第3話 Undead In The House

 なぜか彼のことを思い出すと不愉快な気持ちになる。


 いや、突然暗い出だしで申し訳ないのだが、さっき新しく買ったばかりの卵のパックを落としてしまって憂鬱な気分でヌルヌルになった床を掃除していたら思い出してしまった・・・。基本的に変わった入居者が多いいずみ荘だったが、私に実害がない限りは私も不干渉、無視、放置を徹底していたが、彼だけは見過ごせなかった。


 さっさと書いてスッキリしてしまおう。


3.Undead In The House


 203号室にゾンビがいる。というかしっかり住んでいる。住んでいるということはすなわち、ただそこに漠然といるのではなく、衣食住の基盤、営みがしっかりと存在する。


 Kさんは(おそらくカ行で始まる名前だったが覚えていないので)高校生にして親元を離れて一人暮らしを始めた。別に家族が嫌だったわけではなく、深い、影のある事情や何の面白みもなく、ただ単に通いたい高校が県外だったという理由だった。


 Kは不幸な男だったと言える。中学時代に性悪女に騙されこっぴどく恥をかかされた過去があるがそのことではない。二か月前に入った某イタリア料理チェーン店にて食べたパスタに髪の毛が入っていたことがあるが、そのことでもない。三日前に下校中、十トントラックにもろに撥ねられ、全身がぐちゃぐちゃになったが、そのことでもない。


 彼は世界中どこでもいつでも起きている不慮の事故に遭い、世界中どこをいつ探しても起きない現象に遭遇した。


 彼はゾンビになった。


 とはいえ何をもってしてゾンビと定義するか・・・その答えによっては彼はゾンビではないのかもしれない。たとえば彼は人を襲わない。映画などで描かれている人肉への欲求は皆無。それどころか食べるものは人間と同じ。たとえば動きはのろくない。これは作品によるが、ゾンビとはのそのそと歩いて近づいてくるというイメージを持つ人も多いだろう。実際、走ってくるよりもじわじわ近づいてくる方が不気味で迫力があるというものだ。しかし彼の動きはゾンビになる以前と何も変わらない。では彼の体は人間からゾンビへと変態を遂げてなにがどう変わったのか、思いつく限り書き出してみよう。


・肉体そのものは事故以来腐り続けている。

・三大欲求の消失

・五感の退化(衰えているだけ)

・不死身

・不老不死

・事故以来の情報記憶、感情記憶ともに更新不可能

・感情、思考の消失


 ざっとこんな感じである。「こんなんで生活できんのか?」と思うかもしれないが、事故以前の記憶は体が覚えているため生活自体は可能だ。

 生活自体は・・・と、つまりは生活以外は無に等しい。人間を人間足らしめるものは衣食住にはない。惰眠、買い食い、夜更かし、オナニーetc...そういった無駄の蓄積こそが、機械や野生動物と人間の違いだ。社会利益のために生きるでもなく、生きるために生きるでもなく、何の目的も意義もない不毛な時間こそ、無こそ必要なんだ。無のない人間は空っぽになる。彼は朝に目覚め、欠かすことなく学校に行き、勉学に励み、帰宅。三食、風呂、歯磨き、適切な時間の就寝。まさに模範的人間になり下がった。理想的人間など人にあらず・・・見ているだけで吐き気がするのだ。


 だがそんな完璧ゾンビの彼には、ゾンビになったことで浮き彫りになった問題があった。


 孤独、孤立、無関心。


 クラスメイトの誰も、近所の人間の誰も、彼のゾンビ化に気づかなかった。新しい土地に引っ越してきたばかりの彼を空気のように扱い、何食わぬ顔で回っていた世界。そしてそれに甘んじていながらも、こうしていてはいけないと焦燥に駆られていた彼。そんな彼なら、苦悩する彼なら・・・ここまで嫌悪感は抱かない。(まずい・・・怒りのあまり本文にまで私情がはみ出している。いかんいかん)


 一人で食う弁当・・・「一人暮らししてるんだって?ってことはそのお弁当も手作り?すげーじゃん!」「出身ってどこなの?お前の地元の話聞かせろよー」その一言すらない状況は正常なのか?別に強制するわけでもない。だがそんなものは空気と同じで、「空気はなくてはならない!」なんて意識せずともそこにある。空気が消えた空間は異常だろう。なのになぜこの状況の異常性に誰も気づかないのか?答えは簡単だ。気づいているからだ。気づいてしまっているがゆえに、気づかないふりをしなくてはいけない。気づいていることに気づかれてしまったら最後。自分も異常な状況の関係者になってしまう。気づかなければ無関係のままでいられるから。それはよく言う傍観者という立場からすら器用に逃げおおせてしまう・・・人間が身に着けた妙技だ。


 とはいえそんなその他大勢の方がゾンビの彼より人間らしいとは皮肉だね。完璧ゾンビは人間的には完璧なのに、まぁ致命的だから・・・仕方ないけど。


 そんな彼に初めて声をかけた人物がいた。それは彼の住むいずみ荘の大家。


「あなたのご両親・・・家賃の支払いを拒否するそうです。何度問い合わせても「私たちに子供はいない」の一点張りでして・・・困ってるんですよ」


 ニタリ・・・と、ゾンビは笑っていた。



 私が家賃のことを告げた翌日に彼はいずみ荘から姿を消していた。荷物も全部まとめて。・・・清々しなかった、ほんっとに。毎日あんな奴が自分の近くで生活していることが我慢ならなかった。家賃の件に関しては不審に思ったが、彼を追い出せるなら何でもいいと思った。だが実際に追い出してみても気持ちは晴れない。それは別に良心がとがめるとか、そういうことではない。だって、悪いなんて微塵も思っていないから。ゾンビだから、という理由でもない。もったいぶらずに理由を言えって?

わかったよ・・・ただ胸糞悪くてね。二の足を踏んでしまうんだよ。


 彼は笑ったんだ。いやに人間らしいにやけ面で・・・。


 彼は喜んでいたんだ。孤独、孤立、無関心。誰もが関係者になりたがらなかった彼の異常に、私が踏み込んだから。誰もが避けて通っていた犬の糞を私だけが踏んだような感覚・・・最悪だ。ゾンビになって感情が消えているにも関わらず彼は笑った。それほどまでに・・・感情でも思考でもなく無意識レベルの深度に到達するような喜びを、よりにもよって私自ら彼に与えてしまい、そのうえ勝ち逃げがごとく去られてしまっては、そりゃ私も胸が晴れなくて当然だ。それどころか余計に、私の心の底に不穏の卵を落とされてしまった。ひどく汚れた。


 あ、そうそう。今回限り本文の書き方を変えてみた。思考や感情のないゾンビのモノローグをいつものように一人称で書くのは変に思えてしまって・・・。今回は私視点で、ということだった。没入感?というのだろうか。そういったものが損なわれていたとしたら申し訳ない。次回からはまた元に戻すよ。お楽しみに。





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いずみ荘 汐咲アクメ @siosaki-akume

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