たぬきつね

阿達 麻夜

たぬきつね



「たぬきつね! たぬきつね!」


 幼い頃、小学校が休みの時のお昼ごはんに、パートで忙しかった母が作ってくれたカップ麺。


 昼休憩の僅かな間に家へ戻って、私に作れる温かいごはんなんてカップ麺位なもので、母は少し申し訳なさそうにしていたけれど、私はこの時食べるカップ麺が好きだった。


 私のお気に入りだったのが緑のたぬき。


 別にそばが好きだった訳じゃなくて、その時母が一緒に作る赤いきつねに入っているお揚げを、私の緑のたぬきに入れてくれるのが好きだったんだと思う。


「たぬきつね」と嬉しがる私を見ながら、母はお揚げの入っていない赤いきつねをちゃちゃっと食べて、私の世話とパートに戻る準備を忙しなくする。


 高学年になると、母が面倒を見なくても勝手に作って食べれるようになったから、本当に短い間の思い出だけれど、あの時の「たぬきつね」の美味しさは心に残っている。




 私が高校生になると、カップ麺は小腹が空いた時に食べたり、大学受験の勉強するときの夜食だったり、手軽な食べ物になった。


 成長しても好きなカップ麺は緑のたぬきと赤いきつねで、学校帰りに寄ったコンビニにはスーパーで見たことのない大盛りの奴があって「お揚げが2枚入ってる!」なんて衝撃を受けたりした事もあった。


 受験勉強真っ只中の時、友達に夜食でカップ麺を食べるという話をすると「夜食にカップ麺なんて太るぞ」なんて言われたけれど、夜食に食べるからこその美味しいさがあったと思う。


 でもちょっとその事を気にしてたのか、その時好んで食べていたのは天ぷらが入っている緑のたぬきじゃなくて、赤いきつねだった。




 大学に受かり、親の元を離れて一人暮らしをするようになると、カップ麺は最早救いの食べ物だった。


 一人暮らしを始めた最初の頃は、炊事洗濯家事勉強全部しっかりやるぞと気合を入れていたものの、家のことなんて今までやってこなかったのだからそんな簡単に出来るはずがない。


 洗濯機を回して外に干して、日が沈む前に取り込んで畳むなんてのは、洗濯機を回したらコインランドリーに乾燥しに行って、そのカゴのまま放置に変わり、食事のバランスを考えた自炊は、コンビニ弁当に変わった。


 時々母が送ってくれる仕送りに入っていた野菜を干からびさせたのは内緒。


 一緒に送ってくれたレトルト食品やカップ麺は、本当に助かった。


 外に出る気力も、家事をする元気も出ない時には、電子レンジで温めるだけで食べられるレトルト食品やお湯を注ぐだけで食べられるカップ麺を食べた。




 大学を卒業して社会人になると、大学時代以上に時間に追われた。


 満員の通勤電車に揺られ、慣れない仕事に苦労し、夜遅くまで残業をして家に帰る。


 新人の時は家の事なんて二の次で、家に帰れたらすぐにでも倒れて寝てしまいたかった。


 同僚の子はお昼に可愛いお弁当を持って来て食べていたけれど、私はそんなものを作って持って来る気力も無く、毎朝コンビニで買ってくるサンドイッチやおにぎりをもそもそと食べるだけ。


 夕飯だってコンビニ買って来たお弁当が殆どだったし、疲れ果てた時はそれすらも買わないで眠り、お腹が空いて目が覚めればお湯を沸かしてカップ麺を啜った。


 その時の食事は、ただお腹に物を入れるだけの作業で、味がどうのとか考える余裕はなかった。












「何見てるの?」


 両手にカップ麺を持った彼が、それをテーブルに置いて私の手元を覗いてくる。


「アルバム。こういうのって見始めると止まらなくなっちゃうよね」


「分かる。それで掃除が止まって全然進まないの。今みたいに」


「うるさい」


 痛いところを突かれた私は、見ていたアルバムをパタンと音を立てて閉じ、ダンボールへと仕舞う。


 そのダンボールを引きずって移動させ、ご飯を食べるスペースを作った。


 彼がテーブルに置いてくれたカップ麺は、緑のたぬきと紺のきつね。


 上に乗っかってる具は天ぷらとお揚げで違うけれど、麺は蕎麦。


「引っ越し蕎麦って、引っ越ししてから食べるんじゃないの?」


「そうだね。今は引っ越しした後に食べる物ってのが定着してるけど、元々は引っ越しして蕎麦を配るってのが始まりだったんだ。年越し蕎麦の理由みたいに、引っ越して来た場所に住んでいる隣人に『細く長くお付き合いしてください』なんて理由で配ったり色々説があるんだけど、俺は『おそばに越して来ました』っていう洒落説が好きかな。あ、年越し蕎麦って言えばこっちも色んな説があって──」


「はいはいごめんごめん伸びる伸びる」


 スイッチが入った彼をこのままにしておくとずっと喋ってると思う。


 どこに今みたいなスイッチがあるか分からない不思議な彼だけれど、私の知らない事を沢山知っているから、話を聴いているだけでも勉強になる。


 色んな事を知っているというのは色んな事に興味があって、色んな見方が出来る人で、視野というか世界が広い人で、小さな気遣いも出来る、そんな大きな心を持つ彼が、私には魅力的に見えた。


「俺はこっちね」


「別に良いけど。緑のたぬき好きだし」


 話を途中で止めた事を特に気にしてなさそうに紺のきつねを選んだ彼と一緒に「いただきます」と声を合わせて、蕎麦を食べ始める。


 黄金色のスープを一口飲んでみると、昔を思い出していたからか、何だかいつもより美味しく感じた。


「なんかいつもより美味しい?」


「そう感じる? 実はその緑のたぬき、西版の緑のたぬきなんだ。きっと西日本出身だから合うのかもね」


 小さなドッキリが成功したような笑顔の彼が「ネットで買ってみたんだよね」と満足そうに自分のスープを一口啜る。


 そういえばいつだったか、西と東で麺類のスープの味と色が違うなんて事を話した記憶がある。


 こんな小さな事を覚えていて、小さなサプライズをしてくれる彼が好きだ。


「あ」


 何かを思いついた彼が立ち上がり、まだ仕舞っていなかった小さなお皿を持って戻って来た。


 そのお皿に自分の蕎麦からスープと半分にしたお揚げを入れて、私の方に置く。


「どうせだったら味を比べてみたら? 多分紺のきつねは東版だと思うから。それともまた違う味付けなのかな?」


 何の気なしに向けてくれるその優しさにふと、母の事を思い出した。


 私は彼がよそってくれたスープを一口飲んで、半分のお揚げをそのまま食べずに私の緑のたぬきへと入れた。


「えー、そんな事したら味が混ざっちゃうよ?」


「良いの。こっちの方が絶対美味しい」


 彼はよく分かって無いようだったけれど、あの幼い頃の思い出は話してないのだから当然だ。


 赤と緑の丸い天ぷらを隠すように乗った茶色いお揚げを眺めて、無意識に声を出した。


「たぬきつね」



 これから新しい幸せな生活が待っている。



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