第2話

「あれです……」

 姫剣士の指し示す先に、青く茂った麦畑を悠々と進む、ひと群れのノジラの姿が見えた。

「……大きい……」

 ノジラを始めて見た少女の感想である。

「本当に……ナメクジですね」


 薄いピンクの地に焦げ茶の豹紋をてらてらと光らせ、踏み倒した麦にゆっくりゆっくり乗っていくのは食べているからだろう。

 時々、つのの付いた頭部を持ち上げて、ゆらりと左右に大きく振る。

 そのたび周りの麦が、ガササ、ガササ……と鳴っていた。


 少女を驚かせたのは、何といってもその大きさだ。

 群れの真ん中にひときわ巨大なのが一頭、五メートルは超えている。

 周りを囲むように、二~三メートルの中型が六頭……いや、七頭。

 最外周は一メートル前後の小型が十数頭うごめき前進して来る。


 少女たちが今いる場所は、麦畑の中に作られた少し高い広場だ。

 農作業の合間に休憩するようなところだろう。

 夏にはコメが作られるので、辺りは水田になる。そのため、高くしてあるのか。

 何本か生えた栗の木に馬をつなぎ止め、院長は、

「実験の舞台として好都合! 天恵だな!」と、上機嫌だ。

 少女の手を取り、慎重に馬から降ろしてくれると、そのままノジラたちの観察に入った。

 群れまでの距離は五十メートルほど、こちらにまっすぐ、ゆっくりと接近中だ。


「思ったより数がいるな……」

 院長がニヤリと不敵に笑う。

「あ、あ、あ、あれを退治するのですか……?」

 塩壷二つじゃ、とてもじゃないが足りない。少女が怖じ気づく。

「この人数であの頭数の処理は……無理ですね……」

 姫剣士も現実的な意見のようだ。


「塩がどれほど効果を見せるかの実験ですから、全滅させなくてもいいでしょう……ふむ……」

 群れを注視していた院長は、背中の短弓を左手に装備し、

「まず、普通の矢じりで試しましょう……君、記録を頼むよ」

「はい」

 ダミアンは院長の隣へすすッと移動し、嬉しそうにノートを綴る。


 腰の矢筒から一矢抜き取ると、弓へ番えキリリと引き絞り、少女から見ると『え、そんなに?』と思える程、群れの上空へ矢じりを向ける。

 ビンッ! 院長の弓から放たれた矢は、ゆるく放物線を描き、先頭を行く小型のノジラを撃つ。

「お見事!」

「おー」

 姫剣士は賞賛の、少女は感嘆のため息だ。


 矢は深く刺さらなかったようで、ノジラがうごめく度にグラグラと揺れていたが、やがてポロリと落ちてしまった。

 矢じりが錆びてしまったのだろう。

「うん、こんなものだろう」

 撃たれたノジラにダメージを受けた様子は無い。

 院長にも落胆の色はなく、さも当然といった表情だ。

「よし! 塩を試してやろうか!」

 瞳をギラリと輝かせた。


 壷からひとつかみ塩を取り、手のひらに乗せると、伏し目がちにじっと見つめる。

 院長の周辺の空気が、す……と変わっていくのが分かった。

「――あまつかみ、よもつかみ、おきつくにのせいれいよ……」と、何やら唱え始める。


――え……もしかして魔法ですか!?


 院長の手のひらの塩は一瞬輝いた後、ユラユラと宙に浮き、ひと固まりの球になった。

 液体のようだ……透き通り、時々揺らいでいる。

 矢じりの付いていない矢の先端を差し入れると、たちまち球は形を変え、矢じりの姿に結晶した。

 矢柄をクルクル回し、出来た矢じりを眺めながら、

「最初にしては上手くいったぞ」

 院長は満足そうに目を細めた。


――すごい……!


 この世界で初めて魔法を体験した少女が、瞳をキラキラさせて感動する。


――エリクサーの奇跡も凄かったけど……。


 大好きな院長が魔法を使った……少女にとっておおきな衝撃だった。


「素晴らしいです、院長」

 隣で見ていたダミアンも大いに感動したようだ。

「薬師を目指すなら、この位の精製は基本だぞ」

 言いつつ結晶の矢を番えると、キリッと弓を引き絞る。

「さっきの個体を狙う。ダミアン君、しっかり記録しろ」

「はいっ!」


 ビュン!

 先ほどより幾分かるい弦鳴りを響かせ山なりに飛んだ矢は、先頭の小型ノジラに、今度は深々と突き刺さる。

 途端。

 一瞬体を震わせたノジラが、やおら立ち上がり、天を仰ぐようにひと伸びすると、

 グズリ……。

 その場に溶けるように崩れ落ちた。


「おおっ!!」

「やりましたね! 凄い!!」

 歓声が上がる。


 仕留めた院長も唖然として、結果を見つめていた。

「こ、これは……想定外の効果だな……」


 少女も驚いた。あんなに小さな矢じりで、まさかの一撃必殺。

「――こんなに効くなんて……」


「一矢で心臓まで届いたか……素晴らしい!」

 院長は鼻息を荒くする。

「次は真ん中の大きいやつだ! はたしてどうか!?」


 実に楽しそうに塩壷に手を突っ込み、

「いくぞ~! いっちゃうゾ~!!」

 目をギラギラさせながら塩球を作り出す。


――え? 呪文は!?


 どうやら魔法の発動に呪文は必要ないらしい。さっきのアレは何だったのか?


 少し大きめの矢じりを完成させ、巨大ノジラに狙いを付ける。

 ブンッ!

 放たれた矢はノジラの背に深く突き立ったが、一瞬びくりと震えたものの、小型ノジラのように崩れ落ちることはなかった。

 嫌々をするように、その場で大きく頭を振っている。


「うむ、さすがに大型だと心臓までは届かないか……」

 院長はくじけず、次の実験をするようだ。

 塩壷に大きく手を入れると、山盛りの塩に魔法を込める。

 院長が作り出したのは、十センチ立方ほどの結晶だった。


「ダミアン君、これを大型ノジラの上空に飛ばせるかい?」

「あ、はい。やってみます」

 そう言うとダミアンは、馬をつないだ栗の木に走り、荷物の中から紐状の武具を持ってきた。かなり使い込まれた投石器である。


 結晶を受け取ると、投石器にセットし、院長の右横で構える。

 院長は普通の矢を番えると、

「大型の頭上で結晶を射抜く! 上空から大型の背に落ちるよう飛ばしてくれ! いけるか!?」

「いけます!!」


――ダミアンにそんな特技があったなんて!


 ただの若手職員では無かったということか。


 院長が弓を引き絞り、ダミアンが投石器をひゅんひゅん回すと、少女はあわてて距離を空け、避難した。

 姫剣士はそんな少女を見て、クスッと笑う。かわいい少女だ。


「君のタイミングでいいぞ! やってくれ!」

「はい!」

 シュッ! と軽快な音とともに、塩の結晶は高く飛んでいく。

 あっという間に見えなくなった。


――全然見えないんだけど……狙えるの!?


 と、

 ビン!

 院長が矢を放つと、

 ……タン……。

 大型ノジラの頭上にパッと白い煙が広がり、小さな破裂音が遠く聞こえた。

 煙はゆっくりと降下していく――そして。


――!


 左右に大きく頭を振っていた巨大ノジラが、がばっと体を起こし、高く高く伸びあがると、その姿勢のまま硬直した。

 腹をこちらに向けている。

 見ると大型の周りにいた何頭かも同じ姿で固まっていた。


「よし! これならいける!」

 院長は素早く結晶の矢を完成させると、大型ノジラの腹を射抜く。


 ドシャ!


 溶けるように……まさに溶けるようにして、大型ノジラはその巨体を崩していった。

 心臓に届いた小さな一本の矢で……。


「す……素晴らしい……」

 院長はわなわなと震えている。

 少女もダミアンも、姫剣士までもが息をのんでいた。

 対ノジラの画期的駆除方法の完成である。


「凄いです院長! あの結晶を射抜くなんて!!」

 少女が褒めちぎる。

「ダミアンさんも凄いです! 抜群の投てき技術じゃないですか!!」

「あ、いやいや……」

 ポリポリと首筋をかいて照れるダミアンめ……少しかわいい。

 背中の足跡が残念だ。


「わたくしの出番は無さそうですね……」

 姫剣士が腰のヒルデアイスをポンポンとたたき、つぶやくと、

「いや、もっと効果的な攻撃が有るかもしれません……近接戦も試してみたいし、ヒルデアイスの活用法も見つけたい……塩分の残留具合の検証も必要でしょう。」

 院長は、いまだ立ったままに硬直しているノジラたちを見つめ、

「もう少し付き合ってもらいますよ……」


 駆除方法の検証はまだまだ続く。




 ――実験が無事終了し、治療院に戻った少女ら一行は、入浴を済ませて小ぎれいにしてから、食事をしようということになった。

 治療院の女性浴場は広く作られていて、浴槽も大きく、足を伸ばしてゆったりと浸かることができる。

 姫剣士も院長に勧められ、少女を含めた三人で、仲良く肩を並べ疲れを癒すことにした。

 大浴場はことのほか気持ち良かった。こんな気分になるのは、久しぶりな気がする。

 王子が大けがを負って治療院に運ばれてから、今日まであまり気づいてはいなかったが……実はかなり張りつめていたようだ。


――この報告には、きっとみんな喜んでくれるに違いない。


――王子と祖父にも、明るい表情が戻ることだろう。


 姫剣士が持ち帰った検証結果とは、


 〇 塩の結晶は、ノジラの皮膚を簡単に貫き、体内深くまで入り込む事が可能。心臓に到達すると即座に体組織が分解されはじめ、液体状になって崩れ去る。


 〇 粉末の塩を体表に受けたノジラは、上体を起こし伸び上がった状態で硬直する。硬直時間は小型のものほど長く、中型では二十秒ほど。角のある頭の辺りを狙うのが最もよく、少量の塩でも十分効果がある。


 〇 硬直中はヒルデアイスの氷の加護が有効で、切り付けると、体液を凍らせ硬直時間を延長する。また、金属に対する腐食作用も無くなる。


 〇 ノジラに付着し吸収された塩は分解するため、溶けた死体を埋めても、土壌に塩分が残る事は無い。


 ――これ以上は無いと言っていい、満足のいく結果だった。

 自分がニンマリとしているのが良くわかる。

 

 ふと隣を見ると、少女が姫の胸を凝視している。愕然とした表情だ。

 楽しくなって、胸を突き出し、ぷかぷかと湯に浮かせてみせた。

 鼻歌も飛び出す。


 屈託のないお姫様だった。



 ――ちなみにダミアンは……広い男風呂に一人で寂しく浸かった。

 帰りも少女の補助をしたので、背中の足跡は二つに増えたが、今は着替えて新しい白衣になっている。




「――見事な成果を上げました!」

「おおっ!」

「姫、それは本当の事ですか!?」

 姫剣士の報告を受け、隊長も王子も大興奮だ。

 ここは治療院の食堂。塩を使用した対ノジラの検証実験の結果が発表された。

 食事をしながら話しを聞こうと、皆が集まっている。


 普段から王宮の高級料理を食べ慣れているだろう三人は、特に気にすることもなく、食事を楽しんでいる。


 いや、むしろ食は進んでいる。どんどんすすむ。

 王子はまた御代わりだ。

 少女はおばちゃん特製シチューを鍋から取り分ける。

 ダミアンがカートを押して手伝ってくれた。

 王子の前にシチュー皿を置くと、隣から隊長が、

「譲ちゃん、ワシにも頼む」待ってましたと皿を出す。

「おじいさま、はしたないですよ」

 かく言うお姫様も二杯目だ。

「ここのシチューは絶品だのう!」


 そう、食堂のご飯はとても美味しい。少女は治療院に部屋を貰って寝泊まりしているので、何時もここで食事をしていた。

 ――じつは院長も一緒に食べている。

 立派な自宅が有るようだが、ほぼ毎日院長室に泊まり込み、少女と同じテーブルへ向かい合わせに座り、楽しい食事をしてくれるのだ。

 食堂のおばちゃんとも仲が良く、二人のテーブルには食後に果物などがサービスとして提供される。


 だが、食事が進むのは、ただシチューが美味しいからという理由だけではないのだろう。

 王子も隊長も、お姫様も、明るい笑顔でいっぱいだった。


 ――対ノジラ検証実験は順調だった。

 期待以上の結果が次々に得られて、興が乗り、気が付けば、遭遇したノジラは全滅していた。

 大小合わせ、二十四匹の大戦果だ。

 たった四人の少数で、そのうち少女は全くの戦力外。ダミアンもほぼ記録係を務めていて、戦闘には参加していない。

 驚くべき塩分効果を踏まえて、具体的な対応策が話し合われる事になった。


「隊列を組みましょう。三名縦列……接近、足止め、撃破」

「ワシが止めを刺そう。槍で一突きしてやります」

「それなら、結晶の槍先を用意しますか。その方がより効果的だ……粘りがない分、欠けやすいが、隊長の槍術なら問題ないでしょう」

「わたくしは足止めですね……ヒルダで腹を見せたまま凍り付かせます」

「私が先頭か……攻撃対象の選別、隊の誘導……そしてシオ・マキマキ!」


――王子、言いかた……。


「……? さて、どのように塩を振るか?」

 王子は何度か投げのポーズを繰り返す。


 見ていた少女が

「――こんな様なもので……」

 シチューを取り分けていたお玉を手に

「こう……ピッと!」


 ……ピッ……


「あ」

「あ」

 お玉から飛んだシチューが、カートを押していたダミアンの新しい白衣にかかる。

「わ!! ダミアンさん! すみませんっ!!」

「……いえ……」


――悲しい顔するなよダミアン……それは念入りに洗濯するからさぁ!


 大慌ての少女と、悲しげなダミアンの傍に来た王子は、お玉を受け取り、眺めたり重さを確かめたりした後

「うん、これは良い。これを貸してもらおう」と、食堂のおばちゃんの元へ向かった。

 なんでも新品を届けさせるからと言って強引に手に入れるらしい。


――その新品を使えばいいのに……


 王族の考えることは少女にはよく分からなかった。


 こうしてこの夜、王国に『対ノジラ特殊攻撃部隊』が結成され、王子の退院の日に初出動を果たす。


 ――塩壷を小脇に抱え、食堂のお玉を手にした王子が大型ノジラに接近し、頭部めがけて塩を振るった。

 途端に体を震わせ、苦しげに大きく伸び上がり硬直する大型ノジラ。

 その高さは五メートルを超えている。

 薄い桃色の腹を、はち切れんばかりにのけ反らせる。

 すかさず王子の背面から姫剣士が走りこむと、ヒルデアイスの氷の刃でノジラの腹を切り裂き、血液を凍らせ、心臓を露出させた。

 最後にスッと正面に進んだ隊長が踊るように軽やかに飛び上がると、ノジラのコアを結晶の槍で鮮やかに刺し貫く。

 大型ノジラが断末魔の雄たけびを上げ、五メートルの高さから体を溶かし崩れ去るころには、隊列は次の目標に向かい移動を開始していた。


 この流れるような連携技が完成するのに、それほどの時間は必要なかった。

 王子たち、三人縦隊は次々に大型、中型ノジラを撃破していく。

 他の王子護衛隊員たちも新たに『ノジラ攻撃分隊』として編成しなおされ、随所に散らばり、同じように連携攻撃でもって、無数にうごめいている小型ノジラに対応している。

 破竹の勢いで進撃は続いていった。


 ――余談であるが、この攻撃フォーメーションに王子は

『ジェット・ソルティー・アタック』

 という壮大な命名をして、まわりをあおり上げた。

 隊員たちは大いに盛り上がり、特に姫剣士なぞは

「チームカラーを作りましょう」と、揃いの黒い戦闘服まで用意する始末だ。


――何をやっているんだか……。


 ――そして……収穫時期を前にして、大穀倉地帯に大量に湧いていたノジラは一掃されたのだった。




 治療院の食堂に、王子以下『対ノジラ特殊攻撃部隊』の面々が集まり、ノジラ殲滅戦の報告会を兼ねた食事会が開催されていた。

 もちろん少女も院長も、ダミアンも出席している。


 開始に先立ち食堂のおばちゃんに、王宮の厨房で使われている物と同じ、銀のお玉が恭しく贈呈された。

 おばちゃんは

「前のやつの方が使いやすそうだがねぇ……」

 と苦笑いだが、満更でもなさそうだった。


 少女にも重要な情報を提供したということで、褒賞を与えようという話しになったが、

「べつに大した情報ではないんです……私の住んでいた所では当たり前の事ですし……」

「そういう訳にもいかないでしょう……何か欲しい物があるとか……?」

 お姫様が少女に尋ねた。

「ううーん……特には……あ!」

 少女はひとつ思い当たる。希望するものはあった。

「私……国籍が欲しいです! この国の国民にしてくれますか!?」


 ――異世界から転移してきた少女に国籍は無かった。

 どこで生まれてどのように育ち、誰の庇護を受けているのか、保証してくれるものを何も持っていない。それは少女にとって、とても不安なことだった。

 今では院長が、臨時雇いというかたちで働かせてくれ、部屋まで与えてくれている。

 とても幸せなことだが、その幸せがいつまでも続くとは限らない。

 大好きな院長といつまでも一緒にいられるように、治療院で正式に雇ってもらい、生活できるようになりたい。

 少女は切実に――そう希望していた。


「――わかりました……王子から国王に上げてくれるようお願いしてみましょう」

 お姫様が優しく微笑み、約束してくれた。

「安心なさい……けっして悪いことにはなりません」

 こうして少女の希望は国王の元へ届けられることとなる。


 ――食事会は楽しく進み、攻撃部隊の活躍が次々に披露されていく。


 隊長は院長の結晶槍の出来のすばらしさを、院長は隊長の槍術の巧みさを互いに褒めあい、乾杯していた。


 部隊の若手隊員がノジラ戦の戦果を朗々と読み上げ始め、治療院の若手職員のダミアンは、真面目にノートを取り始めた。


 少女は大好きな、おばちゃん特製コロッケをほおばりながらそれらを観察している。


「――殲滅された大型ノジラですが……」


――食事中にノジラの話しは……あ、コロッケ美味しいんだけど……


「その数、なんと! 六百六十六頭です!!」


――!?


――ここで、その数字か!!


 思わず少女はダミアンの横顔を見つめる。


 ダミアンは記録の手を止め、とても誇らしげな顔をしていた。




―― 了。


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異世界転移少女の魔獣退治 ひぐらし ちまよったか @ZOOJON

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