お祭り騒ぎ
4-1 祭りが始まる
ゴールデンウィーク最後の日曜日は、絶好の行楽日和だった。心地よい五月晴れの中、
ハーバーシティにはすでに多くの人が集まっている。春の海を煌めかせる太陽の下で吸血鬼が高笑いし、緑と黒の市松模様の着物を羽織った剣士と猪頭が無邪気なちびっ子たちに囲まれて、本来同じステージに立つはずのない違う世界のアイドルたちが揃ってポーズを決める。日曜の朝に地球の平和を守るために戦う特撮ヒーローは、散歩中のワンコに吠えられて若干怖がっていた。
おもちゃ箱をドサっとひっくり返したみたいに、コスプレイヤーとカメラマンたちが港町を
僕らと同じくキャリーバッグを持っている人も多く、観光客に混じって、まだ着替えていない同業者の皆さんも見受けられる。あのカップルは観光で、あの親子は同業者。パッと見うまいこと擬態しているようだけど、僕の目は誤魔化せないぞ。
「はあ、緊張します……」
そんな澄み切った上天気の下で、誰よりもガチガチになっているのは間違いなく
さくらんぼ色の唇も青くなり、風邪をひいたみたいに体は震え、何度も何度も眼鏡を拭いている。そんなに力を入れて拭くと、レンズが割れてしまいそうだ。
かくいう僕もそれなりに緊張はしていた。初めてのコスプレで、いきなり女装というのはハードルが高い。もしクラスメイトに見られたら、と思うと全身の血が凍ってしまいそうになるし、ムダ毛の剃り残しがないか気が気でなかった。
しかし待ち合わせ場所で自分以上に緊張しきっていた桑名さんと合流すると、途端に心臓の鼓動は落ち着きを取り戻せた。自分より落ち着かない人を見ると、不思議と冷静になれるものなのだ。
「人の字を食べるよりも、飴ちゃんを舐める方がいいですよ」
カバンの中から常備しているオレンジ味ののど飴を出して先輩に渡す。別に喉が痛くなくても、ついつい舐めてしまうくらいには好物だ。震える手で袋を開けるとほのかに柑橘の甘酸っぱい香りが広がる。不思議と温かみのある色の飴を口に入れた。
「桑名さんの
吸って吐いて、お腹が膨らんで萎んでの単純作業をゆっくりと繰り返していくうちに、唇の色合いに赤みが戻ってきた。
「ふぅ……そうですね。先輩である私がこんなんじゃ、西倉さんもやりにくいですもんね。カッコいいところ、見せなきゃ」
不安や緊張よりも、先輩としてちゃんとしないと、良いところを見せないといけない、と見栄が勝ったようだ。桑名さんらしいといえば桑名さんらしい。徐々に落ち着いていったようだ。
「普段の行いが良かったから、文句なしの晴れ模様だ。みんな俺に感謝してくれよな」
しばらくして
「何を言っているんだか」
園部さんはというと、そのまま他のキャラのコスプレ衣装にも使えそうなくらいにオシャレに決めている。上も下も白をメインにして、名前の通り雪を身に纏っているようだ。
「でもま、曇りだとちょっともったいないもんね」
曇りや雨の中での写真も、それなりに趣がある。でもどうせ青々とした春の海で撮るならば、空も晴れ渡ってくれた方が絵になるってもの。雲の白と、空と海の青で塗られたマリンルック衣装もよく映えるはずだ。
受付でコスプレ登録証をもらって更衣室に向かう。当然女装するからといって女性更衣室に行けるわけがない。少しの間単独行動、みんなと別れて男性更衣室に入った。
メイクは慣れている桑名さんにやってもらえるのがベストだとは思うけど、残念ながら僕と彼女は性別が違う。更衣室以外での着替えやメイクがNGな以上、僕だけでメイクをしないといけない。
体育会系の部活がインターハイを目指すように、吹奏楽部がコンクールを目指すように。連休の間ひたすらメイクの練習と女の子らしい振る舞いを心がけてきた。その甲斐もあって、母さん姉さんより女子力が高まった……気がする。といっても、あの人たちはメイクにかける時間があるならば、ゲームをしていたい人種なのでこれっぽっちも参考にならない。
イベントによるけども、男性更衣室は女性更衣室に比べて圧倒的に狭いという。特にイベント開始時間前後は、床にテープを貼ってバミったとしても、ぎゅうぎゅうになってしまうためスペースを譲り合い、間隔を詰めるのがコスプレイヤーとしてのマナーだとか。ドレッサーなんて置く余裕もなく、キャリーバッグに鏡を置いてメイクをする必要があるのだ。
「ゆったりと準備をするならば、一時間くらい遅れて入ったほうがいいかもね。その頃には多少余裕あるんじゃないかな?」
とは園部さんの談。彼女の言うとおり遅れて更衣室に入ると、思っていたより余裕があった。男性のコスプレは女性に比べてメイクの時間も短めというのもあるのだろう。
「おはようございます。今日はよろしくお願いします」 なんにしても、挨拶は大事である。同じ祭りを楽しむ者同士、よろしくお願いしますの一言くらい言えなきゃ話にならない。挨拶のできない女装路恵コスがいましたー、なんてSNSで拡散されるのも嫌だしね。
「よっす、よろしくな!」
見た感じ20代半ばくらいだろうか、なんとも気さくな人だ。
「君、初めて見る顔やなぁ。イベント出るの初めて?」
「え、ええ。はい。実はそうでして」
「そうなんや! 中学生レイヤー?」
「あはは、一応高校生です、はい」
ムッとした顔になっていたのだろう、「あ、そうなん? ごめんごめん」と、申し訳なさそうに両手を合わされた。義務教育を終えたのもほんの2ヶ月前なんだし、これくらい誤差の範囲なのにね。
「俺、てぃーだって言います。よければどうぞ」
てぃーだ、というと確か沖縄の方言で太陽を意味していたっけ。なるほど、名は体を表すように太陽みたいに明るい人だ。慣れた手つきで渡された名刺には、和装をまとった狐耳の妖艶な女性が写っている。名前は思い出せないが見覚えのあるキャラクターだ。
「この写真の子、てぃーださんですか?」
「当然! 別の人の写真載せた名刺とか肖像権違反やで」
「ですよね。その、すごく綺麗だったので」
「ありがと。別に女装コス専門ってわけじゃないけど、これが一番バズったから名刺に載せとるんよ」
もし霞みがかった竹林なんかで狐耳のてぃーださんと出くわせば、そのまま異世界に連れて行かれてしまいそうだ。それほどまでに幻想的で、話題になるのも納得できた。
「えっと。ゆーせいって言います。すみません、レイヤー用の名刺はなくて。ドリドリのマネージャーとしての名刺ですが、どうぞ」
ドリドリのマネージャーたちの間では、ライブやイベントでお手製の名刺を交換する文化がある。もちろん取引をするわけじゃなく、交流のとっかかりのためのお遊びだ。どの子を担当しているかが一発でわかるし、それぞれ名刺のデザインや構図が違うのでコレクションするのも面白い。人によってはそこまで凝らなくてもいいのに、と思うほどに力を入れていたりする。開くとアイドルが飛び出す名刺は感心したものだ。
僕はというと、1週間風呂上がりの姉さんにマッサージをする代わりに、名刺用の舞織イラストを描いてもらった。それ以外は自分のSNSや投下している小説投稿サイトのアカウントを載せて、家のプリンターで印刷したシンプルなものだ。
「ご丁寧にどうも。ドリドリだと、古館鈴歌のマネージャーやっているよ。コスプレイヤーの名刺文化って廃れてしまった感あるから、マネージャー名刺でもお返しにもらえると嬉しいもんよ」
しかしコスプレイヤーさんこそ、自信のある1枚を使って名刺を作りそうなものなのに。文化が廃れたというのは意外にも思えた。
「今はQRコードで気軽にSNS交換できるからなぁ。ゆーせいくん、初めてで色々不安やろうし? 困ったことがあったらなんでも聞いてなあ」
イベントに参加する時、第一村人との遭遇が何よりも大事だ。ファーストコンタクトがいい人ならば、イベントも気分よく参加できる。逆に感じが悪いと居心地の悪さを感じてしまう。最初に声をかけたのがてぃーださんでよかった。さて、僕も着替えるか。
「あ、あれ……? 嘘でしょ」
衣装はある、ウィッグもある、メイク道具もある。舞織のイラストが描かれたスマホ用モバイルバッテリーも忘れていない。でも、地毛を収めるためのウィッグネットが見当たらなかった。
コスプレイヤーゆーせい、デビュー早々忘れ物をやらかす──。
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