた。僕は一人で四得点を取り、自分のミスで五点を与えてしまった。何がどうなったらそうなるのか、自分でもわからない事ばかりだった。


「深雪先輩は……、過去と未来、どっちに行きたいですか?」


「いきなりどうしたの? もしかして、今日の試合の事?」


「それは……、ちょっとした興味です」


 先輩は空を見上げる。今日の空は曇天で星は一つも見えない。薄暗い天気が、余計に鬱々とさせてくる。


「私だったら、選ばないかな」


 先輩はそう言ってにっこりと笑った。


「……何でですか?」


 笑っていた顔をそのままに、胸に手を当てる。


「過去は過ぎていったものだし、未来はこれから訪れるもの。どっちも行きたくない、かな」


 自分の中でぐらついていたものが、救われたような気がした。どちらかを選ばなきゃいけないものじゃない。


 どちらも選ばない、という事も選択の一つなんだと気付いた。


「そ、そうですよね……」


「どうしたの? 何かあったの?」


 覗き込んでくる先輩は何もかもを見通しているような気がした。だから、僕は思わず視線を逸らしてしまった。


「いえ、本当に僕のちょっとした興味だったので……すみ……」


「今のは、ギリギリ……セーフかな」


 僕の頬が綻ぶ。先輩も笑ってくれる。


「栄太君……」


「ん? はい?」


「また……、遊びに行こうね」


「あ……、はい!」



 自室でベッドに寝ころびながら、鞄の中から出てきたカードを見つめていた。


「なんか気になるんだよな」


 過去カードと未来カード。二つのカードは僕の心を惑わす。


「確か破ると、って書いてあったんだよな。うーん……」


 僕は迷った。先輩に聞いてみた内容も迷わせるものだし、過去や未来に自分が行けたところで何が変わるとも思えない。だけど、気になってしまった。


「そうだなー。未来の方を破ってみようかな。まあ、悪戯だろうし。そんなに悩むものでも無いだろう」


 僕は未来のカードを破った。


 すると、急激に眠気が襲ってきた。


「栄太君」


 深雪先輩が目の前にいる。


「今日もクレープの賭けしよっか?」


 深雪先輩は誰かと話している。目を細めて見てみると、そこにいたのは、僕だった。


「またですか? まあ、その数の分だけ、僕はありがとうを言いますけど……」


 目の前の僕が、深雪先輩と話している。状況がわからない。けれど、なぜだか自分の姿を見られるのはよくない気がして、すぐそばの看板に隠れた。


「よし、良いわよ。じゃあ、勝負しましょうか」


「今度は謝りませんよ」


 深雪先輩は「ふふっ」、と笑う。


「賭けとは言ったけど、謝るのを賭ける、とは言ってないからね」


「え? じゃあ……」


 目の前の僕は気の抜けた表情で深雪先輩の行動に反応出来てなかった。


「うん。じゃあ、あのクレープ屋さんまで競争」


 言った時にはもうすでに走り始めていた。


「もうスタートしてるんですか? やっぱり狡いですよ」


「引っかかるのが悪いんじゃない?」


 深雪先輩はこちらに視線をやり、目の前に迫ってきているトラックに気付いていなかった。


「先輩! 危ない!」


 深雪先輩が宙を舞い、血だまりの中に倒れ込んだ。


 どうなってるんだ?


 状況を把握しようとしていると、頭が痛みだした。


 遠くから救急車のサイレンが聞こえてくる。近付いてくるけたたましい音に酔わされるように、頭痛と眠気に襲われた。


 目が覚めると、目の前には光があった。いつもの部屋の蛍光灯だ。


「今のは……? 夢……? いや……、未来、か……?」



「栄太君。今日もクレープの賭けをしよっか?」


 今日は深雪先輩との二度目のデートだ。前と同じ駅前で待ち合わせて、今日は近くの映画館で映画を見る約束だった。


「またですか? まあ、その数の分だけ、僕はありがとうを言いますけど……」


「よし、良いわよ。じゃあ、勝負しましょうか」


「今度は謝りませんよ」


 深雪先輩は「ふふっ」、と笑う。


「賭けとは言ったけど、謝るのを賭ける、とは言ってないからね」


「わかってますよ」


 走り出す深雪先輩の腕を掴んだ。突然の僕の行動に深雪先輩は目を瞬かせていた。」


「あのクレープ屋さんまでの競争ですよね。ダメですよ。フライングしちゃ」


 やっぱり、あの夢の通りだった。


 いや、未来の通りだった。


 あの日に見た未来がいつ来るのか、不安だった。


 でもこうして深雪先輩の未来を守れてよかった。その事だけで、心がいっぱいになった気がした。


「えっと……、何でわかったの?」


「未来が見えたんです……」


「それは……、どういう……? 冗談よね?」


 深雪先輩の疑問と戸惑いに、つい掴んだ右手に力を込め過ぎていたのに気付き、手を程いた。


「え……? ははっ、じょ、冗談に決まってるじゃないですか。じゃあ、あっちのお店に行きましょう」


 深雪先輩の手を取り、クレープ屋さんとは反対の方へと歩き出した。


 だけど、そこで深雪先輩は僕の手を引っ張った。


「あ、待って。じゃあ、今日の賭けは無しにして、二人で一緒に買おうか? 割り勘ってやつだね」


 深雪先輩の後ろから、トラックが迫ってきた。


「先輩! 手を離しちゃ……! 危ない!」



「栄太君! 栄太君! 病院に着いたからね! 大丈夫だからね!」


 病院に着くと、栄太の名前を呼ぶ女性の声が聞こえた。


 この声は……。


 あの人だ。間違いない。


 俺はその声の聞こえてくる方へと、病院の中を走った。


「栄太!」


「久志君……?」


「栄太は? あいつは?」


 深雪先輩は俯いた。その挙動が今の状況を物語っていた。


「無事……、なんですよね?」


 深雪先輩は泣き始めた。グスグスと洟をすすりながら、悲しみをまとった。


「無事なのかって聞いてるんですよ! 泣いてないで答えて下さい! 一緒にいたんですよね? あいつは……、無事なんですよね?」


 深雪先輩は泣き声を隠す様子もなく、声をひっくり返らせながら答えた。


「わかんない……」


「わかんない……? わかんないって何ですか?」


「だって……、私がトラックにぶつかりそうになった時、栄太君は私をかばってくれて……。でも……、そうだよね……。私のせいなんだ……。いっその事、私が……、私が……、事故に遭ってればよかったのに……。そうだったら、栄太君は巻き込まれなかったのに……」


 この感情は何だろう。例えようのない、怒り……? いや、もっとどろどろとした感情だ。


「じゃあ、深雪先輩が栄太をこんな目に遭わせた、って事ですよね?」


「え……?」


「だって、今言ったじゃないですか? 栄太が先輩をかばったって、先輩が、栄太を殺したって」


「殺した……? 私が……」


 深雪先輩は何も持っていない掌に視線を落とした。やがて、両手が震え出し、顔を覆った。


「違う……。私は、そんなつもりじゃ……」


「何が違うんですか? そう言う事ですよね?」


 震え出す両手を何とか繋ぎ止めようと、必死に両手を組む。その様子はまるで天に祈りを捧げているようだった。


「わ……、私は、あの時……、振り向いたら……栄太君がいて……、気が付いたら……」


「そんな……! そんな無責任な言葉なんて聞きたくないです……!」


 伏せていた顔を上げ、懇願するように叫んだ。


「そんなつもりじゃ……」


「じゃあ! 何なんですか? 栄太を巻き込んで、あいつが死にそうな時に、自分の保身ばっかりじゃないですか……。そういうところが、みんなに嫌われてた理由なんじゃないんですか」


「そ……、そんな……」


 深雪先輩は祈りも通じず、懇願も聞き入れられず、ただ崩れ落ちた。


「迷惑だったんですよ! ずっと! 先輩のせいであいつが死ぬなんて……。そんなの……。考えたくもない……!」


「っ……ご、ごめ……」


「聞きたくないです……! 上っ面の謝罪なんて……」


 深雪先輩はとうとう黙り込んだ。怒りも心のドロドロもどこへも消えない。俺の中で噴煙を上げて轟々と響いている。


「……私……、どうしたら……。私が死んで……、それで済むなら……。それで、解決するなら……」


 深雪先輩は栄太の鞄を抱えて泣き出した。


 すると、そこへ栄太の両親がやってきた。


 振り返ると、深雪先輩の姿はなかった。



「おっ、また寝てんのかよ?」


 久志はいつも通り窓枠に座っている。今日は牛乳を飲んでいる。身長でも伸ばしたいのだろうか。僕はあくびをしながら答えた。


「しょうがないだろう。眠いものは眠いんだから」


 久志は肩をすくませる。そして、深いため息を吐いた。


「お前って本当に女の影とかないよな。サッカー部であれだけ活躍してるんだったら、彼女の一人でも二人でもいそうなのにな」


「一人で充分だよ。……でも、今はいいかな……」


 久志は僕の言葉で察したらしい。


「……そうだよな。そんな気になれないよな……」


「まあ……、さすがに……ね」


 久志は自分の発言に後悔したのか、頭をガシガシと掻いた。


「あーあー、わかってる。わかってるのに言った俺が悪いな。先月の事件だろ?」


「うん……」


 わかってると言いつつも、こうやってストレートに聞いてくるのはある意味すがすがしい。でも、本当にあの事件は……。


「まさか、びっくりしたよな……」


「びっくりなんてものじゃないよ……」


「まあ、お前の初恋の人だもんな」


「茶化すなよ。不謹慎だって」


 久志はバツが悪そうに牛乳を一口含む。喉を通り過ぎたところで話が戻った。


「そうだよな……。あの小悪魔先輩が亡くなるなんてな……。通り魔だろ? なんか、よくわかんない事件だったよな。いきなり先輩に似た人が襲ってきて、警察が来た時には影も形もない、だもんな。おかげで、学校ではドッペルゲンガー事件なんて言われてるもんな」


「だから……、茶化すなよ」


 久志は久志なりに気を遣ったのかもしれない。こうやって茶化さないと、やり場のない感情にかられる。


 先輩が生きてたら、どんな未来が待っていたのか……。今となっては幻のようだ。


「お、予鈴か。次は体育だな。着替えに行こうぜ」


「うん……。あれ? 鞄の中に何か入ってる……。何だろう、これ? えっと……?」


鞄から出てきたのは手紙と、破られた二枚のカードだった。どちらも見覚えのないものだった。手紙を開くと、柔らかく優しい文字が綴られていた。


『栄太君へ。ごめんね。今度は私がクレープをご馳走するからね。ありがとう』


「おい……、着替えに行こうぜ……、って、栄太……。何泣いてんだよ?」


「え……? わかんない……。この手紙、誰からだろう……。ごめん……、でも……、うん……。何でだろう……、ありがとうって言わなきゃいけない……、そんな気がする」

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