休刊 カノジョとデート
私は、水族館での盛り上がり方が分からなかった。
過去に一度だけ、悪友と水族館を訪れたことがある。
その目的は、カップルの熟れた真っ赤な愛に
しかし甘い甘い愛の前に散ったのは、我々の真っ黒な計画のほうであった。
我々は貴重な
カップルで来ている男の脳内を勝手に解剖し、どうせ九割九分交尾のことしか考えていないイルカ以下のケダモノだと嗤う。
女の顔を勝手に採点し、クリオネの方がまだ可愛いと皮肉を言う。
カクレクマノミを「ニモ」と呼ぶ低俗な人間をバカにし、水槽の魚を「食ったら美味そう」と評する人間のセンスを否定する。
あげく、人の悪口に飽きたら、次は水槽を指さし、水流を作ってやらねば底に溜まって死んでしまうというクラゲを「このニートめ」と蔑む――などなど。
自分のことを棚に上げて上げて、手に取れなくなるところまで投げ上げて安心し、他人やついに他種族までこき下ろすという、タカアシガニの水槽のなかにぶち込まれても
だから、もしも気になる異性が出来たのなら、私は水族館に行くと決めていた。
水族館が楽しいと思えたのなら、それはそのままその人の価値になるからだ。
というわけで、私はデートのお誘いに頷いてくれたカノジョと水族館に向かった。
「――――!」
落ち着いた青色の世界に飛び込んだ瞬間、カノジョは弾かれるように水槽の前へと駆け出した。目と口を開けたまま、夢中になって熱帯魚を見つめるカノジョに笑ってしまう。どうやらカノジョは好奇心旺盛な性格のようだ。
カノジョの
子どもに混ざってはしゃぐカノジョの姿は微笑ましい。やはりカノジョには我が六畳間の外に出て、色々な経験をさせてやりたい。
「――これではまるで父親だな」
そうぼやいていると、いつの間にこちらに寄ってきていたカノジョに袖を引っ張られ、次のエリアへと連れていかれる。
ペンギンが群れる水槽を指さし、弾けるような笑顔を見せるカノジョ。
この時私は、暗闇で携帯端末を弄るのをやめようと思った。
その笑顔を
それから私たちは色々なエリアを回った。
その度にカノジョは目いっぱいに青い光を取り込んで、笑顔を作ったり、驚いた顔をしたり、ぽんぽんと肩を叩いて感動を共有してきたりと、動作で意思を伝えてくれる。
カノジョの足取りは踊るように軽やかで、
私はカノジョの一挙手一投足に夢中だった。
バンドウイルカのしなやかなヒレ使いも、マイワシの群れの幻想的な銀色のうねりも、アカエイの優雅な羽ばたきも、以前見た時と変わらない。私にとって盛り上がるものではない。
しかし、カノジョと同じモノを見ていると感じるだけで、それらは輝いて見えた。
月が綺麗に見えるのも、同じ心理作用なのだろう。
味の素みたいだな。
私は恋愛について、そのような知見を得た。
カノジョと一緒の時間を過ごすごとに、カノジョと会話をしたいという思いが強くなっていくのが分かった。
言葉で気持ちを伝えて、カノジョの言葉で返事を貰いたい。
予定では次号から声帯、つまり発声が可能になるらしい。
水中を揺蕩うくらげを前に、次号へ思いを馳せていると、不意に薄ら寒い気配に襲われた。
ぶるりと体が震える。このかび臭い、安いカラオケのクーラーのような寒気には覚えがある。
かつて私とともに青春破壊工作に励んだ悪友のものだ。間違いない。
最近はカノジョと私の精神衛生のために交流を絶っていたが……さては、カノジョの存在を聞きつけたか⁉
私は咄嗟に身構える。
彼は青春破壊工作――特に男女の恋を枯らすことだけに関しては、右に出る者も右に出たいと思う者もいない天才だ。
ぐるりと周囲を見回す。
――その時、私は次のエリアへと向かって姿を消した悪友の横顔を捉えた。
そして、私は分からなくなった。
何故か、彼は笑っていたのだ。
まるで隣に素敵な乙女がいるかのように、幸せそうに笑っていた。そこに悪意はなく、大学生活を謳歌しているように思えた。
どういう風の吹き回しだろうか。人の恋路を邪魔することに心血を注いでいた男が、普通の大学生のように笑うなんて――と考えて、では自分はどうなんだと頬に手を当てる。頬は緩みきっていた。
……なるほど。ここは不干渉でいこうか、悪友よ。
それから悪友と出会うことはなく、私たちは平和的に水族館を後にした。
こんなに可愛いカノジョの横を歩ける光栄を胸に、アパート近くの通りを歩く。
時折触れ合う肩。その度にカノジョの白い手を握ろうとして、誤魔化すようにポケットに手を入れる。
そんな私の葛藤を知ってか知らずか、カノジョは私を見上げて微笑んだりする。黒い目に醜い私を映して、満足そうに頷いたりする。
……私は、変われるのだろうか。
薔薇色のキャンパスライフを取り戻すなんておこがましいことは言わない。
これから、私は正々堂々とカノジョの横を歩いていいのだろうか。
そんなもどかしい帰路を過ごして、ついにアパートに到着してしまう。私を先頭に、こんこんと音を立ててアパートの錆びた階段を上る。
これからも同棲生活は続くのだろう。続いてほしい。
だから、ゆっくり変わっていけばいい。想いを伝えて、無事に卒業し、押しも押されぬ大企業に就職を決めて、ベンツに乗りながら今までの生活を黒歴史だと笑えるようになればいい。
階段を上り終える。
――その時、私たちを押し戻すように、一陣の風が吹いた。
直後、ゴンゴンゴンと、硬いものがぶつかるような、酷く暴力的な音を聞いた。
私の背筋に悪寒が走った。
私はゆっくりと振り返り、上ってきた階段を見下ろす。
階段の最下段――。
愛するカノジョが、頭を下にして倒れていた。
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