きつねとたぬきのプルースト

お望月さん

きつねとたぬきのプルースト

 急な冷え込みに窓の外を見ると、すっかり日が落ちていた。キータイプの手を休め、カーテンを閉めるのと同時に書斎のドアがノックされた。


「どーぞ」


 開いたドアから漂うかつおだしの香り。


 瞬間、僕の脳裏にあの日の記憶がフラッシュバックした。


 あの冷え込んだ夜のことを。


 僕は標的の丸太小屋ログハウスを見下ろす小高い丘に隠れ潜んでいた。

 寝そべった姿勢のままで遠眼鏡を覗く、衣擦れを防ぐ皮装備と静穏性能の高い柿色の外套に身を包んだ小柄な男<Racoon>が僕のアバターだ。


 同業者ライバルの姿は見えない。遠眼鏡で観測した大黒柱の歪み具合から推察して、家屋倒壊まではあと数十分か数時間かかるだろう。僕は休憩を取ることにした。


 画面ディスプレイから目を逸らして、伸びをひとつ。僕は夜食の「緑のたぬき」を用意するためにゲーミングチェアから立ち上がった。


 当時の僕はとあるオンラインゲームに大学生活の大半を費やし、のめり込んでいた。カップ麺やインスタント食品を買い込み、常に臨戦態勢で過ごしていたものだった。


 その頃、僕はゲーム内の土地を買い、家を建てるための活動にプレイ時間のすべてを注ぎ込んでいた。しかし、この大オンラインゲーム時代、ゲーム内に空地はなく、転売業者が横行し地価は高騰する一方だった。


 どれだけ金を稼いでも焼け石に水。そんな中で、僕が一縷の望みを見出したのが「腐り待ち」というプレイスタイルだった。


「腐り待ち」プレイヤーとは、引退したプレイヤーの家屋に張り付き、所有権が失効して倒壊するのをハイエナの如く待ち受ける、オンラインゲーム界のスカベンジャーだ。


 スカベンジャーが収集するものは、土地や家屋の権利だけではない。ギルドハウスに保管されている資材や宝石、秘密の日記に、一騎当千の伝説の武具アーティファクト。その家に暮らしていたキャラクターの人生すべてが手に入ると言っても過言ではない、実入りの良い職業である。


 プレイヤーがゲームを引退してから、家屋の所有権が失われるまでは、地球時間で約三か月。僕は冒険者酒場の日報ジャーナルを注視しながら、引退者動向の監視を続けていた。


 今夜の物件は、小規模なギルドが根城にしていた丸太小屋ログハウスだ。 ギルドごと別ゲームに移住したらしく、無人になってちょうど三か月が経つ。


 この情報は誰にも漏らしていない。情報屋に高額で売りつけることもできたが、同業者が増えると建築チャンスを逃す。僕が欲しいものは土地そのものだったからだ。


 僕は湯沸かしポットの準備が完了したことを確認し、緑色のパッケージを開ける。

「緑のたぬき」と書かれたフタの内側にはサクサクしたテンプラと蕎麦が鎮座している。粉末スープと七味唐辛子を投入し、熱湯をカップに注ぐ。


 まず湯気が立ち、次にかつおだしの香りが昇って来る。この時点でうっとりとしてしまうが気を抜いてはならない。しっかりとフタを締めることが肝要だ。


 その後の3分間は祈りの時間だ。

 そばが美味しく茹であがることを祈り、テーブルを拭き清める。緑のたぬきを食卓の中心に置き、冷蔵庫で冷やした麦茶を透明なグラスに注いで、横に置く。箸は割りばしを使う。緑のたぬきは割りばしで食べるのが一番うまい。父からの薫陶だ。


 残り1分。僕は食卓に座る。


 残り0分。僕はフタを開く。かつおだしと混然一体となった蒸香気が顔面に吹きつけ眼鏡を曇らせる。僕は苦笑いしながらテーブル脇にフックで固定された箱ティッシュで湯気を拭きとり、両手に割りばしを挟み合掌する。


「いただきます」


 割りばしをカップに突きこむが、まだ蕎麦をたぐることはしない。軽く混ぜ、カップを手に取り、まずはをすするのだ。


「うまい……」


 僕はしみじみと唸った。こんなに美味いものが存在していてよいのか。僕はインスタント食品、とりわけカップ麺への敬意を忘れない。


 吐息が白くなる寒さの中ですする緑のたぬきは、僕を芯から温めてくれる。感謝しながら蕎麦をたぐり、少し崩したテンプラを前歯でかじる。テンプラが油味を補い、つゆのコクが増す。


 ウォーミングアップを終えた僕はここから加速する。たぐり、すすり、かじる。「旬を逃すな」。何かの漫画で覚えた名セリフが脳裏をよぎる。


 一気に緑のたぬきを完食して、麦茶を飲み干す。


「ごちそうさまでした」


 英気が養われた。

 僕はゲーム画面に眼を戻す。

 すると、そこには信じられない光景が広がっていた。見知らぬカップルが丸太小屋の前をうろうろしているのだ。


「ここ、もうすぐだぜ」

「本当だw」

「ライバルもいないようだし、ここを愛の巣にしようぜ」

「www」


 僕は、無意識に画面を睨みつけていた。思わぬライバルの出現、しかもバーチャルリア充である。握りしめた割りばしが悲鳴を上げる。


 僕は先制攻撃で彼らに話しかけることにした。先に見つけていたのは僕だぞ、という牽制である。

 

「こんばんは」

「今晩は」

「こんばんはw」


 黒い鎧の男は、GARHADO、緋色のドレスとポニーテールの女は、Lady Foxyと名乗った。


「今日は腐り待ちですか?」

「そうなんだよ、たまたま通りがかったら腐りかけててさ」

「ふううううん」


 僕は数か月間の苦労を表情に出さないように努める。


「ちょうど空地を探していたので渡りに船だぜって」

「www」

「へえええええ~~~」


 僕は内心を押し隠しながら二人に応対する。

 どうやら二人は友人関係にあり、GARAHADOのアプローチをLady Foxyがやんわりと受け流しているような、そういう関係のようだった。


「僕、ずっと見ていましたが、もうそろそろ腐り落ちそうですよ」


(一番楽しい期間じゃないか、バーチャルリア充爆発しろ)等とは一切思わず、笑顔で情報提供をする僕。これはあくまで穏やかに先着アピールをしてイニシアチブを握るための笑顔だ。笑顔とは本来攻撃的なものである。


「じゃあ、俺達の新居を立てるチャンスってことだ」


(ダメだコイツ、早く何とかしないと)僕は隠し持った毒ナイフを抜きそうになるが理性で押しとどめる。


「ところで、今日は寒いですね」


 話題転換に天気の話題を振る。天気の話題は万能である。古事記コデックスにも書いてある。


「そうですねwww」

「そういえば寒いぜ」

「まだ倒壊まで時間もあるし、腹ごしらえを済ませておいた方が良さそうですよ。僕は、さっき緑のたぬきを食べてきましたが……」


 これは戦術的飯テロである。底冷えする深夜、温かい夜食の誘惑に勝てる者はいない。


「緑のたぬきw」

「腹がすいてきたぜ」


 効果は抜群だ。


「僕が見張っているので、済ませてきちゃったらどうです?」


 ライバルを懐柔して現場からの排除を狙う。


「私、赤いきつねのストックがあるよw」

「いいな、俺、コンビニに行って来る」

「いってらwww」


 まずGARAHADOが離脱し、次に赤いきつねを支度するため にLady Foxyが消えた。


 30分後、Lady Foxyが戻ってきた。まだ家屋は倒壊していない。排除できたのは1名だけだった。しかし、建築争奪戦は数である。2対1の状況からイーブンに持ち込めただけでも儲けものだろう。


「赤いきつね、うまかったwww」

「おいしいよね、赤いきつね。僕はたぬき派だけど」

「だから、Racoonって名前なんだw」

「違うよ、Racoonはアライグマ!」

「www」


 GARAHADOが出かけてから60分が経過。彼が帰ってくる様子はない。


「もしかして、今日って月曜日?www」

「さっき日付が変わったね」

「もしかしたら、ジャンプの立ち読みかもwww」

「ああ~」

「あの人、OK! JUMP GUYから読むから長いんだよwww」

「あのコーナー読んでる人いたの?」

「いないよねー?www」

「読んだことないなアレ」


 僕とLady Foxyは、しばしジャンプの話題で盛り上がった。彼女の、語尾に「www」をつける口調が気に障ったが、明るい性格で機転の利くLadyに僕は惹かれていった。


 そして、GARAHADOが戻らぬまま、90分後に丸太小屋は倒壊した。僕らのほかに同業者はおらず、宙ぶらりんのままの空き地が残されている。


「これ、僕が建てちゃっていいのかな?」

「いいんじゃない?www」

「でも、愛の巣なんだろ?」

「聞いてたの???あんなの聞き流せばいいよwww」

「ああ、なんかそういう関係?」

「うん、あの人、そういうロールプレイだからwww」


 そして、僕は念願の自宅を建てた。


 ずいぶん経ってからGARAHADOが「おい、カイトがネフェルピトーに!」と叫びながらログインしてきたが、後の祭り。念願の新居は僕のものになっていた。だが、資材を山分けにしたことをきっかけにわだかまりは解け、三人で遊ぶ時間が増えた。僕らは良い旅の仲間だった。


 その後「家を持つ」という目標を達した僕は、意外なほどあっさりとそのオンラインゲームを引退した。新たな目標を見つけたからだ。


 思い出から我に返ると、緑のたぬきをトレイに乗せた妻が姿を現した。


「まだかかりそう?」

「もうちょい」


「分かってるの? 今夜は……」

「分かってるって。ガラさんは?」


「寝かしつけも終わって、スタンバイOKだって」

「よし、これ食ったら仕上げちまうか」


「イベント最終戦、みんなが待っているでござるよ、Racoonどのwww」

「その口調はヤメろって言ってるだろ!」

「ごめ~んwww」


 妻ことLady Foxyと所帯を持って数年。現実に家庭を持ったことで、新たな目標を達成した僕たちは、再びオンラインゲームの世界に帰ってきていた。


 結婚以来、大きなオンラインイベントの際は、緑のたぬきが勝負食になっている。(もちろん妻の勝負食は赤いきつねだ) すっかり落ち着いた様子の妻だが、ゲームの世界に入ると昔の血がたぎるのか、口調が怪しくなる。こればっかりは直してほしい。産まれてくる子供に悪影響を与えかねない。


 僕はデスクのラップトップを片付けて、テーブルを除菌シートで拭き清める。

 そして、僕は両手に割りばしを挟み合掌する。


「いただきます」



(おわり)


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きつねとたぬきのプルースト お望月さん @ubmzh

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