第5話 再会と初デート

 金曜日――。

 翌日に佳織との食事デートを控えた剛はどこか落ち着かないまま出社した。

 そして、剛にはありえない凡ミスを犯してしまった。

 

 『新田ちゃん、貰ったプログラムにバグがあるみたいなんだけど』

 

 このチャットを送ってきたのは、PLプロジェクトリーダー藤田ふじたやよい。やよいはあかりと同期のSEシステムエンジニアである。

 剛と組み始めて初めて剛のプログラムにバグを見つけたことで、やよいも気が動転していたのだろうか、オープンなチャットルームに剛宛てのメッセージを書いたことで、オフィス内が騒然とした。

 

 『あの完璧な新田ちゃんがバグ?』

 『いやいや、誰にでもありますって』

 『いや、お前は知らんだろうけどな。新田ちゃんは入社して以来、一度もバグ出したことないんだよ』

 『そんな人いるんですか?』

 『それが新田ちゃんなんだよ』

 『マヂですか・・・新田さんすごい人だったんですね』

 『凄いなんてもんじゃないよな』

 『新田ちゃん、今いくつ抱えてるんだっけ?』

 『私の知る限りだと、今6つかなあ?』

 『なんだ6つのプログラムなんて俺でもやってますよ』

 『ちゃう! プログラムじゃなくて6つのプロジェクトだよ』

 『え?』

 『マヂですか』

 『大マヂ』

 『す、すげー』

 『あれでもう少し喋れればこの会社で一番のPMになってるだろうよ』

 『マヂ?』

 『大マヂ!』

 『新田ちゃんより下の子たちってその辺知らずに接してるよね』

 『そうなあ、ある意味知らなくていい事実だったかもなあ』

 『知っちゃいましたよお』

 『俺、これから新田様って呼ぶわ』

 『私も』

 『やめてやれ。新田ちゃんそう呼ばれるのが一番嫌いなんだからよ』

 『新田さん、できてますねー』

 『おそらくここの誰よりもな』

 『でもさ、あれで喋れたら、たぶんこの会社にもおらんだろうな』

 『だね。私がハンターなら確実にヘッドハントしてる』

 『だよなー』

 『おまえらー、しごとしろー』

 『おい、だれか部長に文字変換の仕方教えてやれよ』

 『かがわ、ひる、いっしょいこうか』

 『はい』

 『あーあ、しーらない』

 『まきせ、おまえもいっしょにな』

 『え?あ、はい・・・』

 『さ、仕事に戻るぞー(泣)』

 

 で、その剛はというと、プログラムにバグがあるというメッセージが飛んできてから、止まっていた。そりゃもう、きれいに、そこで時間が止まったかのようにピタリと止まっていた。

 剛からの返事がないのを心配したやよいは剛のデスクまで行ってみて、

 

「あれ、止まってる――おーい新田ちゃーん?」


 と、剛の目の前で手を振ってみる。

 すると、体をビクンとさせて剛の止まっていた時間が再開して、剛はデスクの低いパーティションに顎をのせる形で目の前で手を振っているやよいに気が付いた。

 

「え? あ、ふ、藤田さん――」


 と反応した剛を少し心配そうに見るやよいは、

 

「新田ちゃん大丈夫? 具合悪いなら早退しなよ?」


 と剛に声を掛ける。

 

「あ、い、いえ――ば、バグ、でしたよ、ね――」


 剛はビクビクしながらやよいに確認するが、やよいはその剛が普通ではないように感じて、

 

「新田ちゃん、何かあった? 初めてだよ新田ちゃんのプログラムにバグあったの――」


 と、再び心配そうに声を変えるのだが、

 

「す、すみません! すぐ直します!」


 と、剛はそのやよいの気持ちに気付かない様子で返答してくる。

 

「あ、うん。でも無理しちゃダメだよ?」

「あ、はい――すみません」

「じゃあ、できたら送ってね。 まだスケジュールには一週間余裕があるからあまり根詰めないようにね」

「あ、はい」


 と、すぐにいつもの様子に戻ってプログラムの修正に入る剛を、やっぱり心配そうに見ながらやよいは自席に戻った。

 そして、やよいはあかりのチャットにメッセージを送った。

 

 『あかり、新田ちゃん抱えすぎなんじゃない?』

 『その事なら、私に心当たりがあるから』

 

 と返してくるやよいは、社内でちょっとした噂になっていることをあかりにぶつけてみることにした。

 

 『あのね、今あかりと新田ちゃんが付き合ってるんじゃないかという噂があるんだけど・・・』

 

 このメッセージにカップに入れた紅茶を口に含んだところで見たあかりは、むせた。

 

 『なによ、その噂』

 『あー、やっぱり知らなかったのか・・・』

 『あのね、それは私じゃなくて、私が紹介した子と新田君が友達からという事で交際を始めたのよ。それで明日、その初デートの日なのよ』

 『なるほどねー。それでこの前は新田ちゃんの服を選んであげてたのか』

 

 再び紅茶を飲もうとしたときにやよいからのこのメッセージが飛んできて、あかりはまたむせた。まあぎりぎりキーボードにこぼさずに済んだ。

 

 『なんでしってんお・』

 

 あかりは焦ってメッセージを送ったために、誤字が混じっていた。

 

 『あかり、焦りすぎ。というかさ、あかりは良かったの? あかりさ、たまに新田ちゃんのこと目で追ってるんだけど・・・』

 『は? たまたまじゃない?』

 『あー、はいはい。まあいいけどさー』

 『で、みてたの?』

 『なにが?』

 『なにがって・・・』

 『あ、やっぱりそうだったのかあ』

 『え?』

 『いやーカマかけたに決まってんじゃん!』

 『やよいー』

 『まあまあ、今日お昼一緒にどう? おごるよ?』

 『今日はサンドイッチ買ってきてるから、また今度奢ってよ』

 『はいはい。まあ後で泣かないようにしなよ?』

 『なによそれ』

 『しらなーい。じゃ仕事戻るわ』

 『はいはい、あ、今日中に進行状況送っといてね』

 『りょーかーい』

 

 と、やよいとのチャットを終えたあかりは、仕事に集中している表情の剛をみて、

 

 ――あの表情と、あがり症MAXの時の表情とギャップありすぎなんだから――

 

 と、小さく笑うと、

 

 『新田君、明日の件で話があります』

 

 と剛のチャットにメッセージを送って剛を見ると、メッセージに気が付いた剛と目があって、その瞬間、あかりの心臓は電気ショックでも受けたかのようにドックドックとその鼓動が高鳴った。

 

 ――え? なにこれ?――

 

 『なんでしょう?』

 

 と返ってきた剛のメッセージを見て、さらに高鳴る鼓動が意味わからなくて戸惑うあかり。

 

 ――何だっていうの? 私は明日新田君が来ていく服のアドバイスをしたいだけなのに――

 

 『明日、着ていく服は決まってるの?』

 『はあ、とりあえず先日中沢さんに選んでいただいたカーディガンの一式を着ていこうかと考えてます。靴も先日妹が選んでくれたので』

 『わかった。それで大丈夫だと思います』

 

 剛をチャットしている間、ずっと高鳴る鼓動が良くわからないあかりは、午後に入っても動悸が収まらないことから早退した。

 

 あかりが帰宅して玄関のドアを開けた時、ちょうど母親の中沢恵なかざわめぐみが買い物に出ようと玄関で靴を履いているところだった。


「あ、お母さん。今から買い物?」 

「あら、あかり。そうよ。でも今日は早いのね」

「ちょっと体調がね――」

「あら――珍しいわね」

「そうなのよ。まあとにかく休むわ」

「はい。じゃあ今夜はおかゆさんかおじやさんがいいかしらね?」

「そうね、そうしてもらえると助かる」

「了解。あったかくして休むのよ」

「子供じゃないんだから」

「まあ、疲れが溜まってたんじゃないの? ゆっくり休みなさい」

「はーい」


 あかりはメイクを落として軽くシャワーを浴びてパジャマに着替えると、そのままベッドに入った。

 でも、会社を出て家に着いた時にはなぜか動悸は収まっていた。

 

 ――いったい何だったんだろう――

 

 と色々と思い出して考えてはみるものの、答えは見つからない。


「明日、病院に行ってみようかな……あ、明日土曜日じゃん――」


 一つため息をついたあかりは、目を瞑った後、割とすぐに寝付いたのである。

 

 

 

 ☆☆☆ ☆☆☆

 

 

 

 翌日――

 今日は剛が人生で初めてのデート日である。

 朝からどこか落ち着かない剛は、いつもはやらない朝シャワーをして、気持ちを切り替えた。

 トイレから出て洗面所で手を洗っていた芽衣は、浴室の脱衣所から出てきた剛とばったり出くわし、

 

「お兄ちゃんが朝からお風呂? どうしたの?」


 目をまん丸くして言う芽衣に、

 

「まあ、その――そ、それよりも、芽衣、水」

「あ――」


 剛からの指摘から水を止めてタオルで手を拭いた芽衣は、

 

「そういえば、今日だったっけ。あの佳織さんとかっていう人とデートする日って」


 と、風呂から上がったばかりで石鹸の匂いのする剛の脇腹を指で突っついた。

 

「う、うん――」

「もう、今からそんなに緊張しててどうするの――」

「そ、そんなこと言ったって――」

「まあ、初デートだもんね」

「わ、悪いかよ?――」

「悪くない。むしろ初々しくて良い!」

「なんだよそれ」

「ま、いいじゃん。応援してるから頑張んなよね、お兄ちゃん!」

「ま、まあ何を頑張るのかわからないけど――」

「そこは、『わかった』の一言で良いんだよ、お兄ちゃん」


 そう言って芽衣は剛の背中をバシッと叩いた。

 

「痛いって」

「気合い入ったでしょ?」

「気合いって――」


 剛がブツブツ言いながら階段を上っていくのを芽衣は見送った。

 

「ホント、頑張ってよね。私の自慢のお兄ちゃんなんだから――」




 同日、午後3時50分――

 剛は約束の10分前に、佳織から指定された待ち合わせ場所である博多駅ビル構内の西急ワンズ前の柱に寄りかかるようにしながらスマホにワイヤレスイヤホンでアニソンを聞いていた。

 今日の剛の服装はというと、この前あかりにプレゼントされたばかりの中から、ブルーのデニムにベージュのロングTシャツ、そしてアウターにベージュに幾何学模様の入ったカーディガン。靴は、代休を貰っていた3日前、芽衣に選んでもらって買った白のスニーカーである。服装はそれなりであったようで、チラリと振り返る人もいたのだが、スマホのケースがアニメキャラクターものであったことから噴き出す者もいて、ちょっとビクビクしそうになっていたのだが、見なかったことにしようと怯える心を表に出さないように無心で立っているのであった。

 

 剛が到着して5分後の待ち合わせ5分前に佳織がやってきた。柱に寄りかかって立っている剛に気付いた佳織は手を振りながら小走りにやってきた。

 佳織の服装は、襟と袖が白の布を使った黒のカフスニットに、ベージュを基調とした黒のグレンチェックの入ったキャミソールタイプのワンピース、足元は黒のミドルサイズのブーツであった。そして肩からは黒いポシェットを袈裟懸けにしていた。

 

 手を振りながら走ってくる可愛い系の佳織に、誰かを待っているのか、時間をつぶしているのかという男連中が振り向いて、中には手を振り返しそうになって、しかしその佳織が中肉中背の所謂ブサメンに分類される男の元に行ったことで、皆唖然としていた。それが佳織にはとてもおかしくて、その男たちを一度見て、フンッと顔を背けて剛にニッコリ微笑む。そして剛の服装を見て、さも当然なように剛の左腕を取って手を繋いだ。まぁ、まだ所謂恋人繋ぎではないのが初々しい2人である。

 

「え? あ、あの――!」


 いきなり手を繋がれた剛は、イヤホンを外すこともできずに狼狽している。

 

「新田さん、何を聞いてるんですか?」


 と、佳織は剛の左耳からイヤホンを取って自分の左耳に差し込む。その時ちょうど曲が変わって、佳織の好きな「魔法少女アイ」のオープニングソングが再生されはじめた。

 

「あ、これ! 魔法少女アイのオープニングテーマですね! 新田さんこれ好きなんですか?」


 と佳織が嬉しそうに剛を見る。

 そして、周りの男達も一斉に剛を見る。

 

「あ、は、はい。毎週、見てます――」


 と、剛は小声で言うのだが、その声は佳織には伝わって更に嬉しそうな表情になる

 

「本当ですか? わあ、うれしい! 作品の中で誰が好きですか? あ、私はアイちゃんの使い魔でぬいぐるみのパンくんが大好きなんです!」


 と佳織が結構な声で言うと、周りの男達だけでなく、周りを行きかう女性たちまで驚いていたり、離れようとしたりしているが、佳織は全く関係ないという感じで剛をニコニコ顔で見ている。

 

「あ、えーと……ぼ、僕は、アイの幼馴染の唯タンが、す、好きです――」

「あ、唯ちゃんなんですね。って唯タンってかわいい呼び方ですね!」

「あ、えと……パンならフィギュアあるので、今度、も、もって、きます」

「え? うれしいけど、それ新田さんが買ったものなんですよね?」


 持ってくるという剛に、遠慮がちに言う佳織。

 

「あ、唯タンのフィギュアがなくて、パンのプラモデルフィギュアだけあったから、作っただけの、もの、なんです。だから、もし、よければ、も、貰っていただけると――」


 と、剛は周りの視線を感じてビクビクしながらそう言った。

 そんな剛に、遠慮しようと思っていた佳織だったのだが、

 

「それでしたら、お言葉に甘えて――」

「わ、わかり、ました。次、持ってくるので――でも塗装が一部おかしいかも、しれませんが――」

「塗装? あ、作られたって言ってましたもんね。大丈夫ですよ、せっかく新田さんが作ったものを頂けるんですから、私はそれだけでうれしいです」


 と、ちょうど魔法少女アイの古コーラスのオープニングテーマが終わったので、イヤホンを剛に返そうして、

 

「あ、手を繋いでるから直せませんよね――新田さん、ケース出してもらっていいですか?」

「え? あ、はい――」


 と剛がポケットから出してきたイヤホン充電ケースの蓋を開けるとその中にイヤホンを仕舞った。

 

「あ、今度は私はケースを持つので、新田さん反対側のイヤホンを直してください」

「あ、はい――ありがとう、ございます」


 と剛は充電ケースを佳織に渡すと、右耳に挿していたイヤホンを外すと、佳織が持つケースにしまって、佳織から充電ケースを受け取るとポケットに仕舞った。

 

「さ、ここで話しててもなので行きましょうか」

「あ、は、はい――今日は、に、新田さんの行きつけの、場所ってこと、でしたが――」

「はい、そうです。でも開店まで時間があるので、ちょっと遊びませんか?」

「え? あ、はい。いいですけど――」

「あ、新田さん、ゲームセンターって大丈夫な人、ですか?」


 と、佳織はちょっと恐々と剛に尋ねるが、

 

「あ、はい。大丈夫ですよ」


 と剛から即答を貰った佳織はパッと嬉しそうな表情になる。

 その表情が可愛くて、剛の心臓がドキッと跳ね上がって、その鼓動が早くなる。

 

「じゃあ、行きましょう!」

「は、はい――」


 佳織は剛に引っ張られるようにして駅横のバスターミナルに進む。

 途中、息が切れる声がした佳織は立ち止まって剛を見ると、結構剛が肩で息をしているのを理解すると、

 

「あ、ごめんなさい。足早かったですよね。すみません――」


 と、手を放して剛の前に出ると謝罪して頭を下げた。

 そんな佳織に、剛は逆に恐縮してしまって、

 

「い、いえ。ぼ、僕が、運動、してなかった、せいなので――こ、こちら、こそ、すみま、せん――」


 と剛も謝罪して頭を下げる。

 しかしその時、剛の額と佳織の頭頂部が当たって、

 

いてッ!」

「あいた!」


 と、お互いに額と頭頂部を抑えて頭を上げると、そのお互いの姿がおかしくなった佳織が噴き出してしまった。

 

「す、すみません――でも、おかしくって」


 と、笑いながら言う佳織の表情に、またもやドキッとする剛。

 でも、やっぱり剛もおかしくなって、あははと笑いだした。

 

「新田さん、笑うとそんな顔になるんですね」


 と、佳織が剛の笑い顔を嬉しそうに見る。

 

「新田さん、笑わない人、ううん、何か事情があって笑えなくなってしまった人なのかなと思ってました。けど、そういう風に笑えるんだなと、ちょっと安心しました」


 と佳織にそんな風に言われた剛は――なぜか笑いながら泣き出してそのまま俯いてしまった。

 

「え? に、新田さん――やっぱり頭痛みますか?」


 佳織が剛の背中をさすりながら気遣っていると、

 

「す、すみま、せん――ちょっと、昔の、ことを、思い出して、しまって――」


 という剛に、佳織は剛の正面に回って剛を覗き込むと、

 

「私で良ければ、聞きますよ? 今じゃなくても、新田さんが話せるときになるときまで、私はずっと待ってますから。あと、私は新田さんの味方ですから」


 そういう佳織に、剛はまた嗚咽を漏らした。

 

「大丈夫です。私のことは気にせずに泣いて良いんですよ」


 そう言って佳織はポシェットからハンカチを取り出すと、剛の涙を拭っていく。

 周囲を行きかう人々が、泣いている剛を呆れ顔で、剛の前で剛の涙をハンカチで拭う佳織を可哀想な目で見て言ったのだが、佳織はそんなこと気にせず、剛だけを気遣った。

 

 しばらくして剛が泣き止むと、佳織はニッコリ笑顔で剛を見て、そしてまた剛と手を繋いで、バスターミナルへ向かった。今度は剛のペースに合わせて。

 

 

 

 バスターミナルに着いた二人はエレベーターで7階まで上がり、ゲームセンターに入った。

 ゲームセンターも明日がハロウィーンなのを意識してか、飾りつけやクレーンゲームがハロウィーン一色だ。

 

「さ、新田さん。何で遊びますか?」


 と、佳織は並ぶゲーム筐体を見ながらうずうずしている様子である。

 対して剛はというと、ひっそりと何かを探している様子で――

 

「あ、あれ、やりませんか?」


 と、剛はちょっと奥にあるゲーム筐体を指差した。

 剛が指差したのは、所謂ゾンビを撃って逃げ回って生き残ることを目的としたサブマシンガンタイプのガンコントローラーを使用したゲームだった。

 

「あ、あれで良いんですか? 私、得意ですよ?」

「あ、自衛官ですもんね――」

「ですよー。それにあのゲームは私好きなんです。ストレス解消になるというか――」

「あ、た、たしかに。ストレス解消に、なるかも、しれませんね――」

「でしょ? じゃ、行きましょうか!」

「あ、はい」


 と、手を繋いだままの2人は、ガンシューティングゲーム筐体に向かった。

 そして、ゲーム筐体に着いて佳織が手を放すと、剛は放された左手をちょっと眺めた。

 

 ――柔らかい手だったな。僕よりも小さい手だったけど温かい手だったな――

 

 女性を手を繋いだことなんて小学校低学年の頃のダンスくらいで、5年生の頃に太りだしてから女子からは、臭い、ブタ、デブ、キモいと散々言われて、中学に入ってからは先輩からカツアゲにあって、断ると殴られ足り蹴られたりして、時には財布の中身全部を取られたこともあった。高校では初めて告白した女子に約1年かけて10kg痩せてきたことすらも笑われ、さらに剛の存在自体まで否定されてきた。そういったことや元々人見知りなことも重なってコミュ障になり、人間すら信じられなくなってしまった。

 就職してからは、あかりに何かと気を遣われたことと、自分のプログラミング技術を買われて仕事をする中、人間不信は少しずつ解消されつつあった。

 そして今日、剛は初めて女性と食事という名のデートをしている。佳織と手を繋いだのは二度目であるのだが、初対面の時は一方的に握られて終わりであったことから、剛は大人の女性と手を繋いだことを初めてだと認識していた。しかもそれが憧れというか、まだ剛自身が気付いていないが、恋心を抱いている佳織とである。

 また剛にとって、リアルの女性に惹かれたのは高校2年生以来ではあるのだが、ここまで惹かれることは初めてのことだった。それだけに自分が体験したことがあまりに非現実的で、でもそこには温かさと柔らかさといった物理的感覚もあって、そして目の前に今まで手を繋いでいた、自分とは不似合いな女性がその小さな手でガンコントローラーを取って、その小さな手で百円玉をゲーム筐体に投入していく。その一つ一つの動作があまりに優雅に見えて、周りがアニメーションの世界のように映って、別世界に迷い込んだような、そんな感覚になっていた。


 そんな風に剛が一人の世界に入り込んでいると、


「新田さん、ゲーム始まりますよ?」


 と佳織がいうと、剛はハッとして、

 

「あ、はい! あ、コイン入れなきゃ」

「焦らなくても大丈夫ですよ」


 佳織は剛の準備が整うのをゲーム開始選択画面で待っていた。

 剛は100円を入れてガンコントローラーを取ると、

 

「お、お待たせしました」

「はい、じゃあ始めますね――あ、キャラは私がこっち選ぶので――」

「はい、じゃあ僕は男キャラの方ですね」

「はい、じゃあ始めましょう!」

「はい、お、おねがいします」


 佳織が女性キャラ、剛が男性キャラでゲームがスタートした。

 最初のムービーが流れて、ゲーム開始。開始早々複数のゾンビが現れてきたのだが、序盤なので二人とも無傷で対処できた。

 ゲームが進行して、ゾンビの数もそれなりに増えてきた頃、

 

「あ、新田さん危ない!」

「え?」


 とっさに佳織が剛の右斜め前から斧を振りかざしてくるゾンビを撃ち倒した。

 

「あ、ありがとうございます」


 と剛が言ったのだが、2人は何事もなかったようにゲームを進めていく。

 弾のリロードも剛もそれなりに慣れた手つきなのだが、佳織は剛よりも早くリロードしていく。

 これも自衛官だからなのか、わからないがゲームをしながら剛は佳織のプレイ姿をちらちらと見ていた。

 

 ――伊藤さん、凄いなぁ――

 

 そのままプレイを続けること十数分後、2人はほぼ同時にゾンビにやられてしまった。

 2人同時プレイでの点数はというと216584点で、デイリーランキングに4位でランキング入りしたのであった。

 

「あー、悔しい!」


 ガンコントローラーを筐体に戻した佳織がニコニコ顔で悔しがる。

 

「でも、伊藤さん凄いですね。個人点数なら僕よりもはるかに上ですよ」


 と剛も笑顔で佳織にそう応えた。


「いえいえ、新田さんだって凄かったじゃないですか!」


 と、佳織が剛を見て、

 

「あ、新田さんの笑顔って良いですね。可愛い!」


 佳織はポシェットから取り出したスマホで剛の顔を撮った。

 

「え?――」


 剛はになっていると言われて驚いた。

 

「ほら!」


 と、佳織は笑顔の剛が写っている写真を剛に見せた。

 

「あ――」


 ――本当だ、僕が笑ってる。僕がこんな顔するのっていつ以来なんだろう?――

 

 剛が笑顔を出さなくなったのは、体型のことで色々言われ始めてからだった。

 そんな昔から笑顔をなくしていたなんて剛には覚えてもいなかった。それだけに自分が笑ってる写真を見せられて動揺もしている。特に仲の良いオタク仲間の間でも剛は事で認知されている。それくらい表情が薄いというか、あまり表情を変えないのが剛であったのだから驚くのも無理もないだろう。

 

 と、剛が過去を思い出していると、佳織がとんでもないことを言い出してきた。

 

「新田さん、これ待ち受け画像にしても良いですか?」


 さすがにこれには剛も驚きすぎて言葉が出てこなかった。

 

「あ、すみません。この話はなかったことにしましょ!」


 と、かなり残念そうにスマホを仕舞おうとする佳織に、

 

「あ、あの。そんな顔で良ければ――」


 と声を掛けた。

 剛は自分の笑顔が良いと言われ、さらにそれを待ち受け画像にしたいなんて、そんなことを言われたこともなかったので、なんとなく、なぜそう思ったのかわからないのだが、嬉しくなったのも事実だった。

 

「あ、いえ。別に無理されなくてもいいですよ?」

「あ、いえ――新田さんが僕のそんな顔で良いと思っていただけるのなら、僕は、なぜかわからないんですが、嬉しくて――」


 と、剛は自分の今の気持ちを佳織に告げた。

 そう言われた佳織もしばらく考えて、

 

「わかりました。ではお言葉に甘えさせていただきます」


 と、剛の笑顔の写真をスマホの待ち受け画面にした。

 

 ――きっと柳沢三曹にはからかわれるだろうな。でも新田さんの笑顔、なんか力を貰えるというか――

 

 佳織はそんなことを思いながら、剛の笑顔の写真を登録した待ち受け画面を見ながらそんなことを思った。

 そして、

 

「新田さんの笑顔、待ち受け画面に登録させていただきました!」


 と、佳織は剛の笑顔が登録された待ち受け画面を剛に見せた。

 

「あ、ありがとう、ございます――」


 剛は佳織のスマホに写る自分の笑顔をみて、耳まで赤くなりながら、なぜかお礼を言った。でもそこでお礼をいう自分がおかしくなって、クスリと再び笑った。

 すると、

 

「あ、その表情かお、頂きました!」


 と、佳織が笑った瞬間の剛をまたスマホで撮った。

 

「どっちも良いです!」


 という佳織に、

 

「あ、あの――待ち受け画面は他の人に見られてしまうだろうから我慢、しますが、今の写真は出さないでください、あまりに恥ずかしいので――」


 と、剛が要望すると、佳織はさも当然といった感じに、

 

「もちろんです。この写真は私しか見ませんし、他の人にも見せません!」


 と、そう言って佳織は大きく頷いた。

 そして、

 

「新田さん、次は何で遊びましょうか!」


 と佳織がまた自然にというか、さも当然といった感じで剛の左手と自分の右手で手を繋いでそう言うと、剛も手を繋がれたことに顔を赤くしながらも、周りを見渡すと、魔法少女アイのキャラクターが入っているクレーンゲームを見つけた。

 

「伊藤さん、あ、あそこのクレーンゲーム、や、やりま、せんか?」


 と、どもりながらも剛は目的のクレーンゲームを指差して佳織を誘った。

 剛が指差すクレーンゲームを認識した佳織は、

 

「あ! 魔法少女アイのクレーンゲームですね?」


 と、今にも飛び上がりそうに興奮しながら言った。

 

「あ、は、はい。いいですか?」

「もちろんです!」


 という事で、2人は魔法少女アイのキャラクターの入ったクレーンゲームをすることになった。

 

 クレーンゲームに到着した2人。

 剛は1ゲームだと200円、3ゲームだと500円と100円割安設定になっていて、どちらにしようか迷って、500円玉を投入した。

 

「あ、3ゲームされるんですか?」


 と聞いてくる佳織に、

 

「と、とりあえずですが――」


 と剛は答えると、真ん中の奥辺りに黄色い犬の形のぬいぐるみを見つけた。それは紛れもない佳織の好きなバンであった。

 剛は真ん中奥辺りを狙ってクレーンを動かして、目的のところ付近で止めると、クレーンが下がっていき、クレーンがパンの胴体を掴み、戻ってくる。

 クレーンが持ち上げたものを確認した佳織は、

 

「あ、パン君!」


 と声を上げて、「ガンバレ、ガンバレ」とクレーンにエールを送る。

 その姿を可愛いと思った剛は、これが落ちてもまたパンを狙おうと思っていた。

 

 しかし、クレーンはパンの胴体をぎりぎりのところでつかみ戻ってくる。

 

「パン君、頑張って!」


 別にパンが頑張ってつかまっているわけではないのだが、佳織はそう言ってクレーンに捕らえられているパンを応援する。

 そして、パンのぬいぐるみが開口部にぽとっと落ちた。

 

「きゃー、やった! やりましたよ! 新田さん凄い!」


 そんな興奮した佳織の声を聞きながら、取り出し口からパンのぬいぐるみを取り出した剛は、

 

「これ、貰ってください」


 と、獲ったばかりのパンのぬいぐるみを佳織に差し出した。

 

「え? でも、これ――」


 と、佳織の目が剛とパンとを行ったり来たりする。

 

「もし獲れたら、い、伊藤さんにあげようと、思っていたので――あの、も、もらっていただけると、う、うれしい、です」


 と、剛は顔を赤くしながらもそう言い切った。

 そんな剛の気持ちに嬉しくなった佳織は、

 

「では、いただきます」


 と剛からパンのぬいぐるみ受け取ると、15センチくらいのぬいぐるみを胸に抱いて喜んだ。しかも、

 

「パン君、よかったねー!」


 と何が良かったのかよくわからないのだが、とにかく喜んでくれている佳織を見て、剛もうれしくなるのだった。


 その後、2回目は剛の好きな唯のぬいぐるみを目指した。やや左よりの奥に髪が黒で緑色のブレザーに青いスカート姿のキャラクターが剛の獲りたい唯のぬいぐるみである。

 目的付近にクレーンをやり、クレーンが下りる。右腕と胴体、そして左腕の間にクレーンが入って持ち上げる。どうやらうまく持ち上がっていそうな雰囲気だ。

 

「ガンバレー、もうちょっと!」


 佳織がクレーンに掴まれている唯に祈るようにしている。が、

 

「あ! 落ちないで!」


 佳織の祈りもむなしく、開口部近くで惜しくも落ちてしまった。

 

「惜しかったですね」


 と佳織が剛に行ったのだが、剛は、

 

「い、いえ。作戦通りです」


 と言ってのけた。

 

「作戦通り――」


 佳織は剛の言葉をオーム返しした。

 

「そうです。今落ちたのは頭からではなくて、そ、そのままの、体制で落ちた、ので」


 と、言いながら先程唯が落ちた場所を目指してクレーンを操作する剛。

 目的付近でクレーンが下りて、でも今度は唯の足元付近にクレーンが入ってしまった。

 

「あ!――」


 つい声を上げてしまった佳織だったが、

 

「狙い通り!」


 と剛はそう言って見守る。

 クレーンが持ち上がり唯のぬいぐるみが持ち上がってクレーンからするするっとずり落ちていった。

 

「あ! 落ちてしまいますよ?」


 と、焦る佳織に、

 

「大丈夫ですよ。見ててください」


 と自信ありげな剛。

 そして、クレーンから完全に落ちた唯のぬいぐるみは、落ちた先のぬいぐるみでバウンドすると、開口部に落ちていった。

 

「あ! や、やった! やりましたよ新田さん! 凄いです!」


 と大興奮の佳織の下で、剛は唯のぬいぐるみを取り出し口からとった。

 剛が唯のぬいぐるみを取り出して立ち上がると、

 

「新田さん! やりましたね!」


 と佳織は、剛に抱き着いた。

 別に佳織は何も考えていなかったのだが、つい興奮して抱き着いてしまっただけなのであったのだが、佳織のふわりとした女性特有の匂いを感じた剛は顔を真っ赤にしてその場でした。

 そして、自分がを理解した佳織は、剛からすぐに退いて、

 

「あ、す、すみません!」


 と頭を下げた。

 いや、別に佳織が悪いわけではなく、いや、この場合は佳織が悪いことになるのだろうか、剛はしばらく固まったままであった。

 けれども、そんな剛の反応も佳織には新鮮で、ついスマホで固まったままの剛の写真を撮ってしまうのであった。

 スマホのシャッターの音で回復した剛は、自分に起きた現象を頭の中で再確認して、さらに顔を赤くすると、そのまま頭から煙を出して呆けてしまうだった。

 

「あれ、新田さん? 新田さーん?」


 1分ほどして、復活した剛は、

 

「では、い、いきましょう、か――」


 とどこに行くのかすらも理解できていないようで、そのままクレーンゲーム筐体に突っ込んでしまった。

 

「だ、大丈夫ですか?」


 と気遣う佳織を見て、さらに顔を真っ赤にすると、

 

「あ、は、はい――だ、大丈夫、です」


 と笑おうとするのだが緊張のあまりうまく笑えずひきつったを浮かべる剛。

 そして方向転換して再び歩き出そうとしたのだが手と足が同時に出てしまい、変な歩き方になる剛。

 そんな剛にクスッと笑うと、佳織は剛の腕を掴んで、自動販売機の近くにあるベンチへと向かい、そこに剛を座らせると、自動販売機でミネラルウォーターを2本買うと、一本を剛の頬に当てた。

 

「ひゃッ!」


 とたん変な声を上げて剛は再起動した。

 

「大丈夫ですか?」

「あ、は、はい!」

「じゃあこれ飲んで、少し休憩しましょ」


 と佳織は今しがたミネラルウォーターを剛の手に持たせた。

 

「あ、ありがとう、ございます」

「いえいえ。パン君を取っていただいたお礼です。安くてすみません」

「あ、いえ。だってパンも100円で獲ったものなので――」

「あ、そういえばそうですね」

「はい」


 と、2人はほぼ同時に笑い出した。

 剛も別に構えることなく笑えた。そして自分が笑っていることに驚いたのだが、でもやっぱりおかしくて笑ってしまうのであった。

 

 ――やっぱりこの人良いな。私、この人に惹かれていってる。なぜだかはわからないけど、でも優しくて素敵な人――

 

 屈託のない笑顔を見せる剛に佳織は剛に惹かれていっていることを再確認するのであった。

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