幽霊の死体と、幽霊の幽霊について

春海水亭

あの世は無いけど、この世は広いよ

***


「この部屋に幽霊の死体を隠してるんだ」

 仕留めた獲物を飼い主に見せつける猫のような自慢げな声だった。

 そう言って鈴風すずかぜ 金糸雀かなりあは胸を張った。

 小学生と勘違いされることも少なくない彼女の小さくて不健全な体には、栄養の代わりに得意満面であるとか意気揚々とか自信満々とかそういうものがたっぷりと詰まっている。

 そういう彼女の精神的な強さに押されるように、由良々々ゆららら初音はつねは彼女の友だちになった――というか、されてしまったというべきか。


「言い間違いじゃなくて?」

初音は少しだけ考えた後、金糸雀に尋ねた。


「じゃあなくて」

「生きてる内に一回死んで、幽霊になってもう一回死んだってこと?」

「そういうこと」

「そりゃまた……踏んだり蹴ったりだね」

 そう言って、初音は死体を探すように周りを見回した。

 六畳一間の金糸雀の部屋は女子高生の私室には十分すぎるぐらい広いが、死体を隠すにはどうも頼りないように思える。

 だからと言って、死体を隠すのに適した広さの部屋というものを彼女は知らないし、何を言われても納得できるようには思えなかった。そもそも死体を同じ部屋に置いておきたいとも思えない。それが幽霊の死体であったとしても、だ。

 暖色系の家具で統一されたあたたかみのある金糸雀の部屋には大量のふわふわしたぬいぐるみがあって、そういう先住民の多さから言ってもやはり死体にとっては居心地の良い空間であるようには思えなかった。

 ぬいぐるみ同士でだって、おもちゃ屋の高品質の熊や犬とゲームセンターで取った安っぽいキャラクターの折り合いは良くないだろう。


「隠したって、どこに」

「どこだと思う?」

 初音はとりあえずベッドの下や家具の隙間を覗き込む。

 幽霊の死体は平べったそうだろうから、そういう狭そうな場所が向いていると思えたが、そこに幽霊の死体は無いようだった。

 しかし、そもそもの問題として初音は人生で一度も幽霊というものを見たことがなかった。そこに幽霊の死体があるよ、と言われても見えない可能性のほうが高い。


「ダメ、わかんないや」

 タンスを開けたり、本棚の本を引き抜いたり、家具の位置を動かしたり、そこまでする気にはならない。初音は白旗を掲げる代わりに柔らかなベッドに座り込んで何度もボヨンボヨンと自分の体を弾ませた。

「ンヒヒ……わかんない?わかんないかぁ」

 金糸雀は満面の笑みを浮かべて、天井を指差した。

 それに釣られて初音が天井を見ると、天井の隅にはそれぞれ四枚のお札が貼られていて、その中央に複数人の半透明の少女が浮いていた。

 季節を無視したような白半袖のセーラー服だったり、暖かそうな黒のブレザーだったり、黄色のワンピースであったり、特別に変な服を着ているというわけではない。 

 重力に見放されていることを除けば、一見すると生者とは何の変わりもないように見えた。

 だが、誰一人として首はなかった。

 断面の部分はよく見えなかったし、初音はよく見ようとも思わなかった。

「うわっ!!!」

「驚いたっしょ」

「ゆっ!幽霊じゃん!幽霊!本物の!」

「死体だって」 

 金糸雀の言葉の通り、天井に浮かぶ首のない少女達は誰かを驚かせようとか生きている人間を呪おうとか、そういう意思を見せることもなく、ただプカプカと浮いているだけだった。

「いやいやいやいや無理無理無理無理無理だって!!!幽霊!!幽霊!!幽霊じゃん!!」

 だからといって落ち着いて幽霊見物ができるというわけではない。

 幽霊のほうが驚きかねないほどに初音は慌てふためき、そんな初音の様子を金糸雀は愉快そうに見つめている。

「何もしないし、何も出来ないよ~」

「何も出来なくてもゴキブリはキモい!!」

「ひっどいこと言うなぁ」

 実際、初音自身も言った後にひどいことを言ったな、と思った。

 自分が幽霊ならば祟ってもおかしくはないだろう。

 しかし、どうにも幽霊がこちらに向かってくる様子が見えないので、そこで少しだけ落ち着くことが出来た。

 幽霊は(こういうのも不思議なことだが)間違いなく、死んでいる。

 だからといって、幽霊の死体と同じ部屋に居続けることができるというわけではない。

 金糸雀と初音は近くの回転寿司チェーン店に席を移し、話を続けることにした。


 回転寿司チェーン店を選んだ理由は三つ。

 平日は九十円で値段が優しい。

 そこそこの人がいて賑わっている。

 寿司以上に揚げ物が美味しい。

 

 注文用のタッチパネルでヤケクソみたいに揚げ物を注文した初音は、金糸雀とテーブル席で向かい合う。金糸雀は自分の隣の席に中身の入ったスポーツバッグを置いている。

 テーブル席の片隅には醤油用の小皿に塩をこんもりと山にして盛り塩の代わりにしている。

 揚げ物にも使えるし除霊にも使える、初音が人生で最も塩という調味料に感謝した日であった。

 効果があるのかどうかはいまいちわからないが。


「で、何?」

「何って何が?」

「何って……」

「何もかも全部わからないんだけど」

「逆全知全能みたいな感じだね」

「いや、だって何を聞けばいいかわからないじゃん!!」

 尋ねたいことは山ほどあった。

 幽霊の死体とは何なのか、であるとか。何であんなものが部屋の中にあるのか、だとか。そもそも幽霊が実在するのか、とか。しかし、聞きたいことがあまりにも多すぎると何もわからなくなってしまう。

 あがりを一杯口に含んだ後、金糸雀が言った。


「幽霊を殺したんだ」

「えっ」

「死体を作るためには、殺さないといけないじゃない?」


***


 六歳の頃だった。

 祖母の葬儀会場で、自身の遺影をぼんやりと眺める半透明の祖母を金糸雀は見た。

 それが金糸雀が初めて見た幽霊だった。

「おばあちゃんがいたよ」

 葬式中には黙っていなければならないことぐらいは、六歳の金糸雀にだってわかっていた。

 だから、金糸雀は葬式が終わってから自分が見たものを素直に母親に報告した。

 その言葉に母親は泣いていたが、金糸雀の知っている祖母は、殆どの時間横たわっていて、立っている姿というものを見たことがない。

 だから、しっかりとした足取りで立っている祖母の幽霊も、自身の遺影を眺める祖母の奇妙にはっきりとした表情も、どうにも奇妙なように思われた。

 けれど違和感を表す言葉は当時の彼女の中にはなく、なんだか変なように思えても金糸雀にとってはやはりおばあちゃんはおばあちゃんであった。


 金糸雀の人生の中に幽霊は度々現れたが、特に彼女になにかするというわけでもなく、彼女がなにかをするというわけでもなかった。街中で通りすがるたくさんの他人と同じように、幽霊も彼女の人生を通りすがるだけの存在だった。


 金糸雀は十二歳の誕生日に、初めて幽霊と会話をした。

 幽霊の少年は、金糸雀よりも年上に見えたが正確な年齢はわからなかった。

 幽霊の年齢は死んだ後のものも足してしまっていいのだろうか、と金糸雀は思った。

 彼は金糸雀が初めて見る幽霊で、授業中に教師の隣にぼんやりと立っていて教室の全体をぼんやりと眺めていた。

 そして、たまに目があうことに気づいて、放課後に少年の方から話しかけてきたのである。


「こ、こんにちは……」

 少年の幽霊はおどおどとした遠慮がちな声で、金糸雀に挨拶をした。

 幽霊について金糸雀が最初に学んだことは、幽霊だって人見知りをするということだった。

「こ、こ、こっ、こんにちはぁ~」

 そして金糸雀自身も幽霊見知りをするということを。

 互いに満点には程遠い挨拶を交わすことになったが、それが功を奏したのか、お互いに相手はあまり怖い存在ではないな、と思うことが出来た。

 

「普通の人間に幽霊が見えないのと同じで、普通の幽霊には人間が見えないんだよ」

「幽霊に話しかけられたのは初めて」と金糸雀が言った後に幽霊の少年はそう答えた。

「そうなんだ」

「生きてる人間のほとんどが死んだ人間を見ることが出来ないのに、死んだ人間が一方的に生きてる人間を見ることが出来るっていうのもなんだか不平等な話だろ?」

「そうだねぇ」

「生きてても死んでても、なんだかそういう変なバランスみたいなものがあるんだよ」

「生きてても死んでても見える人にだけ見える」

「それと関係があるのかわからないけど、俺は動物の幽霊を見たことがない。恐竜の幽霊も子犬の幽霊も。もしかしたら、他の幽霊の中には動物の幽霊が見ることが出来る人もいるのかもしれないけど、俺にはわからない」

「そういえばアタシも見たことないな、動物の幽霊」

「あと幽霊の幽霊も見たことがないんだ」

「幽霊の幽霊?おかしいよ、それ。幽霊って死んでるから幽霊なのに」

「幽霊だって死ぬんだよ、俺は何度かそういう幽霊の死体を見たことがある」

「……んー、頭こんがらがってきちゃいそう」

「そして、人間の幽霊がいるんだから幽霊の幽霊も絶対にいると思うんだ」

 金糸雀が幽霊の死体のことを聞いたのは、この日が初めてだった。


 初めて幽霊と会話をした金糸雀は、それと同じ日に初めて幽霊の死体を見た。

 殺したばかりの幽霊の少年は、教室の隅で重力に見放されてプカプカと浮いていた。

 初めて幽霊と会話したのと同じ日に、金糸雀は初めて幽霊を殺した。


***


「俺を殺してくれ、彼はそう言ってたよ」

「なっ、な、な、な……」

 初音の箸からこぼれ落ちたフライドポテトがテーブルに落下する。

 まだ温かいフライドポテトを金糸雀は細く小さい指でつまみ、口に運んだ。


「だから、アタシは彼の首を絞めて殺した」

「じ、自首しなよ!」

「殺霊は罪にならないよぉ」

「でっ、でっ、でもさぁ!仲良く話してた相手を殺せるものなの!?普通!!」

 金糸雀は四皿目のハマチを注文し、少しだけ考えた後に言った。


「確かにアタシは普通じゃない、けど彼は死にたがっていたし、それにアタシも答えを知りたかった」

「答え……?」

「幽霊の幽霊」

 店内は暑くも寒くもなく、適切な気温が保たれている。

 だというのに、金糸雀の言葉は初音のテーブルだけを冬よりも冷たく冷やすようだった。


「アタシはね、幽霊の幽霊が見たくて、今までに何人も殺し続けてるんだ」


***


 幽霊を見つけることは大して難しくはなかったが、触ることが出来る幽霊ともなれば、二ヶ月に一人見つかるかどうかのペースだった。

 そして、そういう幽霊は全員が全員殺されることを望んでいた。

 幽霊の首はこんにゃくのような感触と豆腐の柔らかさを併せ持っていて、あまり気分は良くなかったが殺すことはそんなに大して難しくはなかった。

 そして死んだ幽霊は幽霊の死体を残すばかりで、誰一人として幽霊の幽霊を残すことはなかった。

 そして幽霊の死体も、三日もしない内に消えてしまっていた。

 屋外の幽霊の死体が消える理由はわかりやすい。

 重力から見放されてしまったみたいに幽霊はどこまでもプカプカと浮いて、風船のように空に消えてしまうからだ。

 しかし、天井とか屋根に引っかかって浮いたままになっている屋内の幽霊の死体が消える理由はわからない。

 幽霊にも死体を清掃する業者がいるのかもしれないし、あるいは獣の幽霊が死体を食べているのかもしれない。もしかしたら壁もすり抜けて空に浮かびきってしまうのかもしれない。どんな理由があるのか、金糸雀はそれを見たことがないし、金糸雀が会話したことのある幽霊たちも見たことはないようだった。

 ただ、ホラーに出てくる幽霊のように、あるいは逆というべきか、御札のようなものがあると幽霊の死体は消えないようだった。


 幽霊の幽霊に対する情熱の火も徐々に弱まりつつある――そんなある日、金糸雀は真夏のホラー特番を見た。

 大したものではない。

 視聴者から送られてきた心霊写真を紹介し、心霊スポットと呼ばれる場所にタレントと自称霊能者がロケに行く、そんな番組だ。

 本物の幽霊を見れるからと言って、別に偽物の幽霊が嫌いというわけではない。金糸雀はそういう怪しさも好きだし、ホラー映画も大好きだ。

 だから、いつもどおりにそういう番組を見て――そして、金糸雀は気づいた。

 視聴者から送られた一枚の心霊写真――それは金糸雀が幽霊を殺した場所で、そして写っている幽霊の顔は、金糸雀が殺した幽霊の死体そのものだった。


 その一ヶ月後、金糸雀は自分が殺した幽霊の死体を写真に撮った。

 全ての写真には、はっきりと幽霊の死体が写っていた。

 

 更に、その二ヶ月後には賑やかなショッピングモールの中で、幽霊を殺した。

 その日、何人もの普通の人間が幽霊の死体を見て悲鳴を上げていた。

 全員が全員、幽霊の死体を見ることが出来るわけではない――しかし、


「幽霊の死体は見えやすいんだ」

 何を意味するかはわからないが、金糸雀は目的に向けて一歩前進したのだ。


(幽霊の死体は見えやすい……でも、これってどういう意味なんだろう?)

 今にも革新的なアイディアが出そうな予感がする。


(幽霊の死は、生きている人に近くなる?)

しかし予感は予感のままで、いつまでも答えの輪郭をなぞるだけだった。

 

 彼女の中の答えが目覚めたのは、彼女の十六歳の誕生日のことだった。

 十二歳の時に殺した幽霊の少年――彼が四年間成長すれば、このような姿だろう。

 そんな青年に、金糸雀は会った。


***


「アタシは彼に会って、兄弟やそっくりな親戚がいないことを確認したんだ」

 テーブルのハマチに手を付けること無く、金糸雀は言った。

 初音は静かに息を呑み、そして何故この場から離れてしまわないのかを自問した。

 気になるといえば気になる――しかし、正気の話ではない。

 逃げてしまった方が良いのだ。

 自分は目の前の金糸雀と違って、普通の人間なのだから。


「そして思った。人間も幽霊も、変なバランスのようなものがある……じゃあ人間が死んで幽霊になるなら、幽霊が死んだら……人間になるんじゃないかな、って」

「……生まれ変わり、みたいな」

 死んだ人間が赤子として生まれ直す、それは最もわかりやすい答えであったし、そうであってくれと初音は祈った。

「ううん」

 金糸雀は首を振った。

「もっとわかりやすい話だよ、人間は死んだら幽霊になる、なら幽霊は……幽霊は死んだら人間になる」

 金糸雀はスポーツバッグを開いた。


「あの世なんか無くて、人間はこの世で幽霊と幽霊の幽霊をぐるぐると繰り返してるだけなんじゃないかって」

 その中には、何個もの幽霊の生首が入っている。


「そしてアタシ達が気づかないだけで、そういう幽霊の幽霊はしれっと人間の中に紛れ込んでいる……アタシもそうかもね、死体を見たことがないからわからないけど」

 初音によく似た生首も。


「幽霊の幽霊見ぃつけた」

 仕留めた獲物を飼い主に見せつける猫のような自慢げな声だった。

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幽霊の死体と、幽霊の幽霊について 春海水亭 @teasugar3g

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