#43 変わらないもの

「巧人、写真撮ろうぜ!」


 校門前に掲げられた『第六十八回卒業式』という看板を前に、秋は巧人と肩を組んだ。二人とも卒業証書の入った筒を片手に持っていて、卒業したことを改めて実感する。


「……どうやって撮るつもりだ」

「あっそっか、これじゃカメラ持てねーな。へへっ」

「はぁ。さっきまで舞台に立って、俺たちを代表して立派な答辞を読んでた奴とは思えないな」


 巧人がため息をつき顔を上げると、一人でうろついていた楓と目が合った。


「あ、茜川。悪いが写真撮ってもらってもいいか?」

「ん、いーよー。スマホ、僕のでいーかな?」

「おー、サンキュー!」

「じゃあいくよー。一+一はー? ……って、柞木分かるー?」


 ピントを合わせ画面に集中していた楓は、視線を現実に向け首をこてっと傾げにやりと笑った。


「そんくらい分かる!」「二」


 カシャ。むすっと拗ねた顔と口角だけ上げた無表情がカメラロールに保存される。カメラアプリを閉じその写真を確認している楓が一番良い笑顔だった。


「ごめんごめん、これは二人には向いてなかった。もっかい撮るからちゃーんと笑ってねー。はい、チーズ」


 カシャ。目を閉じ白い歯を見せて笑う顔と慣れない様子の困り眉で笑う顔。全く異なる二つの笑顔を収め楓は満足げに「おっけー」と指で丸を作った。


「ありがとう」

「いえいえー」

「そういや茜センパイ、今日はスカートなんだな」


 楓は秋のネクタイやブレザーと同じように、卒業の日に似つかわしくない真新しいスカートを穿いている。巧人も秋も楓のスカート姿を見るのはプライベートも含めこの日が初めてだった。


「最後の日だからね。もうキミのこと嫌いじゃないよ、受け入れられるよって。慣れないしすーすーして変な感じだけど」

「へぇ、良いじゃん! ま、オレはパンツスタイルの方が好きだけどっ」

「せっかく僕が出した勇気をそんな簡単に踏みにじらないでよー……なーんてね。これはただ視野が広がって選択肢が増えた成果ってだけだからいーよ、柞木がそっちの方が好きなのなんてとっくに知ってるしー。僕がスカート穿いてがっかりした?」

「そんなわけねーじゃん! 茜センパイが決めたことを茜センパイ以外が否定すんのとかおかしいだろ」


 舞台から降りたあともさらっと名言らしきことを口にする秋はまるで少年漫画の主人公だ。気兼ねなく話せるようになった今でも楓には眩しすぎた。


「そんなカッコいいこと言われたら、ますますスカート穿きにくくなるなー」

「ん、なんで?」

「分かんないならいーよ。それにしても、僕のスマホなのにこの三年間で二人の写真でいっぱいになったなー」


 カメラロールを眺めていると自然と口元を綻ばせ感傷に浸る楓の姿がそこにはあった。巧人や秋に出逢うまではほとんどカメラを起動することすらなかったのに、気付けば何百枚もの写真で溢れている。自分たちだけの思い出のアルバムがそこに完成していた。


「撮るだけじゃなくて茜センパイも一緒に撮ろーぜ! ほらほらこっち来て!」


 秋に手招きされ、楓は内カメラに入るように身体を寄せる。画面に映る自分の顔色が悪くないことに気付きはっとした。鏡を見る習慣がなく久しく見ていなかったので一瞬誰なのか分からなくなり、カメラを見ずに視線が合うことのない自分の顔ばかり見続けてしまう。


(僕、こんな明るい顔できるんだ……)


 巧人と秋の間に入り、控え目にピースをする。表情は巧人に負けず劣らずぎこちない。


「はいっ、オッケー! 他の奴らとも結構撮ったけど、やっぱこの三人で撮らねーとな! にしても二人とも笑うの下手なんは変わんねーな」


 撮った写真を見て秋はケラケラと笑った。さかのぼり初めて三人で撮った一年生の勉強合宿のときの写真と見比べる。構図もそのまま服装や髪型に変化がある以外は何も変わっていない。


「そんなの簡単に治せるものでもないだろ」

「でも、下手なりに今の方が二人とも良い顔してる」

「……そーかもねー。僕も槙野も感情を表に出すの苦手な方だと思うけど、この三年間でちょっとは笑い方分かってきたと思うしー」

「これからももっと二人の笑ってるとこ見られると思ったら楽しみになってきて、卒業式なのに全然寂しくないんだよな。絶対泣くと思ってたのに一滴も涙出ねーし」

「まさか、全員同じ大学に行くことになるとはな」


 三人は揃って華やかに飾り付けられた校門を見てその奥にたたずむ思い出を紡いできた校舎を眺めた。


「大学の入学式もこんな感じで三人揃って行くんだろうな」

「そーだねー。柞木もよく盟大受かったよねー、しかも医学部って」

「へへっ、二人がサポートしてくれたおかげだよ。あと、巧人の父ちゃんに会えたのはデカかったな。背中押してもらえたし、話ができて良かった」

「父さんも秋には期待してるみたいだった。熱意が伝わったんだろうな」


 大学で顔を合わせたあと家へ帰ってからも父親から秋への興味が薄れることはなく、質問攻めに遭ったその夜は巧人も驚く程に会話が弾んだ。それは未来の教え子としてというよりは息子にできた初めての友達としてという意味の方が強かったが、この場では伏せておいた。


「あ、それで推薦とかしてくれた感じなんかな? いくら勉強してたからってそんなすんなり受かるとも思えねーし」

「そこは自分の実力だって認めなよー」


 秋の背中を叩き楓は笑いかける。軽くいた前髪は表情を隠さず、秋の瞳にはっきりと映った。


「そんな自惚うぬぼれてねーけど、巧人と茜センパイのサポートが無駄だったとは思いたくねーしそーゆーことにする! オレが自信なくしてちゃ前立って代表してた意味なくなるもんな」

「そーだよ。僕たちの代表にはこれからも胸張っててほしーなー」

「おうよ!」


 正午過ぎの太陽に負けないくらいに眩しい笑顔を秋が輝かせていると、誠弥が私服姿で校舎から出てきて巧人たちの元へ近付いてきた。


「あ、せーやじゃん。どーしたのー?」

「タクたちが門のあたりにいるって聞いたから来たんだ。もしかして、邪魔だったかな?」

「そんなことねーよ、オレらもちょうど写真撮り終わったとこだし。あっ、そうだ。巧人、センセーと写真撮ってやるよ!」

「えっ。いや、今日でもう会えなくなるわけでもないし別に撮らなくてもいいだろ……」

「何言ってんだよ、それならオレらもなんで撮ったんだってなんだろ」

「…………」


 もじもじしだす巧人に誠弥は「俺と写真撮るの、いや?」と声をかける。肩を跳ねさせ巧人は「そんなことない」と首を慌てて横に何度も振った。


「いやなわけ、ないだろ……」


 頬を紅く染め顔を逸らす巧人を三人はにやにやしながら「可愛い」と異口同音いくどうおんにからかった。


「う、うるさい……」

「はいはい、ばっちり撮ってやるから並んで並んで」


 秋に促されると誠弥は巧人の横に並び立った。巧人はそっと誠弥の腕を掴み身体を寄せる。そして秋の合図に合わせカメラ目線で照れながら小さくピースした。


「うん、俺たちで撮ったときと顔が全然違う。でも巧人、センセー絡むといつまで経っても素直じゃねーよな。告白もしてオレらみんな巧人の気持ち知ってるし、あんだけいちゃいちゃしてたんだから恥ずかしがることねーのに」

「いっ、いちゃいちゃなんてしてない……!」

「いやいやー、毎日毎日保健室でいちゃいちゃしてたじゃん。見せつけられてた僕たちの身にもなってよー」

「えぇ、俺たち普通にしてただけなのに。ねえ、タク」


 巧人は誠弥の顔を見上げうんうんと頷く。平然としている誠弥と必死な巧人、そんな対比に秋と楓は揃ってため息をつき苦笑した。


「逆に今まで全然タクの気持ちに応えられてなくて申し訳ないくらいなのに」

「そんな。兄さんはもう十分すぎるくらい俺のこと考えてくれてるし、ちゃんと伝わってるよ」

「そうだと嬉しいけど、俺の気が済まないんだ。だから、高校卒業祝い兼大学の入学祝いに提案があるんだけど……聞いてくれる?」

「?」


 春一番が門を吹き抜ける。肌寒さと温もりは冬の終わりと春の訪れを同時に告げた。

 改まった様子で向き合う誠弥に巧人は息を呑み、秋と楓も何が告げられるのかとそわそわしている。


「俺と一緒に暮らさない?」

「は? え?」


 兄さんは何を言っているんだ。巧人の頭の理解は全く追い付かない。傍観する秋と楓も同じように頭の上に『?』を浮かべ首を傾げている。


「タク、家からじゃ体力的に盟大まで毎日通うのは厳しいでしょ? だから、大学生になったらいずれ実家出ることになるかなと思ってね。実はもう大学の近くに部屋借りててタクのお父さんから許可も得てるんだけど、どう?」

「どうって、え……? そこまで準備して父さんの許可も得てるって……え? なんで?」


 誠弥の話している内容自体は入ってくるのにいつまでも理解だけが及ばない。知らない間に自分だけを置き去りにして進んでいたとんでもない話を、巧人は簡単には受け入れられそうになかった。


「もちろんお父さんにタクの気持ちは話してないよ。それにいやならそう言ってくれていいんだよ、俺が勝手に引っ越すだけだから。俺だと家事の手伝いもろくにしてあげられないだろうし……」

「そ、そんなこと気にしてない……。だが、兄さんとずっと一緒にいたらどうなるか……その、いろいろ我慢できなくなる……」

「その我慢をしてほしくないからこその提案なんだけど」


 誠弥は赤面する巧人の目をもう一度見て「どうかな?」と問いかける。サプライズをまだ受け止めきれないでいる巧人はぽかんと口を開けたまま言葉を発せない。

 校門を潜り抜け校舎から旅立っていく卒業生たちはこの後打ち上げにでも行くのか、わいわいとはしゃぎながら巧人たちの傍を通り過ぎていく。その場の静けさが誤魔化されているのをいいことに、巧人は返事を焦らした。


「なるほどなるほど、それがせーやの出した答えなんだねー。やーっと覚悟決めたか―って感じ。いちゃいちゃしてたとは言ったけど、実際はせーやの態度にあまりにも変化なくて槙野が可哀想って思うことも多かったしー」

「つーことはこれ、実質プロポーズみてーなことなんだよな? 巧人、何黙ってんだよっ。大好きな人からプロポーズされてんだぞ」

「そんなんじゃないだろ……」

「タクがそう思ってくれるならそれでもいいよ」

「な……っ」


 誠弥からは爽やかに微笑みかけられ秋と楓には迫られ、巧人は目の遣り場に困り果てる。唯一の救いの無機質なアスファルトをじっと見下ろし、手の甲で口元を押さえながら大きく息を吸った。まだ冷たいはずの空気は鼻の奥をつんと刺さなかった。


「…………。よ、よろしくお願いします……」


 耳まで真っ赤にさせ巧人は左手を誠弥に差し出す。すると誠弥はその手を掴みひょいと身体ごと引き寄せぎゅっと抱き締めた。体感温度だけならとうに春を迎えていた。


「こちらこそ。改めてこれからもよろしくね」

「槙野おめでとー、せーやもねー」

「二人ともおめでとっ! オレ、めちゃくちゃ嬉しい! 自分のことみたいに嬉しくて……っ涙出てきた……っ」


 秋と楓は抱き合う二人に大きな拍手を送った。かと思えば、先程は涙の一滴も出ないと言っていた秋がぼろぼろと大粒の涙を零しカーディガンの袖を濡らしている。


「なんで秋が泣くんだ」

「だってぇ……っ。ずっとずっと大好きだった人と結ばれるとか、感動すんじゃん……ぐすっ」

「柞木はやっぱ良い奴だねー。てっきり槙野が正式に人のものになって悲しーのかと思った」

「んなことねーよ、いつの話だよっ……とっくにけじめ付いてる……!」


 泣きじゃくり目を腫らしたまま頬を膨らませ不服そうな顔をする秋を楓は少年のように無邪気に笑った。それにまた秋が怒り楓は笑うというのを繰り返すうちに涙は引っ込んでいった。


「んなことより! センパイ、いつになったらオレのこと名前で呼んでくれんの?」

「そーいう柞木だって僕のこといつまでもセンパイ呼びじゃん」

「それはだってセンパイなのは変わんねーし」

「人生のかなんなのか分かんないけど、寧ろ僕の方が柞木からいっぱいいろんなこと教えてもらったと思うよ。んで、秋って呼べば満足するの?」

「……! センパイはオレを喜ばせる天才なん⁉ 突然髪短い方でいてくれるようになったときもそうだったけど!」


 秋は目を輝かせて楓の両手を握ってぶんぶんと振った。唐突なスキンシップに楓は肩を跳ねさせ顔を逸らす。頬を冷ましてくれるような風は吹いてこない。

 楓の髪型は造り物のツインテールから打って変わり、二年以上本物のショートヘアだ。


「髪は別にゆ……秋を喜ばせる為ウィッグ辞めたんじゃないよ、どんな髪型でも僕は僕らしくいられると思ったからこうしただけ。君がショートヘアの僕を好きって言ってくれたからとかじゃ……その、ないからっ!」


 楓は手を振り放し過剰な身振り手振りをしながら早口にまくし立てた。珍しく顔を紅くさせ必死そうだ。


「こんな茜川初めて見た」

「俺も。良かったね、可愛い女の子になれたじゃん」

「? センパイは初めから可愛い女の子だろ?」

「もう、みんなうるさい!」


 きまりが悪くなった楓は秋の腕を引いて校舎の裏へ連行し消えていった。「また連絡するから春休みのうちに会おうな〜!」と秋は引っ張られながら巧人に手を振った。


「あの二人、いつの間にか仲良くなってたよね。ちょっと意外だったな」

「そうか? 秋なら誰とでもすぐに仲良くなるからそれほど不思議でもなかったが」

「茜川の方だよ。ああいうタイプほど苦手だったから、みんな一緒がいいみたいなね。それなのにあんなに心開いてしかも前向きにもなって……。もしかして、秋とはそういう関係なのかな?」

「さあな、俺は何も聞いてない。もしそうなら、秋だったら話してくれてもいいと思うんだが」


 それは親友だからということはもちろん、柞木秋という人間だからこその期待だった。嘘が付けないだけでなく事実を黙っておくこともできない、真っ直ぐで誰もを惹き付ける性格の持ち主から隠し事という言葉は最も遠い所にあったのだ。


「なんでもかんでも恋愛に結び付けるのも良くないよね、決め付けるのも良くない。だから、タクにはどんな些細なことでも言ってほしいんだ。勝手な憶測で間違いたくないし察しの悪さで傷付けたくないから」

「ああ。だが、俺ももう一人で抱え込まないし逃げ出したりしない。俺の気持ちを受け取ってくれた兄さんに秘密なんて絶対に作らない」


 チャイムが鳴り響く。教師陣は名残惜しい気持ちに同情しながらも、校舎に残る卒業生たちに下校を促した。いよいよ高校生活最後の瞬間が訪れる。秋と楓は戻ってくる気配がない。巧人がスマホを確認すると『二人で帰ってて!』というメッセージが秋から届いていた。誠弥にも見せると「そっか」と何かを納得して微笑んだ。


「兄さん、その……今から部屋、連れて行ってくれるか? 俺たちがこれから一緒に過ごす場所を一刻も早く見てみたいんだ」


 二人きりでいられると分かったところで、巧人は早速思っていることを口にした。


「もちろん! そのつもりだったよ」


 声色を高くし快諾した誠弥は巧人に右手を差し出す。そっと上から重ねられた巧人の左手の指を絡め取り強く握り締めたところで「行こうか」と腕を引いた。

 巧人も同じように指を絡め指の腹で誠弥の手の甲を捉える。お互いの脈が伝わり一定のリズムが混ざり合っていく。心地の良い鼓動の繰り返しに心が躍り、身体が僅かに揺れた。

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