第七号 カノジョのシンケイ
数週間に渡る部屋の大改装を終え、達成感とともに立ち上がって部屋を見渡す。
我ながら、どこかのモデルルームと見紛うほどの具合だ。自腹で畳を入れ替え、大和魂が落ち着くイグサの香りが部屋を満たしている。ピカピカの窓からは陽光が差し込み、カノジョの黒い髪を
カノジョの意識が届いてから四号に渡りソフトウェアのアップデートが行われた。そのなかにはプログラミングの技術を求められるものもあり、相当な苦労を要したが、結果は大成功。今のカノジョは基本的に目を開けており、気になるものがあればそちらを見たりと、明らかな意識が感じられるようになった。
そのせいで迂闊に着替えたり、品のない行動を取れなくなったが、カノジョのためを思えば我慢できた。
最近の口癖は「紳士たるもの〇〇でなくては」となっている私である。
紳士ですから、はい。
さて、今日は『週刊制作カノジョ』の第七号が届く日だ。というか既に届いている。
付属していたのはレジにあるバーコードリーダーのような機器がひとつ。説明書きには『カノジョのシンケイ』と書かれている。このバーコードリーダーをカノジョのカラダに当てると神経が励起し、なんと触覚などの五感を感じ取れるようになるらしい。
そして、体が動かせるようになるという。
私は期待に体を震わせた。
これで、カノジョとデートが出来るッ!
私が通学以外で外出をするときと言えば、悪友に悪戯を仕掛けるか、悪友と共に不順異性交遊に励む学生らに悪事を働くときくらいなものだった。
外出時の理由に“悪”の字が四つも入る人間なんて私と悪友くらいなものだ。
そも、そんな奴を人間と呼称することが間違いである。
そんな人間の片隅にも置けない私に、こんな素敵なカノジョと外出する機会が来るなんて夢のようだ。
行きたいところは色々あるが……優先すべきはカノジョの意思だろう。
その意思を知るためにも、私は操作を始めた。
……これが、意外にも困難極まる作業であった。
まずは冊子を読み込もうとしたのだが、説明には一般的な工学から機械工学、光学から芸術学まで幅広い学術分野の難解な要素が散りばめられており、実際の操作法やその背景にある理論を理解できない。
ネットで調べてもみても、広告を閉じるだけで十分ゲームになりそうなアフィリエイトサイトに引っかかるばかりで参考にならない。
これが大学の講義であれば落単を決め込んでいたであろう。
だが私はカノジョの製作という大事業に身を奉げると誓ったのだ。その燃料が性欲だろうがなんだろうが構わない。
私は、カノジョに想いを伝えなければならない。
幸運なことに、私は大学生であった。
恋人の作り方も友人との遊び方も教えてくれない、机の上でしか役に立たない教育機関だが、裏を返せば、学問を知ることに関しては一切苦労しない場所だった。
大学図書館や陰気くさい理工学部の研究室にお邪魔して、知識を貪ること丸五日。神経励起の操作方法とその理論――カノジョの構造の深淵が霧の向こうにうっすら見えるようになった。
犠牲として単位獲得のために蜘蛛の糸を垂らしてくれた教授の追試をすっぽかしてしまうことになったが、カノジョの前には些末なことだ。
それから実際の操作に移ったのだが、これまた一ミリ単位の微細な作業を要求されるような大変なものだった。エアコンの無い、吐息が白くなるような部屋では手が震え、まともに線すら引けない。
頭脳と体力と精神。その三つの要素を酷使する日々。テレビのリモコンを足の指で操作するような体たらくな大学生にはあまりに厳しいものであった。
しかし結果として、私は全ての工程を完了させることが出来た。
それはひとえに、“夢”のおかげであった。
可憐で目のぱっちりした女の子と一緒に、うららかな空の下を歩く。
それは確かに、中学生の私の夢で。
とうに私が諦めていた夢だった。
夢は握れず、投げることも食べることも出来ない、せいぜいおかずにすることくらいにしか出来ないものだと思っていたが、実は体力をぎりぎりで残すアイテムだったらしい。
私は人生における真理を一つ知った気がした。
私は期待と緊張の心持ちで、落とすように機器から手を放す。
数秒の静止――。
すると、カノジョの肩から垂れていた白い手がピクリと動いた。
カノジョは自身の挙動を確かめる。足を折り曲げ、裸足の親指をくねくねと動かしたり、手で自分の身体を撫でてみたり、淡い桃色の唇をきゅっと引き締めてみたり、滑らかな頬を緩ませて笑顔を作ってみたり、光の宿った大きな瞳で私を見上げてみたり――。
そこに“ある”だけだった彼女が、今、私の目の前に“いる”。
そんな些細な日本語表現の違いに、私は涙を流した。
全米が泣いたという映画を鑑賞し「米国はどれだけ軟弱なんだ」と嘲笑していたこの私が、畳に手をつき幼子のように泣きじゃくった。
しばらくの間そうしていると、不意に、頭頂部に懐かしい感触が伝わった。
カノジョの柔い手のひらが、カチカチに凝り固まった私の頭を撫でる。
――さわさわ。さわさわ。
それは至福の時間であった。
きっとその行為は、未だ
人の不幸しか喜べなかった私の腐った脳細胞が、カノジョの手のひらから発せられる甘い女の子成分で浄化されていくようだった。
私は顔を上げる。
目の前には、目尻の緩んだ微笑みを見せるカノジョ。
そんなカノジョの可憐さ素晴らしさを形容する言葉などない。
私の胸のなかにあったのは、一週間前から考えていたデートへの誘い文句だけだった。
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