お風呂には熱すぎる ~アクアとマーズのお湯物語~
埴輪
お風呂には熱すぎる
その、何もかも、程々が一番という世界にあって、熱過ぎる風呂というものは、とんと需要がなかった。そもそも、熱湯に浸かったら、火傷をしてしまうわけで。そんな風呂しかいれられないウンディーネとサラマンダーに、需要があるはずもないのは、当然の帰結であった。
ウンディーネは水の精霊。サラマンダーは火の精霊。共に美しい女性……まぁ、サラマンダーの方は、背伸びした少女という感じだったが、それぞれ、水と火を操る力を持っていた。
人々は精霊の力を借りて、快適な生活を送っていた。風呂もその一つである。人々のために風呂をいれられるのは、ウンディーネとサラマンダーにとって、大きな
だが、この二人……アクアとマーズは、ダメダメだった。その原因は俺にあると、マーズは痛感していた。だから、もう何度目だったか、熱すぎる風呂をいれて銭湯をクビになった時、アクアにおずおずと切り出したのである。パートナーの解消を。
「まぁ」
アクアは蒼い瞳をぱちくり。心底、驚いたという表情で。
「……わかってるだろ。俺は火が強すぎるんだ。だからいつも熱湯に──」
「ううん、私がもっと水を出せれば良いだけの話じゃない」
確かに、アクアが扱う水は上質、かつ清らかなれど乏しく、一人用の湯船でも、足が浸かれば御の字という程である。一方、マーズの火は、大浴場すら
「いや、俺が──」
「いえ、私が──」
顔を見合わせ、笑い合う二人。ずっと、こうやってきたのだ。駄目なりに、一生懸命。そして、これからも、きっと。しかし、願わくば、どこかに熱い風呂が好きな人が──
「君たちかな? とにかく熱い風呂をいれられる精霊さんというのは?」
ベンチに座った二人の前に、一人の男が立っていた。見慣れない、異国の服を着ている。
「……光栄だね。旅人のおっさんにまで知れ渡ってるなんてさ」
「もう、マーちゃんったら。……ごめんなさい。私たち、職を失くしたばかりで、少々、傷ついておりますの。その点を、ご配慮頂けますと、大変、助かるのですけれど?」
「ああ、これはすまなかった」
頭を下げる男を前に、二人は目配せを交わす。……どうやら、悪い人ではなさそうだ。
「ぜひ、熱い湯を注いで欲しくってね」
「熱いって、どんぐらいだよ?」と、マーズ。
「それはもう、熱ければ熱いほど」
「それなら、まぁ……」
「お湯の量は、どれほどをご所望ですか?」と、アクア。
「400ミリリットルほど」
「みりり?」
耳慣れない言葉に、アクアは首を傾げる。男は「ああ、失敬」と、
「この湯船に熱湯を注いで欲しいんだ」
「これが湯船だって? 妖精用かよ!」
「さて、どうだろうね」
男は半球状の物から透明な膜を取り去ると、ベリベリと半分ほどその皮を剥き、中から銀色の物を取り出すと、親指と人差し指でそれをつまみ、しゃかしゃかと振り始めた。
「お嬢さん、すまないが、このカップを持っててくれるかな?」
「子供扱いすんなって」
そう言いながらも、マーズは素直に両手を差し出して、半球状の物を受け取る。その中にはまだ、黄色い物と、灰色の物が残っていた。男は銀色の物を引き千切ると、半球状の物の中へと傾け、黒い粉をざーっと注ぎ入れた。
「……おっさん、何やってんだ?」
「直にわかるよ。ほら、中に線が見えるだろう? ここまで、お湯を注いで欲しいんだ」
「本当に、熱くてもいいんだな?」
「ああ、頼む。この通りだ」
男はマーズから半球状の物を受け取り、深々と頭を下げた。アクアとマーズは頷き合うと、アクアは左手、マーズは右手を差し出し、指を絡め、握り合わせる。それを男が持つ半球状の物の上に掲げ、目を閉じる。二人の手の下に水球が現れ、ぼこぼこと泡立ち、白い湯気が立ち上る。やがて水球は熱湯の滝となって、半球状の物へと注がれていく。熱い湯が白い線まで満たされると、水球は蒸気となって消えた。
「ありがとう」
男は半球状の物を右手で掴み、半分剥いた皮を左手で元に戻すと、その手首に巻かれた腕輪に目をやって、「あと3分」と呟いた。アクアとマーズは手を解き、男の様子を窺う。
「……あの、これで、よろしかったのですか?」と、アクア。
「ああ、完璧だよ」
「結局さ、それ、何なんだよ?」と、マーズ。
「緑のたぬき」
「みどりの、たぬき?」
アクアが復唱すると、男は腕輪から目を離さずに、頷いた。
「僕の世界ではポピュラーなインスタント食品で……まぁ、平たく言えば、食べ物だよ」
「ぽぴゅとか、いんすたとかは存じ上げませんが……なるほど、食べ物だったんですね」
「それが? 嘘だろ?」
男は腕輪を見詰め続ける。それが何か、大切な儀式であるかのように。いつしか、アクアとマーズも、男の腕輪を注視し、固唾を呑んで見守っていた。やがて──
「時間だ」
男は半球状の物の皮を剥いた。今度は半分ではなく、その全てを。その瞬間、いずこからともなくファンファーレが鳴り響いた。道行く人も思わず振り返るほどの、大音量で。
「……ありがとう。君たちのお陰で、ミッションを達成できた。ただ、食べる時間までは用意してくれてないらしい。これは、君たちに託すとしよう」
男は半球状の物……「みどりのたぬき」を差し出し、マーズがそれを受け取る。「ああ、これも必要だね」と、雑嚢から細く、平べったい板を取り出したたところで、男は光に包まれ、その姿を消した。落下する板を、アクアがとっさに手を伸ばして受け止める。
──ややあって。道行く人は何事もなかったかのように歩みを再開し、そこで何事かが起こったという痕跡は、アクアとマーズ、それぞれの手の内にあるもののみとなっていた。
「……一体、何だってんだ?」
「やっぱり旅人さんだったのよ。世界を渡る……ね」
アクアは木の板を撫でたり、引っ張ったりしていたが、突然、パキンと二つに割れて、「あら」と蒼い瞳を丸くするのだった。
「このみどりのなんとかってのも大概だけどよ、それも一体、何なんだろうな?」
「これはきっとね、こうするのよ」
アクアは二つに分かれた板の一本を、「みどりのたぬき」に突き立て、ぐるぐるとその中身を掻き混ぜ始めた。黒い粉が湯と交わり、黄色い物と、灰色の物も巻き込んでいく。
「……何やってんだ?」
「いいから。マーちゃんも、はい」
マーズは鼻先に出された板を受け取り、「みどりのたぬき」に突き立てた。ぐるぐると掻き混ぜる程に、良い匂いが漂ってくる。ぐうと、マーズのお腹が鳴った。
「これ、食べ物なんだよな……」
マーズはごくりと唾を飲み込むと、板を持ち上げた。すると、灰色の紐が板に絡まり、一緒に持ち上がる。マーズは
「あつっ!」
「マーちゃん、大丈夫!?」
マーズは板を口から遠ざけ、恨めしそうにそれを睨んでいた。アクアは口をすぼめると、マーズの板がすくい上げた灰色の紐に向かって、ふーっと息を吹きかける。
「……おい」
「熱いのなら、冷ませばいいでしょう?」
それは、アクアの口癖だった。熱い風呂を入れる度、どうにか冷まそうと、湯を掻き混ぜてみたり、息を吹きかけてみたり……まったく、風の精霊シルフでもないってのにさ。
マーズは板を口元に近づけ、灰色の紐を吸い込んだ。初めての味と食感。これは……
「うまい! ほら、アクアも食ってみろよ!」
促されるまま、アクア板で灰色の紐を……と、その前に息を吹きかけ、口に入れる。
「……美味しい!」
「だろ?」
「不思議ね。ただ、お湯を注いだだけなのに」
「……俺たちの熱湯も、そう捨てたもんじゃないのかもな」
「そうね。だから、私たち、もうちょっと頑張ってみない?」
「へ? なんの話だ?」
「もう、パートナーを解消しようっていったのは、マーちゃんじゃないの」
「あ、すっかり忘れてた……」
「ふふ、いいじゃない。これからのことは、これを食べてから考えましょ!」
一つの「みどりのたぬき」を分け合う二人。その一部始終を見ていた料理人が、二人に声をかけたことで、この世界には食の革命が起こるのだが、それはまた、別の物語である。
お風呂には熱すぎる ~アクアとマーズのお湯物語~ 埴輪 @haniwa
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