変わる足あとの謎

烏川 ハル

変わる足あとの謎

   

 その日の朝、横川志穂は、いつもより早く目が覚めた。

 カーテン越しに感じられる朝の日差しが、特別に明るかったからだ。

 窓へ歩み寄りカーテンを開いてみると、大雪だった昨日とは対照的に、冬晴れの青空が広がっている。視線を下げれば一面の銀世界であり、太陽の光を反射して、眩しいくらいだった。

「うふ。犬は喜びなんとやら、じゃないけど……。こんな景色を目にしたら、人間でも、外を駆け回りたくなるわね!」


 手早く着替えて、散歩に出かける。

 まだ早朝なので、人通りは全くなかった。まだ誰も歩いていない雪の上を、サクサク踏みながら進んでいく。

「処女雪っていうんだっけ、こういうの?」

 志穂の独り言を神様が耳にして、いたずら心を起こしたわけではないだろうが……。

 ちょうどその時、彼女は交差点で、一筋の足あとに出くわすのだった。


 人によっては「先を越された!」と悔しがるのかもしれない。だが志穂は違った。

「ふーん。私みたいな人、他にもいるのね」

 仲間意識を感じた志穂は、むしろ嬉しい気持ちで、その足あとを追って歩き出す。

「これって、子供の靴かな?」

 自分の足あとと比べて、そんな想像をする志穂。

 大きさだけでなく、歩幅からも『子供』と推測できた。

 といっても、おとなしく歩いている感じの歩幅ではない。子供がパタパタと、小走りに駆けていくさまが目に浮かび、志穂は微笑ましく思った。

「うん。子供っていいよねー」

 足あとを目で追いながら、寒さで少しだけ紅潮する頬を緩めて、ニコニコ顔で歩き続けるのだが……。

 しばらくして、志穂の足は止まった。

「えっ……。何これ?」

 道の真ん中で、子供の足あとが消えていたのだ。

 いや、正確には、別の足あとに変わった、というべきだろうか。その場所から先は、靴を履いた子供ではなく、四つ足のけもののような足あとになっていた。


「どういうこと……?」

 志穂は考えてしまう。

「もしも逆ならば、想像しやすいんだけど……」

 例えば、犬の足あとが途中から子供の足あとに変わる、というのであれば。

 犬の背中に乗っていた子供、という光景を思い描けば良い。ここで子供は犬から降りて歩き出したから、突然、子供の足あとが出現した、という解釈だ。

 よく見ると、問題の足あとには、ここで立ち止まったような形跡もある。いったん犬が子供を降ろすために止まった、ということで、この解釈にも合致する状況証拠であり……。

「待て待て。その場合、どうして犬の足あとはこの場所で消えるの? 犬はどこ行っちゃうわけ?」

 志穂は、自分で自分の説を否定した。

 そもそも、これは「もしも逆ならば」という仮定に基づいた解釈だ。そんなものを考えても、あまり意味がなかった。

「現実には、ここからけものの足あとが始まっている……」

 動物の足あとが突然スタートするだけならば、それほど不思議ではない。屋根や木の枝など、高いところから猫がピョンと飛び降りるのは、よくあることだろう。

「でも、それも少し変だよね?」

 先ほどの「もしも逆ならば」という仮定で『犬』と考えたように、猫の足あとにしては少し大きい気がする。大型犬ではないものの、やはり『犬』だと思えるのだった。

「犬って、猫みたいなピョンをするかしら? というより、問題は、子供の足あとが消える方よね……」

 現れる方が高いところから、というのであれば、消える方も高いところへ、と考えれば良いのかもしれない。だが、この足あとの子供に、それほどの跳躍力があるとは想像できなかった。

 改めて、周りを見回してみる。一番近くの塀や街路樹まででも、かなりの距離があった。

「子供どころか、大人でも無理よね。特撮番組のヒーローだって、凄いジャンプのシーンは、逆回しで撮影してるのが多いはずだし……」

 腕組みをした志穂は、雪の積もった道の真ん中で立ち止まったまま、しばらく考え込んでしまうのだった。


――――――――――――


「ワン!」

「エミゾーちゃん、どこまで行ってきたの?」

 ようやく戻ってきた愛犬を、飼い主である女性が出迎える。

 愛犬に抱きつくと、わしゃわしゃと撫で回し始めた。

「童謡みたいに『庭駆け回り』くらいにしてくれたらいいのに、エミゾーちゃんったら、一人でお散歩に出かけちゃうんだから……」

 笑顔で軽い文句を口にする飼い主。

 だが視線を下に向けた途端、その表情は変わり、叫び声になった。

「あら! また、どこかで靴を脱ぎ捨てちゃったの? これで何足目かしら……」

「今から探しに行くかい? 散歩の跡を追えばいいのだろう? 今なら、まだ足あとが残っているかもしれない」

 夫が声をかけてきたので、彼女は振り返って、諦めの表情を見せた。

「どうせ無駄よ。この子、お行儀よく立ち止まって靴を脱ぐまでは良いんだけど、脱ぐ時にポーンと蹴り飛ばしちゃうから……。しかも、とんでもない距離まで……」

 夫は「犬に靴を履かせようとするのが無理なのでは?」とも思ったが、敢えて口には出さなかった。

 彼も理解していたのだ。今朝の靴は「少しでも足が寒くないように」という配慮なのだ、と。犬が散歩に行ってしまうことを、彼女は最初から想定していたのだった。




(「変わる足あとの謎」完)

   

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