第2話 名が体を殺す

 次に思い出されるのは201号室の彼ですね。彼とは一度食事に行ったこともあるので、前回の親子と違って名前も覚えてる。安藤火虎。忘れたくても忘れられない名前だしね。


 え?なんて読むんだって?そりゃそのまま・・・あんどうひとら。


 彼は愚痴が多い人で、特に自分の名前についてだけど・・・話を聞くに親が教養のない人たちだったようで火に虎ってかっこよくね?みたいな感じでつけられたらしい。俗にいうキラキラネーム、もしくはDQNネーム、なんて言ったりもするらしいね。

 ともかく彼は自分の名前がコンプレックスだったようで、なんでも知識を持つようになったクソガキからヒトラー・・・幼少期にそう呼ばれていたらしい。安藤って名字もね、カタカナで書くとアンドウヒトラ、アドルフヒトラー・・・ボヤっと聞いてると聞き間違いそうだ。もちろん周りの大人は一般的倫理観に基づいてこれを注意したらしいけど、むしろ気まずいだろうね、名前だし。太っている人にデブって言ってる人がいて、「そんなこといっちゃいけません!この人だってデブになりたくてデブになったわけじゃないんだから!」と注意。


 ・・・あー、気まずい、気まずい。


 本当にそういう名前なのだから庇う側も庇われる側も気疲れがすごいだろう。なんであれ他人が他人の事実を指摘するというのは大罪だね、やっぱ。これはそんな彼から食事の席で直接聞いた話だから、前回より信憑性があるかもね。


2.名が体を殺す


 みんなにはまともな親がいるだろうか?


「いる人は羨ましいなー・・・」


 みんなには死んでほしい親がいるだろうか?


「わかるなー・・・」


 34歳フリーターの素人童貞が深夜一時に虚空に向かってするボヤキ。厳密にいうと虚空ではなくパソコン画面。

 人並みの悩みを持つ人と、特殊な悩みを持つ人。人並みの悩みを持つ人の総悩み数をⅹと置くとき、特殊な悩みを持つ人の総悩み数はx+1と置くことができる。この+1とは他人から共感されないという悩みである。「それわかるー」だったり「つらいよね、実は私も・・・」といった言葉をかけてもらえるのは人並みの悩みを持つ人だけ。つまり逆説的にいえば、特殊な悩みを持つ人とはそういった言葉をかけられないということになり、そうなると当然ながら元々持っていた悩みにもう一つ、悩みに共感してもらえないという悩みがくっついてくることになる。

 近頃こういったことを言う人間に対し、「不幸自慢」という言葉を使う不届きものがいるようだが、死ねばいいと思う。こんなものが自慢に聞こえるならきっと耳が悪いのか、頭が悪いのか、性格が悪いのかのどれかだ。

 俺は後者に属する人間だ。


キラキラネームは名前の変更ができるという話はもちろん知っている。だからこそ余計に歯がゆいのだ。俺と同じような悩みを抱えた動詞はそうやって続々と後者から外れていくというのに、俺だけが取り残されていく。


「名前が変わるってことはもう俺たちの息子の火虎はいなくなったってことだよなー。ってことはお前は赤の他人、ぶっ殺してもなんの罪悪感もねーなー・・・」


 両親が食卓の席で中学生の俺に放った言葉。確かその日の晩飯は唐揚げだった。


 そんなのはったりだと思うだろう・・・俺が一番そう思いたい。しかしながらそう思えない明確な理由があるのだ。


「今日はあの日かー・・・洗濯物干したかったのに・・・やだな」


 毎週金曜日は俺にとって人生最高の一日だった。最高が毎週訪れていたのだから、あの頃の俺はそこまで不幸な人間でもなかったのかもしれない。それは家族みんなでやる仮装パーティーの日だった・・・。

 毎週毎週家族のうちの誰かがミイラ男やキョンシーといった仮装を披露するというもので、それらは手作りでなくてはならず、各々が一週間かけて工夫を凝らしたコスチュームを作っていた。人生最高の日の人生最後は突然訪れた。

 小学四年生のときだった。


「今週はおばあちゃんだね!」


 当時は父、母、父方の祖母、俺の四人住まいだった。


「実は今週の仮装はパパとママも手伝ったんだぞー」


「えー!おばあちゃんだけずるいよー!俺のも手伝ってー!」


「年長者は労わるもんだ。下の者が上の者に力を貸すのは当然のことだぞー」


 しばらくして鼠人間が現れた。鼠色のフェルトやら毛?のようなもの(今思えばあれは犬やら猫やらの毛だったのかもしれない)を接着剤で直接肌にくっつけられていた。どぶのにおいや生臭さも相まって、本物の鼠のようだった。


 ・・・俺たちは三人住まいになった。


 その日以来、俺は毎週金曜になると不思議なものを見るようになった。


 空からしとしと、ぶにぶに、バチャバチャ、ゴキッ!


 降り注ぐ無数の鼠。


 今日がその金曜日。こんな日は洗濯物を干したくても不気味すぎて外に出られない。部屋の中でイヤホンをして、ゲーム三昧・・・楽しい・・・わけがない。外では今も雲からなのか雲の上からなのか知らないが、自由落下してきた小さな彼らの肉体が、地面にたたきつけられてはじけ飛ぶ音が鳴り響いているというのに・・・僕は34年も生きてしまった。


 薬局へピクニックだ。水無薬局。近所に見つけたこの薬局には俺にぴったりの薬が置いてある。


・限界脱糞下剤 390円

「うんこをまき散らしてのド派手な自殺をご希望のあなたに!」


・都合悪いことナイナイ眠剤 520円

「飲んで寝れば快眠スッキリ!ついでに記憶喪失でサッパリ!」


・血眼目薬 180円

「集中できない?!これを使えば欲望のみに全力集中!!周りが見えなくなること間違いなし!!」


・痛み止め 200円

「あなたの痛みを和らげます・・・」


 全部買った。


 今日は外の音がうるさくて眠れないから眠剤だ。記憶喪失は眠る以前24時間分らしいから、この最悪の金曜の記憶を丸々消してくれる!眠くなるのに2時間くらいかかるらしいし、その間ゲームでもして時間つぶそう。


「あ、おはようございます・・・」


「おはようってもう夕方6時ですよ?もしかしてずっと寝てらっしゃったんですか?」


「あ、もう約束の時間・・・すぐ支度しますね」


「ゆっくりでいいですよ。どうせ明日は日曜ですから、どんなに遅くなってもそう大して困りませんし」


「大家さんのお仕事に日曜とかあんまり関係ないんじゃないですか?」


「気分的にですよ、気分的に」


 起きたらもう土曜の夕方だった。昨日は金曜だったはずだけど・・・なんかすっきりしてるな。ほんとだったら毎週土曜は寝不足なんだけど・・・鼠のせいで。でもなんでだろう・・・昨日は俺なにしてたんだけ・・・?


「安藤さーん、まだですかー?」


「あ、はーい・・・今すぐ」


 ドアの向こうから大家さんの声が聞こえた。今日は大家さんとご飯食べに行く約束してたんだった・・・こんな俺にも気さくに接してくれていい人だな。友達なんて何年振りにできたんだろう。とにかく今日は珍しく調子がいいし、全力で楽しもう。


 数時間後


 なんか・・・楽しく話してた分、一人の部屋に帰ってくると余計に寂しいなー・・・。今日は俺の愚痴ばっかり話しちゃったな。大家さんに面倒くさいやつだと思われたかなー・・・また誘ってくれるかな。でも大家さんずっと楽しそうに聞いてくれてたし、うん!大丈夫か!


「あれ?なんだこれ?こんなの買ったっけ?」


 掃除をサボりまくった畳の上に見つけたのは見知らぬ薬の空き箱・・・限界脱糞下剤?都合悪いことナイナイ眠剤?血眼目薬?痛み止め?・・・痛み止め以外はすべて開封済みの空箱だ。


「昔なんかで使ったのを捨て忘れてたのかな?ま、いっか」


 空箱をすべてゴミ箱に放り込んで、自分の体も布団に放り込んだ。


「今日もまたぐっすり眠れそうだ」


 それから数日の間、なぜか気分が晴れやかな日が続いた。その勢いでバイトも頑張って、今月は久々に風俗にでも行こうかと考えていた。

 でもそんな日々も今日で打ち切りだ・・・なんせ今日は金曜だから・・・。


 例のごとく外には不快な音が充満しており、眉をしかめながらもイヤホンを耳につけ、ゲーム開始。するとボトッという音とともに、俺の肩になにかがぶつかった感触があった。イヤホンを外して自分が座っている椅子の下を見てみると、ガラス片にまみれた潰れた鼠が横たわっていた。次に気づくのは冷たい風だ。目をやると窓ガラスが割れていた。イヤホンをつけていて気付かなった。


「・・・強い」


 土砂降り。


 鼠の土砂降り。


 やがて溢れんばかりの生臭い鼠の死骸が氾濫し、窓どころか壁を破壊して流れ込んできた。逃れようと必死に走って逃げ、外に出た。


「ま、町が・・・だって・・・これは・・・」


 見渡す限り鼠の死骸に埋め尽くされ、建物や電柱等も倒壊し、見上げれば天空を埋め尽くさんばかりの鼠たち。

 呆然としている間にいずみ荘も鼠に飲み込まれていき、建物ごと俺も流されていく。生臭さとぶよぶよした感触に包まれながら、口の中に、鼻の中に、耳の中にいくらかの血肉が入りながら、俺は流された。

 どれくらい流れていたのだろう?数時間だったような、数日だったような・・・。

 流れ着いた先は、実家だった。


 高く積まれた鼠の死骸が実家を取り囲むように壁を作っている。それは地獄の要塞。神すら触れられないような、人類の、俺の終着点だった。おそらく最悪の。マルチエンディングの中の隠しバッドエンド・・・もはや共感してくれない人すらいなくなった世界で、運命が俺を運んだのがこことは・・・。つくづく逃げられないんだな。悩みの元凶からは・・・共感してもらうことで痛みを和らげることはできても、元凶を断つことは前者も後者もできやしない。


「ただいま」


 すると二人の鼠人間が現れた。大便に塗れてぼろ雑巾のようになった灰色の肉塊。


「俺は元凶を断てなかった。しかし、元凶を支配したんだ。自分の力で。俺はアンドウヒトラ。この鼠の要塞の・・・独裁者だ」


 俺は痛み止めを飲んだ。


 痛みが和らいでいくのがわかる。


「ヒトラー!ヒトラーだ!悪い奴は退治してやる!」


「敵!敵!みんなの敵だ!」


 こんな酷いことを言われて・・・泣いているのは・・・小さなころの俺?

それとも・・・あなたは、アドルフ・・・。

 


 そうなんですね。わかります。俺も同じなんで。



「安藤さーん!安藤火虎さーん!・・・ヒトラーさーん!」


 痛みが返ってくる・・・そうだ、そういえばあの痛み止め、一回二錠って書いてたような・・・やべ、一錠しか飲んでなかったや。



 書き終わってから気づいたんですが、二回連続で毒親ネタでしたね。別に意識したわけでもなんでもないんですが・・・気を付けます。あんまり同じような話が続くと飽きてきちゃいますもんね。

 彼はその後に警察病院に移されたそうで、移送される前に今回の話を書いた手紙を送っていただき、やはり彼と仲良くなって正解だったと思った。その後も何枚か手紙が送られてきたが、そこに書かれていたのはつまらない近況報告だけで、ろくに読まずに捨てていた。私が全く返信しないことに愛想をつかしたのか、5か6枚目の手紙を最後に音信不通になってしまった。

 彼は私をいい人だと言っていたが、別にそういうわけではなく、自分より不幸な人のエピソードトークとは興味深く、たいへん私の琴線に触れるのでそれが聞きたいがためにわざわざ食事に誘い、彼の不幸自慢をアテにしてうまい酒を飲んだ。

 悪いとは思っていません。

 だって彼はしょせん、自分の両親を殺した畜生なんですから。


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