Epilogue. エピローグ

 豪奢とはいいがたいが、それでも十分な大きさの遊路町長の執務室には、島内だけではなく、本土の一般紙の記者も集まっていた。

 記者たちが何度もシャッターを切ったあと、町長は「どうぞ、おかけください」と、二人にいった。

 緊張した面持ちに、無理やり笑顔を貼りつけていた美海と泉美がソファに腰を掛ける。柔らかな座り心地だが、大きさは体に余る。

 

「ご無沙汰しています。こうちょ……いえ、町長」

「校長で構いませんよ。遊路高校にラクロス部を創設したことは、今も私の誇りですからね」


 かつての遊路高校の校長、てい町長は、相変わらず良く通る声で笑いながら、自慢げに胸を叩いた。

 禎は遊路高校の校長として定年まで勤めあげた後、町長選に立候補し見事当選、現在二期目を務めている。


「まずは、オリンピック日本代表の内定おめでとう」

「ありがとうございます」


 美海と泉美は揃って深々と頭を下げる。

 二人は遊路高校を卒業した後、東京の律翔大学に進学し、ラクロス部で四年間レギュラーとして活躍した。その間、全国学生ラクロス選手権大会で三度、青松大学と戦い、二勝一敗と勝ち越している。

 その上、大学在学中に、青松大学の桜ノ宮美玲、森ノ宮エイミー、そして神山学園から大阪の強豪桃陽大学に進学した、ラフローレの獅子堂遥や早乙女あすなたちとともに、ラクロス日本代表メンバーに選ばれ、世界選手権大会で堂々の銀メダルを獲得している。

 今では、美海と泉美は社会人ラクロスのクラブチームに所属しており、つい数日前、再来月の七月に開催されるロサンゼルスオリンピックでの六人制ラクロスの日本代表メンバーに内定していた。


「この島から何人もの、ラクロス選手を輩出しているのは、町長としてこの上ない喜びです。そのすべての始まりが、あなたたち、遊路高校女子ラクロス部アクルクスなんです」

「あのとき、校長先生が全国の出身者に支援を呼びかけてくださったお陰で、私たちは全国大会を戦い抜けました。そのあとも島でラクロスができる環境を整えてくださって、本当に感謝しています」


 禎町長は「とんでもない」と、手をぱたぱた振ってみせる。謙遜しているが、実際、禎は校長時代にラクロス部のために夢星基金を創設して、全国の島出身者から活動資金を調達したのみならず、町と協議して人工芝の専用グラウンドを整備したり、島の中学校と高校が原則中高一貫校となっていることを理由に、ラクロス部を中高一貫の部活として認め、ラクロス部員を一気に増やしたのだ。

 美海たちがこの島にラクロス部を創設して八年。今では、遊路島はラクロスの聖地として、その名を知られるようになり、夏には全国の強豪校が合宿地としてこの島を訪れている。遊路中学・高等学校のラクロス部はもちろん、地区ごとにラクロスチームが結成され、定期的に試合が行われるなど、島でのラクロス熱は過熱の一途だ。


「アメリカのプロリーグで活躍する永忠円華選手も、この島の出身者なんです。それ以外にも、たくさんのラクロッサーが、この島から日本中で活躍しています。それもこれも、すべてセナがこの島に来たのが始まりなんです」

 美海がそういうと、泉美も大きく頷いた。

「そうだね。あの日、彼女があたしたちに勝負を挑んでこなかったら、きっとこんなふうにこの島にラクロスが根付くこともなかっただろうし、全国にこの島の名前が知れ渡ることすらなかったんだと思うと、やっぱりセナってただ者じゃなかったんだなって、そう思う。ただ、日本一になるっていう、校長先生との約束を果たせなかったのが心残りだったけど」


 アクルクスは毎年全国大会へ出場してはいるものの、八年間、一度も王者、青松大付属高校に勝利することはできなかった。しかし、泉美の言葉に、禎は「とんでもない」と首を左右に振る。


「お二人は知っていますか? 今や、この島は日本一、ラクロスの競技人口が多い町なんですよ」

 美海と泉美は小さく驚きの表情を浮かべて、顔を見合わせた。

 星南がラクロス部を作って最初にみんなを集めたとき、確かに目標は「全国大会制覇」とはいわず、「日本一」だといった。もしかしたら星南は、最初からこうなることを目指して目標は「日本一」だといったのか。

 禎は満面の笑みで、二人にいった。

「次はオリンピックで金メダルを獲って、日本全国にラクロス旋風を巻き起こしましょう!」


 表敬訪問を終えると、数人の記者が声をかけてきた。

 泉美が当たり障りのない受け答えをする優等生ぶりを見せてくれ、記者たちも和やかな雰囲気でインタビューをしている。

 高校を卒業して、泉美はますます美人になったと美海は思う。流行りのメイクやファッションもどんどん取り入れ、SNSも活用しているので、メディアが放っておかないのだ。

 一方の美海は、相変わらず人見知りするし、泉美みたいに好奇心旺盛な性格じゃない。でも、あの高校二年生の春に星南と出会って、確実に変わることができたと思う。そうでなければ、日本代表としてオリンピックを目指そうなんて、夢にも思わなかっただろうから。


「疲れたー」

 実家の居酒屋「うしゃがり」で座敷のテーブルに泉美が突っ伏した。あのあと、高校で後輩たちにラクロス指導をみっちり行って、ようやく解放された二人のために、当時のラクロス部のメンバーがうしゃがりで、小さな同窓会を開いてくれた。


「夕方のニュース見ましたよ! イズ先輩、相変わらず超美人だしテレビ映りも完璧!」

「ユッコもすっかり大人っぽくなって、先生が板についてきたよね。ひょっとして、高校生男子に告られちゃったりするんじゃないの⁉」

「ぜーんぜん! むしろ、女子からは鬼コーチ扱いですよ! だいたい、アタシはイズ先輩一筋ですから、高校生のガキんちょには興味ないです!」

 泉美のグラスにビールを注ぎながら、裕子がいう。彼女は、九州の教育大学を卒業後、教員免許を取得し、遊路高校の教師としてこの島に戻ってきていた。

 今では、女子ラクロス部アクルクスを毎年、全国大会に導いている凄腕の顧問兼監督だ。


「それにしても、みんなよう集まれたもんやなぁ。カエちゃんも仕事やったんちゃうの?」

 英子がいうと、楓が静かに頷く。

「有休使った」

 楓は高校を卒業したあと、関西の大学に進学していた。大阪人が本当にみんな英子みたいで驚いた、とは本人の談。でも、それが楓には心地よかったのか、結局、そのまま大阪で就職して、今は事務員として働いているらしい。

 ちなみに英子は船舶免許を取得し、この島でクルーザーを使ったアクティビティを商売にしている。ラクロスの聖地としてこの島の名前が知れるに従い、観光客の数も増加し、英子のクルーザー体験は夏のシーズン中はほぼ予約で埋まっており、それでだいたい一年間の収入になるため、オフシーズンは毎日、趣味の釣りをして生活しているという。


「円華もアメリカのプロリーグで頑張っているらしいな」

「そうなんですよ。ただ、日本ではアメリカのラクロスの試合が見れませんから、いつもまどっちに動画を送ってもらってるんですよ」

 佳弥子がスマートフォンを操作して、動画を再生する。日本ではマイナースポーツのラクロスだが、アメリカではプロリーグもある人気のスポーツだ。動画はテレビ中継らしく、ちゃんと実況もついている。当然、すべて英語だ。

 八千代も佳弥子も、大学卒業後は海外との取引がある民間企業に就職していて、英語は堪能だそうで、動画の実況が時折放つアメリカンジョークで笑ったりする。


「ちぃ先輩たちも来れたらよかったんだけど」

「二人とも客商売しているからね。しょうがないさ」

 八千代はそういってビールを喉に流し込む。相変わらず男前度が高い。

 千穂と瑠衣の二人は、高校を卒業した後、鹿児島の美容専門学校に通い、美容師になった。今は、鹿児島市内の同じ美容室で働いている。いつか、島におしゃれな美容室を作って、高校生たちにファッションを楽しんでもらうのが夢らしい。


「みんな、遅くなってごめん!」


 ガラガラと引き戸を開けて入ってきたのは、小さな子供を抱いた三人組の家族だ。それを見て泉美が手を振る。


「スガちゃん、友美ちゃん、遅いよ!」


 かつてのラクロス部の顧問、須賀とコーチの友美が、二歳になる長男を抱きながら、座敷にあがる。


「わー、お子さん大きくなりましたね!」

 佳弥子がぷにぷにの頬をつつきながら、目を細める。

「あちこち歩きまわるから、目が離せなくて大変よ。障子も襖も穴だらけにしちゃうし」

「足腰強いの、大事」

「ラクロッサーにする前提かいな」

 楓と英子が声を揃えて笑った。


「全員揃ったみたいだし、アレいっちゃおうか!」

 泉美はそういってテーブルの上に島特産の黒糖焼酎、「島白泉」のボトルと穴の開いた盃を置く。宴会の定番、遊路献奉だ。

「じゃあいつも通り、親はスガちゃん!」

「俺かよ⁉」

「と、思ったけど、やっぱり今日の主役は、美海ってことで!」


 泉美は盃を美海に手渡すと、慣れた手つきで黒糖焼酎を満たす。

 美海は立ち上がり、集まったかつてのチームメイトたちの顔を見渡す。

 みんなそれぞれに大人になり、それぞれ別の人生を歩んでいる。でも、ここに帰ってくるといつも、みんなで一緒に過ごした時間を思い出し、胸の奥が日焼けしたみたいにヒリヒリとする。それは喜びも悲しみも、ともに乗り越えた仲間との絆の証なのかもしれない。

 美海は咳ばらいを一つ挟んで、盃を顔の前に掲げ、宣言するようにいった。


「山栄美海、ラクロッサー。夢はオリンピックで金メダルです! トートガナシ!」



 九人集まれば九回まわすのが遊路献奉のならわしだ。

 夜も更けてくると一人、また一人と脱落していき、ついには起きているのは、美海と泉美だけになった。

 酔いつぶれた元チームメイトたちを起こさないように、美海はそっと立ち上がると、座敷を出て靴に履き替えた。


「あれ、美海? どこか行くの?」

「うん。ちょっと行きたいところがあるから」

「あたしも一緒に行く。どうせ、みんな起きないでしょ」

 

 二人で夜明け前の青花銀座を歩く。このあたりは所々に街灯があり、湿った空気に白い光をにじませている。日焼けして古ぼけた建物の外壁や看板が、時間に置き去りにされたように、夜の闇に沈んでいる。


「どこまで行くの?」

「中学校」

「えー、あそこまで二キロ以上あるけど。自転車持ってこようか?」

「ダメよ。飲酒運転になっちゃうでしょ?」


 不満げに口を尖らせる泉美を軽くあしらって、二人は環状道路を南に歩く。

 二人はその間にいろんな話をした。

 

 日本代表として世界選手権に出場したときのこと。

 学生リーグで青松大学に勝利したときのこと。

 高校時代は一度も青松大高校に勝てなかったこと。

 とりとめもなく思い出を語っているうちに、長い登り坂のむこう、宵闇の中に中学校の白い校舎が見えていた。

「イズ、こっち」

 美海は泉美に手招きをして、中学校の向かいにある小さな神社の階段を登っていく。周囲より一段高くなった神社の境内からは、夜明け前のミッドナイトブルーに染められた海が一望できた。


「わぁ……きれい」

 泉美が嘆美の声をこぼす。東の水平線が小さな炎を灯したようにきらきらと輝いている。

「私、いつもセナと二人で、ここから夜明けの海を眺めてたの。深い青に覆われた世界が、少しずつ色づいていくのを見ているのが、セナは好きだった。その理由が、今はなんとなくわかる気がする」


 東の空を深い紫から鮮やかなオレンジ色のグラデーションに塗りつぶしながら、水平線の上に太陽が顔を出し、濃藍の海にまっすぐのびる光の道が描き出される。

 陽が昇るにつれ、海に、森に、畑に、家々に彩りが戻り、夜空に浮かんでいた満天の星は、海の向こうに帰るように眩しい光に飲み込まれる。目覚めた鳥たちのさえずりとともに、また新たな一日が始まる。

 こんな小さな島で毎日繰り返される同じ日々の営みも、ほんの少しずつ変わっていく。

 新しい私に変わりたい、そう願った美海に小さな変化の積み重ねの大切さを教えてくれたのは、ラクロスであり、他の誰でもない星南だった。

 泉美のそばで、いつも控えめにしていた少女が、今や日本代表にまでなったのだから、その願いは叶った。けれど、その姿を星南に見てもらうことはもう叶わない。

 それでも星南は、ときどき美海の心の中に、あの高校二年生の夏、ここで夜明けを見つめていた姿とともに蘇ってくる。それは奇跡の星、アクルクスのようにほんの短い時間、気まぐれのように姿を見せるだけだったけれど、それもわがままな星南らしくて、今はただ愛おしい。


「帰ろっか。あたしたちの場所に」


 朝日を浴びた泉美が微笑みかける。

 美海は頷き、いまもなお色褪せたままの青花銀座にむけて、また歩き始めた。

 


 

 

 

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南の島のアクルクス ~離島の女子高生は、ラクロスで日本一を目指す!~ 麓清 @6shin

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