書き手と描き手の境界線

くろぬか

書き手は描き手の絵を燃やす事を決意する


 高校最後の部活動。

 そんな言葉があるが、実感としては非常に薄い。

 これが運動部であったのならまた違ったのかもしれない。

 しかし俺が所属しているのは、美術部。

 クリエイト関係ならなんでも活動可という、良く分からない部活だった。

 今の様な世の中なら、正直家に帰ってPCで作業した方が早い。

 しかし家に問題がある家庭というのはいつの時代だってあるもので。


 「今日も“ソレ”の続きか? 絵具女えのぐおんな


 美術室の扉を開けてみれば、いつもの後姿が見えた。

 長い髪に、透き通るような肌。

 ピシッと背筋を伸ばした彼女は、微笑ながら俺の方を振り返るのだ。


 「今日もボツ小説を作りに来たの? 猫背作家ねこぜさっか


 美術部、現在部員二名。

 随時部員募集中。

 なんて、ずっとポスターは張られている訳だが。

 俺達二人以上に部員が増える事などついに無かった。


 「次は賞を取る。見てろよ? 今時流行らないアナログ絵師め」


 「言うだけなら簡単だね、いつまで経ってもランキングに上がらない作家さん? 私はこの二年で度々賞を取ったけど?」


 「ふんっ! 一銭にもならない賞なんて興味ないね!」


 「そういうのは認められてから言うモノだって」


 クスクスと笑う彼女から少し離れた席に腰を下ろし、ノートパソコンを開く。

 文字が書ければ何だって良い。

 そんな事を思って買った激安ノートパソコン。

 だとしても、俺にとってはアイディアの宝箱なのだ。

 思いついては書き、文を綴り、この中に仕舞って来た。

 良さそうなモノを整えて“小説”として投稿する、という何とも地味な作業をするのが俺の部活動。

 それでも、充実していたのだ。

 文字を綴るのは楽しい。

 自分だけの世界が作れる。

 世に様々な小説が出回っているが、物語を追体験できるのが小説でありお話。

 その楽しみを作る事が出来るのだ。

 この世界に絶望し、他の世界を望んだとしよう。

 一般論に言えば、馬鹿かと言われてしまいそうなソレ。

 しかし、あえて言おう。

 世界に絶望した人たちに、俺は全力で叫ぼう。

 なら、作家になれと。

 競争率は高いし、売れるかどうかも分からない。

 でも自分の手で、指先だけで“自分だけの世界”が作れるのだ。

 頭の中で思い描く世界を、確かな世界として世に残せるのだ。

 だからこそ、俺は小説を書きたいと願った。

 ……あまり評価されてはいないが。


 「くそう、また酷評が入っている」


 「気にしたって仕方ないじゃない。“誰にでも受け入れられる世界”を描くなんて、どうしたって出来ないよ」


 「そうは言っても、評価は評価だ」


 「でも、それは“その個人の評価”。指摘されたソレに合わせて変える必要があると本当に思った時にだけ、変えれば良いんじゃない?」


 「“私的”と“指摘”の境界線を引くのは、とても難しいんだよ」


 「その境界線を、“知った事か”って言ってブチ破る事が出来るのもクリエイターだけだよ?」


 「格好良い事を言うじゃないか。作品とは流行に準ずるモノではなく、流行を作る物……言うのは簡単だがやはり難しいな」


 「頑張れ作家さん、悩みながらも前に進もうとするのは恰好良いぞ」


 軽口を叩きながら、彼女は筆を進める。

 いつ見たって彼女の描く世界は綺麗だ。

 キャンバスに塗られていく油絵具一つ一つに意味がある。

 どうしたらあんな風に“世界”を描けるのだろう。

 彼女のキャンバスは一時の風景を、感情を。

 もしくはその両方か、更にはどちらでも無い世界をも描く。

 教科書に載る様な画家の絵を見ても、あまりパッと“凄い”とは思えない俺でも。

 彼女の絵には引き込まれる。

 素晴らしい。

 これが俺の入部理由であり、まだこの部に滞在している理由。

 彼女の描く世界は、とてつもなく綺麗なのだ。

 俺が作った小説が“書く”だったとすれば、彼女の絵は“描く”。

 この違いは、非常に大きい。

 綺麗過ぎて逆に不安になる程、彼女の描く世界は美しいのだ。


 「お前は、何を思ってその絵を描いている?」


 「ん~そうだな。相も変わらず同級生が堅苦しい言葉で喋るのが嫌だなぁって思うのと、今日の夕飯何かなぁって思って筆を動かしてる」


 「今日の夕飯、旨いと良いな」


 「そうだねぇ」


 間抜けな会話をしながら、二人きりの美術室には作業するだけの音が響くのであった。


 ※※※


 「ただいま帰りました……」


 小さな声を上げてみれば、廊下の先からパタパタと急いでこちらに向かってくる足音が聞える。

 あぁ、今日も機嫌が悪そうだ。

 そんな事を想いながら下を向いていれば、パァン! という音共に頬を叩かれた。


 「何時だと思っているのですか?」


 「すみません、学校でコンテスト用の絵を描いていました」


 スカートをギュッと握りしめながら、静かに唇を噛む。

 もう、いつもの事だ。

 というか、生まれてからずっとだ。

 私は絵を描かなければいけない、“天才”と呼ばれる一握りの人間にならなければいけない。

 その恐怖と共に、私の人生は存在するのだ。


 「旦那様がお待ちです、挨拶してらっしゃい」


 「……はい」


 短い挨拶を終えて玄関を上がり、廊下の奥の襖を開ける。

 そこに広がっている光景は、多分初見の人間であればドン引きするだろう。


 「ただいま帰りました」


 「おかえり、今日も絵を描いていたのかい?」


 やつれた顔で振り返るその人の正面に置かれているのは、とんでもなく大きなキャンバス。

 私が作る世界とは比べ物にならない程の、とても大きな壁。

 そこに描かれる彼の絵にゾッと背筋を冷やしながらも、私の絵を撮影したスマホを差し出した。

 すると。


 「……はぁ」


 ため息が聞こえた。

 まだ足りないんだ、この人が認める領域に達していないんだと実感できる。

 私は、この人を継がなければいけない。

 もっともっと、上手く無ければいけない。

 “芸術家の娘”としてもっと、努力しないといけない。


 「ごめん、なさい……」


 「いや、違うよ。ごめんね……私がもっと上手く伝えられれば良いんだけど……」


 「いえ、失礼します」


 それだけ言って、“父”の部屋を後にする。

 悔しいなんて気持ちは当の昔に捨てた。

 どうすれば良いのかだけをひたすらに考えた。

 でも見つからないのだ、その答えが。

 いくら描いても、いくら筆を動かしても。

 “答え”が見つからない。

 だからこそ、私は。

 “逃げた”のだ。


 「アイツの小説。更新されてる」


 ベッドに身を投げ出しながら、彼の“物語”を読んでいく。

 彼は言っていた、作家は物語の中に想いを隠すのだと。

 ふとした言葉の中に、“切っ掛け”となるそれが隠れているのだと。

 そして文章に書かれていない物語を、心情を読み解くのも“本”の面白さなのだと教えてくれた。

 だから、何度も読み返した。

 この登場人物は何故こんな事を言ったのだろう? この人はどういう環境で育った人だっけ?

 色々と思い返しながら、自身との“常識の違い”さえも考えながら、彼の小説を読んだ。

 そして、最後に。


 「もっと幸せな気分にしてよ、バーカ」


 なんてコメントを、彼の投稿しているサイトに書き込むのであった。

 彼の小説は面白い。

 けど、多分流行とズレているのだ。

 だからこそ、人気が出ない。

 いくら根強いファンが付こうと、埋もれてしまう。

 でも、それでも。

 彼の作った世界が、“人気が出ないから”という理由で捨て去ってしまうのは。

 とても勿体ない気がするのだ。

 なんたって私は、“彼の世界”が好きなのだから。


 「コメント、編集しとこ……」


 もうちょっと、彼のやる気が出る様な文章に変えておこう。

 彼は人間なのだ、私と同じ。

 批判されれば傷付いて、それでも挫けず物語を“描く”小説家なのだ。

 なら、少しだけ。

 私だけでも、彼の支えになれたら。

 そんな事を想いながら、暗い室内でスマホを弄り回すのであった。


 ※※※


 「マジか……」


 学校の廊下に飾られた一枚の油絵を前に、俺は震えていた。

 いつだって近くに居た同じ部活のアイツが、また賞を取った。

 凄い事だ、物凄い事だ。

 惜しくも銀賞という評価ではあるものの、他者から高い評価を買ったのは間違いない。

 震えた、震えあがった。

 マジで凄い、アイツはやっぱり凄いんだ。

 そんな事を想いながら、意気揚々と美術室へと向かってみれば。

 アイツは、下を向いて真っ白なキャンバスの前に座っていた。


 「……どうした?」


 声を掛けてみれば彼女はゆっくりとコチラを振り返り、笑みを浮かべた。


 「次のコンテストに出した作品もね、何か賞貰っちゃったらしくて。こういうのって、意外と早く連絡来るのよ」


 そう言いながら、彼女はピースサイン見せた。

 だが、その顔は。


 「笑っているのに笑っていない。文字ならよくありそうなソレを初めて見たぞ」


 「あ、あはは……」


 乾いた笑いを浮かべながら彼女は再び俯いて、ピースサインも弱々しく下がっていく。

 何が不満なのか。

 他者から認められ、凄いモノだと評価されたというのに。

 彼女は、今にも泣きそうな表情を浮かべていた。


 「銀賞、おめでとう」


 「ありがとう……でも、意味ないんだよ。銀賞じゃ」


 「意味がない訳あるか、お前は認められた。まずはソレを誇るべきだ」


 そんな会話をしながら肩に手を置いてみれば。

 その肩は、随分と震えていた。


 「一番じゃなきゃ、駄目なの。それに今度の“通っちゃった作品”。アレだけは、絶対に家族に見せちゃいけないモノなの。絶対に気付かれちゃう、もっと怒られちゃう」


 ガタガタと震える彼女は、肩に置いた俺の手を握りしめて来た。

 異常だ。

 それだけは分かった。

 てっぺんじゃなくても、賞を貰ったのだ。

 俺だったら泣いて喜ぶか、踊り狂うかも知れない。

 だと言うのに。

 彼女は泣いていた。

 全身を震わせながら、体中が冷え切ってしまったのではないかと言う程に、冷たい手で俺の手を掴んで来た。

 こんな時、物語の主人公ならどうするだろう。

 俺はアマチュアであっても一応物書きだ、色々と想像出来る。

 情熱的な言葉を返すか? それとも励ますか?

 はたまた気が付かないフリをして、今後の展開に合わせるか?


 「馬鹿野郎、だ」


 「え?」


 俺はその手を、思いっきり掴んだ。

 彼女が辛いのは“今”だろうが。

 冷え切った体で震えているのは、間違いなく今この時なのだ。

 問題を先送りにするな、俺は主人公じゃない。

 だからこそ、今できる事をしよう。

 彼女にとって何が最善かを考えろ、何も知らない俺が手を貸せる事例を考えろ。

 必死で頭を回した結果、一つだけ思いついた。

 それが。


 「その絵を、燃やそう」


 「はい?」


 「どこにある? 美術館か? 燃やそう」


 「えっと……」


 「燃やすぞ、今夜」


 「あ、はい」


 俺は、放火魔になる事を決めた。

 彼女がこの世に残したくない作品なら、消し去ってやろう。

 頼りなくとも、彼女の味方である為に。


 ※※※


 彼女の絵は美術館に飾られているらしい。

 その情報を得た俺は、コンビニでターボライターを買った。

 これなら火が付かないと言う事は無いだろう。

 風にも強く、相手は油絵の具だ。

 だったら多分、燃える筈。

 何てことを考えながら、彼女と共に美術館に潜入する。


 「暗いな……」


 「当たり前、馬鹿なの?」


 短い会話を交わしながら、ゆっくりと廊下を進んで行く。

 ほぼ真っ暗だし、歩く音も響く。

 心臓は常にバクバク音を鳴らしながら、彼女の絵が飾られているという場所まで足を運んでいた。


 「あのさ、なんでココまでしてくれる訳?」


 「何がだ?」


 警備員に見つからない様に恐る恐る足を進める中、彼女は小さな声でそんな言葉を紡いでくる。

 頼むから静かにしてくれ、バレたらヤバイ。


 「普通さ、こんな事までしないって。何がしたいの? アンタは」


 呟きながら、彼女はこちらの袖を引く。

 その手は相変わらず震えていて、いつも見ている生意気な言葉を放つ女子には見えない。

 あぁ、嫌だ嫌だ。


 「俺は、この“現実”が嫌いだ」


 「どうしたの急に」


 フンッと鼻を鳴らして言い放つ。

 随分と呆れた顔をされてしまったが、知った事か。

 その手を思いっきり掴んでやった。


 「貧乏だからなんだ、両親が居ないからなんだ。たったそれだけの理由で、夢を諦めなきゃいけないのか?」


 「……え?」


 呟く彼女の声を無視して、俺は声を上げた。

 今まで溜まっていた不満を吐き出すかのように、それすらも鼻で笑える強者を演じられるくらいに。


 「俺は早く助けてくれた人達に恩返しがしたい。だからクリエイターを選んだ。年も経験も関係ない、“結果”が全てのクリエイターを自分で選んだ。俺は自分で稼ぐんだ、せめて自分の事くらいは自分で出来るように。そう思って続けて来た」


 「あ、あの……」


 「でも結果は惨敗だ、作家ってのは厳しい。でも楽しい、それだけは分かった。俺が作る世界を楽しんでくれる人が居て、共感したり、もっとこうなって欲しいって言葉を残してくれる奴がいる。それはもう、俺の“世界”を気に入ってくれた、“俺の世界の住人たち”だ」


 笑いながら、俺たちは歩き続けた。

 彼女の絵が展示されている場所に向かって。


 「でもお前が必死に描いた絵が“気に入らない”、“見せちゃいけない世界”だってんなら。お前自身がそう判断するなら、“無かった事”にしよう。作品ってのは生み出す親は居ても、“子供”にはなり得ない。勝手に育ったりしないからな」


 作品とは、作家が“完成だ”といえば終わる物語。

 例えどんな不満が出ようとも、どんな意見が溢れようとも。

 全ては“書き手”次第で決まる。

 作品は何処までも副産物であり、作家の妄想であり。

 綴り手の“人生”なのだから。


 「コレが、お前の描いた絵か?」


 「……うん」


 目の前には、家族写真の様な風景が描かれたキャンバスが飾られていた。

 正面から撮ったものじゃない。

 まるで第三者が傍から撮影した様な、他者からの風景。

 家族みんな笑って、“誰か”に向けて笑顔を浮かべている。

 ソレを、傍から見ている様な。

 そんな一枚絵。


 「いいんだな? 燃やすぞ」


 「……うん」


 返事を返しながらも、彼女は震えていた。

 胸ポケットからライターを取り出して、彼女の絵に近づけてみれば。


 「ま、待って!」


 彼女はライターを振りかざすを俺の腕を抱きしめる様に掴んで来た。


 「どうした? 消したい作品じゃなかったのか?」


 「こんなの見せちゃ駄目、駄目だって分かってるのに……」


 その体は、今まで以上に震えていた。

 分かっているだろうに、感じているだろうに。

 俺みたいなネット作家であれば、自分の作品を消すのは一瞬だ。

 “削除”ボタンを押せば、全てが無かったことになる。

 でもやっぱり残るのだ。

 心の奥底に、この作品は“無価値だったのか?”という疑問が。

 だからこそ現実に目に見える形で、触れられる形で“作品”を残したというなら。

 こういう反応が普通だ。

 今目の前にある作品が、“無価値”な訳がない。

 彼女が数えきれない程の時間を掛けて、吐き出した“弱音”なのだから。


 「これが、今のお前なんだろう?」


 「そう、かもしれない」


 「こんな風に笑っていたかった。でも、そうじゃない。今ではソレを思い描いて第三者の様な目線に立っている」


 「相変わらず、堅苦しい言葉で喋るね……」


 ハハッと乾いた笑みを浮かべる彼女に、何となく腹が立った。

 どっち付かず、そんなもの若い頃ならいくらでもある現象だろう。

 だがしかし、俺達“クリエイター”には関係ないのだ。

 年齢など、クソ喰らえ。

 面白ければそれで良い、感動させられるならそれで良い。

 そういう世界なのだ。

 そういう世界を生き抜くために、俺たちは今まで共に静かな教室で過ごして来た筈なのだ。

 だから、彼女の手を取ってしっかりと立たせた。


 「燃やすのは止めだ。今からお前の家に連れていけ」


 「……は?」


 呆けた彼女の顔を睨みつけ、俺は彼女の“作品”を写真に収めるのであった。


 ※※※


 「なっ!? こんな時間に男を連れて来るなんて、何を考えて――」


 「夜分遅くに失礼いたします、ついでに上がらせて頂きます。おい、元凶はどこだ」


 「えっと……」


 お母さんが叫ぶ中、彼はズンズンと私の家を進んで行った。

 私が指し示す方向へ向かって、迷いなどないと言う程に。

 そして、勢いよく襖を開けたかと思えば。


 「娘さんを俺に下さい! この家では才能を十分に発揮できない様ですので! 俺が貰っていきます!」


 頭がバグったんじゃないかって程の台詞を吐きながら、私の父の後ろに座った。

 彼は高校生だ、普通ならこういうセリフを吐く年頃ではない。

 だというのに。


 「ほぉ……ウチの娘が欲しいと。君にくれてやる理由があるかい?」


 見た事もない程の冷たい表情で、父が振り返った。

 正直、怖いと思った。

 だと言うのに、彼は一歩も引かずに言い放った。


 「俺は小説家になります! 今はまだアマチュアですが、絶対プロになります! その時、間違いなく彼女の“イラスト”が必要になります! だから下さい!」


 「娘の描く絵を“イラスト”だなんて言葉に収めるのかい?」


 「イラストはイラストです。書籍の挿絵などに使われるモノをそう呼びますが、例え偉人の傑作だったとしても本に乗ればイラストです!」


 言葉遊びをしに来た訳ではない、とでも言いだけに彼は言い放った。

 画家の、父に向かって。

 父の背後に置かれているのは一瞬で目を奪われそうな大きなキャンバス。

 そして色とりどりの、私では描けないであろう“世界”。

 ソレを見てもなお、彼は胸を張って答えていた。


 「私はね、結構な位のある画家なんだよ?」


 「遺伝では芸術センスは似ません。万物が平等ではない様に、貴方が美しいと思った物が娘さんもそう感じるという保証はありません。よって論外です」


 「娘は幾つものコンテスントで入賞して来た、それは才能が認められていると言う事ではないのかい?」


 「仰る通り、貴方の娘さんは才能の塊であり、天才です。マジでびっくりします」


 なんか、良く分からない感じになって来た。

 しばらくそんな会話が繰り返された後、彼はダンッ! と音がする程の勢いで畳の上にスマホを叩きつけた。


 「才能があって、本人も絵が好きで、期待されていて。そんなお嬢さんが、何故こんな絵を描くんですか!」


 先程美術館で撮影した私の油絵。

 ソレを父親に突きつけながら、彼は叫んだ。

 額に青筋を立てて。


 「はっきり言おう、確かに綺麗だ。しかし、あまりにも面白くない。描写としては面白いが、描き手の“楽しい”という感情が伝わってこない。何故こんなモノを描かせた、言え。アンタは、こんな物を描かせるために娘に“イラスト”を教えたのか?」


 私の描いたその絵を見た瞬間、父は青ざめ母は絶句していた。

 随分と昔から“絵”と言うものに関わって来た家系だ、見ただけでも意図が伝わるのだろう。

 私は常に、“第三者”の視点からこの家庭を眺めて居るという事実が。

 いい気味だ、とは正直思う。

 でも今後を考えると、どうしたって良い選択肢には思えない。

 だからこそ、必死に口を噤んでいれば。


 「アンタらがいつまでも“こういう”環境を保つなら、彼女は俺が貰う! 俺は自称小説家だ、小説には表紙が要る。ライトノベルなら挿絵が要る。だからこそ、アンタらの娘を貰う。これからは“彼女だけの世界”が思いっきり描ける環境を俺が作ってやる!」


 自信満々に言い放った同級生の顔面に、父の拳がめり込んだのであった。


 ※※※


 「普通さ、殴るかね。昔のドラマじゃあるまいし」


 「そりゃあんだけ訳の分からない事ばかり叫べば殴るでしょ。放火未遂までやらかしてるし、警察に通報されなかっただけマシだよ」


 そんな事を呟く彼女は、缶珈琲を差し出して来た。

 冷たい缶珈琲を頬に当てながら、夜空を見上げる。

 彼女の親父さんから殴られて、家から放り出されて。

 何故か付いて来た彼女と並んで、公園のベンチに腰を下ろしていた。


 「もう、今年も終わるのか」


 「そうだねぇ、もう十二月だもんね」


 「結局今年も賞が取れなかった……」


 「作家への道はコンテストに受賞する事だけじゃないんでしょ?」


 そんないつも通りの会話を続けながら、暗い夜空にため息を吐いた。

 あぁ、なんだろうな。

 今更ながら、随分と偉そうな事言ってたな俺。

 彼女の言う様に、コンテストで賞を取る事だけが作家になる道ではない。

 それでも、だ。

 企業から声を掛けられるなんてほんの一握り。

 それこそ、投稿サイトでランキング上位に上がっていないと視界にすら入らない。

 そういう世界なのだ。


 「自己出版を考えるか……」


 「お金ない癖に」


 「だよなぁ」


 大きなため息を溢しながら、俯いていれば。


 「でも、好きだよ。私は」


 彼女の声に顔を上げてみれば、そこには満面の笑みがあった。


 「私は、君の“描く世界”が好きだよ」


 「お前……俺の話読んだ事ないだろ」


 呟いてみれば、彼女はスマホをこちらに向けて来た。

 そこに表示されていたのは、間違いなく俺の書いた小説。

 しかも周りからボコボコに批判を買いまくった、俺が初めて書いた話だった。


 「私は、魅入られたんだよ。君の“世界”に、君の描く物語に。だから、好き。一生懸命描いている姿も、駄目だぁーって投げ出しそうになりながらも必死に文字を紡ぐ君は、恰好良いよ。それに、びっくりするほどの行動力も。まるで物語の主人公みたいだ」


 そう言って笑う彼女は、月明かりに照らされる彼女は美しかった。

 それこそ物語のヒロインみたいに、輝いていたのだ。

 だとしても、だ。


 「俺は主人公になれない」


 「どうして?」


 首を傾げる彼女の顔に、冷たい缶珈琲を押し付けてやった。

 ピギャッ! なんておかしな奇声を上げる彼女を他所目に、高々と宣言してやった。


 「俺は小説家だ! 自称とか実績なんて知った事か! 俺は物語を書く事が好きだ、一人でも俺の話に“ハマってくれた”奴がいれば、俺はソイツにとっての小説家だ! だから言おう、俺は主人公にはならない!」


 「……はぁ、全くもう。その心は?」


 「俺が、主人公を“生み出す”からだ」


 「変な所で、自信過剰なんだから」


 「それが作家だ、自分の作品のファン第一号が自分でなくてどうする」


 「実績も伴っていたなら、もっと格好良いのに」


 「それは言うな」


 その後は酷いモノだった。

 深夜に徘徊していたせいで警察に補導されたり、翌日学校に行けば校長室に呼ばれ、停学一歩手前になったりと。

 本当に踏んだり蹴ったりだ。

 まぁ、全て俺のせいなので何も言い返せなかったが。

 そんなこんなありながら、大きな問題にならなかったのはアイツの両親が弁明してくれたお陰だと説明された。

 あれから、少しは“マシ”になって居れば良いが。

 学生に出来る事は少ない。

 どうしたって保護者に守られている身分であり、自分の責任さえ自分で取れない。

 だからこそ、何をしたって周りに迷惑を掛けてしまう。

 それを理解しているからこそ、早く自分の手で金を稼げる存在になりたかったと言うのに。

 なんて事を考えながら、美術室の扉を開けてみれば。


 「遅かったね、猫背作家」


 「校長に呼び出しを喰らっていた。本来なら警察沙汰だと散々脅されたよ」


 「まぁ、普通に警察沙汰だしね。放火未遂と不法侵入の作家さん?」


 「うるせぇやい」


 いつもの席に腰を下ろして、ノートパソコンを開いた。

 さて、今日思い付いた話を。

 とか何とか思いながらキーボードを叩き始めたその瞬間。


 「今度は、自分の作品を持ってこいってさ」


 急に、彼女がそんな事を言い始めた。

 視線を向けてみればそっぽを向いているし、こちらと目を合わせるつもりもない様だが。


 「何の話だ」


 キャンバスにさえ目を向けない彼女にため息を溢しながら言葉を紡いでみれば、彼女は深呼吸してからこちらを振り返る。

 真っ赤な顔で、両目に涙を溜めながら。


 「だからっ! お父さんが、その……アンタの作品を読んで、“認めて”くれれば。くれてやるって……」


 「何をだ。主語の無い会話は嫌いだ」


 「……アンタが言ったんじゃない」


 はて、と首を傾げてみれば。

 “娘さんを俺に下さい!”

 どっかの馬鹿が叫んだ台詞が記憶から蘇って来て、思わず息がつまった。


 「なに? 不満なの?」


 「あ、えっと。いや……」


 そもそもクリエイターとして彼女を求めたという事であって、別に“そういう意味”では……。

 なんて、今更言っても弁明の余地も無いのだろう。


 「嫌なの? 私じゃ駄目な訳? まだ一本も世に出してない作家さん?」


 思わず、その一言にイラッとした。

 もちろん彼女の言う通りだ。

 俺は未だに“趣味”の領域を抜けきれない作家モドキだ。

 だからこそどんな煽りを受けようと、彼女の父に作品を持ってこいと言われても提出出来るわけが……。

 ピポン、と間抜けな音と共にスマホが鳴った。

 画面を覗き込んでみれば。


 「フ、フフフ」


 「なに?」


 「貰ってやろうじゃないか、提出してやろうじゃないか。およそ半年後」


 「はい?」


 呆けた彼女に、スマホの画面を突きつけてやった。

 そして、叫んだ。


 「俺は、小説家になる!」


 ――――


 突然のご連絡失礼いたします。

 現在貴方様が御執筆されている作品について、ご相談したい事がございます。

 この度、貴方様が御執筆されている作品が我が社において高く評価され、書籍化の御相談をしたくご連絡させて頂きました。

 是非ご一緒にお仕事をさせて頂ければと思っている次第ですが、如何でしょうか?

 ご連絡、お待ちしております。


 ――――

 

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書き手と描き手の境界線 くろぬか @kuronuka

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