広島焼き

高黄森哉

え?

「えっ? 広島焼き禁止ってほんまか? 聡子」

「そうらしいなぁ。差別用語撤廃法やで」

 汚い煤けた台所から夕飯を作る聡子は、三日前に制定された禁止語句を、思い出していた。冷蔵庫の扉に貼られた付箋は、四十四にのぼり、その一つ一つが、公の場で、もう二度と発されることのない単語である。

「やあ。けどなぁ、なんで広島焼き、禁止やねん。広島焼き広島焼きって」

「あかんあかんあかん。近所に聞こえてたらどうすんねん」

「でも、たった食べ物やで。どう不謹慎やねん」

「あそこ爆弾落ちたから」

「広島焼きって。言われてみれば、そらぁ、不謹慎や」

「どうやろか、指定されてから不謹慎になっただけちゃうやろか」

 広島焼きは、広島のロビー団体から圧力を受けて、広島炒めに変更された。あまりに唐突で、不自然な変更に、国民は衝撃を受け、一時は広島炒めがソーシャルメディアの検索数ランキングで上位に食い込んでいたという。

 敦は、なんとなしに、テレビを点ける。すると、芸能人がしかつめらしい様子で、今日がいかに悲劇的な日であったかを語っていた。まるで、さも見てきたかのように。

「それにしても、テレビ原爆のことばっかりや。つまらん。やーい、原爆」

「しっ。聞こえたら通報されるで」

「誰も、しやん。それに原爆はまだやろ」

 すりガラスから見える景色は相変わらず日陰で、いつか植えた生垣が、緑の靄となって映し出されているのみだった。そこを、ちろりとヤモリが這って、便所ハエを舐める。

「なんで原爆って、あかんのやろか。たかが兵器の名前やん」

「そら、あかんやろ。……………… 理由を教えたろか」

 その時、水の流れる音が止まる。洗いが終わったらしい。聡子の夫、敦が爪楊枝を手に取り歯をつつきだすと、見計らったかのように、食器を並べる陶器のぶつかりあう音が始まる。

「教えてや」

「それは、あかんからや」

「そんな、理由はあるやろ。理由が無いのにあかんあかんて、坂井部長じゃあるまいし」

「理由なんて、あらへん。つまり、あかんからあかんねん。言葉のイメージだけが一人歩きして、誰も、それがあかんかったワケを知らん。なのに騒ぎ立てて、ヒステリーを起こすなんて、それじゃあケンプノハッピや」

「せやろか。じゃあ、ケンプ・アンハッピーやな」

 二人分の豪快な笑い声が、響き渡る。聡子は、食器をすべてかたずけてしまったので、油や調味料をしまう。

「原爆なんて、独ソと比べれば、些細なことや。まあ、悲劇なことには変わらんやろが」

「そんなことないで。だって、民間人も殺されたんやで」

「それは、歴史の文脈を無視した意見やろがい」

 聡子は雑巾で台所を拭く。濡れた雑巾が、偽物の大理石を撫でると、水滴の島が無数に表れる。

「もちろん、原爆はあかんやろが、それ以上にあかんかったことは、沢山あるやろ。日本は何してきたとおもってんねん。それを棚に上げて………………」

「いい加減にしいや。かたよっとるわ。それに誰が訊いてるか分からへん」

 聡子はけん制する。すると、見計らったかのように、インターフォンが鳴った。聡子と智は、狭い薄暗い廊下を通って、玄関まで駆けてゆく。

 扉を開けると、玄関に立っていたのは警察だった。「警察です」。しかし、二人はそれが警察だとは信じられなかった。始めに名乗らなければ、コスプレかなにかと勘違いした筈だ。なぜならば、その二人は旧日本軍の格好をしただけの、おっさんだったからだ。本当に警察ですらなかった。そして、なにものでも。

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広島焼き 高黄森哉 @kamikawa2001

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