致死率0%

春夏あき

致死率0%

そのウイルスは350年前に外国の医師によって発見された。

人から人へ空気感染するが、目に見える変化や体調を崩すような症状は無い。その医師がウイルスを見つけたのも全くの偶然だった。

当時のWHO主導による調査の結果、それは地球温暖化によって溶けだした永久凍土に封印されていたものだと判明した。太古の地球に飛来した隕石内部に潜んでいたらしい。それが恐竜の絶滅と同時に宿主を失い、6600万年もの間冷凍保存されていたのだ。


しかしそのウイルスが見つかったからといって人類の生活に変化は無かった。

何せウイルスに由来する症状が全くないのだ。痛みやかゆみのような分かりやすい症状から、免疫系の変化や細胞の突然変異のような主観では分からないような変化まで、ウイルスからもたらされる不利益は全く無かった。

その点においては感染している人としていない人はなんら変わりが無い。感染していようがしていまいが関係ないのだ。

事実当時の調査では、そのウイルスはどうやら初めて医師に発見される300年は前から存在していたことが示されたのだ。そんなにも長い間気付かれることなく人々に感染し続けていた事実からも、ウイルスの無力さがうかがい知れる。

やがて人類はそのウイルスの存在を忘れ始めた。自分たちの存在を脅かすものではないと悟った以上、それに時間をかけるのは無駄だと考えたのだ。

…だが、それは間違いだった。


ウイルスには潜伏期間がある。例えば古来ヨーロッパで猛威を振るったペストは1~7日で、かつて世界を襲ったコロナは5日だ。そしてそのウイルスの場合、それは400年だった。

それは小さな変化だった。世界中で子供の出生率が低下し始めた。

始めはただの少子高齢化だと思われた。だが何十年たっても子供と老人のバランスは崩れ続け、子供の割合が5%を切ったときに異変が発覚した。

子どもが作れないのだ。人類は高い知能を持っているとは言え所詮は動物なので、セックスをすることで子孫を残す。だがある時期を境目に、卵子の受精率が大幅に減っているのだ。それはちょうど、あのウイルスが現出してから400年ほどの出来事であった。

人類は悟った。このウイルスは、我々に害をなす存在なのだと。だがすべてが遅すぎた。あと100年早ければどうにかなったかもしれない。今やそのウイルスは、人類の手に負えないスピードで広がっていた。

人類にできることは、ただ種としての死を待つことのみであった。


受精の率は減る一方で、ついにはほとんど0になってしまった。残された人類による種の保存の作戦として計画的な人工子宮の使用が立案されたが、それが人口であろうと受精のしやすさは変わらなかった。

やがて受精率が0になり、地球に最後の子供ラストチャイルドが産まれた。別名「最期の世代」とも言われたそれは、地球にもっとも遅く産まれた子供たちのことだ。これより後に新たな命が誕生することがないためそう名付けられた。

人口は減り続けた。全盛期には157億人もいたはずが、あれよあれよという間に100億、50億、10億、1億と変わっていった。

インフラや社会基盤は総人口が3万人を切ってから崩壊した。生き残った人類で集まろうにも、飛行機や小型ジェットを操縦することすらままならなかった。半永久的にメンテナンスのいらない人工衛星を利用した、世界ラジオによるやり取りのみが残った。しかしそれすらも一人、また一人と寿命で使用人数が減っていく。やがて最後の一人になった時、私はラジオの電源を切った。


発電所が機能していないために真っ暗な部屋の中で、私は月明かりに照らされて椅子に深く腰掛けていた。外には人口の明かりは一つも無く、半ジャングル化した都市に住み着いている野生動物の鳴き声のみが響いている。

私はもう長くない。150年生きてきた私の直感がそう告げていた。

不思議と怖くはなかった。むしろ、やっと皆の元へ行けるという安堵の方が強かった。

このウイルスは神の洪水だったのだ。ウイルスによってかつての覇者であった恐竜は絶滅し、人類が栄えた。そして今、かつての覇者であった人類が絶滅しようとしている。また何百万年か後には、新たな生命が地球を支配するのだろう。


夜風がさわりと吹く。男の服がさらさらと揺れる。

男は椅子に深く腰掛けたまま身じろぎ一つしない。


月が輝いている。

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致死率0% 春夏あき @Motoshiha

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