依頼2 『スターリングモンスター』
噴煙を上げてコンクリートが弾け飛ぶ。
響き渡った鋭い音に、道行く人々が驚いて顔を上げた。
そこにパラパラとコンクリート片が降りかかり、彼らは悲鳴を上げて逃げまどう。
周囲が騒然とする間にもマンションを砕きながら、ソレは姿を現した。
外観はほぼほぼ円柱そのもの。
のっぺりとした形状の上下端部分が歯車状になっており、音もなく回転を続けている。
あまりに不可解な状況に、人々は呆気に取られてソレを見上げていた。
爆発事故というわけでもない。あるいはまだ怪獣でも現れれば危険でこそあれ理解は可能であったかもしれない。
しかしマンションを突き破ったのは謎の円柱なのである。
理解を超えたものに出会った時、人は動きを止める。
しかしそう間を置かずに一人、また一人と逃げ出し始めた。
少し見ていればわかる、その円柱が未だに動き続け――かつ成長をも続けているということに。
ついにマンションの外壁の全てが砕け散った。
円柱は直径と高さを増しながら無音の運動を続けている。
その頃になってようやくサイレンの音が響いてきた。
押っ取り刀で駆けつけた警官たちが付近の避難誘導を始め、消防車がその横を走り抜けてゆく。
「えー。こちら、〇〇消防署所属六号車。警察による誘導により周辺の人影は無し。えー、そのー、通報のあった謎の柱? の、付近まで進出した。あー、なんだ。通報にあったとおり柱は成長している……見間違いじゃあない、今自分の目で見ているんだ!」
最初のマンションを脱ぎ捨てた円柱はさらなる成長を続け、ついに周囲のビルをも押し崩し始めている。
何の具体的行動もなく、ただ大きくなり続けていることで破壊の半径を広げているのだ。
不気味極まりない。
「今のところ柱は直立を継続しているが……倒壊の可能性については何とも判断できない。もしもアレが倒れてきたら俺たちは全員仲良くあの世行きだ! 危険すぎて接近できない、本部にて対応の検討を願う!」
消防士が必死に無線へと訴えかける。
彼らとて街中における災害救助のプロであるが、ことは既に常識の範疇を脱しつつある。
無限に成長する円柱への対応など、誰も知りようがない。
このまま時と共に巨大化してゆくのを見守り続けるしかないのか。
彼らの胸中に湧き上がった不安もまた成長を続けていた。
そうしているとふと、彼らの頬を冷気が撫でた。
「寒い……? なんだ今のは……」
訝し気に冷気の出どころを探した消防士たちは、すぐに気づくことになる。
たまたまなどではない、冷気は前方から吹き込み続けているということに。
そしてその出所は円柱の真下――今まさに凍てつきつつある場所からだということに。
「あの柱……もしかして周りから熱を奪うのか……!? 熱を……食って成長している?」
初夏の日差しが照りつけているというのに、円柱の下だけが異様な冷気に包まれている。
見える範囲が霜に覆われてゆき、ついに空気中の水分が凍り付いたのかキラキラと氷片が舞い散り始める有様だ。
「こんなもの、とても現状の装備で対処できない……いや、消防で対応できる範囲を超えているぞ! 自衛隊を呼んでくれ……」
消防士が悲鳴のような無線を入れていると、突然消防車のガラス窓がビリビリと震えた。
驚き見上げると円柱がゆっくりと移動を始めていた。
今の今まで不気味な静止を続けていた円柱が、地鳴りじみた音を響かせながら動いている。
その間にも建造物をすり潰しながら巨大化は続き、周囲に広がる冷気もいっそう強くなってゆく。
もはや円柱は天変地異そのものと言えた。
「これは……恐ろしいことになるぞ」
消防士の呟きは、いずれ世界中の人間が同じ思いを抱くことになる。
◆
『スターリングモンスター』
様々な調査の結果、円柱は何時しかそのような名前で呼ばれるようになった。
不可解な円柱の存在に対し粘り強い調査が続けられた。
その結果、円柱を動かす基本原理はスターリングエンジンであることが判明したためである。
スターリングエンジンとは外燃機関の一種であり、つまりはエンジンの外側に熱源を持って駆動する機関である。
ただこのスターリングモンスターが奇妙であるのは、外部に明確な熱源が存在しないことだ。
正確を期するならば、これは『周囲の熱を無差別に吸収しながら動き続けている』。
外燃機関にあるまじきどころか熱力学第二法則に正面から反する、正真正銘のモンスターなのである。
不可解な巨大化を伴いながらスターリングモンスターは動き続けた。やがてそれが導く結果が明白となってゆく。
熱の吸収は規模を増し続け、ついに気候に影響を及ぼすに至った。
局地的な寒冷化現象。
スターリングモンスターの周辺気温は低下の一途をたどり、やがて常に雪と氷に覆われるようになった。
しかもスターリングモンスターが巨大化するにつれて吸い上げる熱量は増加し続けており。
異常な寒冷化に襲われる範囲は拡大の一途にある。
それはもはや一つの国を横断するほどに及び。
範囲が海に達したところで氷河の発生が始まっていた。
最初にスターリングモンスターが出現した国ではありとあらゆる手段をもって抵抗したが、その全ては徒労に終わった。
スターリングモンスターはひたすらに浮かび、寒冷化を呼ぶ運動を続け。
ただそれだけで一つの国を滅亡へと追いやったのである。
事そこにいたり、ソレは人類共通の脅威だと見做された。
各国は持てる力の限りを尽くしてスターリングモンスターへの総攻撃を決定したのである――。
◆
海を凍てつかせながら巨大な円柱が進む。
ソレがなぜ出現し、さらになぜ移動するのかは未だに不明のまま。
ただ確かなのはソレを放置すれば未曽有の災厄に襲われるであろうことだけである。
冷気に包まれ白んでゆく範囲の外側は、びっしりと並ぶ鉄の色に覆われていた。
海軍を保有するあらゆる国家が供出した海上戦力の数々である。
これまでスターリングモンスターからの積極的な攻撃は確認されていない。
(存在そのものが攻撃的と言えるが、この際それは無視する)
そのため全ての船が沈む寸前まで火力を積み込んでこの海域までやって来た。
海が鉄の色ならば、空には灰がかった雲がかかる。
数えるのも空しくなるほどの航空戦力。
これらすべてが、国家の垣根を越えた人類軍とでもいうべき戦力であった。
作戦は大まかな時間だけを示し合わせて始まった。
まずは航空戦力による一斉攻撃が加えられる。
ミサイルが、爆撃が、ありったけの火力がぶちまけられる。
的は巨大であり攻撃が外れる心配はない。次々に爆発の華が咲き乱れる。
撃てるだけの火力を叩き込み、航空戦力が離脱したところで次は海上戦力の出番である。
攻撃用ミサイルはおろか迎撃用ミサイルまで持ち出して、まさに持てる火力の全てを叩き込んだ。
一昼夜にも及ぶ人類総戦力の波状攻撃を受けてなお、スターリングモンスターは健在であった。
どころか目立った傷もなく移動の速度すら落ちた様子がない。
だが人類に落胆はなかった。既に一国が滅んでいる以上、生半可な耐久性ではないことは予測済みである。
航空戦力は撤退済み。海上戦力も舳先を返してゆく。
そうして人類の最終攻撃が始まった。
各地の基地より次々と弾道ミサイルが発射される。
在庫一斉セールとばかりに景気よく放たれる――その全てが核弾頭装備。
到達時間を綿密に計算した、弾頭ミサイル群が一斉にスターリングモンスターへと直撃した。
約一万発に上る核ミサイルによる同時攻撃という、もはや自棄じみた一撃である。
その破壊力に耐えうる物質は、この地球上に存在しない。
――はずだった。
核弾頭が起爆し核反応が起こる。
海を割り全てを焼き尽くす炎が起こるはず――しかし人々の期待と想像は裏切られた。
核爆発は起こらない。
何発のミサイルが直撃しようとも同じ。
人類最強の力は期待を満足することなく霧散してゆく。
誰もが己の目と正気を疑い、やがて理解と共に絶望に至った。
スターリングモンスターが熱力学に反し周囲の熱を奪いながら動いていることは、既に判明していたことである。
だがそれはある意味で正しく、ある意味で間違った解釈であった。
正確にはスターリングモンスターは周囲からエネルギーを奪っていると表現すべきであり。
そのエネルギーの範疇には、核反応ですら含まれているということだ。
そうして人類は一切の打つ手を失った。
およそ攻撃と呼ばれる行為は、対象に何らかのエネルギーを加えることで破壊することで成り立っている。
つまりあらゆるエネルギーを吸収されるということは攻撃そのものが成り立たないということである。
仮にその吸収能力に限度があるとしても、今の人類に一万発近い核兵器を上回るエネルギーを生み出す手段などない。
その日を境に人類の抵抗はなくなった。
スターリングモンスターを止める術はなく、やがて拡大を続ける吸収能力は太陽から得られるエネルギーの総量を越えることであろう。
後に待つのは地球全土を覆う永久の冬――氷河期。
人類に許された選択肢は、滅びを迎えるその時まで氷河期を生きるか、この星を捨て新天地に希望を求めるか。
残された時間には限りがあり、いずれの道もあまりにも困難に満ちていた。
そんな人々の諦観も絶望とも関係なく。
海が凍てつく音を響かせながら、スターリングモンスターは勤勉に動き続けている。
全てを凍らせる、その時まで――。
了。
コミッションズレポート 天酒之瓢 @Hisago_Amazake_no
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