第39話 淀みに右目を浸す (2)

「うぅ……頭が、痛い……」


 唸りながらカインが起きてきた。彼女が目覚める頃にはもう日が傾き始めていて、僕らは夜を迎える準備をしていた。


 カインは目を擦ってから僕の方を見る。そのまま目を見開いて、指摘した。


「神格が……上がっているのは……、あー……何でだ?」


 わしゃわしゃとカインは自分の頭を掻いて、目の前の情報を処理しようとしていた。しかし、その目の前の情報である僕は何を言っているのかサッパリ理解できていなかった。会話が成り立つはずがない。


「え?」

「自覚無し……っていうかアクレイはどこだ? 記憶が無い……精神世界を出た後どうなったんだ?」


 暴走したとは聞いていた。ただ予想していた通り、カインはその暴走していた記憶を持っていない。表で暴れていたのが、本物のカイン・レフローディだったのだろうか。


「右手が変形して、死神を肉塊した。そのまま暴走して私達にまで攻撃の手が伸びたの。私も戦ったけど、負けた。そうね……強いて言うなら、アクレイがカインを動けなくしたの」

「右手が……変形……。そうかそうか、悪い、迷惑をかけた」


 カインの軽い謝罪から一拍置いて、鋭い視線と真剣な声色を持ってロミィが問う。


「暴れた彼女は、誰」


 今までのロミィじゃ考えられないほどの強い口調だった。何にも関心を示さなかった彼女が、ここまでして知りたがることとは一体どれほどの価値があるのだろう。


「少なくとも……カイン・レフローディという人間そのものでは無いだろうな。半神ならではの異常現象の一つの可能性がある。この世に半神など、私以外に存在しているのか、はたまたしていたのかも怪しい。文献も無ければ証言も無い、確実に原因を突き止めることは難しいだろうな」


 やけに早口で、言いたいことを全て纏めました、と言っている割には纏められていない。そんなカインの言葉に不信感を抱いたのは僕だけじゃなかった。それはその場にいる、カイン以外の全員が思っていたことだった。

 徐々に欠けていくカインへの信頼。何かを隠したいのはわかるけれど、それでも今のカインは怪しすぎる。

 そりゃあ、僕のことも助けてくれたし、今に至ってはユキナを救うために動いているのは確か。疑いようが無いほどに、カインは僕らに尽くすところは尽くしている。


 けれども、カインは自分の身分を隠していた。今向かっているカインの祖国が《骸狂帝国レフローディ》で、その国の第二皇女だったことも、僕たちには教えずにいた。何を思って、それを僕たちに伝えなかったのかはわからない。


「ねぇ、カイン」


 僕はカインに話しかけながら下を向いて目を合わせないようにした。


「何だ?」


 ただ確認がしたいだけなのに、計り知れない体力を使う。


 これが恐れか、恐怖か。

 震える唇、カタカタと鳴る歯。言葉がすぐそこまで出てきているのに、押し留められてしまっている。この状態を自分でも異常だと認識するまで大した時間はかからなかった。


 何を恐れる、自分は彼らに言わせれば神という存在だ。恐怖など、抱えている方がおかしいと言うのに。


 何が神だ。こんな僕を誰も神とは言わないだろう。第一に信じてくれる人などいないじゃないか! 信じてくれる人の居ない神なんて、存在していると言うのだろうか。


「か、カインは、どうして」


 その先の言葉も止まってしまう。何故だろう、聞いちゃいけない何かがあるのか、どこにその抵抗があるのか、どこにそこ恐怖があるのか。わからない、わからない。


「ん?」


 不思議そうな目で僕のことを見つめる。僕の目にはそれが僅かに映っただけだった。ただそこに、針のように鋭い目線を交えていることに僕はまだ気づかない。


「……」


 僕の瞳が、カインを完全に映した。無理やり映された。

 顎を掴まれ、上げられ、彼女は僕を見下していた。

 知らないうちに彼女は立っていて、僕は座っていて、そのクリスタルのような瞳で僕を見つめる。


 人は、神は、彼女は、目線だけで人を洗脳できるのか、ヒトの意思に深い影響を与えることができるのか。そんなことは無いと知りながらも、そう連想させてしまうのには何かトリックがあるみたいだ。つかめないけれど、確実に裏が有る。


「早く言え、もどかしい」


 自分に何度も言い聞かせる。大丈夫、いつものカインだ。なんてことは無い、いつものカイン。きっとそのはず。


「……どうしてカインは《骸狂帝国レフローディ》の皇女だってこと、隠してたの」

「っ……!」


 確かに息を詰まらせている音を聞いた。


「ロミィか、ロミィが話したのか」


 焦って僕の顎に当てられていた手を離して、身体ごと大きくロミィの方を向く。感覚が麻痺していたようで、後から顎がひりひりと痛む。


「まぁ、そうね。アクレイは気づいていたとしても、今の状況で教えてどっかに行ったとは考えにくいから、そうなるでしょうね」

「何故、言った」

「深淵には触れてない、深淵の輪郭を見せてあげただけ」


 この言葉に対してカインは小声で、よくできた比喩表現だこと、と呟いていた。


「私の人生を深淵扱いするのはどうかと思うけどな」

「実際そうでしょ」

「まぁそうだけど」


 ロミィはカインの何かしらの過去を知っているようだった。皇女ともなれば有名人、何をやったか、大事であれば多少は入ってくるものなのだろう。

 カインが起き上がってすぐに言った神格? とやらも追求したいが今はそれどころじゃなさそうで、トントン拍子に話す内容が変わってしまうため自分でもついていけていない。


「……まぁ、そうだな。いつかはバレるものだ、バレ方は少々気に食わないが《骸狂帝国レフローディ》の第二皇女という地位を昔持っていたことは事実だ。今はどちらかというと国家の敵、裏切り者として国に知れ渡っているがな」


 驚き疲れた僕らの反応を待っているように思えた。しかし、あのサクヤでさえも表情を変えることは無かった。





「そして、サクヤさん」





 空気が、変わる。


「何や?」





「ごめんなさい」





 深々と頭を下げて、謝った。


 いつものカインと声が違うように感じられた。声のトーンとか、強弱が違うのもそうだが、全くの別人の声に聞こえたのだ。余ほど意識していないと気づけない、それほど些細な変化だった。

 さらに、サクヤの呼び方が違う。


「……雪那が連れ去られたのはお前のせいじゃないやろ? 何で謝んねん」


 それぞれ思うことはあれど、平然を装う。

 今度は膝をついて、下を向いて顔を見せないようにカインは話し出した。


「それほど境遇は良くなかったけれど、……変える権利は持っていました。それこそ建国祭の内容や横暴な騎士達を」


 もう恐らく全員が気付いていることだろう。

 彼女は本物のカイン・レフローディで、普段接している神ではないことに。


「いつかは国外で犯罪に手を染める人々の集まりだと思っていました、それほどあの国は狂っていて、自己中心的な愛国主義者の集まりです。……私はただ、罰が、痛みが嫌で、声を上げずに黙っていた愚か者です」


 ぽろぽろと、声を震わしながら静かに涙を落している。

 出会った当初は気づかなかった人格の変わりよう。それなりに親しくなったからこそ、この差の不気味さがわかる。


「……お前の話聞いてたら、「止める権力はあったけど、虐待されてて無いに等しかった」って言ってるようにしか聞こえへん。じゃあええやん、別に」


 やり場のない感情を上手くコントロールしている、そう感じ取れる。

 怒りとか哀しみがそこに確かに存在するのに、言葉に乗っていない。


「被害妄想が激しいんか、全部自分のせいにしたいんか知らんけど、勝手に作り出した後悔背負うのやめろ」


 不完全だったパズルが、元の姿を取り戻したかのように。今まで動いていなかった歯車が動き出したかのように。原形を知らずとしても、元に戻っていっているのが何となくわかる。


「お前が今やるべきことは何や。俺らを《骸狂帝国レフローディ》まで連れて行って、雪那を救うのを手伝うことやろ。いくら嫌な祖国でも、お前んとこの神と約束したことや。今更泣いたって変えられへんで」


 サクヤは容赦なくカインの頭にチョップする。


「⁉」


 それなりに痛かったようで、チョップされた部分を両手で抑えている。子供みたいに。


「隠してた云々はもうどうでもええわ。何か事情あんのわかったし、深くは探らん。でもな、いつかは、いつかは話せよ。苦しくなったり、それこそ時効になったらな」


 少しの間を開けて、カインは返事をする。


「……いつか、な」

「あ、元に戻った……」


 つい反射で発言してしまった。それに対してカインは怒ったり泣いたりすることは無く、ただこっちを見て一言。


「突然入れ替わって悪かった。隠していたこともまとめて謝る。すまない」


「……」


 何か言いたげなロミィがカインを見つめている。けれど、僕の視線に気づいて見つめるのをやめてしまった。

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