「小説を書く」

ヤチヨリコ

「小説を書く」

 私は『私』が嫌いだ。悩んで、立ち止まって、恋して、破れて、それで終わる。そんな『私』が嫌いだ。

 机上の『私』は、寂しがりで、臆病で、それがとにかくうざったかった。

 『私』が、『私』でないように思えて、不快感ばかりが募った。


 『私』を書くのは、息子と、別れて十数年が経つ元夫。

 中学に上がった途端、息子が小説だの何だのを書くのに夢中になってしまい、私が教えようにも教えられないものだから、文章を書くことを生業としている元夫を週末に呼び出して、息子に小説の書き方を教えてもらっている。二人が何故か、『私』を主人公とした作品ばかり書いているのが、なんだか気に食わない。

 憎らしいことに原稿用紙に書かれた『私』は、とても馬鹿だ。男の助けがなければ何もできない上に、その男もころころ変わる。女に嫌われる女、というのはこんな人間のことだろう。いや、偏見である。正確に言えば、性格の悪い女に嫌われる女だ。まあ、性格の良い人間なんてそうそういないから、女に嫌われる女と言ったっていいのだけれど。

「何か悪いもんでも食ったの? それか、更年期?」

 そして、そんなものを息子に書かせた元凶はこの元夫である。腹立たしいことに、へらへら笑いながらこんなことを聞いてくる。

 この人のこんなところが嫌いだったんだと思い出す。

「別に。なんでもない」

 答えを伝えたところで、どうせ笑って流すのだから、言わない。

「ふうん。で、どうだった?」

「は?」

 いったい何の話だ。

「新作」

「私、人の書いた文章を読むの嫌いなの。言わせないでよ」

「つまり、読んでない、ってこと?」

「そう。だから、言わせないでって言ったよね」

 嘘だ。こんなところで嘘をついったってしょうがないが、これは意地だった。

「次は読んでよ、絶対。裕貴と書いたんだから」

 ここで息子の名前を出すところが夫の前に元が付くことになった理由だと、どうやらわからないらしい。元夫は、「絶対だよ」と私に言い含めて、郊外の安アパートに帰っていった。


 原稿用紙に書かれた『私』は私に対する当てつけのように思えた。主人公の『私』の名前を私の名前によく似た名前に似せているところがまず気に食わない。おまけに主人公の夫は元夫にそっくりだ。名前も言動も、エピソードも。

 しかし、最後だけは違った。実際は、元夫が上司の妻に手を出したから離婚したのだが、この小説では、主人公は夫に愛想を尽かされたと思い込んで夫を問い詰め、夫に別れを切り出される。

 おまえは一体、何様のつもりだ? と思った。出会って以来の恨みが噴火した。

 その小説が書かれた原稿用紙に直で赤ペンで修正を書き込んで、シュレッダーにかけて燃やして捨てた。これでもなお、怒りは収まらなかった。

 だから、私も小説を書くことにした。仕返しをするのではない。目には目を、歯には歯を、拳には拳を、ペンにはペンで応えなければ、同じ土俵には立てないと思った。若い頃、「女には文学っていう芸術は理解できないよね」と鼻で笑った元夫の鼻を明かしてやろうとも思った。

 どうせ書くのなら、同じようなものではなく、あれよりももっと良い作品を書く。

 けれど、私には文才というものはまるで無かった。描写は拙く、登場人物は皆クズかろくでなし。何より、話そのものがつまらなかった。給料くらいしか褒めるところが無かった元夫の文才は、稼ぎにはならなかったがしっかりと存在していたのだと痛感した。

 私は元夫の書く小説が嫌いだ。そもそも彼の言葉が嫌いだ。人の心を覗き込んだかのように人の神経を逆撫でするようなことを言うし、人の心を覗き込んだかのようなことを書く。いつも底抜けに明るくて無神経な人間が、非常識極まりない協調性皆無な、ひどく人の心理を描写した作品を書くのだから、その温度差で死にそうだ。グッピーだったら死んでいる。ホットコーヒーは凍り、アイスティーは沸騰する。

 しかし、しかしだ。元夫の書いた小説を参考にして書けば、元夫と戦えるほどの作品が書けるのではないのか。いや、だめだ。そもそも、離婚したとき、元夫の作品は切り刻んで火曜の可燃ゴミの日に出した。だから、一つたりとも残っていない。

 ……そういえば。息子だったら元夫の作品を持っているんじゃないか?


「あるよ」

 息子に元夫の作品があるのか聞いたら、即答された。

「なんであるの、あいつの小説」

「『おまえのかあちゃん、俺のすごさを理解してねえから。同じ男のおまえは理解できるはずだ。だから、やる』っつって、くれた」

 あの野郎。

「読むの? 人の文章読むの嫌いなくせに」

「ちょっとだけね」

「嫌いな親父の作品なのに」

「昔は好きだったからね」

「今は?」

  それを聞かれると、少しばかり言葉が詰まる。息子は自分で結論を出している。が、私の結論はまた違うわけで。それを「好き」や「嫌い」の一言で表せるほど、私と彼の関係は簡単ではないわけで。それを実の息子に説明するには……。

「どうでもいいよ」

 とりあえずこの一言で許してほしかった。

 息子は「ふうん」とだけ言って、私に元夫の作品をいくつか渡した。

 「感想だけ教えて」と言うだけで、あとは何も言わず、机に向かって課題をやっていた。夏休みの課題だというそれは、どうやら読書感想文のようだった。自分にとって簡単な課題を先に済ませるのは私ではなく元夫に似たようだ。


 元夫の作品を読んだ。負けたと思った。

 そこに『私』はいなかった。いたのはただの人間だった。

 最初の数行で心がつかまれ、一段落を読んだときには夢中になっていた。元夫の文才に打ちひしがれながらも文字を追った。

 場面が切り替わると、ずっと息を止めていたことに気づいた。主人公の悩みは私のものであるかのように感じられて、主人公が感じている漠然とした不安が未熟だったころの私と重なって涙が頬を流れた。

 そして、一作品を読み終えたとき、私は完全に作者の書く文の虜になっていた。元夫という人間そのものではなく、この文を書いた作者の人物像に惹かれていた。

 全ての作品を読み終えたら、私はこの作者の熱烈なファンになりかけた。しかし、作者である元夫の顔がよぎって、その考えを振り切った。まるで老いた身体はそのままにあの男に惚れていたころに戻ったかのようで、恥ずかしかった。

 気がつくと私はペンを握っていた。こんなに強い感情を抱いたことは未だかつて無いように思えた。ありふれた嫉妬ではない、怒りや憎しみでもない、ましてや憧れなんてものでもない。私の胸で名の知れない強烈な衝動が湧き上がった。私はそれを原稿用紙に書き留めた。

 私は静かにペンを走らせた。自分でも制御できないほどの集中力で一つの作品を書き上げていった。息子に夕飯はまだかと言われたとき、日が暮れて外が暗くなっていることに気がついた。私の腕には蚊がぶんぶんと集まってきていて、数カ所すでに刺されて赤く腫れていた。

「ごめん、今日、コンビニ弁当でもいい?」

「なんでもいい」

 それが一番困るんだけどなと思いつつ、まあいいやと久々に二人で買いに行ったコンビニ弁当は日常の美味しさがした。


 一作目を完成させた。駄作だった。絞り出した脳汁で書いた処女作は、泥臭さはあるものの肝心の完成度は最底辺だ。待望の第一子がとんでもないブサイクであったかのようで、息子を産んだときよりも生み出した価値を感じなかった。

 間違っても、人に見せる出来ではない。

 これでは元夫に勝つなんて夢のまた夢。

 そもそも、息子にさえ見せられる出来ではない。

 元夫は作品を人に見せることはなかったように思えたが、私の知らないところで人に読ませていたのだろう。でなければ、あんなに優れた作品は書けない。料理も、掃除も、洗濯も、それから仕事も、他人からの評価が無ければ上手くなるものも上手くならない。だから、私の作品は酷い出来なんだろう。

 元来の劣等感のせいでこう思うのか。そんなはずはない。実力だ、これが。

 醜いプライドが元夫を見下したまま、自分の実力も見誤って、こんなものを書いてしまった。生まれ持ったうぬぼれが私の人生でいつも障害となる。だから、私はダメなのだ。


 ◇


 私の作品を読ませてみたら、息子は言った。

「つまらない」

 そのとおりだ。やっぱり、物を書く人はすぐにわかるのだな。

「これ、かあちゃんの言葉じゃないじゃん」

「かあちゃんが書いたんだけど。別の人が書いたように見えた?」

「だって、親父の真似して書いたでしょ。だから、つまらない」

「そういうものなの?」

「そういうもの」

 そういうもの、とはなんだろう。


 元夫にも読ませてみた。

 彼が読んでいる間は、セミの声がよく聞こえた。ガラス製の風鈴は無風のためか鳴らない。近くを通る自動車の音が河の流れのように聞こえる。耳をすませば、近所のお嬢さんが吹く音の外れたリコーダーの音がした。

 読み終えると、彼は吹き出して笑った。「なんで笑うの」と問い詰めてみても、口の中で奥歯を噛むように笑いをこらえて、何も言わない。こらえようにもこらえきれずに笑みが口角に浮かんでいた。

「昔から変わらないの、いい加減やめてよね」

 息子もいるのだから年相応にしてほしいと何度言っても直さない。朝刊は夕方になれば古新聞。ならば、古新聞らしくしていればいいものを、元夫は昨日のことを書いた見出しを誇らしげに掲げたまま変わらない。

「君に小じわが出来てきたのと同じように僕の腹も出てきた。だから、時の歩みはみんな平等だよ。そうだろ?」

 こんなことを言うのが元夫だ。私に小じわが出てきたと先に言ってから自分の腹が出てきたというその言い方に腹が立つ。

「そもそも、昔から変わらないのは君の方だ」

「は?」

「ほら、そうやって人の話を聞こうともしないじゃないか。特に俺の話は」

「聞く必要もないでしょ」

「そうやって人を否定する。ずっと、俺は君の顔色を伺って生きていかなきゃならないのか。違うだろ。俺には俺の人生がある」

 いきなり何を言い出すのかと思えば、くだらない。

「人生ってそういうものでしょ。世間様、人様を気にして、それに合わせた身分相応のふるまいをする。それが当たり前。みんなそうしてるの」

 当然のことを言わせないでほしい。私はため息を吐いた。

「だから、君の小説はつまらないんだ」

 元夫はぽつりと漏らすと、私に背を向けた。

 部屋にいた息子を連れ出して、車に乗り込んだ。「日が暮れる前には帰るから」と息子は言った。息子の言うとおり、日が暮れるまで帰ってこないだろうと思った。


 リビングには、ぽつんと、ずいぶん分厚い原稿用紙の束が置かれているのに気づいたのは、二人を見送った後だった。

 また、あの当てつけのような小説か。そうひと目見て思った。

 しかし、この前の週末に「絶対」読むようにと言い含められたのを思い出し、またあんなのだったら読むのを止めようと、ページをめくった。

 たとえ、彼が書いた小説に私がどれだけ魅了されようと、作者本人に惚れ直すなんてことはあるはずがない。彼の書いた小説は素晴らしい、それは認める。認めざるを得ない。なにせ、こんな私が初めて人の言葉に惚れたものだから。彼が私の心に放り捨てていったしけもくは、彼の書く文章を読むたびにボヤを起こす。しかし、もう心中を火の海にすることは決してないと、断言したかった。

 一行、二行読んで、はっきり思う。この人に惚れるだなんて下品なことをしていたのは、自分だけだったんだ、と。昔、彼に抱いていたのは憧れでも愛情でもない。恋だった。彼の作者像に惚れていた。好きだったわけではない。嫌いだったわけでもない。私は元夫の文章から見て取れる理想の作者に恋をしていた。惚れていた。そう、解釈した。

 これを置いていった元夫がどんな思いだったのか考えて、やめた。無駄だから。

 小説では、恋人に別れを告げられた『私』が、腹に新たな命が宿っていることに気づく。その命を殺す覚悟も生かす覚悟もなく、十月十日、ただただその命が自分の中で育まれていくのを日々生きる中で感じながら、出産する。

 知りもしないでよくやるなと思った。『私』はつわりも陣痛も感じていない。あったのだろうが描写されていない。『私』はお腹の子の父親とどうすれば関係を修復できるか、そんなことばかり考えている。馬鹿な女だ。そんな女だった、私は。

 つわりも陣痛も後産も、彼が私を捨て、あの女を、あの女の家庭を破滅させたときの、張り裂けそうなほどの胸の痛みほど辛くも苦しくもなかった。最後には、元夫は関わった人間全てに見捨てられた。そのときの喜びは、息子が生まれたときの喜びに勝った。そんなものが書かれていた。

 「完」の字を読むと、ふっと息を吐いた。作品ではこんなに人の心を上手く描くというのに、作者がああも人の気持ちを慮ることのできない人物というのが不思議だ。そして、「完」のページの下にまだ原稿用紙が重ねられているのも不思議だった。


 ページをめくると、また別の題名が書かれたページがあった。

 正直、これ以上読んだら、どうにかなりそうだった。でも、読もうと心が気まぐれを起こしたので、読むことにした。

 中身は『私』の夫の独白だった。『私』に問い詰められた彼は、その勢いのまま別れを切り出す。上司の妻と一夜の過ちを隠すために。それが『私』を傷つけることだと知っていたから。けれど、別れず、付かず離れずの関係となっても二人でいることを『私』は選んだ。

 結局、上司の妻との関係はバレて、『私』は彼を罵倒し、別れを一方的に告げて出ていってしまう。その日は奇しくも彼の誕生日。『私』が夫の彼に誕生日プレゼントとして贈るつもりだったスカジャンを恋人に投げつけて、場面は転換する。

 時は流れ、数年が経つ。上司の妻にも、上司にも、会社にも見捨てられ、会社を辞めた彼は、前よりも給料の少ない自分が見下していた職に就く。仕事ができないものだから、同じ年代の上司には見下され、年下の同僚には馬鹿にされる。そんな生活を送っていた彼は、かつての日々を思い出し、『私』と暮らした家の窓を毎日覗き込んだ。

 赤ん坊は立ち上がって歩みを進めるようになって、やがて少年となり、少年は母親に口答えをするようになっていた。その母親は、胸は垂れてきて、頭には白髪もちらほらと交ざっている。

 男は『私』の苦労を知る。彼女がシングルマザーとして生きるようになったのは、自分のせいだと悩む。そんな男に『私』は言った。

「あんたは私の『夫』じゃない。けど、この子の父親だ。だから、『親』らしくして」

 『私』らしいその言葉に男は救われたと思ったらしい。この男が元夫の分身ならば、実際、救われたのだろう。言った覚えがあるような無いような言葉で人は救えるものか、理解ができなかったが。

 男は、『私』に『私』の息子が大人になるまで週末の休みに会いに来ると約束した。勉強を教えてくれと言う息子に勉強を教えたり、逆に息子に最近の流行りを教えてもらったりする。たまに息子と二人で遠くに出かけて、『私』の「おかえり」が待つ家に二人で帰ることが幸せだった。

 ある日、息子が小説を書きたいという。男の趣味は小説の執筆だ。だが、人に教えられるようなものではない。けれども、息子は父親に教わりたいと言う。珍しい息子の願いに男は根負けし、教えることにした。

 そして最後は息子が考えた一文で終わる。

「月が綺麗ですよ。同じ月を見ましょう。」

 そのフレーズの次に書かれた「完」の字を読むと、目からぼろぼろと涙が零れていた。何故なのか原因を究明するよりも、原稿用紙が濡れるのが嫌で、急いでティッシュを目にあてた。ティッシュはすぐにぐしゃぐしゃになって、どんどん代わりのものに変えていくと、そのうちティッシュの箱が空になった。それでも涙は止まらない。しょうがないから、風呂場のバスタオルでちーんと鼻をかんだ。


 いつの間にか日が暮れかけて、世界が青に染まっている。夢中になって読んでいたようだ。

 「ただいま」の二重奏が聞こえた。元夫と息子の声だった。

 みっともなくて顔も見せられないから出迎えずにいたら、

「今日の月は綺麗なんだって。俺は帰るけど、同じ月を見ようよ」

と元夫の声が涙に濡れた部屋に響いた。

 ようやく落ち着いて、涙や鼻水だらけのバスタオルを洗濯機に放り込んだら、小麦色に焼けた息子が脱衣所に飛び込んできた。

 「どうしたの」と聞くと、

「ニュースで雨、降るかもってやってたから」

とまくしたてた。

 慌てて庭の洗濯物を取り込んでいると、息子が「あ」と声を上げて空を見上げた。

 私も空を見上げると、それはそれは見事な満月で、私はあの人のこういうところが好きだったんだなと思い出した。それは息子には言わなかったけれど。

 月を大好きな人と見上げることより幸せなことを私は知らない。

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