カナリア・アイデンティティ

サクラクロニクル

カナリア・アイデンティティ

 金糸雀には善も悪もわからない。彼は人間ではなく、歌を歌うためだけに存在する人間にそっくりな生き物だったからだ。彼は常に歌声を鍛え上げることに腐心しており、そうやって上昇した歌唱力を用いて人間から賞賛を浴びるのが趣味だった。修行の果て、街に出て、でたらめな歌詞で声を張り上げる。しかしそれは人間にとっては素晴らしい内容の素晴らしい歌であって、それは彼にはまったくわからないのだが、金貨や銀貨が四方八方から飛んできて彼の足元におちる。きらきら輝く貨幣をステージにして彼はさらに歌う。やがて人間たちは大いに満足して引き上げていく。彼の親友を自称するマラリアといういかした男が足元の金を拾い集める。

「金糸雀はまったくどえらい男だな」

「そうかな」金糸雀は褒められると赤くなる。「そうとも。僕はどえらい」素直で自信にあふれている。

「うむ。俺は友達としてうれしいぜ。大もうけだ。こんなに楽な商売はない」

「最高か」

「最高だ」

「そうかそうか」彼は満足する。「じゃあもう帰ろう。明日のために英気を養うことにする」

「そうしておけ」とマラリアは笑った。「俺はお前のためにまたいろいろと準備をすることにするよ」

 マラリアは彼と違って人間だった。人間なので善と悪の区別がつく。人間なのに善と悪の区別がつかないのを畜生と呼び、そういうのは人間扱いしなくてもいい。たとえば人間を殺すようなのは畜生なので、その瞬間からゴキブリとかと同じように扱っていい。マラリアはそういうのにはなりたくなかったから必死で自分の生きる道を探した。なにしろマラリアが宿している能力と言えば狡賢さと暗殺力くらいだ。暗殺力というのは暗記力よりも役に立たない。なにしろマラリアは人間なのだから。マラリアはたまに彼のことがうらやましくて仕方がなくなる。彼は金糸雀だから人間のように悩まなくて済む。彼が悩むときというのは、歌がまともに歌えなくなったときくらいだろう。でもそんなことがあるだろうか。あいつは金糸雀という生命体だから歌うことに特化している。喉を損傷してもしばらくすれば治癒されている。まったく、なんて便利なんだ。人間はそういう能力に欠ける。喉を損傷? 下手すりゃ死ぬ。

「なんだい、なにを考えているんだ」と、ある日、悩んでいるマラリアに彼が言った。珍しいことだ。他人を心配するなんて金糸雀にできたのか。

「いや、お前がうらやましいんだ」

「そうだろう、そうだろう」と彼は尊大な態度を取った。「僕はなにしろ最高だからな。お前がそういった。信じていいんだろう」

「いいさ」そう、金糸雀。お前は俺が嫉妬するほどに最高だ。「お前みたいになれたらなあと思うよ。でも、俺が人間である限りそれは無理だろう」

「そう。金糸雀には人間のことはわからないから、その気持ちもわからない」

「そうなのか」

「たぶんそうだ。でもかわいそうだと思う」

「わかってるじゃないか」

「金糸雀のかわいそうは人間のかわいそうか」

「わからん」

「そうだね。じゃあ、早く歌いに行こう」

 その日は夜の街に出た。祭があり、そこで稼ごうと思ったのだった。マラリアはようやくそのことを思い出して、彼のあとについていった。彼と一緒に稼いだ金はだいぶすごいことになっていた。これを資本に遠征もできる。いまのままでも幸せに暮らすことは可能だが、マラリアは人間なのでそういう小さくまとまった真似はできないようになってる。彼も、マラリアが「もっと大きな満足を得られるところがあるんだ」と身振り手振りを大げさにして話すのですっかりと舞い上がってしまい「祭が終わったら考えてみる。そうか。僕の歌も、もっともっとすごくなるかもなあ」とうっとりとした顔で呟いた。

 祭ではいままでになく盛り上がる。拍手喝采。

「やあ、どうだった」と彼は訊いてきた。

「やはり最高だぜ」とマラリアは笑顔を見せた。「ああ、これならもっとでかい街にいける。首都に行っても通用するんじゃないかな」

 首都にも彼と同じ種族のものがいるだろうが、彼ならそんなやつらを振り払うことができるだろう。井の中の蛙大海を知らずというが、金糸雀は両生類ではないのであてはまらない。なにが大海を知らず、だ。知らなかったからと言ってどうだと言うのだ。蛙は海では生きられない。そんなふうにマラリアは心の中で毒づいてみた。諺に楯突くくらい、今日のマラリアは不安に苛まれていた。

「そうか。僕はやはりすごいか。なあ、僕はどうすごい」

「そうだな」とマラリアはすこし考えた。「すごいと言えば、人間の心を揺さぶるあたりがすごい」

「どうして人間の心は揺さぶられる」

「なんというかな。人間は外部から入力される情報に感情移入することができるんだ。それをより素直にやらせるのがお前の歌なんだよ。それができないやつらは、単に音を発している有機物に過ぎない。お前は、だから特別だ。他人を感動させることのできるお前こそ、まさしく金糸雀なんだ」

「そうか。じゃあ、マラリアは感動するか」

「俺か――」

 マラリアは彼の歌で感動したことなど一度もなかった。彼の歌に共感できなかったからだ。

「俺はどうも、感情移入が下手なようでね。まだ感動したことはないんだ」

「そうか」と彼はすこし哀しそうな顔をした。「金糸雀は、ダメなのか」

「そんなことはない」

「だが、マラリアは感動しないと言った。マラリアの感動と人間の感動は同じはず。違うのか。違うのだったら別にいい。だけどマラリアが人間なら、僕はマラリアを感動させられないダメな金糸雀だ」

「いいんだよ、そんなこと」

 マラリアは自分が他の人間よりも劣っていると考えたくはなかった。だが劣っているのは事実であり、自分でも認めていた。認めているからこそ、そういうことを他者から言われたくはないということであり、また、そういうことを考えさせる発言をするやつが嫌いだった。

「いいのか」と彼は頭を抱えた。「それはいいことなのか」

「いいんだよ。俺は人間だぞ。お前よりは善悪の判断がつく」

「そうか。ならいいんだ。僕はもうちょっと修行してみる」

「あ、おい」

 彼は走り去ってしまった。祭の中、マラリアは立ち尽くす。

 それから数日間、マラリアは彼と接触することができなかった。どこに行ったのだろう。本当に修行しに行ったのかもしれない。街に行く準備は後回しとなった。彼自身が用意しなくてはならないものがたくさんあったからだ。マラリアはちゃらちゃらと時計の鎖を鳴らしながら街中を歩いた。金糸雀、帰ってきてくれよ。俺はお前がいないとなんの役目も持たないチンピラにすぎねえんだ。お前の付き人ってのが俺のポジションなんだ。だが彼は見つからなかった。それから一週間の間は。

 だが、きっかり一週間経ったその日の昼、彼は突如街の中心に現れると、奇怪な歌を歌って人間たちを殺害し始めた。その歌は人間の心に向かって弾丸のごとく直進し、ぶち抜き、息の根を止めた。みんな無感動な顔をして倒れていく。マラリアはその騒ぎを聞きつけて彼の許に走った。マラリアにその話を伝えた人間は、とっととどこかに逃げていった。

 街には彼の歌が響き続ける。ほんのすこしでもその音を聞けば効果が現れ始めてしまうので、みんな必死で逃げた。なかには幻聴で気を失うものまでいた。ちいさな物音でしかないものにおびえて川に飛び込んで溺れ死んだ。耳に砂を詰めてウキキキキと騒ぎ立てた。無駄なことばかりする人間たちはみなすべて畜生に落ちていった。もはや街は彼一人のせいで壊滅状態だ。だがマラリアは平気だった。彼のどんな歌を聞いても。これはどういうことだろう。やっぱり俺は人間じゃないのか。人間以外のなにかなのか。

 彼の目前へとたどり着いたマラリアは、大きな声で叫んだ。

「もうやめろ。いまのお前は、悪いやつだぞ」

「マラリア」と彼は初めてマラリアを名前で呼んだ。「僕は悪いやつか。僕はマラリアを感動させたかっただけだ」

「俺なんか感動させてどうするんだ。お前はまともな人間だけ感動させてりゃよかったんだよ」

「それは僕のアイデンティティが許さない。だって僕は金糸雀だから」

「なんだってんだ」

 彼は歌い続けた。あらゆる技巧を駆使して。だがマラリアはその歌の影響をまったく受けない。何故だかはマラリアにも誰にもわかりはしない。

 そのうち、ヘッドホン部隊と呼ばれる憲兵隊が到着し、彼を撃ち殺した。最初に喉を破壊された彼は、ニヤリと笑って、涙を流した。それもほんのわずかな時間のことで、連続する銃撃に彼の体はズタボロのぐちゃぐちゃになり、もうなにがなんだかわからない肉の塊になった。

 マラリアは彼と一緒に稼いだ金の残りを使って、なにかできないかと考えたが、特にまともな才能はなく、また金糸雀みたいなやつを見つけないとダメだな、という結論に至った。

 いまでも彼のことを思い出すと複雑な気分になる。嘘でも感動したと言ってやった方がよかったな、という思いがあり、一方でそれは嘘っぱちだから悪いことのようにも思えたのだ。あいつが勝手にやったことなんだからあいつが悪い、と断じてしまうことだってできる。

 ため息を吐いて半年後、マラリアは新しい金糸雀を見つけた。今度は少女だった。少女は街を壊滅させた彼の歌っていた歌と同じものを歌うことができた。しかしそれはあの日のような効果を発揮することなく、また、人々の心にたいした感動も生みはしなかった。しかしマラリアはその少女を拾った。

 それから毎日、マラリアは残り少ない資本を食いつぶしながら、少女の歌を聞いている。

「なあ、その歌はいったいなんの歌なんだ」

 少女は答える。

「友達を感動させる歌なの」

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