赤と緑

明石龍之介

赤と緑

「私はきつね派だって言ってるじゃん!」

「俺は断然たぬきだ。譲らんぞそれは」


 年の暮れ。

 俺は部屋で一緒に過ごす彼女と少し口論になる。


「なんでよー、赤いきつねの方が絶対おいしいもん」

「わかってないなあ。緑のたぬきの天ぷらがいいんだろ」

「しゅうちゃん、赤坂のくせに赤いきつねを裏切るんだね」

「そういうお前はみどりのくせになんでたぬきを肯定しないんだよ」


 赤坂修二。それが俺の名前。

 隣にいるのは初音みどり。付き合って三年になる彼女だ。


 こんなくだらないことで口論になる辺り、多分俺たちは仲がいいんだと思う。

 あと三十分に迫った年越しの時にどっちを食べるかというくだらない話でこれだけわーわー言い合えるんだから幸せなもんだ。


「ていうか両方買えばよくないか? 安いんだし」

「じゃあこの際だからどっちが上か勝負しよっか。私が勝ったら美味しいご飯連れてって」

「赤いきつねをしこたま買ってやるよ。その代わり俺が勝ったらこっちのお願いを聞いてもらうからな」

「望むところよ。じゃあいこっか」


 一旦コタツから足を出して。

 年末の紅白歌合戦の行方を見届けることなく、暖かい恰好で部屋を出る。


「あー、寒い……耳が痛い」

「ほんとだねー。でも、今年ももう終わっちゃうんだ」

「ああ、そうだな。そういえば最初に俺たちがあった日も寒かったよな」


 三年前の今日。

 大学最後の大晦日だというのに一人寂しくコンビニに来た俺は、あまりの寒さにのせいで、買ったばかりの緑のたぬきをその場で食べようと。

 お湯を入れてイートインスペースに座った。


 なんともむなしい大晦日だ。

 こんなところでインスタント麺を啜りながら年越しなんて俺くらいのものだろうと、うんざりしながらその出来上がりを待っていたら。


 ずるずると。

 奥の方で麺を啜る音が聞こえた。


 少し小柄な女の子が、一人寂しく先に麺を啜っていたのだ。

 赤いきつねのラベルがペロンと、こっちを向いていた。


「赤いきつねはねえだろ」


 それは独り言だった。

 俺は油揚げがそんなに好きじゃないし、てんぷらが好物なので緑のたぬき一択で。

 そっち選ぶやついるんだって感じで。

 ていうかこんなとこで一人で飯食ってる女子いるんだって。


 そう思っていたら奥から。


「食べたことないでほ、こへ」


 まだ口にものを入れたまま、彼女が喋りかけてきた。


「あ、いや。別に悪いとかじゃないんだけど」

「あ、そ。でも、今私のことちょっとバカにしたでしょ」

「な、なんでだよ」

「笑ってた。大晦日にこんなとこで一人カップ麺すすってる女がいるって、笑ってた」


 絡まれてしまった。

 まあ、先に言葉を発したのは俺だ。

 素直に謝ろう。


「いや、ごめん。ていうか俺も人の事言えないし。お互い様だ」

「あ、そっか。ならお互い様だね」


 そう言ってにこっとする彼女に俺は、少し魅了されていた。

 なんてことない同い年くらいの彼女を見て、かわいいなって思って。


 まあ、その後は大したことなんてなく。

 ナンパみたいに「この後よかったら一緒に神社行くか?」と声をかけてみて。

 あっさり向こうが応じてくれて。

 

 その後何度か会うようになって。

 恋人になったってだけの話だ。


 でも、懐かしい思い出だ。


「あのコンビニ、潰れちゃったんだよね」

「まあ、元々あんまり人が入ってなかったからな」

「でも、しゅうちゃんとの思い出の場所だから寂しいな」

「出会いがコンビニってのも、変な話だけど」


 そんなことを思い出しながら、家の近所にできた別のコンビニに入る。

 もちろん目当ては赤いきつねと緑のたぬき。


 これだけはどこに行っても買える。

 いつでも手に入るものが思い出の味というのは、味気がないようでしかし安心感があるというか。


「へへー、私この大きいのにしよっと」

「俺もそうする。さあ、買ったら家に帰るぞ」


 レジ袋まで有料になった今、俺たちはそれをそのまま受け取って大切そうに抱えて帰路に就く。

 

「あー、寒かったー! お湯早く沸かして」

「はいはい。みどりは暖房とコタツ入れて」


 部屋に戻ると、ブルブル震えながら二人で準備に取り掛かる。

 あと数刻で今年も終わる。

 

「お湯、いれるぞ」

「あ、待って。私はお湯少な目だからね」

「知ってる。何年一緒にいると思ってんだ」

「えへへっ。しゅうちゃんはちょっと硬めが好きだよね」

「まあ、せっかちだから早めに食うだけだよ」


 お湯を注いで。

 ヤカンの底で張り付けるように蓋をして。

 二人でコタツに入ってから出来上がりを待つ。


「……あっ」

「どうした?」

「年越しちゃった。今年もよろしくお願いします」

「ああ、よろしく。さてと、食べようぜ」


 割り箸をパキっと。

 そのあと蓋を開けるとふわっと湯気が立ち込める。


 いい匂いだ。

 どちらのともわからないが、食欲をそそる匂いに思わずお腹が鳴る。


「あはは、しゅうちゃんよっぽど緑が好きなんだね」

「ああ、好きだよ。やっぱりみどりが、好きだな」

「ありゃ、なんか告白されたみたい。照れるなあ」

「はは、ほんとだな」

 

 とか。

 緑と赤の争いなんてすっかりどこかに忘れてきたように。

 二人でずるずると、麺を啜る。


「あー、おいしいね」

「うん、あったまる。なあ、一口くれよ」

「いいよ。私もちょうだい」


 互いに、手にもっていた赤と緑を交換し、一口。


「……うまいな、これ」

「でしょ。あ、てんぷら一口もらうね」

「お、おいそれは楽しみにとってるのに」

「いーじゃん。ん、おいひいこへ」

「……ま、いっか」


 結局なぜか。

 この日はそのまま俺は赤いきつねを、彼女は緑のたぬきを食べて。


 食べ終えると彼女が俺に寄ってくる。


「な、なんだよ」

「えへへ、しゅうちゃんから私の好きな匂いがするなって」

「そりゃそうだろ、さっきこれ食べたんだから」

「私からもする? しゅうちゃんの好きな匂い?」

「……ああ、そうだな」


 そっと。コタツの中で手を握って。

 六畳一間の狭い部屋の天井を見上げる。

 まだ熱い出汁の湯気が立ち込める。

 いい匂いがする。


「……なあ、黄色い博多ラーメンって知ってるか?」

「何々急に? もしかしてうわきー?」

「じゃなくてさ。赤と緑って、一緒になると黄色になるだろ」

「そうなの? あー、そうだっけ」

「いや、あんまり見かけないけど、売ってたら今度買おうかなって」

「へー、赤いきつねを食べて他のシリーズにも興味わいたんだ」

「……」

 

 まあ、回りくどいよなあ。

 ていうかダサいなあ。

 全然うまく言えてない。


「いや、その、一緒になったら、どうかなって」

「んー?」

「ほら、俺と一緒になったら赤とみどりで黄色、なんちゃって」

「……」


 ちょっと滑ってしまった。

 まあ、言いたいのはそういう冗談じゃなくてだな。

 

「ええと、つまり」

「うん、いいよ。しゅうちゃんと一緒に、なったげる」

「え?」

「でも知ってた? 黄色いシリーズって肉うどんもあるんだよ? あとカレーとかもあったかなあ」

「そ、そうなの?」

「あはは、詰め甘いなあしゅうちゃん。しゃれたこと言うつもりならもっと調べてからにしなよ」

「面目ない……」


 滑ったうえに披露したうんちくまで浅くて。

 俺は赤面した。赤いきつねを食べてのぼせただけでなく。


「……でも、やっぱり私はこの二つが好きかな」

「そうなのか? 俺、食べたことないのばっかだから知らないけど」

「そうじゃなくてー。ほら、私たち一緒になるんでしょ?」

「あ、ああ。まあお前がいいなら、もちろん」

「だったらね」


 そう言って彼女が俺の肩に頭を置く。


「赤坂みどりって、赤と緑が両方だなって。そうなったらどっちも捨てがたいかも」


 なんて言って笑う。

 除夜の鐘が、遠くから聞こえてくる。


 コタツの上には食べ終えた赤いきつねと緑のたぬき。


 並んで置かれたそれらを、二人並んで見つめながら。

 

「私たちみたいだね」


 そんなクサい言葉に、俺はクスっと笑う。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

赤と緑 明石龍之介 @daikibarbara1988

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ