#42 習得したこと託すもの

 ――三年後


「暖かい日の光が降り注ぎ桜のつぼみも膨らみ始めた春の訪れを感じる今日、僕たち光陽台高校第六十八期生は卒業の日を迎えました」


 入学から三年が経っても慣れないネクタイをきっちりと締めブレザーに着られ、秋は舞台の真ん中に立っていた。見下ろした体育館に整列する生徒たちも見慣れない統一感に、去る日にして新鮮味を感じている。

 よくあるテンプレートをコピーアンドペーストしたような出だしは秋らしくなかった。ぎごちない棒読みで本人だけでなく聞く側もくすぐったい。


「答辞としてこの場で僕の親友の話をさせて下さい」


 秋は真っ直ぐに体育館の奥の来賓らいひん席を見据えたかと思えば、斜め下へ視線を遣り巧人の姿を捜した。巧人は一人真剣な眼差しで舞台を見ていたのですぐに見つけられた。


(相変わらず真面目だな)


 他には気付かれないように巧人に笑みを向けると秋は再び原稿に目を遣った。


「知り合いのいない状態で始まった僕の高校生活ですが、それ程不安はありませんでした。特別なことをしなくても今まで通りでいれば自然と友達はできる、張り切って気合いを入れるまでもなく実際にそうでした。でも、誰もがそうではない。僕の当たり前が通用しない人にこの学校に入学して出逢いました。その人こそ、僕の親友です」


 名指しこそされていない上に原稿は一緒に考えたので内容も既に把握済みだったが、巧人は照れくさくなり舞台へ向いていた顔を正面に戻した。紺色の背中がずらりと前方へ向かって並んでいる。


「彼はいつも窓際の自分の席に座って一人で本を読んでいました。誰にも話しかけようとせず、反対に誰かから話しかけられても素っ気ない返答しかしていませんでした。だから、僕から話しかけることもできませんでした。そんなことは人生で初めてで戸惑いました。それでも勇気を出してある日声をかけました、そうしたら同じクラスなのに不思議そうな顔をされました」


 巧人も秋も入学して間もない頃を思い返す。教室ではなく通学路、挨拶でも雑談でもなく救護する人とされる人。そんな初絡みだった。お互いに意図していない不意のコミュニケーションは上手くいくはずなく、噛み合わないで感じたあの時の居心地の悪さを思い出し揃って苦笑してしまう。


「友達じゃないのにどうして関わってくるのか、彼はそんなことを考えていたみたいです。友達だから関わって友達じゃないなら関わらない、そんな理屈で誰とも取り合わないつもりだったんです。頭固いなと思いました」


 体育館の入口近くで立ち見聞きをしていた誠弥は思わず吹き出してしまう。堅苦しさのない内容のおかげでおごそかな空気は幾らかマイルドになっていたものの、近くにいた生徒や来賓の保護者数人は思わずそちらを向いた。誠弥は後ろ髪を掻き各方面に頭を下げた。


「彼はとても頭が良くて入学してからずっと僕たちの誰よりも成績が良かったはずなのに、友達を作ることに関しては零点だと思いました。百点が当たり前の彼は人生でそんな答案用紙見たことないでしょう。ちなみに、真っ直ぐ勢い良く引かれた赤ペンの線がたくさん並んでいると、まるで流星群みたいに見えるんです。綺麗だなーって唖然あぜんとし過ぎるあまり清々しい気分になることも知らないのでしょう」


 名前を伏せている意味がないではないか、そんなことより一体何の話をしているんだ。お行儀良く並んで座っている一体感を壊してまで立ち上がりそうツッコミたくなる気持ちを巧人はなんとか抑える。恥ずかしげもなく堂々と語る秋はさもそれが武勇伝かのように感じさせながらも場を笑いで包み、飽きさせることなく更に注意を引いた。


「何度も紙の上の流星群を眺めたことも僕にとって高校生活の大切な思い出の一つですが、話を親友に戻します。僕は半ば強引に彼と友達になりました。彼以外のクラスメイトとはそのとき既に友達になっていたので俗に言うコンプ欲のようなものもありましたし、後に無鉄砲に『好きだ』と言ってしまうくらい目が離せなかったこともあり、とにかくどうしても友達になりたかったんです。というより、どこからが友達でどこまでは友達ではなかったのかというような線引きがあるとは僕は思っていません。難しいことはあまり考えられないので、目に見えないものに定義を付けたり肩書きを据えたりすると頭が痛くなってくるんです。だから、僕は彼に難しく考えずにただ楽しめばいいと教えました。まさか頭の悪い僕が誰かに何かを教える日が来るなんて思ってもみませんでした。その代わりではないですが、僕は彼に数式や英文をたくさん教えてもらいました。もうそれはそれは本当にお世話になりました」


 秋は原稿をちらちらと確認はしても基本は正面を向いて笑顔で述べ続けている。頭で考え予め用意したことなく、まさに今思い浮かんだことを言葉にしているのだと聞く者全てに感じさせる心の籠ったスピーチだ。


「彼のおかげで今僕はここに立てていると言っても過言ではありません。僕たちはお互いに高校生活において大切なものを教え合い欠けていたものを補い合い三年間を過ごしました。勉強だけでも遊びだけでも高校生活は充実しなかったでしょう。両立してこそ充実するんです。どれだけ成績が良くても教室に来る楽しみがなければ寂しくて悲しい、どれだけ笑っていても一緒に進級して卒業できなかったらここにいる意味がないんです。彼と友達にならなければこんなかけがえのない高校生活は送れなかった。だから、僕たちはただの友達ではなく唯一無二の親友なんです。彼も僕と同じように思っていてくれていたら嬉しいです」


 秋の思いの籠った言葉が体育館中に響き渡る度に巧人は頷いた。

 体育祭、どうせテントの下で見学しているだけ。そう決め込みなんの期待もしていなかったのに、一丸となって応援していると熱くなってきて心が高鳴る感覚がした。

 三年生で初めてクラス対抗リレーに出場した。最後の思い出に走りたいと、巧人自身が希望し父親や誠弥にも懇願こんがんしたのだ。たった百メートルを出せるだけの力を出して走りきり、次の走者にバトンを渡した直後に倒れ込む程へとへとになった。その後介抱されたままで脳に酸素が行き届いてなかったせいか記憶も曖昧だが、達成感だけはたしかに身体に刻み込まれていた。

 文化祭、一年次は演劇。演技すら初めてだったのに、秋を初めとしたクラスメイトたちの強い要望で主役のお姫様役をすることになった。二年次は模擬店で執事&メイド喫茶。こちらもやはりメイド役に選出された。二年連続女装をし、毎年しっかりとその姿を誠弥の目に焼き付けられ、スマホ端末にも保存された。恥ずかしさでいっぱいであったが、周りの笑顔と非日常感に包まれ気付けば楽しさの方が勝っていた。

 三年生になり女装から解放され、誠弥と二人きりで出店を回った。人目を気にして手すら繋げなかったが、お化け屋敷の暗闇に紛れてくっついていられた僅かな時間が何よりも幸せだった。クラスの出し物にお化け屋敷を提案した秋に絶大なる感謝を述べたことは言うまでもない。

 ずっと憧れていた遠足や修学旅行も友達がいて初めて楽しいと思える行事だった。オリエンテーリングで街中を彷徨さまよったり見知らぬ土地でトラブルに巻き込まれたことも今となっては良い思い出で、いつまでもそのときのことを掘り返して話をしている。

 どれもこれも一人でいては体験できなかったことばかりだった。秋が巧人に声をかけたのが全ての始まり、秋は巧人の世界につややかな光を与えきらきらと輝かせた。そんな彼が今、舞台の真ん中で代表して堂々と答辞を述べている。巧人は誇らしくて仕方がなかった。


「在校生の皆さんに伝えたいことは、友達は宝物だということです。端的に言えばもうそれだけです。友達がいることはとても幸せなことで、当たり前なんかじゃない。それはきっとみんな分かってるんじゃないでしょうか。もし、クラスに一人でいる人を見つけたら、見て見ぬふりをしないであったかい声をかけてみて下さい。もし、誰かと関わることが苦手でいやだと感じていても、一度で良いのでかけられた声をちゃんと受け取ってみて下さい。それだけで人生が変わります、本当です、僕が保証します!」


 秋以外が言えば胡散臭くてとても信じられるようなものではない言葉を、語気を強めて言い切る。体育館中の照明の光を全て集めたように輝く澄んだ瞳は、何もかもを受け入れ反対に誰からも受け入れられる力も併せ持っていた。


「当たり前じゃなくても誰でもほんの少しの勇気さえあればできることです。その勇気は今この場で僕から皆さんに授けます、きっかけという形で。勇気はきっかけさえあれば勝手に湧いてくるものなんです。もし、勇気を振り絞って何か問題が起こったら全部僕のせいにしてくれて構わないです、大学へ進学してもこの辺りからしばらく離れる予定はないので、道端で捕まえて思いの限りに責めてください。だから、一歩踏み出すことを恐れなくても大丈夫です」


 自分には何のメリットにもならないことを秋は平気でやってのける。テンプレートやコピーアンドペーストではない、関わりもなく顔すら知らない下級生を思った本当の秋の言葉は下級生に限らず誰にでも刺さった。それに心を動かされた人間は一体どれだけいるのだろう、巧人は周りを見回す。気付けば誰もが舞台の方を向いて耳を傾けているのが分かった。本来他者の聴覚の意識はどこを向いているのか分からないはずだが、マイクを通る秋の声と反響以外は隣の席の息遣いさえ聞こえてこない空間と微動だにせずいくつもの視線が一点に集まっている様子に、全員が真剣に聞いているのだと確信が持てた。


「今日で僕たちは高校生活に終わりを告げそれぞれの道へと進んでいきますが、この先もずっと一緒にいられると自信を持って言える親友に出逢えた僕は幸せ者です。跡を継いでいく在校生の皆さんにもそんな存在ができることを願い答辞を締めたいと思います。第六十八期卒業生代表、柞木秋」


 原稿をブレザーの内ポケットにしまい一歩下がって礼をすると、秋は晴れやかな笑顔を見せた。一瞬の静寂の後、拍手の音が重なり合い体育館中に響き外まで漏れていた。

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