前夜
00.Rainy day, I'm calling you...-1
雨の日には。
誰かの声が聞こえる。
ざああ、ざああ……
叩きつけるような雨の音。それにかき消されつつ、どこかで誰かを呼ぶ声がする気がする。
解析してもそんな声は聞こえないけれど、確かに誰かを呼ぶ何者かの声が、雨の中に混ざっている気がした。
だからそういう時、スワロは必ず返事をする。
——わたしは、ここにいます。あなたのこえをきいています。ここにいます。います。
返事はない。
また声が呼んでいる。
*
雨はいつ降り止むともしれない。
汚れた雨は、このエリアにとめどなく降り注ぐ。そんなふうになってもうずいぶんだ。
そんな、雨にさらされて錆びつき、照明一才の落ちた施設の一角。真っ暗な中、ガサゴソと物音がしている。
裸電球ひとつくらいの、そんなに明るくないランタンが、そこを照らしているらしいが、周りが暗くて目立つ。
「あーあ、なんだよ! ブレーカーとかヒューズだ飛んだとかじゃなくて、発電機の元が壊れてんのかよ」
機械仕掛けの小鳥のスワロが見守る中、一人の男が動力室の修理をしていた。
男は、スワロのご主人だ。
この世界の標準からしても背が高い方に入る男は、狭い部屋でまあまあ苦労をしているが、なんとか作業できるスペースを確保していた。
ぽいと左手が古い部品を投げ出すと、からんからんと床で硬質な音がした。
自由になった左手に、くわえていた重たい工具をとって、男は作業を続ける。
男は右腕を失っている。もとからそういう"設定"なのだと彼は話していたが、ずいぶん前の戦闘で右半身に修復不能の大怪我をしたのも間違いない。それで前線から無理やり離脱させられたことをスワロは知っている。
その時に修復ができなくなった光を閉ざして白く濁った右目には、だいたい眼帯をしているが、それはここで働いていた頃の衣装の名残だ。オフの時は、サングラスをかけていることも多い。
作業中なこともあって、今日はサングラスをかけていたが、それをひょいと額に上げて機械の中を覗き込む。
「もうちょっとなんだけどなー。くそ! これをこうして、多分直ると思うんだけど! あー、なんだよ、かってえな!」
ブツクサ文句を言いつつ、男はやや力任せに修理を続けていた。
ガコン! と大きな音がして、部品がはまった気配がした。
と、その時、ヒイィンという高い音がする。
「お!」
真っ暗だった動力室の機械が、青緑色のライトを放ち出した。連動するように奥の方まで光が放たれていく。
狭い部屋だが、中にはぎっしりと機械が詰まり、奥まで通路がつながっていた。
「ははーっ、直ったぞ!」
男は、明るい声をあげた。
油で黒くなった顔を拭いつつ、男、中央派遣の強化兵士黒騎士である、奈落のネザアスは、明るくなった動力室を満足げに見やった。
*
激しい外の雨の音と別に、どこかで、雨漏りの音がする。
ぽたぽた、ぱたり。
スワロは、そんな音を聞きわけていた。
外はざあざあ、降り止まぬ泥を含む重たい雨の音。
誰かを呼んでいる声は、スワロにはいつか聞こえなくなっていた。
窓の外をみやると、ここからでも朽ちた観覧車が見えている。もう回ることはないが、それでもこの施設のシンボルだった巨大なそれは存在を主張していた。
スワロが飛んで戻ってくると、照明の戻った部屋の一角にご主人がきていた。
油で汚れた顔を洗い流し、奈落のネザアスは、派手な着物風の衣装に着替えていた。
これがここを職場とする彼の仕事着で、そういう時は大体右目に眼帯をしているのが常だ。強面なのをなんとか隠している……という面もあるらしいが、別に和らいでいるわけではない。ただ、子供を相手にすることの多い彼の仕事では、サングラスをするよりもそんな姿の方がファンタジー感で紛らわせられた。
ガリ、とやや目立つ犬歯で、硬い固形食糧を噛み砕き、奈落のネザアスは、ぼんやり古びたパイプ椅子に座って食事をしていた。
彼が食事をするのを、スワロはしばらくぶりに見た。
別に毎日三度食べなくても、黒騎士である彼は最低限の必要栄養素さえ摂っていれば、体を保つことができる。もとより少食。スワロが放置すると、彼はほとんど食事をしない。
しかも食事といっても、この味のしない、評判の最悪な固形食糧だ。ただ、そんなものを食べても、元から味覚がはっきりしていない彼は、不満を漏らすこともなかった。
機械仕掛けのスワロは、まだ感情があまり発達していない。けれど、ご主人がまずいとレビューされているものを、平気で食べるのは好ましくないと思っていた。
そして、それが、彼に上層部から支給された唯一の食料だという事実が、腹立たしかった。
そんなスワロの視線に気付いたのか、彼はふと笑った。
「なんだ、お前も腹減ったのか? 食べるか? スワロ」
的外れな心配をして、ネザアスは、スワロ向けのエネルギーチャージの餌を懐のピルケースから用意する。
豆に似せたそれを、左手しかないネザアスは、器用に手のひらにだして、スワロにつまませるのだ。用済みのピルケースは口に咥えて、うまく懐に落としてなおす。
「雨、よく降りやがるな」
スワロを餌付けしながら、ぽつりとネザアスは言った。
「でもよ、アレ、直したから、しばらくはここの施設も持つな。湿気でだいぶやられてたが、おれだってなかなか修理上手いだろ? はは、雨が止んだら、もっと色々直せるんだが。ここ、本当はもっと綺麗なところだったんだぜ?」
そう言って、ネザアスは目を伏せた。
「雨」
その声が寂しげだったので、スワロが小首を傾げる。
「雨はまあ、止むわけねえけどな。……元が壊れてっからよ」
ネザアスの声は、どこか沈んでいる。
ここは今は奈落と呼ばれる、
高位の人々の住んでいる
下層はゲヘナと呼ばれ、当初はその名に違わぬ不毛の大地であったが、まず手始めにこの広大な土地に、開拓につかわされた民衆のための娯楽施設が作られた。
それが、このテーマパーク奈落。
いまでは見る影もない、朽ちた観覧車が雨ざらしになっているだけの広大な廃墟だった。
しかし、汚染は彼らの予想より激しく強かった。
この大地を穢した原因の一つは、古い単純な悪意のプログラムに染まったナノマシン
しかし、黒物質事態は、かつては夢の万能物質ともてはやされて大量に作られていた。悪意に感染する可能性がわかった途端に、一斉に廃棄されたが、大量に生産されたそれは、処理しきれなかった。
一箇所に溜め込まれ保存されたが、結局漏れ出した。そして、汚染された悪意、泥の魔物と呼ばもれたものが現れた。
それらと戦うために特殊な強化兵士が作られた。それが白騎士や黒騎士と呼ばれるものだった。
より強力な、黒物質を特殊な方法で精製して作られたナノマシンで補強されたものは黒騎士だった。ただ、黒騎士達ですら、最終的にには発狂し、人々に牙を剥いた。
それを抑え込むために、新たな子供達が改造されて白騎士となり戦場に送り込まれる。そんな子供達のために奈落の遊園地は運用された。いつしか、それは強化兵士の材料となる子供達の慰労の施設になっていた。
奈落のネザアスは、そんな遊園地のキャストとして派遣されていた。
彼は、古い生粋の黒騎士だった。しかも、恩寵の騎士と呼ばれる、創造主とよばれた男の寵愛を受けた強力な戦士だった。
彼は黒騎士の中にいて、発狂せずにすんだものの一人だった。
——君は子供が好きだから。
彼はそんなふうに言われた。
——他の人にはできない仕事だよ。ここを守ってくれたら、いつかまた冒険に行こう。それまで、ここを守って待っていて。
そんなふうに創造主に告げられた。結局、ただのていのよい左遷の口実だった。
黒騎士の中でも、古参であった彼に、"彼"は興味をなくしていた。
まして、黒騎士との戦争において、修復不能な負傷をしてからは、戦闘要員としても見做されなくなった。
やがて、テーマパーク奈落は、上層の破れから黒物質が漏れ、降り止まぬ汚染された雨にさらされ廃墟と化した。
それでも、なお、彼の派遣命令は解かれなかった。今もずっと。
もはや、彼が守るべき場所に、誰が来るわけでもなくなったのに。
そんな用済み同然の彼に与えられる支給物資は、一ヶ月に一度。
最低限必要な食糧と給金と医療品。
味のしない固形食糧、黒騎士の彼に必要な必須栄養価のあるサプリメント、最低限の薬。
その程度。
彼の持病の幻肢痛の治療薬は支給されず、別途協力者のドクター・オオヤギから入手できてことなきを得ていたが、もはや見捨てられたも同然の酷い仕打ちだった。
そんな中央局に、スワロは怒っている。感情は豊かでないけれど、怒っている。
ぴ、と、鳴いて、ネザアスが丸めた固形食料の包みを引っ張って、投げ飛ばす。
「何怒ってんだよ? こんなもんばっかり送ってくるなって?」
そんなスワロを見て、彼は苦笑した。
「別に、おれ、不満とかねえよ。だって食えるし」
ネザアスはぽつりと言った。
「どうせな、おれ、味覚がイカレてるから、うまいとかまずいとか、そういうのわかんねえし。別に正直、メシなんてそんな食わなくたって……。だから、特に、辛いとか感じたことはないんだ」
スワロの考えを見透かしたように言って、飛んできたスワロの頭を撫でる。
「そんなこと、お前が心配しなくて良い。どうせおれは」
ネザアスはペットボトルの水を口にしながら、言った。
「フルタイプメイドの黒騎士で、感情豊かな人間じゃあねえんだ。人並みに傷つくことなんて、ないんだぜ?」
嘘だとばかり、ぴぴ、とスワロが鳴く。
「本当だよ。慣れれば、別になんてことねえよ」
慰めるようにスワロが肩にとまるのを、やさしく捕まえてネザアスは言った。
「前線の戦場なんてもっとひでえからさ。こんなもん、甘い方だ」
ぴ、とスワロが抗議するように鳴いた。
ふとネザアスは苦笑した。
「ま、でも、わかってんだぜ、おれだって本当は」
ネザアスはため息混じりになった。
「ここをどんなに整備しても、綺麗に保っても、こんなところにアイツは戻ってきやしねえってことぐらい。アイツが派遣してくるガキどもですら、こんなところにはもう来ねえよ。誰も来なくなって、もう何年経つかも覚えていないくらいだ」
ぴ、とスワロが鳴く。
「開拓のためか、下層は
ネザアスは言った。
「多分、おれに、ここの保守の命令を出したことも忘れちまってる。自動的に送られてくる物質だってな、いつ止まるかわからねえ。オオヤギがいなきゃ、必要な医薬品も手に入らねえよ。ま、それでも、いいさ。オオヤギが手配してくれるうちは、生きてけるわけだろ?」
ぴぴ、とスワロが心配そうに鳴いた。
「それくらい、別にいいんだ」
ふっとネザアスは笑う。
「いいんだよ。おれにはお前がいるんだし、なんとかなる。一人じゃねえだけマシだ」
ネザアスはそっと機械仕掛けのスワロを抱いてやる。
「昔、黒騎士のサーキットってやつが言ってたな。アイツはなんてーか、一人で気ままにどっかいっちまうやつで、いつもろくな場所にいないんだけどさ。いつも赤い金魚みたいなの、連れ歩いてた」
ネザアスは左目を細める。
「気の合う魔女をひとりつれていれば、どんな場所でも黒騎士は生きていける。ネザアスもそういう子を一人見つけておきなさい、ってさ。アイツ、お節介な上、キザなやつだけど。まあでも、たまにはいいこと言う」
うん、とネザアスは頷いた。
「おれもそうだと思うよ、今は。お前がいればな、どこでだって生きていけるって」
ネザアスは自分を納得させるようにつぶやいて、スワロをそっと抱きしめた。
優しく寂しい眼差しを、彼はスワロに向ける。
「お前がいれば、おれは、それだけでいい」
嘘だ。
スワロに囁くような、少しハスキーな声が響く。
「だからさあ、他に何も要らねえよ」
ご主人は。
スワロは、うまく言語化できない気持ちを、頭でぐるぐる思考する。
なんで、そんな嘘をつくんだろう。
ネザアスはもう話すこともなく、そっと優しくスワロを撫でた。
そんな考えをかき消すように、激しい雨の音が聞こえる。
やっぱり、誰かの呼び声が聞こえる気がする。
その声は、どこか奈落のネザアスに似ていた。
——なあ、誰もここには来ないのか。
ここはとてもいい場所なんだ。さあ、誰か遊びに来てくれよ。昔とそんなに変わらない。
おれは、ずっと、ここで……
ここで、おれは、ずっと……
ずっと、おまえを……
スワロはだから返事をする。
——います。わたしはいます。ここにいます。
でも、びたびたと、どこかで雨漏りの音がした。それが、かすかな声をかき消してしまう。
声は届かないのかな。それとも、少しは届いているのかな。
スワロには、わからない。
主従だけの時間は静かに、雨音と過ぎていく。昨日も今日も明日も、これからも。
そして、いつも、声は、誰にも届かないまま消えていく。
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