00.Rainy day, I'm calling you...-2

 いつしか、ぼんやりとした眠気に襲われていた。

 スワロの脳裏に、おぼろげな映像が浮かんだ。これはスワロの記憶ではない。

 きっと、奈落のネザアスの方の記憶に起因する、ぼやけた映像の断片だった。


 目の前に男がいた。

 金色の髪をした男のようだ。しかし、なぜか若々しさはなく、隠者という表現が似合う。どこかしら、俗世離れして飄々としていた。

 鬼灯みたいに紅いものが、ふわふわとその男の周りを飛んでいた。

 彼はそれをみているのだろう。視線が移ろう。

 ——やあ、ネザアス。

 ——この子がそんなに珍しいかい?

 そう尋ねられた。男は若者に見えるが、その実、とても年寄りに見える。

 男は子供に話しかけるような、諭すような口調になった。いや、視線もそうで、しゃがみ込むようにして視線を合わせる。

 ——この子は魔女なんだ。可哀想な子でね、行き場がないと泣いていて、行くところがないならおいでって、わたしが拾ったんだよ。でも、今は、赤くて明るくて、まるで提灯みたいだろう? 可愛らしい綺麗な子だよ。

 男は、紅いものを手のひらの上であやす。

 その形は空飛ぶ金魚のようだった。

 ——可愛い? ふふ、そうだね。

 ——けれど、魔女の力を舐めてはいけないよ。彼女達は、我々にとっては松明のようなもの。

 ——つくられた存在である我々の本質はとても空虚で闇のようなもの。もとから暗闇の中は得意だし、我々は闇の方が親和性がある。だけどね、そこに取り込まれると、いつか飲み込まれて潰れてしまう。

 ——同胞のあの子たちがみんなおかしくなったのは、虚な自分の闇に耐えきれなかったからさ。闇の中にいると、そういうのに鈍感になる。助けを求めることなく、一人戦おうとしたあの男も例外なく飲み込まれてしまった。

 ——闇を、けして甘く見てはいけない。たとえ、わたしたちの根源だとしても、自分の影なのだとしても、それとの付き合い方は、うまくバランスはとらなければね。

 ——けれど、必ず負けそうになることはある。そんな時に、彼女たちの光はとても頼りになる。どんなに小さくても、光があれば影ができる。自分の存在を確かめられる。そして、呼んだら必ず応えてくれる。やまびことは違う正確さで応えてくれる。

 ——わたしも、この子にはずいぶん助けられた。だから、この子は格別に可愛らしい。

 ——いつかキミだって、一人になることがあるだろう。キミは強いからきっと我をはる。ひとりで生きていくのを是としてしまう。けれど、そう言う時には、魔が差しやすい。

 ——だから、ネザアス。他の子達と同じように、闇の中、道に迷ってしまわないように、暗闇で道標を示してくれる、そして静寂の中呼べば返事をくれる存在を見つけなさい。

 ——そうすれば、キミはきっと闇の中でも自分を見失わなくて済む。

 脱色したような色褪せた金色の髪が、目に入る。しかし、白髪になり損ねたような髪に反して、その瞳はウルトラマリンの鮮やかな青い色だった。

 男は言った。

 ——ドレイクやキミにも、良い出会いがあることを祈っているよ。


 *


 と、不意にスワロは、着信を感じて、慌てて信号を告げた。

 眠りかけていたのか、ぼんやりしていたネザアスがばっと飛び起きる。

「ちッ、なんだよ! また救援要請か?」

 奈落のネザアスは、あからさまに不機嫌になる。

 このところ、やたらと奈落に中央から強化兵士の白騎士が送り込まれてくる。白騎士は黒騎士と違って汚染には強くないが、現在の上層の中心的な兵隊達だ。そんな彼らが調査のために、よく送りおくりこまれてくるのだった。ただ、その分、泥の魔物に喰われるものも多く、救援要請がネザアスに向けられることもまあまああった。

 こういう時は頼られるのだ。

「助けて欲しいなら、小数点単位で正確に座標教えろ! こっちも雨の中、方向がわからねえことがあるんだ! 間に合わなくて文句いわれんのは筋違いなんでな!」

 相手の要件も聞かず、ぶしつけに応対したネザアスに、聞き覚えのある声が響いた。

『ネザアス? ふふ、相変わらずせっかちだね』

 ネザアスが、ふと驚いて動きを止める。

『通話相手くらい確認してよ?』

「ア、アマツノ?」

 ぽつりとつぶやいた主人の顔が、ぱっと明るくなるのをスワロはみた。

「アマツノか? 本当に? 久しぶりだな」

『久しぶりだね、ネザアス。元気にしていた?』

「ああ。お前も元気そうだな! ははっ、お前から連絡くれるなんて嬉しいよ」

 電話の主が主人が到来を待ち焦がれる創造主と呼ばれる男であることを、スワロは知っていた。それが、ネザアスをこんなところに捨てた張本人であることも、スワロは理解をしている。

 それだのに、当のネザアスは嬉しそうで。

 スワロは少し腹立たしくなった。

『今日は君に頼みたいことがあるんだ』

 創造主アマツノ・マヒトは、薄ら寒くなるような感情のこもらない、しかし、優しい声で簡潔に説明を始めた。

 このところ、上層の人口が増え始め、土地が狭くなった。しかし、上層の汚染も深刻であり、新たな居住区が必要だ。そこで、下層に目をつけた。

 特に、かつてテーマパークとして使っていたこの奈落の土地、ここをきれいにすることができれば、たくさんの人を助けられるだろう。

『それで、調査や浄化のため、白騎士や魔女を派遣しているのだけど、うまくいっていないみたいでね。……だから、次に派遣する魔女見習いの子を、君に守ってもらいたいんだ』

 アマツノは朗らかに告げる。

『君はこの奈落を誰よりも知っている。そんな君なら、その魔女の子を守って、この難しいミッションを完了させられるかもしれないと、思ってね』

 アマツノは付け加えた。

『魔女見習いの子は、まだほんの少女なんだ。だから、そんな女の子をおもてなしできるのは、ドレイクや他の白騎士ではダメなんだよ。長く、奈落のゲートの番人をして、案内人ガイドを務めてきた君でなければ』

「ああ、そうだな。こんなところにくる娘っ子は、きっと怯えてしまってる。ドレイクには、荷が重いぜ」

 認められて嬉しいらしく、ネザアスは明るく言った。

「任せろ。アマツノ! おれ、ここを最低限綺麗に保ってるんだ! 娘にはできるだけ快適に過ごしてもらうようにもできる。そ、それで、な、もし、ここを綺麗にできたら……」

 とそこまでいって、少年のように目を輝かせていたネザアスは、ふと言葉を飲み込んだ。

『どうしたの?』

「あっ、ああー。いや、そのなんでも、ない」

 ネザアスは慌てて誤魔化す。

「とにかく、おれに全部まかせろ!」

 ふふ、とアマツノが笑う。

『よろしくね、ネザアス。彼女は、ウヅキの魔女見習い。藤色の瞳を持つ、歌の上手い少女だよ。到着は明日。場所は、君の担当する霜月のエリアの観覧車のあたり』

「わかった。迎えにいく」

『頼りにしてるよ。それじゃあね、ネザアス』

 ぷつりと通信が切れる。

 主人が明らかに嬉しそうなのをスワロは、苦々しく見ていた。

「アマツノが、今更おれに直接指示をくれるとはなあ。何かの間違いじゃないかな。ははっ」

 浮かれている彼を、スワロは心配する。

 裏切られるのを、彼はどこかでわかっているはずだった。それだのに。

 大体、命令だけは与えておいて、あの創造主は、彼に必要な物資すら与えようとしなかった。なんであんなに嬉しそうにできるのか。

 そんなスワロの視線に気付いたのか、ふとネザアスは苦笑した。

「そんな顔すんなよ。……わかってねえわけじゃねえんだ」

 ネザアスは、ふと寂しげに笑う。

「でも、裏があるのをわかっていても頼られるのは、やっぱり嬉しい。おれは、元はアイツのために作られた存在だからな」

 スワロをそっと手のひらに乗せながら、ネザアスは首を傾げた。

「でも、魔女の娘っ子かあ。……うまくできるかな。おれは、本当は男の、小僧っ子相手の方が、うまく対処できるんだよなあ。ほら、トシゴロの娘っ子は気難しいだろ」

 お前みたいにさ、とネザアスはスワロを見る。

 スワロは自分が女の子と言った記憶はないのだが、ネザアスはスワロを娘のように扱う。その理由はよくわからない。スワロも魔女の一種だと言っていたので、それでなのかもしれなかった。

 少年を元とする白騎士と違い、魔女は多くの場合、少女を改造して作られた強化兵士だった。

「まあでも、女の子だとお前と友達になれるかもな。おれ、お前に同じ年頃の友達が必要だとって思ってたんだよなあ」

 謎の親目線のネザアスだが、正直スワロの方が保護者をしていることもある。なんとなく、スワロは釈然としない気持ちだが、友達ができるのは良いことのような気がした。

「でも、魔女の見習いか。本当にまだ年端もいかねえ娘なんだろうなあ」

 ネザアスは、なにやら考え込んでいた。

「んー、いきなり、こんなとこ派遣されて、怖がって泣いてねえかな。普通、怖がるだろ、こんなとこ行かされて」

 ぴー、と同意するようにスワロが鳴く。

「ああ、そうだろうよ。多分、怖いと思う。なんとかしてあげなきゃな。おれはそもそも、ここのキャストでホストだからな。そこはプライド持って、ちゃんともてなししてやんねえと」

 ネザアスがそういう。

 彼にとって、テーマパークのガイド業務は、そもそもは不本意な仕事らしかった。

 しかし、子供も別に好きではないと言っていたが、押し付けられた仕事をしているうちに愛着が湧いたのか、スワロが知る限りのネザアスは、この遊園地にそれなりの愛情も執着もプロ意識も傾けている。

 そんな彼の意識に火がついたのかもしれない。見知らぬ少女を客として、ネザアスはなんとけ喜ばせようとしているようだった。

「そうだ。甘いものを用意しよう」

 ネザアスは、名案を思いついたというように言った。

「昔、ここにきたガキどもは、甘い菓子を食べるの好きだった。おれは全然わかんねえけど、チュロスかドーナツとかそういうやつ? つっても、ここにはそんなんねえから、買いに行かなきゃな」

 ネザアスは、ちょっと頭を抱えてうなる。

「チュロスは難しいかもしれねえけど、ドーナツならどうだ? ここから行ける下層ゲヘナか、上層アストラルの麓の街にいい感じの店ねえかなあ?」

 そう尋ねられ、スワロは検索をする。

 主人の代わりに情報を集めるのも、助手アシスタントの大切な仕事だ。幸い、スワロはそういうのは得意だった。

 ちょうど良い店を見つけて、ぴー、と鳴く。スワロの言葉は、ネザアスにだけはそれなりに言語化して伝わっているし、映像なども伝わっている。

 ネザアスは送られてきた情報を精査していた。

「ああ、ドーナツならある? しかも、流行りのやつか。年頃の娘のすきな、かわいいやつもあるかな? うん、人気店? そうだな、そこ、行ってみるか」

 ネザアスは、明るく笑う。

「それじゃあ、早速。ここには、明日の待ち合わせ時間までに帰りゃあいいよな」

 特殊な汚泥防止コーティングを施した番傘をつかみ、ネザアスはスワロを肩に外に出る。

 ばさっと振るようにして番傘を広げると、奈落のネザアスは施設の外に出た。

 ざあざあ雨が降っている。

 汚泥を含んだ雨はいつでも黒い。

 雨にけぶる空を見上げると、朽ち果てかけた錆びた観覧車が静かに軋んでいる。

 しかし、奈落のネザアスの左の瞳は、どこか希望に輝いている。

「準備しておけよ。久しぶりに、お客様が来るんだから」

 そう誰にともなく語りかけて、彼は観覧車の隣を通り過ぎ、街の方向に向かっていった。

 傘で雨が跳ねる。

 スワロは、その雨の音の裏側にやはり呼び声をきくのだった。

 ——ここにいるんだ。

 ——ずっと待っている。

 だからスワロは返事をする。

 ——わたしもここにいます。ここにいます。

 でも、彼はこの声を聞いてくれているのかわからない。だから、まだ見ぬ少女も、この声が聞こえると良い。

 二人で返事をしたら、彼にもちゃんと聞こえるかもしれない。

 どこか楽しげなご主人の瞳に、スワロはそう願うばかりだった。

 


 降りやまぬ暗い暗い雨の日に。

 おれは。

 おまえを呼んでいる。

 

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霜月は雨、楽園廃墟の観覧車 ーナラクノネザアスー 渡来亜輝彦 @fourdart

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