幕間 剣闘士の集い
幕間 青龍刀の男
コツ、コツ、コツと無機質な石畳に硬い靴底が触れ、乾いた音を放っている。それは細い通路の奥の暗闇から徐々に陽の元へ近づいている。その通路は決して長いものではなく、すぐに男の視界が開けた。
男にとっては見慣れた景色。円形状の闘技場の観客席には多くの人が中央の舞台に顔を向け、しきりに何かを叫んでいる。その一つ一つの声など聞こえるはずもなく、全てはただの空気の振動となって、その他の耳に届いた。それは大きな一つの塊ではなく、断続的に続く波である。
男は闘技場の中央付近へと歩を進める。先ほどの通路とは違いこの戦場には砂が撒かれており、何かが擦れる音が足元から聞こえる。しかし、この喧騒の中、男にはその雑音は聞こえない。その雑音はその他の大勢の音と共に波にのまれた。
中央付近で歩を止めた男は対の通路から出てきた男と相対した。
薄汚れたぼろ布を着たその男は酷く狼狽している。目の下には色濃いクマがあり、頬は痩せこけ、皮が弛んでいる。口周りには疎らに髭が生えており、その全てからこの男の普段の生活が想像出来る。
憔悴気味で虚ろなその男の目は眼前の青龍刀を携えた男の瞳を見る事は出来ない。肩口までしか袖のないボロ布から伸びている細腕を正面に構えた。その手にはショートソードが握られている。
そのショートソードは長らく手入れなどされていないようで、全く美しくない。柄と鍔部分は錆が目立ち、持ち手の心まで汚しそうである。両刃の刃は遠目から見ても刃こぼれが目立ち、とてもじゃないが、何かを斬る事を前提にしているとは思えない。
ボロ布の男はそれを両手で必死に握り締めているが、その両の細腕はカタカタと震えている。
「エイオ君か・・・・・・・・・ クククッ、今日は俺を倒せるといいなぁ・・・・・・・・・」
青龍刀の男は不敵にボロ布の男、エイオに話しかけた。
エイオは青龍刀の男がそんな事微塵も思っていないことを知っているが、心の中ですら悪態をつけない。それほどまでにこの男は弱り切っている。
エイオにとってここは地獄だ。ここまで苦しむ程の罪を犯したのか? いや、何を何処でどう間違えた? 彼は毎日、事あるごとに思い出し、後悔した。
仲間を裏切ったからか、あの商団に手を出したからか、まさかあの商団が士族に関係する者達だったとは・・・ いや、そもそも山賊業に、盗みに手を染めたからなのか・・・
それは潮流の様に突然発生し、渦を巻いて思考をかき乱し、突然として消えた。そして、それは幾度となく繰り返される。
「おい! いつまでそうしているつもりだ? あんまり観客を待たせるとオーナーに怒られるのはお前だぞ?」
エイオは青龍刀の男の言葉で現実に引き戻された。彼にとって行くも地獄、戻るも地獄である。
過去を思い悩んでも、今目の前の現実は変わらない。エイオは震えるその両腕を必死に青龍刀の男に向かって振った。
不細工な上段からの振り降し。全く足腰に力など入っておらず、とても一太刀と呼べる代物ではない。斬撃の残滓も綺麗な弧を描いていない。
―――遅い、弱い、拙い。
とてもじゃないがそれは人を殺傷出来るとは思えない。この青龍刀の男となると尚更だ。
それでも青龍刀の男は避けるばかりで、反撃しようとはしない。
エイオがその不細工な斬撃を繰り出してから、観客席からの音の波動がより強く、低いものへと変わった。
それもエイオの精神にダメージを与え、疲弊させた。ここに彼の味方などいない。すでに何度となく絶望した。しかし、終わりなど来ない。死ぬ事すら許されないこの現実にエイオはさらに絶望した。
ショートソードの不細工な斬撃が何度となく飛ぶ。青龍刀の男はそれを最小限の動きで躱しているが、エイオの方がすでに疲労困憊状態で、肩で息をしている。
攻撃の手を緩めたエイオを見て、青龍刀の男がその脇に差している青龍刀の鞘を左手で眼前に構えた。
それを見たエイオはビクッと肩を震わせて反応する。
(クソッ、クソッ・・・・・・・・・・ 俺はどうすればいいんだよ・・・・・・・・・)
その道の先に光、希望があれば絶望することなどない。しかし、その光が闇に包まれれば後に残るのは彼の様な絶望だけである。
青龍刀の男はその青龍刀の柄を右の掌で優しく包み込むようにゆっくりと掴んだ。そして、そのまま綺麗な金属が擦れる音と共に、美しい弧を描きながら青龍刀を引き抜いた。
頭上高く引き抜かれたその青龍刀を見て、観客席はさらに大いに沸いた。それは一種のパフォーマンスであり、観客は当然そのショーを楽しみにしている。
(あぁ、もう殺してくれよ。俺は十分苦しんだよ・・・ だから、殺してくれ・・・・・・・・)
エイオは怯えと懇願をその瞳に宿し、青龍刀の男を見つめる。自分自身ではこの地獄から逃れる事は出来ない。目の前の男が俺を助けてくると思っていないが、エイオは懇願せずにはいられなかった。
「無理だぜ。お前は死ねない。ここのショーを盛り上げる為にその生を全うしろ。 それか勝て。勝って自身の手でこの地獄から抜け出せ。・・・・・・・・・・まぁ、その気概はとっくに失せているだろうがなぁ・・・・・・・・・・・ クククッ」
エイオの考えを見透かしたように青龍刀の男が語り掛ける。初めから分かっていた。この男にそんなお願いをしても聞き入れてもらえるはずが無いと・・・・・・・・
「ほら、来いよ。それこそ死ぬ気でかかって来いよ。お前は死ぬ事も出来ないんだから、簡単な事だろう?」
青龍刀の男は馬鹿にするような笑みをエイオに向ける。微かに残っているエイオの自尊が刺激されて、エイオは一歩、二歩と青龍刀の男へ駆けだした。全くもって茶番である。
ショートソードの歪んだ弧を描いた太刀筋が青龍刀の男へ向かう。青龍刀の男はそれを素早くその青龍刀で受け止め、弾き飛ばした。その衝撃でショートソードの剣背は中程から折れた。
この男の青龍刀は薙刀に似た長い柄の先に青龍が刻まれた大刀ではなく、刀の様に片刃で湾曲した片手刀である。しかし、それは刀より刀身が厚く、幅が広い。その為、重量が重く、さらに遠心力をつけて斬りつける事によって威力を発揮する。
そして、残酷な事にそれは刀よりも切れ味が悪く、斬られた者はその無常な切口に悲痛な叫びをあげる事になる。
エイオは呆然と立ち尽くしている。これから自分の身に起こる事を考えると寒気と恐怖で吐き気がした。
「まぁ、そろそろ限界に近いし、―――腕一本でいいかな・・・・・・・・」
そう言うと、青龍刀の男は散歩するかの様にエイオに近づき、その青龍刀でエイオに左腕を斬り飛ばした。
切口から恐ろしい程の痛みがエイオを襲う。切口から血が大量に滴り、既に栄養不足なエイオの体はさらに急速に弱っていった。
両ひざが地面に突く。叫び声は上げない。痛みに慣れて、叫び声を上げなくても心が耐えられる様になっていた。それに、自分の苦しむ姿など観客達を喜ばせる餌でしかない。
しかし、こんな無残な自分の体、状況ですらエイオは少し安堵している。
(あぁ、今日は腕一本で済んだのか・・・・・・・・・ ハハハッ、ラッキー・・・・・・・・・)
エイオはそのまま気を失い、前のめりに倒れた。
エイオが戦闘不能になった事によって、彼が入場してきた通路から医療班がエイオに駆け寄り、斬り落とされた彼の左腕と彼自身を運び出し、闘技場の戦場から退場させた。
「あ~あ、また借金増えちゃったね。エイオ君。今マイナス何ポイントなんだ? まぁ、俺には関係ない事だけどな」
青龍刀の男、『ソイド』は独り言ちた。この男にとってエイオとの一戦など茶番以外の何ものでもなかった。
彼は本来なら剣闘士が集うこの闘技場に血沸き、肉躍る程の死闘を求めて来たはずであった。
しかし、既に彼はこの闘技場で剣闘士ランキング2位まで昇り詰めていた。そんな彼に本気で挑む者など皆無であった。唯一、まともな戦いになりそうな剣闘士ランキング1位の男はここ数年姿を現していない。噂では既に死んでいるんじゃないかとされているが、真相は定かではない。
ソイドはそのランキング1位の男と対戦できる事だけを一縷の望みとし、この闘技場で剣を振るっている。しかし、日々の対戦と言えば、先ほどのエイオの様な奴隷剣闘士ばかりである。
まともな食事も与えられない為、体躯はしっかりしておらず、まともな武器も与えられていない。そんな者達がソイドに敵うはずもない。
そんな退屈な日々にソイドは辟易としていた。
―――つまらない。もっと心躍る死闘がしたい。
しかし、この闘技場でのソイドの人気は高く、運営も彼に対しては金払いがいい。その為、ソイドはここの剣闘士を何となく続けている。いつか現れる好敵手を夢見ながら。
🔶
ソイドとの対戦が終わった後の闘技場の医務室には複数の職業加護『治癒師』がいる。その彼らがエイオの傷を治療にあたっている。
職業加護『治癒師』は主に打撲や切り傷などの軽傷の治療を行える。他にも軽い病気の治療や致死性の低い毒の解毒や人体へかけられた低位の呪いの解呪なども行える。しかし、そのどれもが強力なものではない。個人差にもよるが、職業加護『治癒師』はその程度の能力しかない。
物によれば、『錬金術師』が作った霊薬の方が、効き目が大きかったりする。ただし、費用対効果は別だ。
そんな『治癒師』の彼らではエイオの斬られた腕は直せない。しかし、二人の白衣を着た者がエイオの切り離された左腕を元の腕に押し付けている。そこへ同じく白衣に身を包んだ少女が錫杖を翳しながらその腕へ何やら魔法を唱えている。
すると見る見る内にエイオの左腕が元の腕とくっ付き一つになった。これは再生術の一種であろう。そして、その少女は十中八九職業加護『再生師』。『治癒師』の上位職の一種。治癒術を上回る人体への治療が行える。まさに、神業に等しい。
しかし、その奇跡に近い再生術の能力から『再生師』は常に誰かに狙われている。敵対勢力からはその命を奪おうとする者。或いはその身を攫い、味方にしようとする者。彼らは個人では戦う力がほぼ無い。その為、狙われやすい。
その少女も自身の身の安全の観点からこの血塗られた闘技場にいるのかもしれない。それは彼女が望んだのか、それとも強要されたのかはまだ誰も知る由もない。
そして、エイオの方はと言うと、気絶前は腕一本で済んでラッキーと思っていたが、それは過去の出来事と比較してラッキーだと言うだけで、決し幸運という訳では当然ない。
彼女がエイオに施した再生術は無償ではない。お金が掛かる。しかし、エイオにはそれを払うだけの能力がない。何せ、奴隷剣闘士で、勝ち星など数えるぐらいしか無いのだから。
そんな彼は借金と言う形でその再生術を受け、闘技場のオーナーによって強制的に生き延びさせられている。勝ち続ければいつか借金を完済し、この地獄から解放されるだろう。それが現実的でない事は本人が一番理解しているが・・・・・・・・・
そんな様々な者達がいる、ここは一部の者を除いてまさしく地獄であろう、『剣闘士の集い・闘技場ブロッサム』。
勝って、勝ち続け、栄光を掴めばバラ色の人生が花開くであろうが、敗者には鮮血の花が咲き乱れる。何とも皮肉な人類が欲望の果てに辿り着いた辺獄の一部である。
隠れステータス【性格】 鬼頭星之衛 @Sandor
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