木曜日のきつねちゃん
傘木咲華
木曜日のきつねちゃん
月曜日は母の作ってくれたお弁当。
火曜日は購買のパン。
水曜日は学食。
木曜日はカップ麺。
金曜日は自分で作ったお弁当。
これが、
大学に通い始めて二ヶ月ちょっと。佐奈は幼い頃から人見知りが激しく、何よりも一人の時間を好んでいる。当然のように大学でも一人で過ごすことが多く、昼食も一人で食べていた。
お弁当だったり、学食だったり、パンだったり。
教室だったり、食堂だったり、中庭だったり。
食べるものが変われば食べる場所が変わり、一人ぼっちでも浮くことがない。そう思って食べるものをころころと変えていたが、いつの間にか曜日ごとのルーティンができてしまった。
となると、当然のように出てくる問題がある。
あの曜日にはあの人がいる――という状況には必ずなってしまうもので、気になるのは木曜日のカップ麺の日だった。
前日の学食で少し贅沢をして、翌日のお弁当は頑張って作る。
その間に挟まれたカップ麺は、意外にも楽しみな曜日だった。コンビニで目新しいカップ麺を買って、お昼に試す。美味しかったらSNSに上げたりもして、その行為がまた楽しかったりした。
「…………」
でも、木曜日の給湯室にはあの人がいる。
そして今日もいた。金髪で、ふわふわパーマのロングヘアーで、メイクもばっちりで、マニキュアもしていて、ピアスもしていて、何よりスタイルが良い。
地味で背の低い自分とは大違いの、キラキラとした人だった。
(この人、毎日カップ麺なのかな)
彼女とは毎週、給湯室で顔を合わせている。
会話をすることはないし、彼女も一人だから声を聞くこともない。でも何故か、彼女のことが気になってしまう。
きっと、あまりにも正反対の人だからだろう。
自分を卑下しながらも、佐奈はいつも通りカップ麺を片手にポットへ向かう。
「……あ」
不意に、声が聞こえた。
顔を上げると、彼女の丸々とした瞳がこちらを向いていることに気が付く。
彼女の手には、緑のたぬき。
佐奈の手には、赤いきつね。
今日は目新しいカップ麺じゃなくて、食べ慣れたものを買っていたのだ。なんとなくほっとしたくて、自然と赤いきつねに手を伸ばしていた。
「あ……えっと。お揃い、ですね」
とにかく、彼女と目が合ってしまったのだ。
何か言わなきゃ、と思った時にはそんな言葉が滑り落ちていた。
瞬間、やってしまったと頭を抱える。
こっちはうどんで、向こうはそば。
こっちはお揚げで、向こうは天ぷら。
こっちはお湯を注いで五分で、向こうは三分。
考えれば考えるほど、まったくもってお揃いではなかった。
恥ずかしくてたまらなくなって、佐奈は俯く。
「じゃあさ」
すると、彼女が口を開く。
その声は、想像以上にハスキーなものだった。
「お揃いついでに、一緒に食べようか」
***
どうしてこうなったのだろう。
一人ぼっちが当たり前だった佐奈が、誰かと向かい合いながらカップ麺を食べている。しかも、相手はキラキラと眩しいあの人。
「ずっと木曜日に見かけるなぁって思ってたんだよね。名前、何て言うの?」
「……さ、西塔佐奈です」
「そっかそっか。よろしくね、きつねちゃん」
――この人、大丈夫だろうか。
想像以上にぐいぐいくる彼女に、佐奈は心底戸惑ってしまう。
しかも自己紹介をしたにも
「あー……。駄目だった? きつねちゃんって呼び方」
「あ、いや……だ、大丈夫です。あだ名とか初めてだったので、ちょっとビックリしただけなので」
言いながら、佐奈は苦笑を漏らす。
あだ名が初めてどころか、人と会話することすら慣れていない……とは、もちろん言える訳がなかった。
「えっと……お、お名前は」
「んー……。たぬきちゃんで良いよ?」
「いや、そうじゃなくて、本名を……」
「ごめんごめん、わかってるよ。……私、
どうしても「たぬきちゃん」と呼んで欲しいのか、彼女――鈴美香は早口でまくし立てる。
佐奈が唖然としていると、鈴美香の表情が徐々に苦いものへと変わっていった。
「そっか。……そうだよね」
「い、いや……全然、大丈夫ですよ。たぬきちゃんって呼びます」
「あー、うん。そうなんだけど、そうじゃないって言うか。…………私、モデルやってるんだよね。きつねちゃんはモデルとしての私のことを知ってて、緊張してる……って、勝手に思い込んじゃってさ」
どこか焦ったように言い放ちながら、鈴美香は眉根を寄せる。
しかし、佐奈としてはあまり驚くことはなかった。むしろ、モデルと知って納得したくらいだ。
「……すいません。綺麗な人だな、とは思ってたんですけど……」
「いやいや、気にしないで。って言うか、モデルだって知らなかったって方が、私も嬉しいって言うかさ」
「? そう、なんですか……?」
鈴美香の言っている意味がわからなくて、佐奈は首を傾げる。
あまりにもキョトンとした顔をしていたのか、鈴美香はふふっと楽しげな笑みを零した。
「きつねちゃん。麺、伸びちゃうよ」
「えっ、あ……た、食べるの早いですね」
「私はほら、きつねちゃんより二分早いから」
言って、鈴美香は親指を立てる。
鈴美香の緑のたぬきはすでにスープだけになっていて、佐奈は慌てて麺をすすり始めた。すると、案の定むせてしまい、ゴホゴホッと大袈裟な咳が出てしまう。
「だ、大丈夫? 急かすつもりはなかったんだけど」
「いえ、あのっ。…………す、すみません」
心配そうな視線を向けてくる鈴美香に、佐奈は申し訳なさいっぱいに身体を縮こませる。
――やっぱり、私は駄目なんだ。
どんなきっかけがあったとしても、自分のコミュニケーション能力がこの調子ではどうにもならない。
むしろ、もう給湯室には来られなくなるのではないか、と思ってしまうくらいだ。
なのに。
「きつねちゃんって面白い子だね」
尚も鈴美香は楽しそうに笑っていた。
まるで、近寄りがたいと思っていた『木曜日のあの人』との壁が、パキパキと音を立てて崩れていくようで。
ちょっとだけ、胸の奥が温かくなるのを感じる。
「ごめんなさい。私、ただの人見知りなんです」
「そうなの? でも、私……今、楽しいよ」
「……っ」
さらりと放たれた言葉に、佐奈の心は震える。
ずっと避けていたことだった。
苦手だし、頑張るだけ無駄なことだって思っていた。
「仕事仲間でもなくて、ファンの子でもない。……誰かと気兼ねなく話すのって、久しぶりだったからさ」
でも、たった今、自分の中の常識が崩れ落ちる。
きっと、今日「赤いきつね」を選んだのは偶然なんかじゃなかったのだろう。一人でいるのではなく、そこから一歩踏み出してみたい。そんな気持ちが心のどこかにはあって、「ほっとしたい」と赤いきつねに手を伸ばした。
頑張ることで得られる安心も存在するのだと、知ってしまったから。
「あの、たぬきちゃん」
鼓動が速い。
誰かに心を開くのって、思った以上に大変だ。
だけど同時に、鈴美香が驚いたような瞳をこちらに向けている。気のせいかも知れない。勘違いかも知れない。でも、なんとなく、その瞳は何かを待っているかのように見えた。
「たぬきちゃんは、毎日ここで食べてるんですか?」
「うん、そうだよ。……あ、たまにはコンビニ弁当も食べてるよ?」
電子レンジを指差しながら、鈴美香は何故か得意げに微笑む。
もしかすると、鈴美香はあまり料理をしない人なのかも知れない。それなりになら料理もできるし、いつかはお弁当を作ってあげても良いのかも……。
と思ったところで、佐奈は心の中で首をブンブン振る。
今はまだ、小さな一歩を踏み出すので精一杯なのだ。
「木曜日以外にも、ここに来ても良いですか?」
あなたと仲良くなってみたいから、とは流石にまだ言えなかったけれど。
鈴美香の頬がだんだんと色付いていくのを見て、佐奈は心の底からほっとする。
「もちろんだよ。またお話ししようね」
それは、ほんの些細なきっかけだった。
自分が赤いきつねで、彼女が緑のたぬき。
たったそれだけのことなのに、佐奈はきつねちゃんになって、鈴美香はたぬきちゃんになって――。
少しだけ、未来が明るくなった。
了
木曜日のきつねちゃん 傘木咲華 @kasakki_
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