蛇に嫁いだ女

ハクセキレイ

第1話


一頻り話を聞いた後、医師は大きく頷いた。

「万事、任せておきなさい。まずはすぐに家に戻り、娘を外には出さぬよう気をつけなさい。私もすぐに向かいますでな」

夫婦は喜び、涙を浮かべて頭を下げた。夫は直垂、妻は小袖を身につけているが、その所作や言葉尻から、それなりに身分のある者だと察しがついた。

夫婦が家を出た後、医師は小さく笑いを漏らす。とかく渡世は面白いものである、と。

夫婦は急ぎ家に戻ると、娘を家の奥の間に入れ、見張りに人を立てた。

夫婦はひどく外聞を気にしていた。夫婦は二人とも貧しい農家の生まれで、不作の年に始めた養蚕が上手く軌道に乗り、財を成した。周囲からは丁重に扱われているが、大いに妬み嫉みを買っている。あらぬ噂がたてば、あっという間に没落しかねない。

しばらくして、医師がやって来た。

「して娘はどこに?」

奥の間に通されると、医師は娘と二人にするよう命じた。

夫婦が難色を示すと、医師はすかさず立ち上がりこう言った。

「二人にできぬというのであれば、私にできることはなにもない。失礼させていただこう」

夫婦は額を畳に擦りつけ、そのまま部屋を出て行った。

娘は床に臥し、目を薄く閉じて医師を見つめている。歳の頃は十七、八か。清らかな顔をしている。

「して、娘さん。一体何があったか仔細を教えてもらおう」

「未だに信じられません。私は蚕のために通りに生えている桑の葉をとっていたのです。身が軽いので、桑の木に登り、枝先の新芽を摘むのです。新芽だと蚕の食べが良く、いい絹ができるのです。しばし、夢中で葉を摘んでいると、木の下から男の声がしました。大蛇がそちらに向かってる、気をつけなさい、と。見ると確かに蛇がいました。白く、大きな蛇です。私は怖くなって木から飛び降りました。ですが、蛇は素早く動き、私に絡み付きました。覚えているのはそれまでです」

「ふむ、それでは、お前は蛇の子を身籠ったのか」

「そうです。その通りです」

「なるほどなぁ、それでわしが呼ばれたわけだな」

医師は笑みを浮かべる。面白くて仕方がない子供のように。

医師はすっと立ち上がると、部屋の襖を勢いよく開けた。果たしてそこには夫婦が聞き耳を立てていた。

「二人にするよう申し伝えたはずだが」

夫婦は飛ぶようにして逃げて行った。

医師は襖をわずかに開いたままにして、娘の前へと戻った。

「これであの者たちが近づいてくればすぐにわかる。さて、それでは治療に移るが、その前に一つ話をせねばならん」

医師は娘の顔を覗き込む。娘は身を硬くして目を逸らした。医師の目には何か、不穏な熱がこもっていた。

「本当のところは一体どうしたのだ?使用人か?誰が相手だ?」

娘は体を震わせる。

「それを聞かねば治療はできぬ。本当に蛇が相手だというならそれでも構わん。ただ、人を孕ます蛇となれば、わしの手には負えぬ。仏僧か祈祷師でも頼るが良い」

「……使用人にございます」

か細い、消え入るような声だった。

「ふむ、やはりな。お前、その者のことは憎からず思っておったのだろう?でなければ、そんな大それたことはすまい。それで?今その者は何処にいるのだ?」

娘は息を呑んだ。医師の顔に大きな笑みが浮かぶ。

「暇を出したのか?そんな訳ないな?どこでなんぞ言いふらされるか分かったもんじゃない。となれば……」

娘は身体に掛けた絹の着物に顔を埋め、啜り泣き始める。

「いやはや、実に素晴らしい。人はかくも容易く悪に染まる。実に気分が良い。こういう話を聞くがためにこの仕事をしておるのだ。子を堕すなんて因果な商売、こんな楽しみがなければやってられん」

医師は高くなった声を抑えるように大きく息を吸い、ゆっくりと吐き出す。

「一つ、わしの話をしてやろう。若い頃の話だ。お前と変わらぬ歳の頃か。京都の朱雀大路、羅生門の上で一人の老婆に会った。そいつはそこに並ぶ死人の髪を抜いて、蔓を作っていた。

老婆はわしにこう言った。わたしのやることは悪かもしれぬ。だが、こうせねば餓死する。だから仕方なくしたことだ、と。みな多目に見てくれるだろう、と」

娘は着物からわずかに顔をのぞかせて医師の顔を見ている。

「わしはその言葉の意味がわかった。芯からわかった。だから、わしは老婆の着物を剥ぎ取り、そこから逃げ出した。わしもそうせねば餓死するところだったのだ。老婆もわかってくれただろう。言い出したのは老婆だからな」

医師はちらりと背後の襖に目をやる。人の気配はない。娘は魅入られたように医師を見つめる。

「勘違いせんでくれよ。わしも自分が悪に生きるとは思っていなかった。追い剥ぎなどはしたくない。それも老い先短い老婆からなんて以ての外だ。わしは善く生きるつもりだった。だが、死ぬとなれば話は別だった。生きるためならなんでもする。それが人間だ。お前にもわかるだろう?」

医師は一つ頷いて、息を吐く。

「この話は他言無用だ。わかっているな?その代わり、お前の話も他言しない。いいな?

さて、それでは治療に移ろう。その腹には蛇の子がいる、そうだな?それなら治療が必要だ。できるだけ派手にやらねばならんな。町の者もみな興味津々だろう。あらぬ噂を立てられてもつまらぬ。派手にやって、本当に蛇に襲われたのだと信じてもらわねば」

医師は夫婦を呼び戻した。そして、稲の藁に、猪の毛、それから庭に杭を打ち、たっぷりの水も集めるように申し伝えた。そして自分は、近くの山に入り、蛇を数匹捕まえてきた。

それから、娘の性器に針を刺して堕胎の処置を済ませ、合わせて治療用の仕込みも行った。娘はいつの間にか気を失っていた。

そこから先は見ものであった。医師は気を失った娘を裸にすると、杭に吊るした。庭の周りには周囲の家々の者たちが集まって来ている。医師は集めた藁を焼き、舞いあがった灰を集め、水に溶かした。灰色になった水を火にかけて煮詰めていく。十分に煮詰めると、そこに猪の毛を混ぜこむ。そして、その黒く、獣臭いお湯を、娘の性器に注ぎ込んだ。

娘が身を捩ると、腹の中から蛇がドロドロと流れ出てくる。周囲からはどよめきが上がる。医師はその内の一番大きな一匹を木の棒で叩き潰すと、治療は終わったと宣言した。

目を覚ました娘に両親が駆け寄り、気分は?身体の調子は?と、質問攻めにする。娘は首を捻り何も覚えていないと答える。

医師は抱えきれぬほどの報酬を受け取り、帰って行った。

娘はそれからしばらくは慎ましく、大人しく暮らしていた。しかし、三年が過ぎた頃、再び使用人と通じ、今度は駆け落ちしたらしい。

娘の行方は、誰も知らない。

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蛇に嫁いだ女 ハクセキレイ @MalbaLinnaeus

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