カウントダウン

サクラクロニクル

カウントダウン




 夜は潮騒の音ばかりが響いて、少女の声も聞こえなくなる。

 残り時間についての話は、いつ聞いても無駄なことだ。それでも彼女は、毎日寝る前に、あと何日生きられるのかを口にする。その時間は日めくりカレンダーのように、一枚ずつ減っていく。それはあるとき突然に、まるごと壁から床に落ちるケースもある。

 月の輝きで白く透き通る髪の毛を梳くのも私の仕事。櫛に引っかかり抜けていく筋を少女は見逃さず、その一本を窓辺でかざして、光が如何に拡散するかを観察している。

 仕事が終わり、私はセンターに戻ることを告げる。

「それでは、おやすみなさい」

 そんな私の背中に向けて、少女は定型句を投げかける。

 ――いつになったら、名前で呼んでくれる?

「その気になれば、ナンバー十二」

 何度も繰り返したやり取り。マンネリズムを体現するように、いつも同じ調子の声を出す。


 何人目かのナンバー十三が入居してくる。少年だ。少年はナンバー十二の部屋と同室となった。ほぼ同年代の少年と少女の組み合わせは不健全と思考する。しかし、先代のナンバー十三は成人していた。少女に性的な視線を向けていた。それと比べればずっといい。どれだけ月日が経っても、私の価値観はアップデートされることなくこの施設の中に閉じ込められている。

 ナンバー十三は鋼を思わせる真っすぐな髪を撫でながら、私にお辞儀をした。

 真っ白な服を着せて、対面は儀式的に行われた。

「どうも。僕はスチール。そちらの名前は?」

 ナンバー十三はなんの躊躇いもなく名乗る。

「ナンバー十二」と少女は答えた。

「言葉にするのを惜しむ意味はあるの?」

 少女は笑みを浮かべる。冬の月光のように。

「少なくとも、あなた程度の鉄屑に教えるようなことじゃない」

 少年は気分を悪くしたようだが、それでも「これからよろしく」と笑顔を作った。私は彼に大人を感じた。少なくとも、私よりずっとそれらしかった。


 ナンバー十三は私の代わりとしてよく喋った。

「キミはどうして、自分の余命を知ろうと思ったの?」

「教える理由がない」

「僕は自分の怠惰さを矯正する為に余命を宣告してもらった」

 少年はナンバー十二の姿をスケッチブックに描写する。鉛筆を使って。何本もの鉛筆を消費して少女の姿を描いていく。一日に一枚、目の前にいる少女のことを描くことを日課としている。鉛筆をナイフで削るところから始まるルーティンは、彼が言葉に反して勤勉であることを示しているように見えた。

「キミはどうして、ずっと髪の毛を伸ばしているんだい」

「髪は勝手に伸びるもの。時が進む方向が変わらないのと同じように自然なこと」

「キミには髪の毛を切る権利がある。そんな風に長く伸ばすことに理由があるのかと思った」

「そうね。切らない理由を当ててごらんなさい」

 少年は答えない。白い少女を黒鉛で象る。

 彼もまた同じように、鈍色の髪を伸ばし始める。

「あなたは何故、いつも同じようにあるのですか」

 ときに、彼の言葉の行く先は私だった。

「それが私の仕事なんですよ、ナンバー十三」

「スチール」

 彼もまた、殊更に名前を呼ばせようとする。私はそれに困ったような表情を作る。

「無理なんですよ、ナンバー十三。そんな重たいことは、私にはできません」

「ほうら。そいつはずっと、そうなのよ」

 少女の言葉に、少年は粘りを見せる。

「重たくなどない。スチールという名前は鉄を意味する。けど、僕の人生はとても短い。空缶だと思って気楽に呼んでくれればいい」

「では、その気になれば」

 私の言葉は、インプットされたテンプレートのように気迫がない。

「永遠に来ないのでしょう」

 ナンバー十三の言葉に、少年は肩をすくめる。鉛筆を紙の上で滑らせて、それが現象であるかのように絵を完成させていく。

 スケッチブックが積まれていき、どのページをめくっても少女が描かれている。私はそれを知っている。少なくとも、それ以外の何かを描こうとしない少年のことを知っている。夜の窓辺で少女の髪を梳く。その行為が私の特権であることもまた同じように。


 ナンバー十三の余命は、ナンバー十二よりも短かった。検査をすれば、現時点における残り時間をより詳細に知ることもできる。ただし検査をするには、砂時計からいくつかの粒を奪う必要がある。だから、一度聞いてしまえば、再度の余命宣告を受けようなどという者はいない。基本的には。

 少年は自分のナンバーと同じ数のスケッチブックを埋めたのち、再検査を申請した。自分の残り時間をいま一度確かめたいのだという。縮んでいること以外、何もわかることはないというのに。それでも希望を拒否する権利はないし、聞かなかったことにするというような人情も持ち合わせていない。

 結果として、ナンバー十三は残り三十日で死ぬことがわかった。綺麗な値だった。だが実際に三十日を過ごせるかどうかは彼次第だ。

「最後の一作を作ろうと思う。キャンバスと筆、そして顔料をお願いしたい」

「はい。願うものを与えます」

 施設の規則に従って少年に物を渡す。

 少年はひたすらに絵を描き続ける。

「死ぬまでの暇つぶしには、あなたの必死さはいい余興かもね」

 ナンバー十二はそう言って、最後の絵画の完成を手伝った。少年の要求をなにひとつとして拒むことはなかった。たとえ一糸纏わぬ姿を求めたとしても。神聖な絵描きの時間に私は介入しない。少女の身体データの更新をしようとは考えない。時間と共に成長を続けるその身体のことを詳細に知りたいと思う心はない。

 少年のカレンダーは、留め具が外れてリノリウムを叩いた。絵画は未完となる。ナンバー十二の名前を画題に据えることはできないままに。

「髪の毛を切ってあげて」

 少女は、遺言書を預かっていた。

「わたしの名前を知ることなく逝ったなら、そうしろと書いてあるの」

 内容を確認する。虚偽でないことが知れる。私は少年の髪の毛を当世風に切り揃える。その死体は水葬とされる。すべてが死者の意志に沿って滞りなく進行する。鉄の棺の中に、無題の絵画が納められる。自分の名と少女の幻に包まれて、少年の躯は海の底へと沈んでいく。いくつものナンバー十三と同じように。

 少女は泣くこともなく、次の同室者を待つ。


「ねえ」と、彼女は言う。「この最後のスケッチブックを、一ページずつちぎっていくわ」

 少年の遺物は彼女が継承した。どのように取り扱うかは所有者が決めればいい。

「ちょうどいいのよ。枚数が」

 ひい、ふう、みい、彼女は数える。既に数えたであろうスケッチブックの、綴じられた紙の枚数を唱える。私の記憶の中にある残り時間と一致する。それが事実であるかどうかはわからない。それはただの数字の一致でしかなく、砂の流れる音は聞こえない。

 毎日一枚ずつ引き裂かれてはゴミ箱に捨てられていく少女の絵。それは一日に一度ずつ回収されて処理場に送られる。他の可燃物と同じように扱われていく。そうすることがルールであるから、私はそれを疑問に思うことはしない。


 夜は潮騒の音ばかりが響いて、少女の声も聞こえなくなる。

 ――もう残りは三枚。あいつはね、おそらくゲームをしていたんだと思うわ。本当の本気だったら、こんな手慰みに無駄な時間を使ったりしないと思うから。

 音は耳というセンサーが捉えて、知覚を通じて認識となる。だから彼女の言っていることが本当にその音の通りだったか、私には確定できない。

 ――あと三日。わたしは必ずその時間のうちに死ぬし、あるいはこの眠りが最後かもしれない。だから賭けをしてみる。この眠りから目覚めて、明日が晴れだったら。そうしたらわたしは権利を行使する。そうするだけの時間を使ってきた。確かめたいことを確かめるために。

 私は頷く。拒否権はない。

「お気に召すまま」

 知っている限り、もっとも気の利いた言葉を使う。少女は不満げに向こうを向く。

 窓辺に立って空を見上げる。よく晴れている。月はまるい。そんな当たり前のことでさえ、私には意味がわからない。


 翌日は雨。昨日の晴天が嘘のようで、彼女は笑った。今迄で一番大きな声で。

「これが私の人生の意味だったのよ!」

 その叫び声と一緒に流れていく体液の名前を私は消去する。


 遺言書には何も書かれていない。長すぎる髪を切り整えてから葬ろうと同僚が提案する。私はそれを却下する。私はナンバー十二の遺体を土葬とすることにした。美麗と評判の棺を用意し、死化粧を施して、彼女の髪の白金にもっとも似合う黒い服を纏わせる。土葬は場所を取る。不合理な選択。しかし空白の中に書かれている内容を私は理解している。

 彼女は権利を行使しなかった。私に名前を呼ばせる。ただそれだけのことをやらせなかった。だから私は彼女の髪の毛を切らない。死んだその時のまま、無垢の墓石を目印とする。

 よく晴れている。蒼穹と呼ぼう。陽光が強く私の体表を焼く。

 彼女の最初の言葉を思い出す。私はそれを口にする。

「わたしは恋をしに来たの」

 だから私は祈りを捧げる。人間はそうするというから、その一日を祈りに使う。

 残り時間は零となり、それきり二度と動かない。

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