第9話 序幕

 メイド服を着た女性が、艶美な表情で香耶を見つめる。まるで世界に二人しかいないような空間に目眩が起こる。


「な、何で私の名前を……?」


 こんなメイド服の女性とは初対面のはずだ。そもそもメイド服の知り合いなどいないし、顔を見ても見覚えない人だった。


「そんなことよりも、これ受け取ってくれないかしらぁ?♡」


 そう言うと三枚のチケットを渡してきた。チケットを見てみると、『メイド喫茶 モエ 割引券』と書かれていた。


「これは……なんですか?」


「私が働いているお店の割引券よ。今週中ならいつでもいいから来て頂戴ね♡」


「え、あの……」


「じゃ、絶対に来てね♡」


「ま、待ってくだ……さい?」


 颯爽と去ろうとするミレイを呼び止めようと叫ぶが、その場にはミレイの姿はなくなっていた。気づけば時間が進んだかのように外から声が聞こえてくるようになっていた。


「あ、いたいた。香耶ー」


「香耶ちゃん、まだ帰ってなくてよかったですな」


「あ、二人とも……」


 ふと、不思議な感情が香耶の心を満たした。別にあの女性とあって怖かったわけではない。確かに奇妙な空間に投げ出されたかのように感じて心細かった部分はあった。しかし、目から涙が出るほど感情でいっぱいになるのは、自分でもなぜかは分からなかった。


「え、ちょ、香耶!?」


「ど、どうしたんです香耶ちゃん!?」


「へっぐ、うう、解んないぃ。でも悲しい、哀しいよぉ」


 あまりの哀しみに香耶から涙を流させた正体不明の感情は、それから数分止まることは無かった。


「──で、メイド姿の女性がこれを渡してきたの?しかも三枚も」


 涙が引いて落ち着いた香耶から聞いた説明に瀬楽が訝しげな表情をする。しかしメイドの女性が割引券を突然学校で渡してくるというのは、あまりにも非現実的だったため、彼女が疑うのも無理はなかった。

 とはいえ香耶がメイド喫茶などといった場所には足を踏み入れないことはよく知っていたため、自力で調達したものとも考えていなかった。


「行くつもりなの?」


「う〜ん、ちょっと怖いけど折角だし行ってみようかなって思ってる」


 割引券を隅々まで確認する二人を余所に蓮花は浮かない顔で香耶を見つめていた。その様子に気が付いた香耶は蓮花を安心させるように微笑みかける。


「心配するほどじゃないと思うよ!それに、わざわざくれたのに行かないのはなんだか申し訳ないし」


「そう、ですな」


 蓮花は香耶のズレた励ましに微笑する。それでも顔は晴れていなかったが、それに香耶たちが気づくことは無かった。


◇◆◇◆


「ちゃんと調べとかないとねー」


 学校で二人と別れた香耶は一人で帰り道を歩いていた。帰り道のあの一件以降、解決したとはいえ念の為にと別の道で帰ることにした。

 三人で相談した結果、メイド喫茶は結局明日行くことになった。元々そのつもりだったから、何も問題ない。でも、


「蓮花ちゃん……」


 彼女の顔が浮かなかったのは気がかりのままだった。いや、彼女の様子がおかしかったのは今朝からだ。それを見てみぬふりをしていたと、香耶は眉をひそめる。自分の様子も今日は普通ではなかったのだから、無理もないのかもしれない。


「おやおやぁ、香耶さんではないですかぁ」


「え?」


 いつもは通ることが無いからか、すぐ横に公園があることに気が付かなかった。そこに見知った男の子がいるということにも。


「帰り道を変えたんですねぇ。まあ無理もないですよねぇ」


 ふと聞き覚えのある声に驚いていつの間にか俯いていた顔を上げる。小学生ぐらいの男の子が公園の出入り口に設置された柵に座っていた。


「君は……」


「はいぃ。安藤あんどう健人けんとと言いますぅ」


「あん……え?」


 予想外の返答に思わず本気で困惑した声が出てしまった。白のTシャツに緑の短パンという、印象とはかけ離れた服装に一瞬別人かと思ったが、特有の雰囲気というものが伝わってくる。


「冗談ですよぉ。安藤健人は人間社会で生活するときの名前ですよぉ」


「え、生活?」


「そうですよぉ。僕たち不思議もぉ、役目のとき以外は人間に扮して生活しますぅ」


「そ、そうなんだ……」


「案外ぃ、身近にいるかもしれませんねぇ」


 男の子──なんでも屋さんが目を細めた瞬間、ゾクリと全身が撫でられるような不快感が香耶を襲う。辺りの空気が何度が下がったような感覚に陥る。


「み、身近……に?」


「ふふ、どうでしょうかねぇ」


「……っ」


 ふっと心臓が軽くなったように感じた。ピリピリと皮膚が痺れるような感覚も収まり、暑い空気が纏わりつく。


「あ、一つお渡ししたい物があったんでしたぁ」


「わ、渡したい物?」


「というより、是非買っていただきたいものですねぇ」


 香耶が頭の上にハテナマークを浮かべていると、なんでも屋さんは何処からか袋を取り出した。じゃらじゃらと音の鳴るそれは小さな何かが沢山入っている印象を得た。


「ここには沢山のが入ってますぅ」


「石?」


「はいぃ。でもぉ、ただの石じゃなくてぇ、僕の妖気を込めたものなんですよぉ」


「よ、妖気……?」


「あのときのお守りと同じですよぉ」


 ガラガラと石がぶつかり合う音が聞こえる。なんでも屋さんから受け取ってみると、想像よりも大分軽かった。中を見てみると10個の白い石が入っていた。

 触ってみても普通の石よりもサラサラしているだけで、特別スピリチュアル的な何かを感じるわけでもない。


「これで、どうするの?」


「これを毎日持ち歩いてくださいぃ」


「毎日?」


「そうですよぉ。使うときになったらぁ、そのとき分かりますからぁ」


 要領を得ないなんでも屋さんの言葉に首を傾げることしか出来なかった。


「警戒することは良いことですけどぉ、必ずあなたのためになるのでぇ、買っておいて損はないと思いますよぉ」


 確かに思うところはあったが、お守りの一件もある。彼から買うものに外れはないのかもしれないと思い、大人しく従うことにした。


「わかった。それでいくらするの?」


「二千円ですぅ」


「に、二千円!?」


 思わず驚いた声を上げてしまう。

 お小遣いもなし、貯金も基本しない香耶にとって二千円はなかなかの出費だ。といってもお財布に二千円がないわけではない。恐らく断っても後払いにされるのがオチだろうことは容易に想像できた。


「……はい、二千円」


「お買い上げありがとうございますぅ」


「うう……」


 お守りのときは五百円で済んだものの二千円はやはり重たい。

 改めて石を見てみても、やはりそれが何か特別なものを持っているという印象は受けなかった。ただ何となく、これを誰に、どうやって使えばいいのかは分かるような気がした。


「おぉ〜い!」


 ふと、遠くから男の子の声が聞こえてきた。見てみると、公園の方からこちらに手を振っている何人かの男の子の姿が見えた。

 なんでも屋さんはその声に応えるように手を振り返しこちらに向き直る。


「それではぁ、友達が呼んでるのでぇ、行きますねぇ」


「友達なんていたんだね……」


「その言葉は傷つきますよぉ。人間界で生活するならぁ、人間関係は必須ですよぉ」


「そ、そうだね」


 傷つくとは言いつつも楽しそうに微笑んでいた。ではぁ、と言うと颯爽と友達のもとに駆けていく。この部分だけを切り取ると、ただの小学生男子にしか見えない。

 なぜ彼は不思議なのだろうか、と答えの見えない疑問を懐きながらも香耶は静かに帰路についた。


◆◇◆◇


「お帰りなさいませお嬢様♪こちらのお席へどうぞ〜」


 ピンクと白がキレイに配置されたお店の中は、ただ単純に、女の子らしい可愛さを感じさせた。小物も多く、そこいらに飾ってあるにも関わらず、不思議と窮屈な印象は受けずに過ごしやすい空間を形作っている。

 香耶たち三人は、火曜日の放課後、メイド喫茶に初めて訪れていた。

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住まう噂は人を嗤う aciaクキ @41-29

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