4-2 メイクアップ!

 ウィッグネットはウィッグ、つまりカツラを被る時に髪をまとめてくれるグッズだ。これがないと、地毛を抑えきれずウィッグが浮いてしまい、雑なコスプレになってしまう。被っただけのコスプレは嫌われるらしいが、それ以前の問題だ。

 昨日の夜、桑名くわなさんから「忘れ物をしちゃダメですよ」とメッセージが来ていたにも関わらず、よりによってウィッグネットを忘れてしまうなんて。サムズアップの絵文字で返して、そのまま気付かないで寝てしまった昨日の僕にサムズダウンしてももう遅い。水泳キャップやストッキングでも代用可能とはいうものの、ポケットティッシュじゃあるまいし都合よく持ち歩いているわけがなかった。

 どうする? 今から取りに帰るべきか? そんな時間もない。母さんに持ってきてもらうか? この歳になって母親に忘れ物を持ってきてもらうのは流石に恥ずかしい。


「どしたん、ゆーせいくん、気分悪い?」


 頭を抱えていると、メイクで女の子の顔になっていく途中のてぃーださんが声をかけてくれた。


「実はウィッグネット忘れたみたいで」

「あー、それでか。コスプレイベントあるあるやなあ。ウィッグネット忘れる人、結構多いねん。俺もコスプレ始めた頃、やらかした思い出があってなあ。たまたま近くにおったコスプレイヤーさんが、余分に持っていたから貸してもらってことなきを得てん。ほら、これ使い」


 なにやっとるねん自分と呆れられるのを覚悟していたのに、カバンから新品のウィッグネットを取り出し貸してくれた。


「いいんですか? 僕、出会ったばかりなのに」

「コスプレイヤーは助け合いよ。人情あふれた界隈やないと、新規さんも入って来にくいしな。せやからゆーせいくんも、次イベント出る時は困っとる誰かを助けたげて」


 莞爾かんじとして微笑む彼にドキッとしてしまう。底抜けにいい人だ。聖人と呼んでも差し支えない。現代を生きる僕たちが忘れてしまった、人と人とを結ぶ情を持っている。まさに暖かな太陽そのもの。どうしよう、泣いてしまいそう。


「というわけで。てぃーださんハサミを忘れてもうたから、貸してちょ!」

「あはは……」


 最後に綺麗にオチがついた。コスプレイベント常連さんでも忘れ物をしてしまうようだ。他に必要なものは全部入っていた。キャリーバッグに鏡を置いて、化粧の下地の準備をする。額、鼻、頬、顎と下向きの矢印を描くように下地をつけて、ムラなく伸ばす。日焼け止めも忘れてはいけない。春の海は紫外線が強く、夏よりも気をつける必要があるんだとか。

 下地がを塗り少し待ってから、たまごの形をしたスポンジにリキッドファンデーションつける。こちらも同じように下向き矢印型にあてて、内から外へムラのないよう薄く広く塗り塗り。仕上げにパウダーをポンポン。そうすることで、毛穴は隠れて白い陶器のような質感の肌になれるんだとか。人によってはヒゲを隠すためにドーランも塗る必要があるらしいが、生えても薄い「ワイルドさ」とは無縁な僕にはあまり関係のない話だ。

 次にシャドウやハイライトを入れて、立体感を生み出す。これで全体のメイクは完了した。苦手なのはここから、顔をキャンバスにしたお絵かきの時間だ。

 目元と口元は特に大事な場所だ。園部さん曰く、このバランスで見た時の印象が大きく変わるんだとか。折角完成度の高いコスチュームを用意しても、目と口を失敗してしまうと、その時点で台無しになってしまう。

 実際その通りだった。スマホのカメラロールには、失敗したメイク写真が何枚もある。やっていくうちに慣れてきて、上達が目に見えてわかった。小説に必要な文章力は本を読んだり書く数をこなして鍛えたりしても、良くなったかどうかイマイチ分からない。メイクみたいに分かりやすく結果が出るとモチベーションへと繋がるってものだ。


「……ふぅ」


 シェルピンクのアイシャドウと口紅でキュートらしさを演出してくれる。自分で言うのもなんだが、ぷるんとした唇は美味しそうに見えた。後は胸とお尻を装着してコスチュームを身にまとい、ウィッグを被って一丁あがり。鏡に映るのは、千葉路恵ちばみちえ

 新人アイドルの千葉路恵だよ! 世界でいちばん可愛いって、証明してよねマネージャー! なんてね。コスプレとなりきりは別のものだから、その子の台詞をあまり口に出しちゃうのはよくないらしい。なので心の中で路恵の台詞を唱えてみる。なんだか気分が乗っちゃうな。


「へぇ! ええやん、ええやん。かわいいやん」

「あはは、ありがとうございます。てぃーださんのは中沢琴なかざわことですか?」

「せやで。どや、似合っとるやろ? この服は彼女が作ってくれたんよ。愛の共同作業っちゅーわけやな」


 てぃーださんも着替えを終えていた。歴史に名を残した英霊たちと共に冒険をする人気ゲームに登場する、幕末を生きた男装の女剣士中沢琴のコスプレだ。女装した上で男装、とはなかなかややこしいことをしている。素直に男性キャラをしたらいいのに、なんて考えるのは野暮でしかない。名刺の狐娘といい、和風キャラのコスプレが好きなのかな。女装コスと男装女装コスの取り合わせが珍しいのか、周りの視線も感じる。


「彼女さんもコスプレを?」

「うん。今日も一緒に来とるよ」


 コスプレイヤー同士のカップルか。色々困る部分も多そうだが、コスプレというなかなか共感されにくい趣味をお互いに受け入れ合えて、てぃーださんみたいに一緒にイベントに行けるのは、少し羨ましさも感じる。桑名さんや園部さんにも、そんな人が現れるのかな。


「出会い厨するんは勝手やけど、彼女に手を出したら容赦せんよ」

「しませんよ。僕にそういう趣味はありませんから」

「ならよし!」


 ポンッと気合を入れるみたいに強く肩を叩かれる。人様の彼女相手にナンパだなんてとんでもない。SNSで晒されるのがオチだ。桑名さんをガードしなきゃいけないんだし、そんな余裕なんてどこにもない。


「むしろゆーせいクンが気をつけなあかんで? 自分、かわいい顔しとるからナンパされるかもせーへんし」

「うっ。気をつけます」


 さすがにない、と思いたいが園部さんがいうには女性の出会い厨だっているらしい。イベントを楽しめる程度に身構えておいた方がよさそうだ。


「準備が出来たら出よかぁ。あんま長々おってもあかんしな」

「はい。今日はよろしくお願いしますね」


 更衣室を出て、眩しい太陽の下に立つ。さあ、お祭りの始まりだ。どうせなら目一杯楽しまなくちゃ。

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推してビビッと!〜推しキャラコスプレの先輩に一目惚れした僕の事情〜 新垣優一 @u-1aragaki

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