『週刊製作カノジョ』創刊号

麺田 トマト

創刊号 カノジョのカラダ

 千九十五週もの歳月と、総額三千万という多額の金を費やして出来上がったのは、返品必至の不出来な大学生おとこだった。


 関節はきちんと曲がるし、音声認識機能も充実している。

 だがよく見てみると足は遅いし腰は重い。聞こえたように頷きはするが、返って来るのは「あぁ、うん」と生返事。

 生き物を二分して考えればたしかにホモサピエンス側ではあるが、木村拓哉とカエルとどっちに似ているかと問われれば八割方は「カエル」と答える、そんな有様である。


 かつては私も、製作会社販路産道を経由して発売されたときには「期待のニューフェイス」と銘打たれたパッケージに包装されていたし、その内容に間違いはなかったはずだ。各国の新商品赤子を管理する神様が赤字覚悟でセリに臨んだ一等品だったに違いない。


 しかし、今となってはどうだろう。


 大学三年生になっても進路は定まらない。世界情勢について熱く語り合う友はおらず、人生を共にする予定の乙女もいない。いるのはせいぜい、教授の禿げ散らし方に文句を垂れる悪友と、確率ガチャという万人に平等なジャッジでもって現れた、画面上のヒロインだけである。


 ちなみに、先週実家に帰ったら親に泣かれた。


 私に過失は無いのだ。無いということにしよう。

 もし誰かに責任があるとするならば、それはきっとパッケージに

「なお、内容物に多少の崩れまたは精神の弱さがみられる場合があります」

 と注意書きを怠った担当者にある。

 ……それは結局誰なのだろう――と。

 要らぬことを考えて、カビの生えた六畳間の天井を仰ぎ、布団に籠っていた冬の夜のこと。


 どしんとアパートの床が揺れて、布団が捲れた。しんと冷えた厳冬の空気が裸足に刺さり、淀んでいた意識が覚醒する。


 どうやら震源地は廊下らしい。隣人が荷物の搬入でもしているのだろうか。しかし現在深夜二時。明日は単位がかかった講義の試験がある。勉強時間を削ってまで確保した睡眠時間を奪われてはたまらない。


 布団の中で自らの半生を振り返りやり場のない怒りを抱いていた私は、その矛先を隣人に向け、文句の一つでも言ってやろうとむくりと立ち上がった。

 板チョコよりも薄い玄関扉を開ける。すると大きな影が私を覆った。

 驚いて後ずさる。

 親がついに国家権力に通報して、警察の兄ちゃんが景品表示法違反で私を逮捕しにきたのかと思ったが、それはくだらない妄想の後遺症だった。

 実際は男としては小柄な私よりも少し大きいくらいの、四角柱のダンボールが廊下に置かれていたのだった。おかげで廊下の先が見えない。人の気配はない。

 不審に思ってまず玄関口の明かりをつける。するとそのダンボールに送り状が張り付けてあるのに気づく。見てみると、宛名の欄に私の名前が書いてある。送り主は――。


「Dear ゴスティーニ……?」


 親愛なるゴスティーニさん、という意味にとれるが私は純日本人だ。そんな洒落た名前ではないし、その意味なら受取人たる私に「Dear」とつけるべきだ。いやそんな不要な知性をひけらかすタイミングではない。

 問題はそう、品名だ。


『週刊製作カノジョ創刊号』

 

 私は目を疑った。

 とてもではないが、人間が生み出していい文言ではない。

 なんというおぞましさ。漏れ出す童貞のなまぐさい臭気に酔った。

 一度後ろを向いて冷静に、この出来事について考えてみる。


 これはきっと悪友のイタズラだろう。

 あの男が適当に見繕った生活不用品をこのダンボールに詰め込んで、適当に目を惹くタイトルをつけ、廊下に放置したに違いない。

 奴は嫌がらせに関して右に出るものがいない天才バカだ。今頃は近くのコンビニでレモンサワーを片手にほくそ笑んでいるに違いない。


 そうと分かれば話は早い。このダンボールの中身を確認し次第その倍の量のゴミ――もとい、生活不用品を詰め込んで、高田馬場二丁目のアパートに送り返してやるのだ。

 私はがしりとダンボールを抱きかかえ、部屋に入れる。思ったよりも重量があり腰が悲鳴を上げる。四十キロ近くはあるのではなかろうか。


「よっこらせっと」


 ダンボールが布団の上に着地する。床に放ってあったハサミを手にし、女優の服を剥く俳優のような昂りに身を任せ、包装テープを裂いていく。

 うむ、異臭ナシ。生ものの恐れもないだろう。

 ダンボールの封が半開きになったのを確認して、腕力で残りのテープを剥がしながらダンボールを開く。


 ――開いて。

 私は悲鳴を上げた。


 千と九十五週前に上げた産声よりもうるさく鳴いた。

 確かに、私より大きなダンボールならば、そう、不可能はない。

 物理的に不可能はではないが、しかし……心理的抵抗はあるだろう!

 景品表示法違反よりも重大な犯罪のにおいに思わず携帯端末を手に取り、「119」の数字と、ダンボールの中身を交互に見やる。

 

 ――ダンボールの中には、女性のカラダが入っていた。

 すっぽんぽんだった。


 母親以外の女性の裸体をみたことなんてなかった私は体を凍らせて、目玉だけをきょろきょろと動かし周囲を伺い、そして磁石に引かれるように彼女を凝視した。


 長い黒髪をした、どこにでもいそうで、いざ探すと見当たらないくらいの愛らしい顔の女性。今は閉じている目が開けば、きっとアーモンド形のぱっちりおめめに違いない。

 そしてすかさず視線を落とし、男女の違いを認識し、視認し、確認した。主に、色はピンク色。

 その詳細について、青少年の教育に悪影響を及ぼしかねないので述べないが、猥褻な本やビデオで見るのと、眼球で舐めるのとでは――いや気持ち悪。やめだやめ。


「お、おーい」

「――――」


 気を取り直せているか分からないが、ともかく声をかけてみた。

 ……しかし、一向に返事がない。

 それ以前に息がない。そもそも生命の息吹を感じない。まるで――そう、街角においてある銅の裸婦像のような、さりとて意識せざるをえない生々しさをもって、女性のカラダが、散らかった男子学生の六畳間に、段ボールに入ったまま、仰向けになって目を閉じている。

 まともな人間が目にする光景ではない。断じて。

 一度ゆっくりと息を吸って吐いて、視野を広げてみる。すると彼女の白い腹の上に、美人モデルの表紙に赤文字で『週刊制作彼女』と銘打たれたA4版の本が一冊載っていることに気づいた。かなり目立つのに気が付かなかったのは、それだけ私が動揺していたということだろう。

 恐る恐る本を手に取る。不可抗力で触れてしまった彼女の腹は、トマトの外皮のように滑らかで、有機的だった。とても作り物には思えない。


「創刊号……? やかましいわ」


 表紙をめくると、見開きに前書きらしき文章が連なっていた。


「厳正なる抽選の結果、あなた様が選ばれましたこと、お祝い申し上げます。

 さて、本誌『週刊制作彼女』についてご説明いたします。

 本誌では、当社の技術力を結集して制作した人間の女性そっくりの『カノジョ』を彼女いない歴=年齢といううだつのあがらない、生物としての役割を放棄してしまったしょうもないお客様のご自身の手で組み立て、理想の彼女とバラ色の人生を獲得していただくことを目的とした商品でございます。

 なお、本誌は日本国政府のご協力のもと刊行しております。本誌及び『カノジョ』についての画像、動画等の情報を警察機関含む外部に漏洩した場合には、死刑に処され――」


「死刑⁉ シケイ……死刑⁉」


 悪口に近い現実を突きつけられても読み進めていた私も、突然の死刑宣告に目をかっ開いて声を上げた。

 やはりこれは悪い冗談だ。悪友の仕業に違いない。

 ではこの出来の良すぎる人形はなんだ。とても一個人が用意できる代物とは思えない。そも彼女は人形なのか。


 ……人間の死体では、ないのだろうか。


 私は震える指でページをめくっていく。

 端的に言えば、彼女は確かに人形であった。一安心。

 『週刊製作カノジョ』には彼女に関する説明と、完成に向けてのフローチャートが図で書かれていた。

 説明書き通りに、当然やましい思いなどみじんもなく、彼女のくびれのある腰に手を当て、カラダをくるりと回しうつ伏せにしてみると、尾てい骨の辺りに給電口らしき金属パーツが埋め込まれていた。これが唯一といっていい、彼女が人工物だという証拠だった。


 現代科学はここまで来たのか。

 まさかドラえもんではなくしずかちゃんを創り上げるとは……技術者は名のある変態に違いない。私はいずこかにおわす偉大なる先輩方に敬礼をひとつした。


 ――雑誌を読み込む。

 創刊号では本体たるボディが届けられ、その後一週間おきにパーツが送付され、それを私の手で組み立てるというコンセプトらしい。まさに『週刊製作』というわけである。


 一通り状況を把握して実感したのは、今まさに私は非日常の最中に立っているという高揚と、得体のしれない不安である。


 さんざバカなことをしてきた私だが、それは全て世間の常識を半歩過ぎるくらいの範疇で、ここまでぶっ飛んだ事件に首を突っ込んだことはない。

 触らぬ神に祟りなし。

 このまま彼女をダンボール箱に収納し、今まで通りの日常を過ごすのが賢い男の選択だ。獲得できる利益も分からぬまま、やたらめったらにリスクを負うべきではない。


 私は賢い。「賢いならば、分かるだろう?」と青ざめた顔の私の理性が言う。

 私は卑猥。「男ならば、分かるだろう?」と頬を染めた私の色欲が囁く。


 どれくらいの葛藤があっただろうか。

 不意に目を落とした雑誌の最後のページに、こんな案内が書かれてあった。


「創刊号ではカラダのみのお届けとなりますが、最小限の機能はあらかじめインストールいたしております。

 カノジョに向かって『お前の名前は』と呼んだあと、お客様のお好きな名前をカノジョの名前として登録できます。

 是非ともに名前をつけてくださいませ。」


 私は賢く、同時に欲求不満であるので、せめて名前だけ付けてやることにした。

 早春に咲く梅の花のような、可憐な彼女に合うような名前……。


「お前の名前は――」


 私が名を告げると、箱の中に寝ていた彼女の目がぱちりと開いて、窓の外の暗闇より黒い瞳で私を見た。

 その時私に――イナズマが落ちた。


 女性というふわふわで可愛らしいだけだった概念が、頭の中で具体的なカタチをもって組みあがっていく。

 そして気づいた時には、私の理想の乙女像はものの見事に、ダンボール箱の中のカノジョと同じ姿かたちをしていた。

 人間の定義なぞ哲学者に任せておけばよい。


私は、カノジョが完成したら告白する。

 そう決意した。


 次号予定

   『カノジョのイシキ』

 

 


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