古くて小さな見掛け倒し

夜々予肆

古くて小さな見掛け倒し

 僕は麺錠めんじょうカイ。シンクに残った水滴みたいに地方都市にぽつんと生き残っている古くて小さな動物園で飼育員をしている。担当はタヌキの飼育ってことになってるけど、人員不足でしょっちゅう他の動物のお世話もしていたりしている。そして今日もいつも通り、朝早くから動物たちの様子を見て回っていた。


 回っていた、はずなんだけど。


 開園まであと2時間を切った今、なぜかキツネが飼育されている檻の前で正座させられている。僕だけじゃない、終わりかけのこの動物園に咲いた一輪こと超絶美人飼育員の花川さん、人よりインコと話をしているおばさんの山本さん、毛髪が絶滅危惧種となっている園長。出勤してきた全てのスタッフが正座させられている。ずっと膝に砂利が押し付けられてズキズキ痛む。江戸時代の拷問でこんなのありそうだ。


「これって何か、新しいショーとかなんですかね?」


 痛みを誤魔化すため、隣で同じように正座させられている花川さんに話しかけた。一応言うが話しかけるチャンスじゃねと思った訳ではない。膝が痛いからだ。

 

「そうかもしれないわね。ショーにしてはちょっと物騒だけど。でもこんなのやったら子どもが泣いちゃうわよ」

 

 花川さんは痛みなど一切感じていないかのような平然とした表情で言った。さすがペンギン担当、同じように膝は鍛えているということか(ペンギンは常に空気椅子をしている)。


「狐ヶ崎さんから何か聞いてます? こんな芸当いつ覚えさせたんだろう」


 僕たちの目の前では、飼育しているキツネが赤い帽子を被って2足で立ち上がり、キツネ飼育担当のおじいちゃんの狐ヶ崎きつねがさきさんを掴んで首に出刃包丁を向けていた。そのキツネの両隣には、同じように赤い帽子で包丁を持った2足歩行のキツネが僕たちを鋭い目で睨んでいる。名前は確か、狐ヶ崎さんを掴んでいるのがレッド、その右にいるのがロート、左にいるのがルージュ。まあ大体察せると思うが、どれも赤いきつねから連想して名付けられている。

 

「特に何も。ていうか狐ヶ崎さんすっごい汗かいてる。まるで本当に怖がってるみたい」

「迫真の演技ですね。こんな演技力あるなら田舎のショボい動物園の飼育員より俳優になった方が良かったんじゃないかなあ。まるで昭和の名優ですよ」

「いーですよー狐ヶ崎さん! ふぁいとー!」

「大人しくしろ。こいつがどうなってもいいのか」

「それはダメね」

「ダメですね」


 狐ヶ崎さんの首に包丁が近づいたので花川さんと僕はレッドの指示に素直に従った。まさかキツネがこんな流暢に日本語を話せることができるようになるなんて考えもしなかった。これが演技力を併せ持つベテラン飼育員のなせる業なのか。僕も見習いたい。


「お前」

「僕? 何?」


 ロートにどすのきいた声で話しかけられた。この子もすごい演技力だな。


「これをショーか何かだと思っているようだが、ショーなどでは断じてない。俺たちは本気だ。俺たちは俺たちの意思で、こいつに刃を向けている。俺たちはこれより“革命”を起こす」

「革命?」

  

 何のことだろうか。ていうか演技じゃないんだ。じゃあ狐ヶ崎さんはマジで怖がってたんだ。やっぱりただの飼育員のおじいちゃんか。

 

「世界中の動物園に囚われているキツネを全て解放して野生に帰す。俺たちはもう人間の見世物ではない。自分の意思で、自分たちのいるべき場所で生きていく」


 これはまたとんでもないことだ。まあ気持ちはわからないでもないしそう願うんだったらどうぞって感じだけど、ここはここで餌も毎日勝手に落ちてくるし、熊とかに襲われたりもしないからいいと思うけどな。


「わわかりました! でですからまずは包丁を置いてくださいい!」


 園長がセミみたいに震えながらレッドに言った。


「それは俺たちを解放するという事か?」

「そそれはあの……行政の方との手続きとかがありますし……ままずは話し合いってことで……」

「そんなものはお前ら人間の都合だろう。俺たちが気にする筋合いはない」


 すっかり青ざめた狐ヶ崎さんの首に包丁が当たる。園長はそれを見てさらに震えた。


「ややめてくださぁい!」

「やめろだと? ふん。ならばまず俺たちを閉じ込めることをやめることだな。従えないのなら――」


 そうしてレッドの持つ包丁が狐ヶ崎さんの首を――


「そこまでだ!」


 抉る前に、どこからともなく勇ましい声が聞こえてきた。


「誰だ!」


 ルージュが牙をむいて周囲を見渡す。しかし、スタッフは誰も反応しない。誰もが恐怖に震えている。


「俺だよ」

「グリーン……!?」


 背後から声がしたので咄嗟に振り返った瞬間、僕は目を疑った。


 そこにいたのは、僕が飼育担当をしている、ホンドタヌキのグリーンだったからだ。名前の由来はもちろん緑のたぬきからだ。


「ちょっと麺錠くん!? あなたもこんな……!?」

「いやいやいや僕は何もしてないですよ!? 狐ヶ崎さん!?」


 愕然とした表情の花川さんに作業着の袖を強く引っ張られたけど、僕は本当に何も知らない。まさかグリーンもこんなことができるようになってたなんて。狐ヶ崎さんを見たけどわしも知らんと言わんばかりのものすごいスピードで首を横に振っていた。


「俺はお前らの野望にはずっと前から気づいていた! そしてこの時を待っていた!」


 グリーンが2足歩行で舞台を歩くかのようにレッドの方へと詰め寄る。


「動くな。こいつの首を斬るぞ」

「斬れるものなら斬ってみなよ」

「ちょ、ちょっとグリーン!?」


 何を言ってるんだ彼は。僕はそんな子に育てた覚えはないぞ。


「こいつがどうなってもいいのか?」

「良くないよ。……だからこそ、斬れない。そうだろ?」

「……!」


 レッドが考えを射抜かれたかのように言葉を失い、包丁を狐ヶ崎さんから離した。


「人を殺した動物なんて真っ先に殺処分の対象だ。出だしからそんなことやろうものなら、革命なんて永遠に夢の中で終わる」


 グリーンがレッドの顔を隅々まで覗きながら言った。まるで奥にある脳の中で考えていることも全てお見通しだと言わんばかりに。


「……だったら、何をしにここに来た」

「そりゃお前たちを止めるためだよ。生憎俺は平和主義者でね。誰かの理想の為に別の誰かが血を流すっていうのは見過ごせないのさ」

「止めるだと? ふん、タヌキ風情が俺たちに勝てるとでも思っているのか?」

「勝てるさ。だって俺はずっと、この時を待っていたんだからさ」


 グリーンはそう言ってレッドから数歩離れた後、両手を交差した。


「何をする気だ」


 レッドが尋ねたが、グリーンはそのままの姿勢で動かない。


「ねえ、何する気なの?」

「いや僕に訊かれたってわかりませんよ。狐ヶ崎さん?」


 花川さんから訊かれたことを延長コードみたいにそのまま狐ヶ崎さんに訊いたけど、だからわしも知らないんだってと言わんばかりに首をプロペラみたいに振り回していた。そのまま飛んで逃げられそうだ。


「これが俺が身につけた“力”だ! 変身!」


 グリーンはそう叫びながら交差した腕を一気に勢いよく下げた。すると、見る見るうちにグリーンの身体は光に包まれ、そこには――


「グリーン!?」

「キャーイケメーン!」

「ええ!?」


 花川さんのリアクションに思わずビックリしてしまったが、それよりもビックリしなくてはならないのは、光に包まれた後、再び現れたグリーンの姿だった。


 そこにはスーツをぴしっと着ている、高身長で緑色の髪と瞳をしているという文句のつけようがない容姿の青年が立っていた。


「人間に化ける力か、面白い」


 レッドも少しだけ驚いた様子を見せていたがすぐに平静を取り戻し、首をクイっと動かしてロートとルージュに指示を出した。かっこいい。僕も1回ぐらいああいうのやってみたいな。


「お前らで十分だろう」

「はい。所詮見掛け倒しでしょうしね」


 ロートがグリーンにもはっきりと聞こえる声量できっぱりと言い放った。


「それはどうかな!」

 

 しかしグリーンはそんな挑発にも乗ることなく梟のように素早く2匹に詰め寄り、そして――


「ぐはぁ!」


 あっさりと吹っ飛ばされ、僕の目の前で倒れた。


「グリーン!」


 咄嗟に支えて声を掛ける。肩に深い傷を負ったグリーンはその名前の通りの緑の瞳を僕に向けながら、ゆっくりと口を開いた。

 

「悪い、カイ……。やっぱり見掛け倒しでしかなかったみたいだ……」

「そんなことは、ないよ……君は勇敢に立ち向かった。その勇気は本物だよ」

「そうか……なら、良かった……」


 そしてグリーンは、人間の姿のまま、僕の目の前で力尽きた。


「グリーン!? グリーン!!」

「そ、そんな……ひどい……」


 必死に声を掛けたけど、目を閉じたグリーンから、返事は返ってこなかった。

 花川さんも目を潤ませ、口元を抑えていた。


「どうしてこんなことを!」


 僕は溢れる感情を必死に抑えながら、レッドたちに訊いた。


「答えるまでもないだろう。それ――」

「確保!」


 レッドが言葉を言い終える前に、制服を着た警察官がレッドたちを背後から瞬く間に確保した。そして一瞬の静寂の後、大歓声が巻き起こったのだった。


                🦊👮


 園長と狐ヶ崎さんがプルプル震えたまま警察官と色々と話をしていたり、山本さんが泣きながらインコと話をしている中、僕は動かないままのグリーンに声を掛けた。


「グリーン……?」

「どうしたカイ?」

「やっぱり、生きてたんだね」

「いくら俺でも刃物持った集団に素手で戦いは挑まねえよ」


 そういうと、グリーンの肩の傷が何事もなかったかのように消えてなくなった。


「これが本当の見掛け倒しってやつだ。それと人間のふりして警察にも通報しておいた」

「そうだったんだ……でも、本当に無事で良かったよ」

「ああ。これからも俺たちは、ずっと一緒だ」

「うん……!」


 それからグリーンは、人間の姿のままイケメン飼育員となり、全国区で人気となった。そのお陰もあって終わりかけだったこの動物園も今では全国有数の人気を誇るようになっている。


 そして僕は、今日も朝早くから動物たちの様子を見て回っているのだった。

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