第4話 あかりからのプレゼント
10月23日――それは剛の誕生日である。
今日、剛は26歳になった。そして家族から誕生日を祝ってもらったのだが、そこで母親から、
「剛ももう26よねぇ。そろそろ彼女の1人でも紹介してほしいわねぇ。あ、まだアニメにはまってるからもうちょっと待った方が良いのかねぇ。アンタと一緒に泥んこ遊びしてた2丁目のまどかちゃんなんて今度2人目を産むんですってよ? そろそろ……ねえ――」
とチクリチクリとやられるもんだから、剛も祝われているのかどうかわからなくなってせっかくのケーキも甘かったのか美味しかったのかすらわからなくなってしまったのである。
そんな夕食を終え、風呂に入った剛は部屋に戻るとちょっと悲しくなって誰かに縋りたくてスマホでTwotterアプリを開こうとして、間違ってRINEを開いてしまった。
開いたRINEに佳織からのメッセージが入っていることに気が付いた。
メッセージを開いてみると、知らない女性が迷彩服を着て佳織と同じように敬礼している写真があった。佳織の写真と比べると、佳織よりも背が高いように見える。また顔もちょっと日焼けしていて色白な佳織とは対照的で、ちょっと怖そうだなと剛は思った。
そしてその画像の下に、
『描いてもらえるとのことで図々しくも先輩の写真を送っちゃいました。もし気が変わってたり仕事が忙しくなってたりして無理な時は言ってくださいね。けどもし描いていただけたら先輩への素敵な誕生日プレゼントになります。実は今日写真に写っている柳沢三曹の誕生日なんです。』
佳織からのメッセージがあった。
「そうか、この人も今日誕生日なんだ。だったら今日中に描いて送っておいた方が良いよね。せっかくの誕生日なんだから」
剛は母からチクリチクリとやられたことを強引に追い払うと、PCを起動してサブモニターに柳沢三曹の敬礼した写真を出して、イラスト描画ソフトを立ち上げた。
と、描き始めようとしたところで、なぜか邪魔が入りそうな予感がした剛はドアに「現在仕事中」のプレートをかけた。こうすることでまず邪魔ははいらないはずだから。
机に戻った剛は、集中するために一度息を吐くと、イラスト制作に入った。
制作に入った剛は、まるで本当に仕事中なのかというほどに集中し、ラフ絵を描き、そこから必要な線だけを残して配色を行い陰影を整え、絵に質感を持たせていく。
「よし、完成だ」
剛は、完成したばかりの柳沢三曹の敬礼姿のイラストを見る。
画面には、サブ画面から柳沢三曹だけ抜き取ったかと言いたくなるほどにリアルな質感で描画されたイラストがあった。
そして、イラストはただ1枚だけではなく、もう1枚用意していた。
この2枚をRINEで佳織に送った。
送信時刻は22時25分。あと30分程度で消灯になろうかという時刻だった。
そして、2枚の画像と一緒に、
『柳沢三曹さんにお誕生日おめでとうございますとお伝えください。僕と誕生日が同じ人、はじめて知ったので2枚目は私が勝手に色々付け加えたイラストです。もし不要であったら削除してください。』
というメッセージも佳織に送った。
画像2枚とメッセージを送って2~3分もしないうちに佳織から電話が掛かってきた。いきなりの電話にびっくりして、剛は思わずその電話を取ってしまった。
電話を取ってから、どうしようかとオロオロとしていたのだが、スマホから「もしもし」と佳織の声がかすかに聞こえてきて、スマホをとって耳に当てる剛。
「も、も、もし、もし――」
突然の電話でもあって、かつあかりに紹介されて以来の佳織の声である。どうしてもその声を聴くと、あかりに紹介されたあの時の佳織の姿を思い出してしまい、緊張してしまう剛であった。
「あ、新田さん?伊藤です。突然お電話してしまってすみません」
佳織の、あの時聞いた佳織の声がスマホが耳元で奏でている。
佳織の声を聴くだけで、なぜか心臓が飛び出しそうになるほどに心拍数があがり、もうすぐ冬だというのに体中に汗が出てくる。その現象が『恋』であることを知らない剛。どうしていいかわからず、すぐ目の前のティッシュを数枚とって額から流れてくる汗をぬぐった。
「あ、い、いいえ!」
思わず声が裏返ってしまう。抑えようとするのだがどうしてもそれが抑えられない。
「新田さんも今日お誕生日だったんですね。それならそうと先日教えてくれればよかったのに。ちなみに私は12月11日です。あ、催促ではありませんからね」
とちょっと笑いながらの佳織の声。その裏で、誰か別の声も聞こえてきて、佳織の「ちょっと待っててください」という声も聞こえてきた。
「あ、ああああ、あの――」
普通に話そうと思うのに話せない自分自身がもどかしくなる剛だが、それをどうにかする術も持たないからどうすることもできなくて歯がゆくなってくる。
「あ、すみません、もう一度仰ってもらえますか?」
という佳織に、剛は精一杯の気持ちを込めて、
「あ、ああ、ありがとう、ございます。伊藤さんの誕生日控えましたので……」
「あ、すみません、なんか強引だったかもしれませんね」
「あ、い、いえ――」
と剛が返事したところで、また別の人の声が聞こえてくる。
「すみません新田さん。ちょっと柳沢三曹が話したいことがあるというので、ちょっとだけ変わりますね」
と、剛にとって佳織がとんでもないことを言ってきた。剛は慣れていない人には声が出なくなってしまう。所謂人見知りというやつで、剛の場合それが結構重い。電話を切ってしまおうかとも思った剛だが、自分を変えたいとも思っているのも事実で、剛は我慢して耐えることにした。これは剛にとってかなり大きなことなのであるが、普通の人には何でもないことであったりもするのだ。
「もしもし、イラスト描いていただいた柳沢といいます」
柳沢三曹、写真からは怖そうに思えたのだが、声は優しそうにも思えた。
しかし、電話だからといえども直接話すのは初めての人であるから、どうしても声が出てこなくなる剛。
だったのだが――
「も、ももも、もし、もし――えと――に、新田といいます――」
「あ、佳織に聞いてた通り、緊張しちゃうタイプなんだね。大丈夫捕って食おうなんて思ってないから、緊張するなとは言わないけど、安心してほしいな」
小さい声で、どもってしまう剛に、柳沢三曹は優しく諭すように言ってきた。これもあの写真からのイメージからかなりかけ離れたところにあると思った剛。
「あ、す、す、すみま、せん――」
他人を勝手な印象だけで判断してしまった事、それは祖父から厳しく教えられてきたこと、だったのにそれを忘れていた自分が情けなくて、柳沢三曹に申し訳なくて、今日母親に色々言われたこととかも合わさって、剛は目から涙を流していた。
「あれ、もしかして泣かせてしまったかな――。ま、いいか。とりあえず何も言わなくてもいいから、聞くだけ聞いてほしいから一方的に話すね」
と柳沢三曹は、まるで子供に言うような感じの声で、
「今日は、本当にありがとう。アタシさ29年生きてきて、こんなにうれしいプレゼント貰ったの初めてだったよ。すごいねキミ。アタシ今度結婚するんだ。だからダメ元で佳織に頼んじゃったのね。知らない人なのにこんなに綺麗に描いてもらってすごく嬉しかったよ。これ、アタシの宝物にする! もちろん2枚ともね。1枚はキミからのアタシへのプレゼントってことで、しっかり受け取ったからね。ありがとう。それから、新田君だったかな、キミもお誕生日おめでとう! 素敵な夜をありがとう。じゃ佳織に変わるね」
そう言って、柳沢三曹は電話を佳織に変わった。
柳話三曹が話している間、剛は止まらない涙だったが何とか声を堪えた。
「新田さん、伊藤です。突然のことでびっくりさせてしまってごめんなさい。それから突然のお願いだったのに綺麗なイラストを描いていただいてありがとうございます。そして何より、新田さん、お誕生日おめでとうございます。もうすぐ消灯になるので、これで電話を切りますね」
という佳織に、剛は一言だけでもお礼を言いたくて、声を出した。
「あ、ありがとう、ございます」
今の剛には、その一言を言うのが精一杯だった。
「あ、はい。では、来週一緒に食事できることを楽しみにしてます。また場所等はRINEで送りますね」
「あ、は、はい――」
「はい。ではおやすみなさい」
「あ、お、おやすみ、なさい――」
そう剛が言ったところで、電話は切れた。
その後、剛は他人からしかも女性から誕生日を祝ってもらったことが初めてで、剛は悔しさと嬉しさから涙をこらえることができず、泣いてしまった。
その声が少し大きかったのか、芽衣がドアをノックして、それでも返事がないことから芽衣が部屋に入ってきた。
「お兄ちゃん、どうしたの? 誰かに変なこと言われたりされたりしたの?」
芽衣の問いかけに、剛は首を横に振るだけしかできなかった。
剛がこんなに泣いているのは、剛が高校生の時、告白したという女子生徒から剛の体型や人見知りな言動をバカにされて帰ってきたとき以来のことであった。
今の剛はあの時とは全く別のことで涙が出ているのだが、それがわからない芽衣はどうすることもできない。
芽衣は、高校生の剛が部屋で大泣きしたあの時、「お兄ちゃんは私が守るんだ!」とそう決意した。だから高校も共学ではなく女子校にして、大学も女子校にしたのであった。理由はある。共学だといろんな目障りなことが起きる気がしていたから、そして剛をバカにした女性生徒の弟が元々芽衣が行こうとしていた高校を選んでいたからであった。そう言ったことから芽衣は女子校を選んだのであった。
あの時、剛が高校生の時は、剛をベッドに泣かせて芽衣が添い寝したのだった。なく剛を芽衣は胸に抱いて気が済むまで泣かせた。その内、剛は泣き疲れて眠ってしまったのであった。
今回は理由は剛が言わないからわからないものの、同じことをすれば剛も気が済むまで泣けるのではないかと思い、芽衣は剛をベッドに寝かせると、部屋のドアを閉めて芽衣もベッドに入って添い寝すると、剛を胸に抱いて頭を撫でながら気が済むまで泣かせることにした。
泣けないよりは泣ける方がマシなのだ、それが剛を気が済むまで泣かせる芽衣の考えなのであった。
一方、電話を切った後の佳織と柳沢三曹はというと――
もうすぐ消灯でもあるので、お互いベッドに入っているのだが、柳沢三曹が剛の印象について話したことから、佳織も剛の印象とそのやさしさについて語り始めてしまっていた。
「それでさ、佳織は自分の気持ちに気がついてはいないの?」
「どういうことですか?」
「まあ、そのうちわかることだから、言わないことにするけどさ、新田君だっけ? あの子いい子だよ。逃がすにはもったいないと思う。今時あんなにピュアな男子っているもんなんだね」
「ピュアですか――確かに新田さんにはぴったりの言葉だと私も思います」
「だよねー。あのイラストなんて普通掛けないよ。イラストの腕も確か、それに彼プログラマなんだろ?」
「ですね。あかり先輩――えと、私の高校の時の先輩が勧めてくれた人ですから。あかり先輩、私が男性不信というか、男嫌いなの知ってても尚勧めてくれた人だし、私に全く害がない人です」
「害がない、ねえ――なんか損得を表に出そうとしてるけど、まあいいけどね――、アタシに彼氏がいなかったら間違いなく彼氏にしたいって思う子だよ。なんというかさ、こう母性が刺激されるっていうかね」
「でも彼氏さんとは真逆に感じるんですけど?」
「そ、全くの真逆だよ。アタシにとってどっちが良いんだろう、って悩んじゃうくらいにね――」
「え、それって!」
「まあ、今の彼が浮気でもしようもんなら即別れて、新田君にアタックしかけようかなと考えてるくらいには悩んでるよ」
「え! それはダメです!」
「なんでダメなん? 別に佳織の彼氏ってわけでもないじゃん?」
「え? でも! ダメなものはダメなんです!」
「はいはい、わかってるよ。実際に遭ってないからわからないけど、声だけ聴いた分では、佳織にはお似合いの人だと思うよ。佳織もピュアだと思うけど、それ以上に彼はピュアだろうからね。ただああいうのは変な虫が集りやすいからその点だけは気を付けなよ?」
「もちろん! 新田さんに変な虫は近寄らせません!」
「けどねぇ、アタシら自衛官、しかも営内者にはねえ、自由に外出なんてできないから、だれか彼に近い人を味方につけることだね」
と柳沢三曹が言ったところで、消灯のらっぱが鳴ったので、ここでおしゃべりタイムは終了したのだった。
週が明けて再び月曜日――
来週日曜日はハロウィーンである。この天神も来週日曜日は変装した人達で溢れかえるのであろうが、まあ剛にとっては海外のしかも他宗教の神事でどんちゃん騒ぎして何が楽しいのかよくわからない。
社内もハロウィーンのことで早くも持ち切りだったりもする。そして、今日も先週と変わらず朝イチと11時、15時で進捗ミーティングが行われる。11時のミーティングは今日で最後である。というのも最終はいよいよ納品だからである。納品時は、剛は社内からオンラインで参加するようになっている。社内からサーバーに接続してそちらで何かあった時に対処できるようにするからである。会社としてもコミュ障な剛を現場に連れて行って何かしらの勘違いから社の対外的評価を落としたくないからでもある。
朝イチのミーティングも11時のミーティングもすでに剛の分は終了している。15時から行われるミーティングのプロジェクトで使用するプログラムも単体テストも
ぶっちゃけ剛はそんな時間の無駄なことはしたくはない。
しかしそれは仕事であるため、仕方なく参加するが、何もわかっちゃいない下っ端の
それが気に食わない下っ端SEは社内にも結構いる。それは自分のプロジェクトしか見えていないから故のことなのであるが、そんなSEなんて剛の目には映っていなかったりする。
そんなこんなで1日を終えようとしていた時、あかりから「一緒に帰りましょう」というチャットが飛んできた。あまりに突然であり、あまりに短いメッセージだったので剛は戸惑ったのだが、仕事絡みのことであるかもしれないので、「わかりました」とだけメッセージを返してあかりを見ると、あかりが頷いてきたので、あの返事で大丈夫だったのだと剛は小さくため息をついた。
そして
いつものように帰ろうとするところを、あかりが止めた。
「新田君にちょっとお願いしたいことがあるから、今日は私も定時で上がります」
と剛を伴ってオフィスを出た。
このあかりの行動が、剛とあかりの関係をあやしいと思っている社員たちのチャットを盛り上がらせた。
『なあ、やっぱり中沢主任って』
『俺もそう思ってたところ』
『でも新田ちゃんだぞ?』
『けどさ、新田ちゃんって母性そそられるというかそんなときあるよね』
『あ、それわかる。小動物的な』
『そうそう、それそれ!』
『なあ、それって新田ちゃん男に見てないってことなんじゃね?』
『え? あ、まあ・・・』
『図星かよ・・・』
『もしそうなら、新田ちゃんがかわいそすぎね?』
『だよなー』
『同じ男として、男と見られずに構われるって・・・なんかねえ』
『同感やわ』
『どうするよ?』
『私主任とよく帰り一緒になるから、それとなく聞いてみようか?』
『それができるなら、任せた!』
『了解! じゃあ一回ランチおごりで!』
『ま、まーランチくらいなら』
『じゃ、最近できたフレンチレストランのランチコースね!』
『マックの間違いだろ?』
『いや、さすがにそれはひどくね?』
『じゃあお前は何にすんのよ』
『俺なら、牛丼1杯。もちろん並で!』
『そっちの方がひどい!』
『それはひどすぎ』
『まーさすがにフレンチのコースランチはないわね。いいとこパスタかなぁキャビアの』
『それ生臭くない?』
『まだ明太子の方が・・・』
『おまえらー、仕事するか帰るかどっちかにしろー』
『やべ! オープンで会話してた!』
『あ、ルームかと思ってたわ』
『か、かいさーん』
『仕事しまーす』
『あ、私帰りまーす』
『あ、俺もたまには定時で帰るわ』
『お、じゃ途中まで一緒しよ!』
『あ、一緒に飯どお?』
『ここでナンパかよ』
『しかもオープンナンパ・・・』
『まーご飯くらいならいーよー』
『OKかよ』
『おまえらー』
『ハーイ』
『さ、仕事戻ろ』
『せやね』
なんというか、今日もにぎやかなブロンのチャットなのであった。
そんな会話が社内チャットで行われているとは知らない剛とあかりはというと――
とりあえず2人で天神駅に向けて歩いているのであった。それもお互い無言で……
「それで中沢さん、お願いって何なんですか?」
と、剛が無言状態に風穴を開けた。
すると、あかりが剛の腕を取って歩みを止めた。
「え? 中沢さん?」
急に腕を掴まれて止まられた剛は後ろに引っ張られて体制が崩れるのを何とか踏ん張った。
「ねえ、新田君――」
「え? あ、はい」
「あなた、洋服ってこの間着てきていたようなものばかりなの?」
「へ? あ、まあ、はい――ファッションってよくわからないし、興味も湧かないというか――」
と剛が答えて、しばらくの沈黙の後、
「よし、わかった。じゃあこっちに来て!」
とあかりは剛の腕から手を放して剛の手を取ると来た道を戻り始めた。
「え? あの、中沢さん?」
「黙ってついてきなさい!」
「あ、は、はい」
そこからは剛はまるで気乗りしないのに散歩に連れ出された犬よろしくあかりに引っ張られる形でショッピングモールビル内に入ると、アパレルショップのメンズコーナーに連れてこられた。
あかりはそこで剛の手を放すと、下がっている服をササッと選び、
「ほら、後ろ向いて」
「え? あ、はい」
剛は言われるがまま、あかりに背中を向ける。
すると、背中に何かを当てられて、
「んーちょっと合わないわね――じゃあこれ……これ良いわ。次、これは――」
とあかりはチョイスした服を剛の背中に当てては戻し、時には買い物かごに入れていく。
「じゃあ、次はアウターね。新田君、こっち来て」
剛はあかりに指示されるままにあかりについていっては服を背中に当てられることを繰り返す。
そんなこんなで約40分後――
「よし! じゃあこれをここに書いている指示通りに試着してみて」
と買い物かごに入っている結構な枚数の服と一枚のメモ用紙を渡される剛。
「えっと、これ全部ですか?」
「そうよ。ほら、早く!」
「は、はい!」
と、超特急で試着室に入っていく剛。
「あ、新田君、一回着たら見せてね!」
と、あかりが剛の入った試着室の前で仁王立ちになる。
そんなあかりは、完全に注目の的になっていた。
しかも冴えない小太りの剛に、他薦美人のあかりという、傍から見れば女王様カップル。しかし、そんな仁王立ちのあかりに見惚れる男もいて、試着室近辺はちょっとした渋滞箇所になっていた。
「あ、あの――着、着てみました――」
と一着目を来た剛がカーテンを開ける。
そこには、薄茶色のロングTシャツに焦げ茶色のワイドパンツ、アウターには穏やかな紺色のブルゾンという出で立ちの剛があった。
その剛を見て一つ頷くあかり。
「うん良いわね! あ、裾上げ位置を確認するからそのままにしてて」
「え? は、はい――」
あかりは店員を呼ぶと、裾上げ位置の確認をしてもらうと、
「じゃあ次お願い」
と剛に次への着替えを指示した。
「あ、は、はい――」
と次の服に着替えるためにカーテンを閉める剛。
なぜこんなことするのかよくわからない剛であったが、あかりにも何かの考えがあるのだろうと着せかけ人形になることに徹することにした剛。
次の服は、モスグリーンの無地のシャツに、同色のイージーパンツ、そしてカーキ色の無地のハーフコート。
「これも良いわね。じゃあ裾上げのチェックしてもらうからそのままにしておいてね」
と、あかりは再び店員に裾上げ位置の確認をしてもらうと、
「じゃあ、次お願い」
と剛に次の試着を指示する。
「あ、は、はい。わかりました――」
と、再びカーテンを閉めて着替える剛。
次の服装は、ブルーのデニムに、ベージュのTシャツ、そしてベージュが基本色で茶色の幾何学模様の入っているカーディガンだった。
「あら、やっぱりこういうのも良いわね。じゃあまた裾上げの確認をしてもらうからしばらくそのままね」
「あ、はい――」
あかりは三度店員に裾上げ位置の確認をしてもらう。
「じゃあ次が最後かな。お願いね」
裾上げ位置の確認を終えたあかりは剛に最後の試着の指示を出す。
「は、はい――」
再度カーテンを閉めて剛は着替えていく。
最後は、紫色のタートルネックのカットソーに、グレーのスウェットパンツ、そして薄茶色をベースとした茶色のタータンチェックの入ったノーカラーブルゾンであった。
「ん~、まあ及第点かなぁ。でもこれ以上いじると合わなくなりそうだし、これで良いか」
「え、終わりですか?」
「待って。裾上げ位置の確認をしてもらうから――」
あかりが店員に四度目の裾上げ位置確認をしてもらった。
裾上げ位置をクリップで止めた店員が去った後、さすがに何かおかしいと思った剛は、
「あの、僕の長さで裾上げしても大丈夫なんですか?」
と、あかりに尋ねたのだが、
「うん、大丈夫よ。新田君とそっくりな体系の人用だから」
「そうなんですか。わかりました」
と、あっさり納得する剛に、あかりは吹き出しそうになるのであった。
――普通そんなんで他人の裾上げ位置を決めたりしないわよ。いや、それでこそ新田君というべきか――
着せ替え人形を終えて、スーツ姿に戻って試着室を出てきた剛は、さすがに疲れて大きなため息をついた。
そんな剛がやっと終わったと体全体で表現していたものだから、あかりはとうとう噴き出してしまった。
「もう、これくらいファッションにも気を配るのが大人よ? 新田君ももう少し勉強しないとね」
「え、あ、は――はい……」
「それから、試着した服頂戴」
と言われた剛は、試着した服を全部かごに入れてあかりに渡した。
買い物かごを受け取ったあかりは、そのまま会計に持って行った。
裾上げに20分程かかることを告げられたあかりは、剛にレディーススペースに連れて行き、あかりにどんな洋服が似合うかを聞いてみたのだが、剛はチェック柄ばかりを選ぶ傾向があることを知ったあかりであった。
「新田君、チェック柄が好きなのね」
「好きというか、なんか選んでしまいます――」
「まあ、それがあなたの個性なのかもね」
「こ、個性ですか?」
「そう個性。まああなたのストロングポイントでもありウィークポイントかなあ」
とあかりは剛が選んだ洋服を出して並べてみた。
すると、キレイにチェック柄のしかもどれもこれも似た柄、似たタイプの服のオンパレード。さらにワンピースが多いという事もわかるところでもある。
「新田君、こうして並べてみるとわかるでしょ? 女性ってね会社でも私服でしょ? だから毎回同じ柄や同じタイプだと上司や先輩後輩から色々と言われるのよね?」
と、あかりが剛に洋服と女性のオフィス服についても説明していく。
柄も一定ではなくある程度分散させること、服の特徴も同じく分散させて、見る側に飽きさせないようにすることもあかりは着眼点を置いているのだという事も併せて剛に説明した。
「女の人って、大変なんですね――」
と、剛が他人事のように言ってくるので――というか剛にとっては他人事なのだが――、あかりは少し笑うと、
「そうよー。だから女は色々気を遣うのよ。けどそれは女性としての品位でもあるから、だから女性は洋服の買い物に時間をかけるわけ」
「ハァ、凄いですね――」
とそこで、裾上げが終わったことを店員から告げられたあかりは、剛に店の外に出ておくように言うと会計に向かった。
会計を終えて店の外に出たあかりは、購入した服の入った袋を渡した。
「はいこれ、私からのプレゼント。この前、誕生日だったでしょ?」
「へ?――」
「へ? じゃないわよ! 私からのプレゼント迷惑なら返してくるけど?」
「あ、い、いや――僕にそっくりな人のための者じゃなかったんですか?」
と剛が言ってきたので、あかりは噴き出してしまった。
「あのね、さすがに新田君そっくりな人に買うんだったら裾上げまで新田君に合わせないわよ」
「ハ、ハァ――」
目を点にしている剛に、
「あそこでああ言わないと、あなた遠慮するでしょ? だから、よ」
「あ、す、すみません――あ、頭がついてきていません――」
「だ・か・ら! 新田君はこれを受け取ってくれればいいのよ。それとも私からのプレゼントじゃ不服かしら?」
「あ、い、いや。そ、そういうわけじゃ、な、ないん、です、けど――」
剛は首をブンブンと横に振ってあかりからのプレゼントを不服だと思っていないことを示す。
そんな剛に、あかりは一つ息を吐くと、
「いいから。これ着て佳織と食事行ってきなさい。せっかく佳織と友達からだけど交際始めたんだからちょっとはおしゃれしなきゃダメよ?」
「あ、は、はい――あ、ありがとう、ございま、す?」
「なんで疑問形なのよ!」
「あ、す、すみません!」
「じゃあ、これ着て頑張ってきなさい!」
「あ、ありがとう、ございます」
「よし! じゃあ帰ろっか!」
「へ? え、えっと――これが僕へのお願い、だったんですか?」
「そうよ? だってあなたこの間の服装じゃさすがに佳織が可哀想だもの。あの子、新田君との食事かなり楽しみにしてるんだから。私は新田君と佳織はお似合いだと思うのよ。そりゃ、あなたのその体型はもうちょっとどうにかした方が良いとは思うけど、でも、あなたの場合は体型とかそんな表面的なところじゃなくて、新田君という人間が佳織とお似合いだと思うからこそ、あなたを佳織に紹介したのよ」
「は、はぁ――」
煮え切らない剛に、あかりは一つため息をついた。
そのあかりのため息に何やら思い出したような表情をした剛が
「あ、中沢さん。祖母が言ってたんですけど――」
と言うので、歩を進めようとしていたあかりは足を止めて剛に体ごと向けた。
「何?」
「えと――ため息つくと幸せが逃げていくらしいですよ?」
と剛が明後日なことを言ってくるので、あかりは剛のこめかみを拳を作った両手でグリグリと――
「い、いた、痛いです!」
何とかあかりの手をこめかみから外そうとするのだが、グリグリ攻撃の痛さでなかなかこめかみにあるあかりの手を外すことができない剛。
「そりゃ、痛くしてるんだもの」
「ひ、ひど、ひどい、です、よ――」
「ひどいのは新田君の方でしょ? 誰のせいでため息ついたと思ってるのよ」
「だ、誰って――」
「あ・な・た・し・か・い・な・い・で・しょーが!」
「うぎゃぁぁぁああああ!」
剛の叫び声はフロアの端からでも聞こえたらしい――。
うん、剛の自業自得だな――
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