お供物のカップ麺を食べたのは誰?

鳥羽フシミ

お供物のカップ麺を食べたのは誰? 

 この季節になると、俺はあの日の赤いきつねと緑のたぬきを今でも思い出す。それはカップ麺が母の手料理よりも素晴らしい物に思えたあの少年の日々。



 近畿地方の夏の終わりには地蔵盆と言う風習があるのをご存知だろうか。町内にあるお地蔵さんを囲んで子供の無病息災を願うのだが、それが子供達にとっては夏休み最後の大イベントなのである。


 町内のお地蔵さんのそばにはテントが建てられ、時には道路までをも通行止めにして、町内の子供達が大集合する。その日は朝から子供達にお供え物のお菓子が配られ、おもちゃが貰える福引から夜の花火大会まで一日中楽しい事ずくめ。それはもう子供達にとっては、とってもとっても楽しいイベントなのだ。


 まさに子供にとってはいたれりつくせりの行事なのであるが、やはりそこは伝統的な行事である。いつもは羊羹ようかん一つすら供えられていなかったとしても、この時ばかりはどこの町内のお地蔵さんにもその前にたくさんのお供物が並べられる。もちろん俺が子供の頃を過ごした町内のお地蔵さんにもたくさんのお供物が供えられていたのだが、そのなかでもお地蔵さんの正面の特等席になぜか毎年のように赤いきつねと緑のたぬきがいくつも重ねてお供えされていたのを俺はよく覚えている。


 カップ麺は当時でもさほど高価なものではなかったが、小学生の子供がそうそう食べられる様なものでは無かった。それはもうカップ麺を食べることが小学校で自慢になるぐらいにである。おそらくそこには親の教育などがあったのかも知れずインスタント自体に今ほど理解が無かった時代だったのだろうと今は思う。だからこそ俺たち兄弟にはそれが憧れだったのだ。


 俺と弟は、そのお供物の赤いきつねと緑のたぬきを朝から羨望の眼差しで見つめていた。なぜなら地蔵盆の御供えは後でお下がりとして子供に配られるのを知っているからである。


「ねぇお兄ちゃん。きつねとたぬきまだあったよ。」


 4つ歳の離れた弟はお地蔵さんの前を通る度に、何度も俺にそう報告してきた。小学校高学年の俺は弟の露骨な報告に気恥ずかしさを覚えながらも、きたるカップ麺の味に胸をときめかせていた。


 大抵の場合、地蔵盆は2日間に渡って執り行われる。俺たち兄弟は初日に配られた大量のお菓子でお腹をいっぱいにして、夜の花火大会では近所の子供達と共に大いに盛り上がった。

 時刻も8時を回ると子供達はそろそろ家に帰る時間である。俺たち兄弟は楽しさを忘れられずダラダラと9時近くまでお地蔵さんの前で粘っては見るものの、遊び疲れた俺たちはやはり眠気には勝てない。結局その日も我慢しきれず他の子供達と共に眠い目を擦りながら家に戻ってコトンと寝てしまった。


 次の日の朝早く、隣で寝ていたはずの弟が俺の身体を揺すった。クリスマスでも遠足でも楽しいイベントがある日の子供と言うのは異常に早く起きるものだ。まだ朝日も登らず辺りが白みかけているような時間。その時刻は5時前だったろうか。


 パジャマ姿の弟が俺を起こすなり小さな声で言った。


「ねぇお兄ちゃん。きつねとたぬきがいつのまにかなくなってる。」


 弟は朝早くからお地蔵さんのお供えを確認しに行ったらしい。


 今年もだった。俺は去年も一日目の晩にきつねとたぬきが無くなったことを思い出した。


「なぁお母さん。お地蔵さんの横にあったカップ麺どこいったん?」


 さも残念そうに聞いてくる弟に、台所で朝食を作っている母親も苦虫を噛み潰したような顔で「お地蔵さんが食べはったんちゃうかなぁ。」とあくまでも白を切っていた。


 その日も子供達には朝からたくさんのお菓子が配られ、スイカ割りが終わればメインイベントのおもちゃの福引大会が待っていた。俺たち兄弟はお互いの戦利品を見せ合いながらいつの間にか赤いきつねと緑のたぬきのことなど忘れてしまっていた。


 結局、俺たち兄弟が赤いきつねと緑のたぬきの味を知ったのはそれから5年以上も経ってからだった。

 あれから20年。子供を持つ親になってわかったことがある。あの時のきつねとたぬきはやっぱり大人達が食べていたに違いない。

 地蔵盆初日、子供達が家に帰ると今度は町内の大人達がお地蔵さんの前に集まってのんびりと酒盛りを始める。お供え物にビールや日本酒があった事など当時子供だった俺は全く気にもとめなかったが、そういえばそんなものが置いてあった様な気がする。


 父が亡くなり一人寂しく暮らしている母の為に今年の地蔵盆は弟も子供を連れて京都に帰って来ていた。俺たち兄弟は子供達を母に預けたあと、近所のコンビニで赤いきつねと緑のたぬきを買ってお地蔵さんの前に向かった。


「なぁ兄貴。俺、来年の地蔵盆には赤いきつねをいっぱい買ってお供えするよ。」


「俺も今それを考えてたところだ。しかしお前は本当にきつね派だな。じゃあ俺は緑のたぬきでもお供えするか。」


「でも兄貴だってきつね派だったろ。」


「そこは兄貴だからバランス考えるんだよ。あれは赤と緑があるからお御供えとしてはながあるんじゃないか。」


 ――そういえば親父もきつね派だった。もしかしてあの赤と緑、親父が御供えしてたんじゃないか。


 俺の頭には、ふとそんな考えが浮かんだ。


 孫たちを寝かしつけた母親が俺たち二人の所にお湯を持ってやってくる。そういえば俺たちはお湯のことを全く考えていなかった。

 しかし、いつまでたってもやっぱり母親である。いくつになっても俺たち兄弟のことを良く知っている。


「あら、あんたら、それ買ってきたの?懐かしいねぇ。そういえばお父さんも毎年これをつまみにお酒を飲んでたわよ。やっぱり親子ね。」


 母がお湯を注ぐ時に言った何気ない言葉に、俺たち兄弟は顔を見合わせた。やっぱりあの時の犯人は親父だったのだ。


 そういえばこうやって兄弟で酒を飲むのも久しぶりだ。もし、この場所に親父がいたら3人でいったいどんな話しをしたのだろうか。あれから二十年。俺たち兄弟もやっとこのカップ麺をつまみにして飲むビールの美味さが分かったような気がした。




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