あの日の緑のたぬき

ととかる@おっさんJK漂流記

あの日の緑のたぬき

 親の敷いたレールをただ歩むだけの人生が嫌で、家出同然で自分がやりたかったことを学べる大学に進学したはいいが、学費と生活費を賄うためにバイトをいくつも掛け持ちしていて、それでも微妙に足りず、月末はいつも腹を空かせていた。


 年末にはクリスマスのイルミネーションで街がキラキラ輝き、普段じゃ店に並ばないこの時期限定の豪華で魅力的な料理やスイーツが店頭に山積みになっていてまさに生殺し状態だ。

 ホールチキン、ローストビーフ、シャンパン、シュトーレン、ブッシュドノエル……。俺の懐事情じゃ絶対に買えないような高額商品が次々に売れていく様子を横目に見ながら、俺は店舗清掃のバイトをしながら腹を鳴らしている。

 俺と同年代の大学生だろうか? 流行りの洒落た服で着飾ったカップルが恋人繋ぎで手を繋ぎ、空いた手にシャンパンの紙袋を提げて幸せそうに寄り添いながら歩いている姿に、自分の惨めさを改めて思い知らされ、俺は隠れてちょっと泣いた。


 クリスマスが終われば街はすぐに正月モードに切り替わるが俺は相変わらずバイトに明け暮れている。いや、学校が休みに入っているのもあって今が稼ぎ時だといつも以上にがむしゃらに働いていた。

 大晦日の夜、疲れた身体を引きずるようにしてアパートにたどり着いた俺はとうとう玄関の前で力尽きて倒れた。



 意識を取り戻した時、俺は知らない天井の知らないベッドに寝かされていた。布団からなんかいい匂いがする。

 視線を巡らせば、俺の部屋と同じ間取りの1kの部屋で、八畳一間の洋室にカーペットが敷かれ、ベッドとこたつが置かれていると分かった。


「あら起きたの? いくら苦学生でも過労で意識不明になっちゃうまで働くのはさすがにやり過ぎよ。命あってのものなんだから」


 呆れたようにこたつから声をかけてきたのはアパートの隣の部屋に住むOLのお姉さんだった。ちなみに会えば挨拶はする程度の仲だ。


「あれ? 俺なんで……」


「あなた玄関の前で倒れてたのよ。鍵は持ってたから最初はあなたの部屋に入れようと思ったんだけど、部屋は冷えきってるし寝袋しかないし……さすがに引いたわ。あそこに放置するのはさすがに気が引けたからあたしのベッドに寝かしたのよ。今は夜の11時半過ぎね」


「あ……その、ご迷惑おかけしてすいませんっした」


 状況を把握して申し訳ない気持ちでいっぱいになる。


「いいわよ。あたしが勝手にやったことなんだから。それより、お腹すいてない?」


――ぐうぅぅ……


 答えるより先に腹の方が返事してしまって赤面する。


「あはは。じゃあこっちに来なよ。もうすぐ年も明けるから一緒に年越しそば食べよ?」


 お姉さんがこたつから立ち上がって玄関に向かう廊下にあるキッチンでお湯を沸かし始め、何かを電子レンジで温め始める。


「あたしももう外でご飯済ませてきちゃったから保存食ストックのインスタントとレトルトしかないけどゴメンね」


 申し訳なさそうにそう言いながら、レトルトの赤飯と里芋の煮物をわざわざ茶碗と小鉢に移し替えて出してくれた。


「お腹空いてるみたいだから先にこれ食べてて。おそばもすぐにできるから」


 お姉さんの心遣いにこみ上げるものを感じながらありがたく頂く。ただのレトルトの赤飯と煮物なのになんでこんなに旨いんだろう。


「はい。おそばもお待たせ。タイマーセットしてるからもうちょっと待ってね。ちなみにあたしは天ぷらは後から入れる派」


 お馴染みの緑のたぬきそばが二つ。丸いかき揚げみたいな天ぷらが蓋押さえ代わりに紙蓋の上に載せられ、隙間からほのかに湯気が出ている。

 天ぷらを後から入れる派なんて派閥があるなんて知らなかった。


――ピピピピ……ピピピピ……


 タイマーが鳴り、紙蓋を開ければ溢れ出す暴力的なまでの濃いだしの香り。割り箸で軽くかき混ぜて麺をほぐし、七味を入れ、最後に天ぷらを浮かべる。


「いただきまぁす♪」


 軽く両手を合わせたお姉さんが入れたばかりのまだふやけていない天ぷらを箸で摘まんで端っこをかじる。


――シャクッ


 そして麺をツルツルとすすり、カップに口をつけてスープを飲む。


「はぁー、美味しっ。丼に直接口をつけるなんて外じゃはしたなくて出来ないけど、これが美味しいのよね」


 それはよく分かる。そして、俺も天ぷらは後から入れる派に鞍替えすると決めた。お姉さんの真似をしてまだふやけきる前の天ぷらをかじってみたがこのシャクシャクの食感がすごくいい。

 濃いめのだしも、そばといいつつ蕎麦らしくないもちもちツルツルの麺も、食べ慣れているはずなのに今まで食べたどんな食事よりも美味しくて、俺は食べながら泣いてしまった。




――あれから何年たっただろうか。

 なんとか大学を卒業し、志望通りの道に進み、今では会社でも中堅扱いでそこそこいい給料ももらい、生活も充実している。

 あの頃は手が届かなかったクリスマスのご馳走だって買えるし、インスタントじゃない高級な手打ち蕎麦だっていつでも食べに行ける。


 そして迎える大晦日。


――ピピピピ……ピピピピ……


 3分のタイマーで緑色の紙蓋を剥がし、割り箸で軽くかき混ぜて麺をほぐし、七味を入れて最後に天ぷらを浮かべる。

 こたつの俺の向かいでは、お姉さん……今では俺の奥さんが同じようにして軽く両手を合わせる。


「いただきまぁす♪」


 これが何年経っても変わらない、きっとこれから先もずっと変わらない俺と彼女の年越しだ。



                   Fin.

 

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