第6話 そして再び巡り逢う



 

「ねぇ佐音香さねかぇー、準備できたぁー?」


 玄関から、そんな声が聞こえてくる。


 彼はいつもそうなのだ。

 いつも楽しみな事がある日はこうして早々と準備をすませて、玄関から私の名前を呼ぶ。


 「ちょっと待ってー」と言いながら、急かされるままに室内をバタバタと小走りする。


 荷物は既に玄関にある。

 自分のバックだけをひっつかみ、通り過ぎかけた姿見の前で一度止まってパッパと髪を直しながら、最後に自分を確認する。


 動きやすいジーパンに、薄紫色のシフォンのトップス。

 その上からベージュの春用コートを羽織り、装いは『春のアクティブお出かけコーデ』。


 いつもはあまりしないネックレスやイヤリング女子力を高め――って、気合の入っている自分を見るのは、少し気恥ずかしいような気分にもなる。



 彼と結婚して、もう七年。だけど未だに彼との生活は、まるで弾むように楽しい。



 最初の出会いはバイト先のケーキ屋で、お客さんとして訪れた彼に、初対面で「俺、君の事を幸せに出来る自信があります!」なんて言葉で告白された。


 その勢いと初対面でそんな事を言う彼を、普通ならば警戒するだろう。

 だけど「じゃぁ、お友達から……」なんて答えで繋ぎ止めたのは、何故か彼に警戒心を抱けなかったからである。


 別にビビビッと何かが来たわけじゃない。

 でも何故か「彼となら大丈夫なんじゃないか」と、不思議と思えてしまったのだ。



 それから彼を知っていく内に、優しくて、だけどちょっと頑固ところもある彼に惹かれていった。

 やがて正式に告白にOKを出し、お付き合いして結婚した。


 今でもこうやって一緒に外に出かける休日は、胸が弾んで踊ってしまう。


 もう四十も手前なのに、まったくもう年甲斐もなく……とは、どうか言わないでほしい。

 私だってそういう自覚は一応あるのだ。ちょっと恥ずかしいよねって。

 

佐音香さねかぁー?」

「あー、はいはい、もう出来た! っていうか、どれだけ楽しみにしてんのよ。毎年の事じゃない」

「何回目だって楽しいものだろ? だって河原でお花見バーベキューデートだよ?」

「デートって」

「じゃぁ他にどういうのさ」

「うーん……、デート?」

「ほら見ろよ」


 リビングから玄関にまっすぐ伸びた廊下の先の彼の背中に答えると、振り返った彼と目がかち合った。


 その顔には、目尻の皺も厭わないクシャッとした満面の笑み。

 それでいて口調は揶揄うように弾むのだから、無性に負けた気分になる。


 どうしてこんな「おじさん」と呼んでいい年なのに、子供みたいな顔をするのか。そしてそんな旦那を、何故「可愛い」なんて思っちゃうのか。

 妙なフェロモンでも出てるんじゃないだろうか、この男。



 彼の隣にやってきて、スニーカーに足を入れて紐を結ぶ。


 立ち上がった彼が「よっこらせ」と大きなカバンを肩に下げた。

 中には折り畳み式の、バーベキュー道具が一式入っている。もうずいぶんと年季が入った代物だけど、ずっと大事に洗って干してメンテナンスして使い続けているヤツだ。


 対する私が肩に下げているトートバッグの中身はというと、封の開いた割り箸や紙皿、タオルも数枚入っていた。


「にっくにくぅ~♪」

「肉だけじゃなくて野菜もちゃんと買うからね?」

「えー?」

「えー、じゃないわ。もう、口尖らせて。子供じゃあるまいし」


 言いながら笑って、玄関の扉へと手を掛ける。


 ガチャリという音と共に開いた先にあったのは、朝の日差しとふわりと香る春だ。


 天気予報を裏切らない文句なしの快晴で、行楽日和、バーベキュー日和、川遊び日和、日向ぼっこ日和。最早すべての日和を網羅している感さえある。


「早く行こうっ!」


 振り返ってそう彼を急かせば、呆れ顔で「待たされてたのは俺なんだけど?」という言葉が返ってくる。

 でもだって、そんなのしょうがないじゃないの。


「女の子は準備に時間がかかるものなのよ? それに、その……」


 この先を、一瞬、言うかどうか悩んだ。


 もしかしたら「年甲斐もなく」と思われるかも。

 そう思って言い淀んだが、結局イベントの気に充てられて普段はあまり言わないような事を口走る。


「せっかくデートなんだしさ? ちょっとでも可愛くしたいじゃん……」


 いつだって私を笑わせて、怒らせて、いじけさせてくれる彼に、私が好きでいる彼に、私だってちょっとは「可愛いな」って思われたい。

 そんな欲が、控え目な主張になって出た。


 するとそれに、彼にしてはかなり珍しい反応が返ってくる。


「え、何ソレ可愛い」


 真顔だ。

 いつも笑うか揶揄うかいじけるかの彼が、真顔でそんな事を言う。


 真顔なのに、何故だろう。いつにも増して一層恥ずかしく思えるのは。

 そんな風に思えてしまえば、頬にカッと血が集まる。


 紛らわせるようにプイッと顔を大きく逸らせば、彼が「あっれぇ~?」とすかさずからかい体勢に入ってくる。


「もしかして照れてる? え? 自分から仕掛けといて?」

「あぁーっ、煩いなぁー!!」

「煩いはちょっと酷くない?」


 そう言って笑う彼から目を逸らし、「早く行くよ」ともう一度彼を急かした。

 今度は不満の声は無く「はーい」という間延びした回答と共に、左手にギュッと体温が触れた。



~~Fin.


====


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