♨ 湯けむり異世界転生

葛西 秋

 *

 緊急事態宣言が解除されて早速、俺の勤める会社はリモートワークを解除して、毎日の出社を社員に義務付けた。


 久しぶりの通勤電車の中、これから続く同じような日々を思って目の前が灰色になる。地下鉄だから窓の外は真っ暗で、つけているマスクの息苦しさが追い打ちをかけてきた。


 そして俺は、目の前の灰色がだんだんリアルになっていることに気がついた。ヤバイ、昨日の夜、寝落ちするまで枕元に積まれたラノベを読んでたから目がやられたのかもしれない。


 昨夜俺が読んでいたラノベは、イラストと本文とのあいだに、少々見逃せない描写の食い違いがあった。


 ヒロインAはBカップで、ヒロインBはCカップ。この違いの根本を、そのラノベの絵師は分かっていなかった。


 Bカップは、Aカップではないことへの優越感と同時に、Dカップの存在感には決して勝つことのできない劣等感の間で揺れ動いて欲しいし、Cカップはもうちょっと大きくてもいいかな、と希望しながらもそんなおのれに対する恥じらいをかもしだして欲しい。

 

 それなのに、あのイラストはなんだ。

 せっかくBカップとCカップが並んでいるのにその違いが全く分からない。あの大きさではどちらもDカップである。


 俺の好みは、Cカップだ。

 手の平で包んで少々はみ出るくらいの。


 いや、巨乳を否定しているわけではない。巨乳はすばらしい。あの堂々たる存在感の前にひれ伏さない男はいるのだろうか。

 

 たとえ今、紳士ジェントルメンを気取って巨乳を否定したとしても、いざ目の前に巨乳が現れれば「いやっ、だめっ、そんなの好きじゃないのに……ビクンビクン」とその身の全てを巨乳にゆだねるに違いない。


 貧乳の存在を無視しているわけでもない。貧乳には、あの膨らみかけのなんともいえない清楚さ、真似のできない純真さがある。

 

 例えまな板とののしられようと、顔を赤くして「いつかおっきくなるもん!」と主張する貧乳の持ち主には健気さがある。そこがいい。見守りたくなるこの気持ち。俺のおっぱいが膨らみそうだ。

 

 おっぱいは、みんな違って、みんないいのである。


 だが、ことに創作の世界に置いて俺のこだわりは限りなく高みを目指す。

 

「みんな違って、みんないい」

 ここ重要。テストに出ます。


「みんな違って、みんないい」

 これは、それぞれのおっぱいの存在とその違いを認めてこそ、成立する文言なのである。


 すなわち、巨乳と貧乳を書き分けることなど、男と生まれてきたからには幼稚園男児にもできることである。


 だが、BカップとCカップを、きちんと、各々その性質、性能を独立して書き分けることのできる絵師、それこそが「みんな違って、みんないい」の真髄を極めたおっぱいのプロであり、俺はそんな存在を求めてやまないのである。

 

 ラノベ至高の文化である小説本文と読者の妄想を限りなく引き出すイラストのマリアージュ。


 この世界の全てのどうでもいいことを忘れさせてくれる、一時の現実逃避をこの上なく満ち足りた物にしてくれる、そんな崇高すうこうと云える作品に出合うまで俺はラノベを読み続けるぞ、などとまだ半分寝ている頭の片隅で思っているうちに、視界はどんどん灰色に、どころか視界まで狭くなってきた。 


 どうもいつもとは違うな、と感じた途端、体が動かなくなった。


 ラノベを読めなくなった時が自分の死に時であると、常々SNSで公言している俺ではあるが、この状況は想定外だった。


 今日のおっぱい分をまだ摂取し切れていない。まずい。心残りがあり過ぎる。おっぱい。


 それ以上何かを考える間もなく、直立の体が背中から倒れて行って、ゴン、という後頭部の鈍い音とともに俺の意識は無くなった。


「お客様の救助活動を行っております。電車運転再開までしばらくお待ちください」


 俺がこの世で聞いた最後の音は、そんな車掌のアナウンスだった。


 *

 というわけで、目覚めてみたらそこは異世界、めでたく異世界転生を果たした俺だが、こっちの世界にはすごく満足している。


 気候は暑くもなく寒くもなく、周りは会社のパソコンで仕事の合間に見ていた世界の絶景みたいな風景が毎日のように楽しめる。


 お約束のように課せられた課題は、古地図の通りに町を訪れ、スタンプをもらうこと。いわゆるただのスタンプラリー。


 敵が出るわけでもない、障害もほぼない。軽作業とは本来このような仕事を指す言葉ではないだろうか。だいたい社会に出てみると軽作業という言葉の示す範囲が……そんなことはどうでもいい。


 この世界で素晴らしいのは、何より俺のパーティーのメンバーである。

 巨乳と貧乳である。


 おっと、マリという名の巨乳の剣士で、彼女はストレートの長い赤髪の持ち主だ。運動神経が良く、ひきしまった体の上に、巨乳の持ち主である。言葉も性格も目鼻立ちもはっきりした巨乳の美少女である。Eカップは余裕にある。


 巨乳と言ってもただ大きいだけではない。


 弾力と形がしっかりした巨乳である。あれは紛れなく天然物の巨乳だ。通勤電車でスマホののぞき見防止機能を起動させ、何千何万という巨乳エログラビアを見続けた俺が言うんだ、間違いない。


 マリが動くたびに揺れてその存在を主張する巨乳。ああ、巨乳は素晴らしい。


 対して貧乳はニナという名の魔法使いだ。


 ほんわか柔らかくのんびりした動作は、小さくてかわいい動物を思わせる。ふわふわの明るい茶色の髪の毛も、ただただ、可愛い。ひたすらかわいい。


 ちょっと下がり目の大きいお目目で、ふにゃあ~、などと言いながらトテトテ歩く様子はもうなんか、可愛いの宝箱だ。これは貧乳。貧乳でいいのである。


 これで巨乳であった場合、そこにはあざとさというものが付きまとい、乳の良さが半減、いや八割減となる。乳ソムリエの俺の譲れないこだわりだ。


 そんな存在するだけで尊さが滝のように溢れ落ちるかわいい美少女二人が俺の前を歩いている。揺れる乳、揺れない乳。みんな違って、みんないい。


 あとは"賢者"というその道の求道者に相応しい属性の俺についてくる従者。

 なんだか知らんが、後ろ足で二足歩行するトラ猫二匹が俺の従者らしい。


 寅衛門とらえもん寅吉とらきちというやけに純和風な名前の通り、雄猫だ。雄だ。つまらない。だが猫であるというそれだけで、俺の心は広くなる。


 あの女の子二人は俺のものだ。よもや猫になんぞ取られないだろう。


「なあ、寅吉、なんで儂らの主人があの助べえ野郎なんだ」

「熟女! ワシは熟女を希望します! ちょっとこう崩れかけのヒップラインに若い娘にはない色気というものがあるんですわあ。これは譲れない」

「たわけ! 男女雇用機会均等のジェンダーフリーが現在のポリコレだ!」

「理想と現実って、別腹ですよね」


 どうもグチャグチャとやかましい猫二匹を手でシッシッと追い払いながら、歩くハイキングコースの気持ち良さに思わずスキップしそうになって、中学校以来のその動きを思い出せずに俺は転んだ。


 そんなことはどうでもいい。

 なんたって可愛い女の子二人を俺が独り占めしているのだ。楽しい。とても、楽しい。

「マサト、なにぼさっとしてるの。早く追いつきなさいよ!」

「マサトさーん、大丈夫ですかあー。お怪我でもされましたかー?」


 毎日が、ほんとうに楽しい。


 *

 転生前の世界など惜しくもなんともなく、むしろ滅べ滅ぶべし、と呪いの言葉を呟きながら道中を歩いてスタンプラリーをこなす毎日だが、今日これから俺たちを待つイベントはその呪いの言葉さえピンク色じみてくるほど魅惑的なイベントだ。


 なんと温泉。


 この世界には温泉があるのだ。

 美少女二人との温泉。この俺にとことん優しい世界で、美少女二人と温泉。期待していいだろう?

 猫は入れないだろう。知らん。興味ない。


 この世界にやってきて地図の中に温泉マークを見つけた時から俺はこのイベントを、ずっと、ずううううううっと楽しみにしていた。


 温泉……湯煙……巨乳と貧乳。


 そこには尽きせぬ男のロマンがある。


 *

 だからその温泉にやって来て、男湯女湯と書かれた二つの暖簾がぶら下がっているのを見た俺の気持ち、分かってもらえるだろうか。


 異世界でこの有様だ。、この有様だ。


 こみ上げる怒りを抑えて極めて紳士的に番台に座るおばちゃんに確かめてみたところ、混浴というシステムも概念もこの世界にはないらしい。


 転生前の世界も転生後のこっちの世界も、世の中は俺に対して厳しすぎないか。


 もしかして、と微かな期待を抱きながら手早く全裸になり男湯に入ってみると、女湯との境の壁は俺の邪な欲望を遮断すべく、がっつりとぶ厚く、壁に貼り付いてじっくりと見ても穴のような物は見当たらない。


 壁にヤモリのように貼り付いてのぞき穴を探す俺の背中に、ばしゃっと水が掛けられた。

 冷たい。心臓が止まる。

 ある程度年を重ねた者にとって、急激な温度差の刺激は洒落にならない。


「人間、みっともないぞ」

 湯船につかる寅衛門が前足を伸ばし、湯桶ゆおけに汲んだ水を器用にこちらに跳ね飛ばしたらしい。

「はあ~、魂が溶けだす心地よさ~」

 寅吉があごまで湯につかって耳の先を震わせている。


 ……ここの温泉、ペットも可?


 *

 温泉の水面に浮かぶトラ毛を避けながら、俺は一先ず湯に浸かった。その温泉が気持ちいいことは確かだった。


 水温、泉質、ともに申し分ない。この温泉に三日ほど入っていればどんな病気も治るだろう。


 大学を卒業して今の会社に入ってから早や十数年。ここまでのんびりと温泉に入ったことはあっただろうか、いやない。


 トラ猫二匹と俺は、温泉に脳みそが溶かされるそのまま、しばらく男湯の湯船につかっていた。


 が、男と生まれたからには初志貫徹である。

 巨乳と貧乳。湯煙の中の、巨乳と貧乳という光景を見ずに、この世界は完璧であると断言することはできない。


 フル回転する俺の頭脳は、湯煙の中に「こちら露天風呂」という看板があることに気がついた。


 これだ。


 俺はおもむろに立ち上がった。もちろん股間は湯けむりモザイクである。

 そして「こちら露天風呂」の看板の脇にその姿を現した引き戸をゆっくりとひらき、その外へ一歩足を踏み出した。


「マリのおっぱい、おっきいね!」

「ちょっとニナ、揉まないでよ……っ、くすぐったい!」


 ここが天国か……っ!!!


 一瞬、鼓膜から脳髄に入力される音声情報のみで天のお迎えラッパまで聞こえてしまったが気を取り直した。そして絶望した。


 ここもまた男湯と女湯は、どう足掻いても解消されない格差社会のように、非情にも二つの世界に分断されていた。黒々とした溶岩石の塊が絶対的な障壁を築きあげている。


 混浴が無いとは聞いていたが、それでも、とすがった藁の一本すら奪われた。

 俺は絶望した。

 

 だが、微か、向こうの女湯露天風呂から、声が聞こえ続ける。


「あ……ん、ニナ、そこはやめて」

「え、でもマリ、いつもここ、気持ちいい、って」

「それと今とは違うでしょ、……んっ!」

「でもマリ、ぜんぜん嫌がってないよ?」

 ……案外、耳だけでもイケるものである。


 しかし気づかなかった。この二人、百合ップルだったとは。

 新たに発覚した事実の前に、しばし俺は考えた。


 百合の世界に男は必要か?


 百合ジャンルにおける最大にして未だ争いの絶えない重大なテーゼである。


 そもそも百合というジャンルにおいて、男登場人物が与えられる役割というのは非常に限定されている。すなわち


「マリのおおきいから、手からはみ出しちゃうなあ」

 ちゃぷん、ちゃぷん、と軽い水音がリズミカルに聞こえてくる。

「あ、はあっ、ちょっと……あんっ!」

 いつもは気の強いマリの口から出るとは思えない甘い声が聞こえてくる。

「こうやって揉まれながら、先っぽいじられるの、マリは好きだよね」

 はあっ、という息は揉まれているマリーではなく、ニナのものだった。ニナが攻めか……!

「……吸っても、いい?」


 テーゼでもハゼでもハゲでもどうでもいい気がしてきた。


 予想していたよりももっと桃色の世界が向こう側で繰り広げられている。

 そしてここまで聞かされたからには、じっとしていられなくなってきたのが事実だ。


 百合世界の男要不要論の前に、俺は湯けむりの中に並んで浮かぶ巨乳と貧乳を見てみたい。

 そして今この状況、その二種類の乳は非常に近接して存在していると推測できるのだ。


 しかも互いの手によって、その乳には何やら魅惑みわく的で蠱惑こわく的な力が加えられているようである。


 見たい。何としても。


 その意思以外のモノは、その時の俺の脳内には存在しなかった。


 俺はまたヤモリの生態に倣い、男湯と女湯を貫通してあちら側にある禁断の世界を垣間見かいまみることのできる次元のほころびを探し始めた。


 腰にタオルを巻くマナーなどこの世界にはない。俺が今そう決めた。


 頭上を銃弾が飛び交う戦場で、埋められた地雷を探索するような張り詰めた緊張感。失敗してはならない、敵に気配を悟られてはならない。命を懸けて臨む、これこそ男の仕事である。全裸で。


 溶岩石で作られた壁が俺の剥き出しの肌に無数の擦り傷を作る。痛い。だが、この痛みに耐えてこそあのピンク色の世界をこの目で見ることができるのである。


 じょりっ。


 ……痛い。だが。


 俺は歯を食いしばって苦痛に耐えた。


 そして左右5m上下3mに及ぶ広大な面積の探索が絶望と共に終わろうとしたその時、かすかに男湯の取りつくろったような石鹸やシャンプーの匂いとは異なる、女湯の客がそれぞれの嗜好しこうに合わせて持ち込む自前のボデイーソープやシャンプーが入り混じった何ともいえないお花畑な香りが俺の鼻腔びくうに届いた。


 ここかッ!


 小さな一点、湯煙に流れが生じている箇所がある。ここだ。


εύρηκαついに見出したり


 これまでの人生でも覚えのない程の達成感に、究極を極める、という言葉を反芻した。


 母さん、ついにやったよ!

 という母に対する感謝の言葉はさすがに違うな?とは思ったが、あまりいろいろ考える前に俺は体勢を一度、整えた。無理のない姿勢で穴に対坐たいざし、深呼吸する。この向こうに。


「おお、露天風呂か!いいじゃないか!」

「いや~、風情があっていいですなあ」

 トラ猫二匹が露天風呂にやってきた。


「あ、わ、わ」

「ほら、調子に乗らないで!」

 じゃばじゃばと湯を分けて移動する音、カラカラと開けられるおそらくは女湯の引き戸。


 そして、辺りは静かになった。


「肉球がぽかぽかだ」

「ヒゲがしっとりですなあ」

 雄のトラ猫二匹を除いて。


 俺は内風呂に戻った。そして湯船につかった。

 百合の世界に男は必要ないのである。


“二人を見守る壁になりたい”

 腐女子の知り合いが、いつか言っていた言葉を思い出した。


 そう、百合の世界では無機物としてしか男の存在は許されないのだ。壁、いや、風呂の栓になりたい。


 そんなことを思ったのは、いつの間にか自分が湯船に沈んで、目の前にその風呂の栓があったからだろう。


 動かせない身体。鼻から口から、湯が入ってきて呼吸ができない。目の前が灰色になる。ああ、もしかしてこれでこの世界とはお別れなのかもしれない。


「……客さん、お客さん、大丈夫ですか?起き上がれます?」

 俺を覗き込んでくる人影。これは駅員の制服……


 俺はありとあらゆる力を振り絞って、自分の頭を少しだけ持ち上げた。そして。

 勢いよく、駅のコンクリの床にもう一度、自分の頭を打ち付けた。


 目の前が灰色になった。


「マサト、マサト、ちょっと大丈夫?」

「マサトさん、大丈夫ですか?気づきましたか?」

わしはこんな奴、だって温泉卵になればいいと思うぞ」

「こっちはなんとかしておきますから、心置きなくそっちに戻ってOKですぞ!」

「……マリ、ニナ、今までありがとう。それだけ二人に伝えたかったんだ」

 俺は二人に向かって手を伸ばした。二人の存在を確かめるように、許しを乞う様に。そして。


 二人が体に巻き付けているバスタオルを掴んだ。力が抜ける。バスタオルを掴んだまま落ちる俺の腕。ホッとして気が緩んだマリとニナ、二人の胸元からバスタオルが落ちる。


 その胸の、先っぽの……ピンク色……


 見え……た……!


 もう、悔いはなかった。

 美少女二人と湯煙と乳と。そして。


 俺は目を覚ました。白い天井。無愛想な蛍光灯。

「あ、お客さん、大丈夫っすか」


 ふたたび声を掛けてきたのは、やはり駅員だった。病院でも救急車の中でもない。駅員室の仮眠用ベッドの上に俺は寝かされていた。


「これから救急車呼ぶつもりだったんですけど、体、どうっすか」


 緊張感も危機感もないが、実際、時計を見るとほとんど時間は経っていなかった。

 起き上がってみても異常はない。脱げていた靴を履いて立ち上がっても、なんともない。


 会社には遅刻せずにすみそうだった。


「え、病院行っといたほうがいいんじゃないすか、また倒れたら大変っスよ」

 雑な口調の割に、どうやらそのまま、本音の心配をしてよこす駅員を振り切って、俺は駅員室の外に出た。


 あと三年ぐらい今の会社で働いたら、田舎の温泉宿で住み込みの仕事を探そう、いっそ自分で温泉宿を作ってみるのもいいかもしれない。


 そんな下心満載の、かつ欲望に限りなく忠実な目標ができると不思議と腹が座ってきた。


 逃避し続けた現実の隅っこに追い詰められた俺は、寝床の枕元に積み重ねたラノベで防壁を作っていた。


 ここではないどこかに、突然与えられる能力に、認められていなかった自分を無条件で肯定してくれる世界に憧れて。


 そしてそれは全て誰かによって与えられた世界で、俺はただページをめくって文字を追って行くだけで、その世界の住人になれたのだ。


 だけど案外、その世界は自分に近いものかもしれない。

 現実を逃避した先の世界に、夢で見た世界に、自分の世界を近づけていけばいいんじゃないか。


 目指すべきは、混浴のある温泉宿の経営者だ。


 外の空を見上げてみたいと思ったが、地下鉄の駅にそんなものはない。天井付近で無愛想な換気口がきゅうきゅうと変な音を立てているだけである。


 改札を通る時、ふと、PASMOを入れている革の定期入れに何かがくっついている感触があった。


 目を近づけてよく見てみると、トラ猫の毛だった。


 ゴミ箱はすぐ近くにあったけれど。


 俺はその毛を定期入れの底の方へ押し込んだ。落ちないように。失くさないように。


 “――俺達の戦いは、これからだ……!”

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