終章 黎明

終章 黎明

葦澤聡臣あしざわさとおみ

数ヶ月後


 バックアッププログラム「イザナギ」によるみそぎが終わるのには、果てしない時間がかかった。

 人々は一度YOMIヨミへダイブし、初期化されたYOMIヨミの中でイザナギの修正パッチプログラムを受け取らねばならない。この作用により、残留したリンクス内のカグツチウィルスを完全に除去する為である。

 リユニオン・センターは連日の訪問者への対応と、苦情の受付、未だ何が起こっているのか分からないまま、消滅してしまった黄泉人たちの行方を追う遺族たちへの対応に追われていた。

 そしてカクリヨ社は、私立探偵である新堂朱音しんどうあかねの助力を得た、幹部社員原崎要はらざきかなめによる内部告発が行われ、事実上の崩壊を迎えた。

 かつてYOMIヨミと呼ばれたサービスは、カクリヨ社と癒着していた宗教団体「伊邪那美いざなみの声」の代表、平岡純ひらおかじゅんの逮捕を受けて一旦鳴りを潜めはしたが、その後新たに同系統のニューロン技術を開発研究していた外部の者たちで管理体制を刷新さっしんし再組織化、YOMIヨミにとって代わる新たな仮想現実サービスを発表した。

 アマテラス、ツクヨミ、スサノオと名付けられた三つのAIの監視体制の下、再び故人の意識保存と再会を謳っていたが、高村賢人たかむらけんとによるカグツチウィルス騒動があらわになった世の中では人々は怯え、そのサービスの浸透率は低く、政治家や著名人、高名な科学者たちの間でしか普及はしなかった。

 そして、イザナギの修正パッチ配布の終了と共に、一般層への対応を終わらせた。

 人々の間では、一連の騒動が落ち着きを取り戻す頃には、「さやかの呪い」騒動を受けて、再び「怪談噺かいだんばなし」という娯楽が復活していった。


 記事を一旦書き終え、聡臣さとおみは一息つこうとキッチンへコーヒーを淹れに行った。

 Webデザイナーの延長線上で、今回の事件についての記事を書く仕事を請け負ったため、その入稿に追われていた。

 軽く伸びをして、霞美かすみとのお揃いのマグを取り出す。

 一つは不注意で割ってしまったが、もう一つはまだ残っている。こちらは霞美が主に使っていたものだったが、今は自分で使っていた。

 お互いの名前のロゴがある部分を見つめ、聡臣は悲しく笑った。

 コーヒーの香りがしてくる頃、ドアチャイムが鳴った。

 玄関を開けてみるとそこには、すっかりいつもの調子に戻った宏親ひろちかが居た。

「よぉ、久しぶり。元気にしてたか」

「宏ちゃんこそ、すっかり調子良さそうだな」

 玄関を通す時、背後にまだ誰か居るのに気付いた。朱音と小麦こむぎが、柔らかい笑顔でぺこりと頭を下げる。

「ああ、君らも来たのか」

「聡臣さんのその後が心配でして。それと、聡臣さんちのコーヒーが美味いって加賀美さんから聞いたものですから、カフェ気分で」

 朱音がそう言いながらクンクンと鼻を鳴らし、玄関を通って宏親へ着いていく。その後ろを、小麦がとことこと追う。

 思わぬ来客たちに聡臣は笑みを浮かべ、来客用のマグを追加で三つ取り出していく。

「聞いたぜ、お前あの日、高村賢人と会ってたんだってな」

 宏親がソファにどっかりと座り、朱音と小麦もいつの間にか座っている。

「ああ……たっぷり説教されたよ。誰から聞いたんだ?」

「本人ですよ。その日イザナギをカクリヨの本社サーバーから直接アップロードして、初期化作業を行いに行ったんです。そしたら高村が居て」

 朱音が丁寧にその後を説明してくれた。

 聡臣とのひと悶着を教えた後、自宅にて既にYOMIヨミに接続しているから迎えに行ってくれと頼み、その後高村は警察へ出頭していったとの事だった。

 要によってイザナギはアップロードされ、その瞬間全世界の黄泉人よみびとの消滅を確認し、宏親と小麦が意識が混濁したままの聡臣を自宅まで連れ帰ってくれたらしかった。当の本人は全くそれを覚えていなかったのだが。

 その後朱音と要とで内部告発の準備を進めていたので、今回訪問が遅くなったとのことだった。

友星ゆうせいも、あゆみちゃんも……みんな居なくなっちゃったんだな」

 聡臣が淹れたコーヒーをテーブルに置き、雑談の輪に入る。

「でもこれで、幽霊騒動は収束に向かいます。みなさんのおかげですね……」

 小麦がそう言って、コーヒーに手を伸ばす。香りを楽しんでから熱そうに口につけている。アイスにすれば良かったなと聡臣は心の中で謝った。

「ああそう言えば、その後高村は逮捕、要さんはカクリヨ社を内部告発したけど、実名で報道するのをマスコミに本人が希望しちゃったんですよ。公益通報者保護法で守ってもらえばよかったのに」

 朱音もコーヒーを一口飲んでそう言い、「美味いなぁ」と呟いた。

「じゃあ原崎は今どうしてんだ?」

 宏親の質問に、朱音は飄々ひょうひょうとした態度で答える。

「本人が言うには雲隠れってヤツだとか。まぁ幹部連中や重役からすれば裏切り者ですからね。見つかったら最悪復讐もあり得ますし。だから行方知れずですよ。あたしにも探すなって釘を差してきました。言われなくても追いかけたりしませんよ、全く……。またハッキングされるの嫌だし」

 宏親が大きく「成程なぁ」と呟きながら大げさに頷いている。今の一連の話を理解したのかしてないのか、とにかく朱音の方は見なかった。

「……結局、正体がウィルスによる脳機能障害で起こる幻覚だったなんて、絡繰りが分かってしまえば何てこともない……。映画みたいなオカルトな事件ではありませんでしたね」

 小麦が残念そうに呟いた。占い師という職業柄、もしそういうものの存在が肯定されたら何か都合の良いことでもあったのだろうか。

「そういえば小麦さん、占いの館は……?」

 聡臣のその質問に、コーヒーカップを置いて小麦が答えた。

「商売を畳むことにしました。あの場所は……私にとっても皆さんにとっても、嫌な記憶の場所ですし」

 それを聞き、全員が目を伏せる。聡臣も頭の中にあゆみの笑顔を思い浮かべた。凄惨な夜だった。確かに下手に思い出したくはない。

 その場の淀んでしまった空気を一新するように朱音が大きく声を上げた。

「だから今は、うちの新人探偵ですよ! 住み込みでバリバリ働いてもらってます。彼女の不思議な能力も役に立ちますからね」

「……でもホント、下世話な話ばっかり舞い込んできて参っちゃいます。この前も旦那の浮気を突き止めてくれとかって、寝室でベッドに触れたら……ああ、もう。最悪でした。見たくもない記憶ばっかりで……」

 そこまで言って、顔を赤らめて小麦は咳払いをした。大体意味は理解出来た。小麦の能力で他人の記憶を垣間見たのなら、情事の現場が見えてしまったということだろう。

 宏親が吹き出し、それにつられて全員笑ってしまった。

「元々あたしが首を突っ込む原因になった、依頼者の杉山って女性にもこの前報告を終えてきましたよ。真相はやはりカクリヨ社による隠蔽で……って伝えたら、兄のために闘うって息巻いて、今は法廷で争っている最中だそうですよ。……今回の事件は大事です。彼女みたいな人は沢山いるでしょうね」

 一連の話を聞いて、聡臣は朱音の本業が探偵である事を再確認した。こうしてみてみると、およそ探偵とは思えないほど柔らかい雰囲気で、今や聡臣にとっては友達みたいなものだったから、余計に感心した。

「ねぇ朱音ちゃん。最近さ、変な依頼が増えてきたよね」

 小麦が思い出したようにそう言った。朱音がそれを受けて難しい顔をする。

「へぇ、どんな?」

 宏親がいかにも興味有りげな様子で聞いて、小麦は思い出すような仕草でゆっくりと答える。

「うーんとですね、幽霊を見たとか、未だにさやかの影が見えるとか……。依頼者はリンクス装着者ばかりで、イザナギの禊を受けたのにも関わらず、まだ見える気がするって」

 小麦がそこまで言うと、朱音が素早く遮った。

「麦ちゃん、いくら相手が友達でも守秘義務を漏らすのは駄目だよ」

 朱音の指摘に「ごめんなさい」と小さく呟いて小麦は黙り込んだ。だが、聡臣が続ける。心当たりがあった。

「……気のせいだと思うんだけど、最後に霞美のYOMIヨミにログインした時、霞美と沙也加さやか以外に、他に誰か居たような気がするんだよ。何か関係があるのかな」

 そう言った聡臣に続き、宏親も口を開いた。

「ああ、その感覚、俺もあったぜ。あの日ユウと、隔離されたあゆみの所で。……でもよ、聡臣のはまだしも、俺は変じゃねぇか? あの場所は原崎の隔離したサーバーなんだろ? まだリンクスに使い慣れてねぇから変な感覚なのかとも思ったけどよ。他所からのハッキングも受け付けるわけがない場所だったんだろ? 本当に他の人間が入る余地がない場所で、そんな事あり得るのかね」

 二人の言葉を受け、朱音も小麦も目を剥いて固まっている。どうしたのかと聡臣が問うと、朱音が答えた。

「依頼者たちも、同じような事を言ってました。イザナギが実行される以前の話ですが、さやかの影じゃない、他の誰かが居る感覚がするって」

 さっきの守秘義務の話はもう忘れたようで、朱音がそう説明した。小麦がそれに続く。

「抽象的ですが、彼らは軒並み同じことを言っていました。こういう感覚だったそうです」

 小麦が一呼吸置いて、続けた。

 既に冷めてしまったコーヒーを再び汲みに、聡臣は席を立った。まだ暑い夏の盛りだと言うのに、今は温かいコーヒーが恋しい。背筋が粟立っていたからだ。

 まだどこかの誰かが、存在しないものを見続けている……。その話の意味するところは、果たして何なのだろうか。

 そう考えていると、宏親が一際明るい声を出して喋った。

「とにかくよ、今はもうこの事件は解決したんだろ。しみったれた話はやめようや。ああそうだ! 俺も技師を続けてみる事にしたんだ。あゆみが好きだったこの仕事を続けて……いつかまた、あいつみたいに困ってる人を助けてぇ。それにもうリンクスもインプラントしたし、客との齟齬そごも出ねぇからな」

 そう言って自慢気にリンクスを指してから宏親が立ち上がり、「調整はまだ無料にしてやるからいつでも来い」と言い残して去っていった。

 朱音も小麦も、「本当に噂通り美味しいコーヒーでした」と言って帰っていった。


 残された部屋で一人、聡臣は洗い物に手を付けながら、物思いに耽っていた。

 いつか見たYOMIヨミの記事に、そのメカニズムが軽く説明されていたのを思い出す。特殊な粒子によって人の意識を別次元へ転送する事、それは有り体に言えば黄泉の国は「疑似的に生み出された高次元」のようなものだと書いてあった。

 友星は「特殊な粒子の発見が無かったら今の時代は築かれていない」とも言っていた。

 仮にだが、何らかの方法で高次元への接触が実現出来たと仮定して、そこにあった物質の一つがその粒子なのだとすれば、黄泉の国は人為的に作り出された高次元の空間であり、その更に奥……。もっと上の高次元などからの接触があったとしてもおかしくはないのではないか。

 そこから「なにかが接触を試みている」のが、あの感覚の正体だとしたら。幽霊というものの存在は──。

 そこまで考え、いくらなんでも妄想が過ぎると思い直し、考えを頭から払拭した。思わず自分で自分のことを笑ってしまう。

 今回の事件は、ここまで誇大妄想をしてしまう程に大きな事件だったから無理もないだろう。

 頭にはいつしか、霞美の顔が浮かんでいた。

 人は死んでしまう。霞美も死んでしまった。あゆみも。だが宏親はその事実を受け入れていた。上手く納得して落とし込み、それでも、あゆみを忘れないように技師の仕事を続けるのだろう。

 聡臣は、自分もそうならなければいけないと思った。いつまでも彼女の死を引きずるのではなく、霞美の思い出を大事にし、思い出と共に生きていくのだ。

 そうする事が人間の、遺族側のエゴではない、故人に対する考えの在り方なのではないかと思ったからだ。YOMIヨミはその個人の思想の自由すらも奪ってしまうものだったのではないかと、今になって思う。

 変わるべきは世の中ではなく、自分の中の価値観なのだと改めて思い知る。何故なら、いくらより良い未来を望んでも、世界の姿は変わらないからだ。

 いつか思ったその考えがやはり正しかったと思う。ただ思うだけでなく、今は心の底からそうだと理解出来る。

 洗い物を終え、換気をするため窓を開けると、蝉の鳴き声がやかましいほどに飛び込んできた。

 これから夏の本番を迎えようとしている。生きている限り、季節は巡り、時は流れる。

 だがいくら時が流れても、霞美、いや、今回いなくなってしまった全ての人の記憶は薄れることはない。

 きっと聡臣と同じように、他の人々にとってもまた辛い事件だったからだ。

 彼らもまた、いなくなった人々の事を受け入れてこれからも生きていくのであろう。そうであればいいな、と聡臣は思った。

 開いた窓から一瞬だけふわりと、クチナシの香りがした──ような気がした。


 了

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黄泉人不死-ヨミビトシナズ- りっきぃ @nightman_ricky

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