第二号 カノジョのイシキ
その後の一週間がどれほど長く感じられたかを、読者の方々に説明するのはなかなかに難しい。
強いて例えるのなら。
――期末テスト回収の時間。
――バイト終業間際の五分間。
――レジ前で現金を取り出すおばさんの手つき。
まさに一日千秋の気持ちだった。
カノジョのカラダが届いてからというもの、それは緩慢な日々でありながら、同時が世界が華やいだ日々でもあった。
名前を呼んだ時から、カノジョが目を醒ますことはなかった。
私はこの機にカノジョを迎え入れる準備を整えた。
まず布団類をクリーニングに出し、繊維に染み込んだ男の涙やら汗やらの刺激物を濯ぎ、新たに彼女の寝床にした。私はコートを着込んで眠ることにした。発生した腰の痛みも、カノジョを思えば耐えられた。
それからカノジョの丈や胴回りなどを(やましい気持ちなど一切ない清い心をもって)測り、インターネットで女性ものの服を買い込んだ。
カノジョのスリーサイズは無論私とカノジョだけの秘密であるが、中学生の頃、ノートに落書きした理想の彼女のスリーサイズと同じだと思い出した鳥肌が立った。
しかし同時に、製作者に例のノートの情報が流出している可能性を思い、その日の晩はロクに眠れなかった。政府機関と繋がっているのなら、それくらいのことはやってのけるだろう。
そういえばあのノートはどこへやったのだろう。あそこには理想のスリーサイズ以外にも、
だとしたら……私は死に方について具体的に考えなければならない。
ともかく。
そんなこんなで時はやってきた。
先週のテストの出来の悪さについて教授に必死に弁明し、単位獲得への蜘蛛の糸を垂らしていただいた日の夜。
モノが増え一層散らかった私の部屋に、見知らぬダンボール箱がひとつ置かれていた。『週刊製作カノジョ』の第二号に違いない。私は小躍りをして、エサを前にした猿のようにダンボールに飛び掛かった。
中身はノートパソコン一台と、ケーブルが数本。そして『週刊製作カノジョ』の第二号であった。
「よしよし、この私が完成させてみせるからな!」
私は無表情を崩さない愛しのカノジョに声を掛け、雑誌を読み込む。
今週のパーツは『充電バッテリー一式』と『意識』らしい。説明によれば、意識をパソコンからカノジョにインストールすることで、なんとカノジョに意識が芽生えるらしい。完全なものではないらしいが、それも週ごとにアップデートが入るのだろう。
“ワクワク”と鳴る心音を耳にしながら、もふもふパジャマ姿のカノジョの上半身を起こし座椅子に座らせる。それから少しズボンを下ろして、腰にあるコネクタとコンセントとをケーブルでつなぐ。
なんだかマッドサイエンティストにでもなった気分だ。
そして同時にパソコンを操作して、指示の通りにインストールの手順を踏む。
小一時間ほど経って、もろもろの作業が完了したころ、ふと視線を感じてパソコンから顔を上げる。
カノジョの、長いまつ毛に囲われた黒くて大きな瞳が、私を見ていた。
表情はなく、言葉もないが、しかしカノジョはそこにいて、確かにこの私を見つめている。
ドキリ、と心臓がいたみ、切なくなる。
居てもたってもいられず私はカノジョの前で正座をして、頭を下げた。
「ど、どどどうも。私は――え、あぁ……きっと、きっとビ――ビッグになる人間だ。だからどうか、待っていたまえ。あなたを完成させた暁には――いや、まだ早いか……」
幼稚園児でもまだマシなことを言えそうな、我ながらどうかと思う挨拶だった。
カノジョに反応はない。まだ聴覚や知性が備わっていなくて助かった。危うく恋が破れるところであった。
しかし、体の自由が利かずとも、意識が芽生え目を開けているということは、少なからず自分の状況を把握しているということだ。
改めて、自分の外見と部屋の状況を確認する。
……どちらも惨状といって差し支えないだろう。
窓に映るのは、まるで落ち武者のような無駄に長い頭髪に、覇気のない顔つきをしたもやしのような男。
そんな男の目に映るのは、ゴミ屋敷とはいかずとも、パズルゲームが出来てしまいそうなほどモノが取っ散らかった六畳間。
……これは問題だ。
こんな風体で、麗しき乙女に振り向いてもらいたいとは傲慢にもほどがあろう。
私は反省した。
かくて私は部屋の掃除を始めることにした。
――それは同時に、過去の自分と向き合うことでもあった。
同じペットボトルを三つ並べても消滅しない現実の過酷さを嘆きながら、せっせとゴミやら生活不用品を袋に放りなげていく。
失くしたと思い百均で買い直した大量の付箋、勢いで買った絵画やら作曲の入門書、百均で買った不要な便利グッズ、百均で買った大量のボールペン――。
……百均ショップとは悪なのではないか?
――自分の自制心の無さを他人に転嫁する愚かな男がここにいた。
実家から持ってきた荷物置きとなっている学習机を掃除していると、古びたノートを見つけた。
『ブラッディ・クレセント・ノート』
哀しき
このまま灰にして大自然の糧としてやろうかと思ったが、怖いもの見たさでページを開く。
そこには、漢字とカタカナの入り混じった、奇々怪々なる世界が広がっていた。
暗黒審査会から追放されたとある男は、その魔術の才を買われることなく公立の中学校に進学し、別に背負う必要もない前世の因縁を抱え、そんな因縁とは一切関係のない異性関係に苦悩していたらしい。
わざわざ画数の多い漢字ばかり使い、戦時中を思わせる大仰な語り口とは裏腹に、気になっていた女の子に白い目で見られたとか女々しいことばかり書いている、青臭いことこの上ない代物だ。懐かしいとさえ認めたくない。
いい加減に掃除に戻らなくては。私はカノジョをちらりと伺う。
空間がくり抜かれたような、どこまでも真っ黒な瞳が僕の方を向いている。
彼女は、かつての私の筆致に身悶える私を見て何を思っているのだろうか。彼女の目にはまだ、意思の光が宿っていない。
流し読み程度にぱらぱらとページをめくっていると、はやくも最後のページにたどり着いた。
今までびっしりと黒色で埋め尽くされていたノートが、そのページだけやけに白くて目を引いた。
下手なイラストも解説文もフリガナもない、いち中学生の拙い文字が書かれた、質素なページ。
それは、未来の私に向けたメッセージであった。
「掃除中に見つけたノートを馬鹿にしながら読んでいるであろう俺へ。
夢は、叶えられただろうか。
夢に向けた努力はしているだろうか。
この三年間遊び続けた私だったが、それでも努力は続けてきた自負がある。来年からは高校生だ。男磨きを捨ててまで勉強して合格した高校だ。きっと実りのある高校生活だったろう。身長が急成長し、自他ともに認める高身長イケメンになった私は彼女もとっかえひっかえだったに違いない。そうだろう?
さて、大学はどこに決まったかな。偉大なる野望を叶える礎を築くのに相応しいところであろうか。
是非とも
カノジョはノートを閉じた私を見つめたまま。
その瞳の大きさも水晶体の濁りもまつ毛の長さも、私のものよりも上等であることに間違いはない。
ただ、一点。
黒目の暗さだけは、私の目とよく似ている。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます