時間自動売買機
麻々子
時間自動売買機
ぼくは、もう死んでもいいと思っていた。ポケットの中には、十円玉が一つ。三日前から食べたものといえば、公園で飲んだ水。今夜寝るところは、公園のベンチ。どうしてこんな事になってしまったんだろう。
一年前までは、どうにかこんな生活から抜け出そうと頑張っていた。五年前、勤めていた会社が倒産。寮から追い出され、安アパートに住んだ。アルバイトを三軒掛け持ちし、夜も昼も働いた。働き過ぎか、身体が根を上げた。医療費、家賃。すぐに持ち金も底をついた。
住所不定になると、仕事も見つからない。腹が空くと、気力もなくなる。
ビルの谷間の狭い路地をフラフラ歩いていると、大きな男とぶつかった。瞬間、フラフラとビルの中へ入ってしまった。小さくて古びたビルだった。よろけてぶつかったドアは、ひっそり閉まっていた。なかをのぞいてみると、がらんとしていて何もなかった。きっと、どこかの企業が倒産をして、空き部屋になっているんだろう。
ドアにもたれて横を見ると、自動販売機があった。ブーンと機械音が聞こえてきた。こんなところに何の自動販売機だ?
ぼくは、自分を見ているような気がした。誰にも返り見られることがなく、そういって、潰れてしまうこともなく、ただ、生かされている。極彩色の色が所々禿げ落ちた情けない自動販売機。人通りのないところにある自動販売機ほど悲しいものはない。
ぼくは、自分に語りかけるように自動販売機にはなしかけた。
「こんな所で、何を売ってるの?」
ぼくは、自動販売機と向き合った。
何の変哲もないジュースやコーヒーの自動販売機だった。ただほかの自動販売機と違うところが一つあった。
コイン投入口の横に十円均一と書いてあったのだ。
十円均一自動販売機?
安いなぁ……。この値段、ぼくに飲んでくれといっているみたいじゃないか。
人生の最後にジュースでも飲んでみるか。
ぼくはポケットに手を入れ、最後に残った十円玉を取り出し、コイン投入口に入れた。
チャリン
軽い音がして、投入口の上に十円というランプがついた。
どれを飲もうかな。
ぼくは、ならんでいるサンプルを一つ一つゆっくりながめた。ブラックコーヒーにするか、ミルクたっぷりの紅茶にするか……。
ぼくは決心して、普通のオレンジジュースをえらんだ。
ボタンを押す。
ガチャンという音を期待していたが何も出てこない。もう一度押す。出てこない。
「何だ、なにも出てこないじゃないか。つぶれているのか?」
よく見ると、十円という表示の横に丸が一つ消えかけていた。
百円均一自動販売機か……。丸を一つ見落としていたというわけか……。
ぼくはため息をついて、返金のレバーを押した。
コイン返却口に指を入れる。何もない。もう一度レバーを押す。返ってこない。
「金返せよ。十円でもぼくの全財産なんだからな」
ぼくはカチャカチャレバーを力一杯何回も押した。
「なんだよ、ジュースも金も出てこないのかよ。こいつ、詐欺じゃないか!」
ぼくは頭に来て、ボカンと思いっきり自動販売機を蹴った。
すると、まるで腹を立てた人がそこを蹴るのが分かっているかのように、そこにボタンが収納さていた。ぼくは知らずに、そこを蹴ったらしい。
ジュースの自動販売機がカクカクカクと音を立てて形を変えている。ジュースのサンプルがなくなりタッチパネル付き液晶ディスプレイが現れた。まるでトランスフォーマーじゃないかと、ぼくは目を何度も見開いた。
形を変えた自動販売機には、時間自動売買機と書いてあった。
「なんだ! 時間自動売買機?」
ぼくは、ビックリして大声を出した。
『そうです』
売買機がしゃべった。
「どこに金を入れるんだ?」
『右上です』
何気にぼくは、何の疑い持たず売買機と会話していた。
現金投入口を探して自動売買機を見回すと、右上あたりにそれらしいすき間があった。下には大きな取出口んもある。
「時間がここから出てくるのか……」
『イェース』
「なるほど」
『あなたの時間買い取りも致しますよ』
「買い取り? お金をくれるのか……」
『イェース』
ぼくは、買い取りのボタンを押してみた。
パネルの画面が変わった。
『買い取り希望の方は、念のためもう一度、画面をタッチして下さい』
タッチすると、
『一分三万円です。希望時間を選んで下さい。一分、二分、三分、四分、五分』
売買機の声が繰り返す。
ぼくは、息をのんだ。
「一分三万だって……。五分で十五万……」
十五万あれば、好きなものを食って清潔ななホテルに泊まって……、やってみたいと思っていた事が全部出来るじゃないか。どうせ、死ぬんだからぼくの五分なんてどうなってもいいじゃないか。もし、人間の時間を買い取って人間世界を支配しょうとしている異世界の陰謀であったとしても、それもどうでもいい。
ぼくは、迷わず五分をタッチした。
ヒューン、ガチャ、ガチャ……。ポトン。
取出口から札束が出てきた。
『毎度ありがとうございました』
売買機が少し笑ったような声をだした。
ぼくは、夢ではないかと両手で顔をバチンとたたいた。
痛い。これは、夢じゃないんだ。
ほんもののお札、十五万円を受け取ってぼくは周りを見渡した。
やはり、自分の時間を売ったということが後ろめたかったからだ。こんな事はいけないことなんじゃないか? ぼくの周りの何かが変化するんじゃないか?
ぼくの周りに、今のところ変化はない。
ビルの路地から出ていくときも、ぼくは気を配った。人の気配、雑踏の音、風の感触まで注意を払った。
変化は感じられない。
大通りに出て時計を探す。
ビルの電光掲示板の時計が目に入った。
さっき、何分か見てなかったから、五分間がなくなったのかどうか分からない。では、これからの五分間に変化があるのだろうか?
一分経過
二分経過
三分経過
四分経過
大きく息を吸い込む
五分経過した。
「ワァー」
ぼくが突然大声を出したから、通りすがりの人たちが、みんな振り向く。
「いや、何でもないんです」
軽く頭を振りにっこり笑って見せた。
すごい、何も変わって無いじゃないか。これは、真面目に生きてきたぼくへの神様の贈り物に違いない。あの自動販売機は、いつも真面目に生きているぼくにプレゼントをくれたんだ。神様ありがとう。
金を握りしめて、ぼくは高級レストランを探して歩いた。
公園を横切る。
この公園がこんなに楽しい所だとは気がつかなかった。ポケットに手を突っ込んで下を向いていたぼくには、わからなかったんだ。今は花や草が笑っている。
ぼくはスキップをして、みんなに「ごきげんよう」なんて声を掛けてみたい気分になっていた。
歩いて行くうちに、宝くじの店が目に入った。ぼくはニヤリと笑った。死ぬ前に一発運試しをしろと神様がいってるに違いないと勝手に考えた。
窓口で「スクラッチ、一枚」といった。
一万円を出すとき、久しぶりの買い物に少し手が震えた。
「はい、どうぞ。当たりますように」
おばちゃんが、にっこり笑ってスクラッチとおつりを出してくれた。
販売所を少し外れて、おつりのコインで銀をはがす。王冠の柄が六コ出ると一千万円が当たる。高額スクラッチだ。
一つ、二つ、三つ、……。
次々に王冠が……。
四つ、五つ。
ちょっとドキドキする。
六つ……。
本当だろうか。
そろった。一千万円……。
こんなこと、こんなこと、こんなことがあるはずがない……。
ぼくはほっぺたをたたいた。そして、販売所に取って返して、窓口のおばちゃんにはがしたスクラッチを「これ?」といって見せた。
きっと何かの間違いに違いない。「残念でしたね」という言葉をぼくは待った。
「おめでとうございます」
窓口のおばちゃんが目を丸くしていった。
「当たってますか?」
「当たってますよ。本当に当たってますよ。去年も、ここで一千万円が出たんですよ。ここは、本当によく当たる店なんです」
おばちゃんが笑った。
「あ、ありがとう」
「当たりくじを落としちゃダメですよ。銀行で、ちゃんと受け取ってくださいね」
「は、はい」
ぼくはもう、何が何だか分からなくなっていた。足が震えてふらふらしている。ほほは自然にゆるんでいた。雲の上を歩いているみたいだった。
ふらりと車道に飛び出した。
「あっ」
キキーッ、自動車がぼくに突っ込んできた。
「痛ッ!」
ぼくは下を見下ろしていた。
ぼくが倒れて、たくさんの人が周りを囲んでいる。時間が止まっているのか、ぼくの周りの人々は人形のように動かない。
ああ、こういうことだったんだ。何もかもがうまくいきすぎだとは思っていたんだよなぁ。まぁ、交通事故ということは自殺する手間が省けたというものか。
ぼくはあごに手をやって、止まっている世界を見ていた。すると、となりで変な音がした。
キリリーン。
金属のような、ガラスのような嫌に透き通った音だった。
「おかしいなぁ……」
おまけに声までした。
「だれだ?」
ぼくは声する方を見た。
「あ、こんにちは」
となりの男がぼくを見てあいさつをした。
「はぁ、こんにちは」
ぼくもあいさつをかえした。
白い服を風になびかせて、ぼくの隣に男がうかんでいた。そう、ぼくたちは空に浮かびながら話をしていた。
男はしきりに首をひねりながら、懐中時計のようなものを見ている。
「それはなんですか?」
ぼくが聞いた。
「これですか。これは、あなたをお迎えにくる時間を示す時計ですよ」
「ぼくのお迎え?」
「はい」
「見せてくれますか?」
「どうぞ」
男は、ぼくの目の前に懐中時計をさしだした。
懐中時計は、何の変わりもない十二文字盤の時計だった。よく見ると、針が十二時五分前を指していた。ぼくは、ああ、今、十一時五十五分前かと思った。
「五分早いですが、もう行きますか?」
「どこへいくんですか?」
「天国ですよ」
「天国ですって?」
「はい」
ぼくは、男の顔をマジマジと見た。
「やっぱり、ぼくは自動車にはねられ、死んでしまったのですか?」
「そういうことになりますね。残念ですね」
「でも、よかったです。地獄じゃなく天国へ行けるんだもの。ほんとうに天国ですよね」
「はい天国です。うれしいですか?」
「とってもうれしいです」
「そう、いってもらえると、わたしもうれしいです。わたしがあらわれると、行きたくないとなぐりかかってくる人もいるんですよ。もう、そういう人を説得するのはホントに疲れますよ。では行きましょう」
「はい」
ぼくは、しかたがないと素直にうなずいた。
「しかし……、ほんとうに五分前ですが、いいですか?」
男はもう一度懐中時計を見直した。
「いつもなら、針が重なっているはずなのにどうしたんだろう」
「今、十一時五十五分っていうことじゃないんですか?」
「今、この世の時間でいうと」
男はもう一つ時計を出した。
「十二時三十二分です」
「え、じゃあ、こっちの時計は何ですか?」
「ああ、これは、あなたの浮かんでくる時間とわたしの時間が重なって、それで、めでたくあなたを迎えることが出来るということを示す時計です。いつもなら、かさなってるはずなんですよね。でも、今は五分の差がある。この時間差は何だろう……」
ぼくものぞきこんだ。
「時間差が、五分あるの?」
ぼくの頭の中に五分という文字がネオンサインのようにチカチカしだした。
ふと見ると、すぐそこに救急車の姿がある。あと五分あればあの救急車にのって、助けてもらえるんじゃないのかなぁ……、とぼくはぼんやり考えた。
「五分、待ってみてよ」
ぼくがいった。
「いいですよ。でも、あまり意味があるとは思えませんが」
「でもさ、その五分あれば、ぼくは死ななくってもいいじゃないの? ほらそこに救急車が来てるでしょう? 五分あればぼくはあの救急車に乗って病院に行って命が助かるんじゃないの?」
「そうかもしれませんね」
男はまたここで何かを考えているのか、だまってしまった。
「でも、まことに残念ですが、あなたのこの世の時間が五分足りないということは、紛れもない真実なんで、ここで五分待ったとしても、何の変化もないと言うことになるんですよ。もし、あなたに五分あるとすれば、シュレディンガーの猫同様、わたしにもわかりませんけどね」
男はどうしますかというようにぼくの顔をのぞきこんだ。
やっぱり、あの五分だ。五分というのはこういうことだっのか……。
ぼくの頭の中でぐるぐると何かが回り出した。そして、はっと考えがまとまった。五分を買い戻せばいいんだ。
「わかったよ、その時間差がなんなのか。ぼくはさっき五分間、時間を売ったんだ。だから、君の持っている時計とも時差があるんだ。ぼくは、時間を買い戻しに行くよ。だから、君はここで待っていて」
「時間を売った?」
「うん」
「そんなこと、知りませんよ。あ、そんなこと言って私から逃げる気ですね。そうよくいるんですよね、そんな人が。逃げたって逃げ切れるもんじゃないんですよ。もう、ほんとうに人間はあきらめが悪いんだから。さあ、行きましょう」
男はぼくの手首をぎゅっとにぎった。
「いやだ!」
「あ、何をするんです」
ぼくは、男の手から時計を取り上げ、出来るだけ遠くに放り投げた。
男は「なんてことを」と言いながら、あわてて地上へ降りていった。止まった人たちの中を探しまわっている。ぼくは男を置き去りにして走った。いや、あのビル目指して、ぼくは飛んだ。
ビルとビルの細い路地に飛び込んで、ぼくは自動販売機をさがした。
よかった。
自動販売機は、まだそこにあった。
下の隠れボタンを蹴り変身させ、時間を買うのボタンを探す。
「ああこれだ」
[時間を買う]のボタンをバタバタと何回も押した。
画面代わり『一分二百五十万円、五分一千万円 です』表示がでた。
『よろしかったら、金額をタッチして下さい』と機械の声がする。
「ひぇー、高い! こんなの、ぼったくりじゃないか!」
『高いですか? では、今日だけの特別価格として0.1%引きでいかがでしょう』
「0.1%引き!」
ぼくは大声で叫んだ。
『もう、これ以上まけられませんよ』
「わかったよ」
迷ってはいられない、ぼくは五分の画面をタッチした。
『まいどありがとうございます。お支払いはカードにしますか、それと現金ですか?』
「そんなのない!」
ぼくは、自動売買機に怒鳴っていた。
『では、銀行振り込みという手もございますが』
「そ、それで、頼む」
『お振り込みですね。承知いたしました。それでは、振り込み用紙と、五分をお受け取り下さい。もし、お振り込みが無ければ……』
自動売買機の声が小さくなっていく。
ぼくが、目覚めたのは病院のベッドの中だった。
「ああ、夢か」
ぼくは、白い天井を見つめていた。
「気がつかれましたか?」
白衣を着たドクターが点滴の流れを確認してぼくに笑いかけた。
「もう、だいじょうぶですからね。思ったより、軽症でしたよ」
「ありがとうございます」
ぼくは、小さい声でいった。
「あのう、ぼくのはいていたズボンの中に何か入っていませんでしたか?」
「ズボンのポケットね。はい、これね。わあ、これ当たりくじじゃないですか。すごい!」
スクラッチは、ちゃんと六コ王冠マークがそろっていた。一千万円の当りくじだった。
「すごいけど、残念ながら、全部使い道が決まってるんだ」
「そうですか。でも、その方がいいかもしれませんよ。大金を手にすると人生が狂うともいいますからね」
ドクターがにっこり笑った。白い服をまとったあの男に少し似ているとぼくは思いながら、うんとうなずいた。
おわり
時間自動売買機 麻々子 @ryusi12
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます